スポーツマシシップ??
■ぼくはモータースポーツと名のつくものなら何でも大好きで「ハルキくんはなんでこんな仕事をしているんだい??」と問われれば、割と素直に「モータースポーツが大好きで、ずっとそのそばにいたいからです。」と答えることができます。それはウソでも虚飾でもなく、たぶんそれが本音なんだろうな。と自分で思っています。だったら、もし自分がお金持ちで、湯水のようにお小遣いがたくさんあったら、自分で走るだけにして、世界中のいろんなイベントに参加しまくって生活を続けられたらそれでもいいんじゃないか、というと、それもまた違うような気がします。例えば、先日のツールドブルーアイランドのように、いろんな人たちと一緒に過ごす時間も、きっと自分に与えられた役割があり、それがやりがいがあって、またいくらか困難なものであるからこそ、素晴らしい貴重な体験といえるものになるのではないか。そんなふうに思います。モータースポーツが好きというのは、バイクやクルマでガンガン走って、バトルして、汗をかいてということも含まれてはいますが、それ以上に、モータースポーツが好きな人が好きという意味なんですね。
■モータースポーツというのは自分にとってなくてはならないものだと思っているのですが、ひとつにはこれがぼくにとって『学校』のような役割を果たしてきたという思いからくる気持ちでもあります。ぼくはロクに勉学をしてきていないのですが、その代わりに、いつもモータースポーツに深く関わってきたことで、いろいろなことを得てきたと思います。いろんなモータースポーツの現場に身を置いていると「ああ、そういうことなのか…。」と感動することがいくつもあります。今でも良くおぼえているシーンのひとつに、こんなものがあります。四輪のスポーツでダートトライアルという競技があります。日本自動車連盟がカテゴライズしているものにスラローム競技というものがあり、舗装路でやるものを第一種スラローム「ジムカーナ」と呼び、未舗装路メインでやるものを第二種スラローム「ダートトライアル」と言います。スプリントのタイムトライアルなんですが、短いだけに非常に緊張感のある競技。
■どの大会でも必ず数台の転倒車(クルマって良く転がるんです)が出るんですが、トップ争いをしている一台がその日、コーナーでイン側の石を踏んでしまい、そのまま転倒。数百万円のクルマがオシャカ。アマチュアにとっては本当に痛いヒトコケです。しかも貴重な一戦で成績も出すことができず、かなりのトホホ状態。こんなときってどんな人でも、自分のことで頭がいっぱいになって落ち込むものだし、まして戦闘体制の精神状態ですから、言動も雑になりがち。それが普通です。でも、そのドライバーはクラッシュした車両を排除するために要したわずかな時間。ほんの数分間競技の進行が滞ったことを、他の参加者と主催者に一言わびるだけの精神的余裕を持っていました。
■「進行止めちゃってスミマセンでした…。」という一言に、「身体は大丈夫? マシンも心配だね。」というスタッフとのやりとり。そしてさらに、スタートを待たされ集中力を持続させるのに苦心した後続のドライバーにも、競技終了後に「申し訳なかったね」と一声かけていく姿。その頃、まだまだ子供だったぼくは、そのクラッシュしたドライバーに今まで見たことがないような『かっこよさ』を感じてしまったのです。プライズというカタチの無いもののために、時には命がけで、一瞬一瞬の戦いに集中し、しのぎを削るシビアで激しい一面を持つスポーツ。それを戦う熱い気持ちのどこかに、必ず人を思いやる気持ちを忘れずに持っているということなのでしょうか。
■「自分もそんな風でありたい」と思わせてくれるかっこいいモータースポーツマンとの出会い。本当はそれがぼくを現場にアシを運ばせる最大の理由なのかもしれません。『スポーツマンシップ』という言葉を良く耳にします。ぼくには、それがどんなものだが良く分からないし、そんなものがあるのかどうかも、ぼくにとってはクェスチョンマーク付き。スポーツだから、あるいはモータースポーツだからといって、人間の在り方が特別でなければならないということは何も無いと思っています。例えば、先のダートトライアルでのワンシーンにしても、それだけを取り出してみると、どんなシーンであっても必要な礼節がきちんと保たれているというだけで、何も感動するほどのことはなく、特別なものでもありません。が、そんなことを美しく見せてくれる何かが、ぼくにとってのモータースポーツには存在するんだということなのでしょうか。
■また同じく先のワンシーンについてうがった見方をすれば、ある程度の名もあり、見られる立場にあるドライバーのことですから、スタンドプレー的な意味があったのかもしれません。いわゆる「よい子ちゃん」を演じたというわけです。でも例えそうであってもぼくはそれを否定的には見ないし、むしろこうした競技会というのは、衿を正すという意味でそうした表現が行き交う場であって良いのではないかと思うわけです。そうして個々が自分自身を律すること、そして恥を知り、名を惜しむということが忘れられがちになってしまう日々の生活、その世の中で、せめてスポーツの世界でだけは、スポーツマンとしてのプライドを持ち、衿を正し、正々堂々とあろうじゃないか。そう、あえて言うなら、スポーツマシンシップとはそういうことなのではないかと思います。加えてジェントルであれば言うことはないですね。そんな人になりたいものです。
■そこでちょっと生意気ですが今回の一言。先輩ライダーって、速く走るテクニックとか、バイクを安く直す方法を教えるだけじゃ、本当のセンパイとは言えませんよね。でした。
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