続 : クロスカントリーラリーはエンデューロ化していく?
■(前号の続き)…という具合に次第に標準化し、"らしさ"を失いつつも、ある意味では洗練されてゆくクロスカントリーラリー(前号参照)は、片やいつしか時代に取り残され、社会的な存在理由を希薄にしていったエンデューロにとってかわる存在になっていくのだろうか、いや現に、そうなりつつあるという仮説を、晩酌のサカナにしてみる自分。ISDE、エンデューロ世界選手権といったリライアビリティトライアル(信頼性試験)が、リアルな意味で、マシンの性能や、ライダーのスキルを試し、マニュファクチャラーが、ライダーがその能力を実証する場であった時代は、とうに過去のものになってしまったのだろうか。
■エンデューロが公道、社会環境から隔離されない環境で行なわれる競技であることの意味は、すなわち、自動車という道具が、一般の用に供され、その進化が社会の発展に貢献するものだという前提によるものだ。しかしエンデューロという競技の在り方は、モータリゼーションがイコール、高速・大量輸送の追求であった時代のまま凍結されている。このままでは凍死するしか道はないのかもしれない。無くなるというわけでない。しかし、社会的な存在理由を失い、公道を、街を、山野を追われて、狭いエリアに押し込められたエンデューロは、モータリゼーションとはまったく関わりのない、例えばオートレースやアイスレースのような、非常に特殊な一ジャンルとして残るだけになるだろう。
■エンデューロには、現在にマッチした、将来に通用する新しいパラダイムが必要だ。ひとつには化石燃料の低消費、あるいはローエミッション、ゼロエミッションへとつながるテクノロジーの進歩に貢献するための、本来のリライアビリティトライアルに立ち戻る必要がある。今やっていることは、終わりへと向けた準備に過ぎないように思えてならない。「モータースポーツとはそういうものだ」とは、思えないのである。前号でも書いたことだけれども、エンデューロにはモータースポーツのなかでもこれ以上ないというほど、個人性を追求した成熟したスポーツの姿がある。それを将来に渡って活かしていく道を探っていきたいと思うのだ。
写真はスペイン・グラナダISDEより
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