アマチュア精神
楽しくオリンピック観戦をしていますが、「メダルラッシュ」とか、「過去最高のメダル獲得数」とかいうマスメディアの報じ方には違和感をおぼえずにいられません。4年に1回しか開催されない競技です。参加すること以上に、1位だ2位だという評価がどれだけ重要なのか。そもそも国別のメダル獲得数を競うシステムなど、この試合にはないわけで…。繁栄を謳歌する大国、かたや選手1名を参加させるのがやっとの国があるとして、そこでメダルのあるなし、ましてや数の多さを語ることなど…。
以前にも書いたことがありますが「かつて」オリンピックがアマチュアスポーツの祭典だった頃のこと。1932年のロサンゼルス大会百メートル背泳ぎでは、金、銀、銅、三つのメダルを日本人選手が独占する活躍でした。このとき金メダルを受けた清川正二さんは、その後国際オリンピック委員会(IOC)の副会長をつとめることになります。1998年夏季オリンピックの誘致合戦が、ソウルと名古屋で白熱(結局ソウルで開催された)した際、バーデンバーデンにおける会議でソウル側の猛烈な集票活動に、日本側は危機感をおぼえ、清川さんに対抗策を相談します。しかし、オリンピックのアマチュア精神を信じていた清川さんは、次のように応えたといいます。
「IOC委員は金などでは動かない高潔な人間たち。そんなことをすればかえって反感を招くことになる」。しかし、名古屋市は完敗。その後、サマランチ会長の就任。オリンピックは急速に商業化していくことになります。1999年、IOCを大スキャンダルの暗雲が包んだ年、清川さんは「わたしたちは厳しいアマチュアリズムのなかで育った。金銭や名誉で動くようなことはなかった」という言葉を残し、同年、この世を去ったということです。
アマチュア精神などというと、このごろのドライでクールな世の中ではなにか時代遅れで、つまらないことのように感じてしまいがちかもしれません。もっとプロスポーツ選手が育つような環境を、という言葉を金科玉条のように扱う風潮もあるように思います。しかし本当に大切なこととはなんだろうか。オリンピックという一大イベントに接するたびに、そう考えさせられます。スポーツマンシップとかなにか、勝つこと、負けること、国家とは、ナショナリズムとは、国家間とはなにかということ考える日々。ぼくにとってオリンピックの価値がそこにあるように思いました。
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