■7日間に渡って繰り広げられた「最後の饗宴」。「コレハゼッタイ参加シナクテハ…」と思い、ある面で(一応、7日間、2000km以上というロングディスタンスの耐久競技ですからね)相当の覚悟をしてエントリーを決めたことは、本当に正しい選択だったと、「参加してヨカッタ…」自分の「カン」に狂いのなかったことに満足している今日この頃です。
■ブルーアイランド。四国という島。北海道に生まれ育ったぼくにとって、そこにある自然はまったくいつみても新鮮そのもの。北海道にももちろん大自然の広がりがあり、それはローカルのぼくが誇りにする素晴らしいものですが、同じく「自然」という言葉で言い表すものでありながら四国に見るそれは、まったく質の違ったものであることに驚かされます。静かな瀬戸内の海、竜骨を思わせる峻険な山脈をはさんで、黒潮の輝く土佐、斜面を埋め尽くす美林の青さ、螺鈿細工のように輝く棚田、数えあげてもキリがありませんが、それは自然といっても荒野ではありえなく、まさしく人が長い時間をかけてたどり着いた「折りあいのつけ方」の結果なのでしょう。その微妙なバランスが織り成す美しい景色はまさに人もまた自然の一部なのだ、ということを思い出させてくれるものです。
■13年間に渡って開催されてきた、ツールドブルーアイランドもまた、そうした四国の自然に似て、高度に環境(主に社会環境)と折りあいをつけてきたイベントなのだと思います。ハナシに聞く、初期のツールドブルーアイランドのような野生的な魅力は失ったのかもしれませんが、オープンロードに存在し続け、モーターサイクルを狭いカゴに閉じ込めることなく、ライダーの自由を主張し続けてきたことの意味を忘れてはならないでしょう。海岸や河川敷のスペシャルステージが消え、逆にツインシリンダーのレイドモデルでもそこそこに走れ、楽しめるコースが主体になっていったことを、競技としての退歩であるというならば、それは無理解というほかないでしょう。
■ぼく個人の感想ですが、それでもツールドブルーアイランドが物足りないなんてことは全然なかった。それはぼくが自分でも気がつかなかった「コンペティターの心理」を持ち合わせているからなのかもしれません。決して長くはないスペシャルステージに、自分のもっているすべてをかけることの意味。7日間という長時間、汚いスリーピングバッグと、汚い服装、連続する肉体的苦痛と、連続する緊張、スピードと重力のスリル、そしてまた競い合いの興奮。勝ち、得ることの喜び、そして落胆…。友人は「ストイックなんだな」と笑いますが、そういう「汚い寝袋にくるまった日々」ほど、現代に貴重なものはないはず。本当は、誰だってそのことはわかっているはずなのに…、ね。
■少し前後しますが、モーターサイクル、そしてライダーというものが社会環境の中で自由を獲得していくか、あるいは環境とは隔絶された場所で、消極的なサバイバルをしていくか、二つの道のどちらを選択するのか。TBIというイベントの13年間を考えるうえでのひとつの大きなテーマがこのようなことになるのだと思います。そのことを抜きにして、単に走って楽しかった、次第につまらなくなってきたなどという議論に意味はない。四国、そしてツールドブルーアイランドというものを知ってからわずか3年のぼくですが、生意気を承知でそんなことを言っておきたいと思いました。
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