旅のバイク
■今年のガストン・ライエミーティングは「京都」なんですね。ぼくもガストン・ライエミーティングには、第1回、淡路島に集合した時、そして一昨年、白馬で開催された時に参加させてもらいました。車種は問わず、ということになっているイベントですが、当然のごとく、BMWのGSに乗っているライダーが多く集まっていました。ぼくもまた、かなりパートタイムではありますが、GSライダーのひとりです。
■かっこいいボクサーツインのゲレンデシュポルト。ぼくのR100GSは、ボロくてそんなにかっこ良くはない。それでもずっと憧れ続けていたバイクでもあり、あんまり走らせる機会はないのですが、愛車としてガレージに置いてあって、その気になればいつでも走り出せるということを思うと、なにかこう満足感があるというか、心のどこかに小さな灯がともるような充足感をおぼえる、そんな存在です。それはもしかすると、このバイクとともに、いつでも旅立つことができるのだ、という、自由の証であるのかもしれません。
■もちろん、今すぐにどこにでも旅立つことができる、なんて、そんな甘っちょろいハナシはないし、またそんなふうに人生に悟達しているというわけでもない。それでも、このボクサーツインをうならせて、右手をひねり、ゆるやかなワインディンク--例えば北海道の国道274号樹海ロードとかね--をひらりひらりと軽快に飛ばしている時、GSライダーならだれでも、自分は自由だと、自分はこのまま旅を続けることができるんじゃないかと、それが錯覚であると知ってはいながら、ひと時夢想できるんじゃないかな。
■GSとはそういうバイクで、だからこの軽快なエアヘッドのGSは、すでに時代遅れだとかなんだとか、当然のことを言われながらも、今でも大事に乗り続けているライダーが多くて、その価値もまったく色あせることがない。例えば、最近ではBMW-GSのライバルとしてKTM950Adventureというラリー育ちのVツインマシン、また同じくR1200GSという最新型ももちろんあって、あたかもすべての点で従来のもの凌駕しているかのように語られるけれど、ぼくは、このエアヘッド=GSに追いつき追い越したバイクは、未だないと思っています。「KTM950Adventureより、旧型ビーエムのほうが優れている?
そんなバカな」ごもっとも…。
■KTMとBMW、2000年前後のダカールラリーで激突したふたつのファクトリーは、これよりもかなり以前、1970年代後半から約10年間、ISDE(インターナショナルシックスデイズエンデューロ)を、ともに戦っていました。アルバート・シェックやシャルバーが走らせたBMWボクサーツインのISDEトロフィモデルは、やがてGSという名を与えられることになるわけですが、KTMもまた、そのエンデューロモデルにはGS(ゲレンデシュポルト)という名前が与えられ、1990年後半になってEXC(エンデューロクロスカントリー)と変更されるまで、長くその名が愛されてきたのです。
■そんなふたつのGSブランドが、ツインシリンダーの大陸的なモーターサイクルの市場で再び覇を競うというのが、面白いですね。とはいえ、ピュアスポーツのらしさ満点KTMは、旅のバイクとしてはまだ一歩、ビーエムに学ばなければならないところが多いようです。反面、ビーエムは、細部にまで惜しげもなくハイクォリティのパーツを使いまくっているKTMの贅沢さにたじたじということになるでしょうか。あれ、なんか評論みたいになっちゃいましたけど、ぼくにはどんな新車より。自分のボロいGSが一番です。違いのわかるオトコが持ってるバイクを、やっとぼくも手に入れたんですから…。
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