RRM2000編 その2
■「どおです。ハルキさんも走りたくなってくるでしょう!!」と何人ものエントラントにそう言われましたが、確かにRRM2000を走っているライダーは美しく、格好よくて、それにすごく楽しそうですから、走りたくないといえばウソにもなってしまうんですが、多分、みんなが思っているように「ウズウズしちゃう」わけでもないんですね。でも「そーでもないっすよ」と言うのはとっても失礼な感じがするので「ぼくは、ほら、こんなに痩せてて、たぶんこういう長距離は無理ですよ」と応えていました。「たぶん自分には無理」というのも実は半分以上ホントのキモチなんですが、こうやってみんなの姿を追いかけてラリーに同行しているだけで、十分に楽しく充実しているというのが正直なところです。
■それというのも、やっぱりモンゴルの「超絶的なロケーション(マツモトさんからの借り物)」によるところが大きいし、しかもその超絶的ロケーションを、8日間にわたってラウンドトリップするという、壮大(かつ、いささか強引)な遊びのシステムに参加できているということがとっても嬉しいからなんじゃないかと思います。世に、ラリーレイドほどデッカイ遊びもないでしょう。物理的にも大掛かりで(だからお金もいっぱいかかるんでしょう)、しかも精神的にも大きな動きが求められます。まさに20世紀、その終末に台頭した、良くも悪くも最も人間らしい遊びの発露という感じがしますが、みなさんはどう思いますか?
■ラスト・ブルーアイランド、あのツールド・ブルーアイランドが一定の目的を達したという認識のうえで、いったん幕を閉じることになったようですね。ぼくは昨年のTBIが初体験で、今年は取材者として7日間の旅に同行。その13年の歴史の最期だけを見てきたことになりますが、第一回大会からの変遷、そして社会環境や社会常識の変化のなかで少しずつカタチを変えながら開催が続けられてきたTBIの歴史を鑑みれば、それが日本におけるモーターサイクルスポーツ文化をカタチづくるための、ひとつの実験場・ラボラトリーだったんじゃないかと考えています。クローズドコースではなく、あえて社会環境そのものともいえる道路を使用してイベントを開催する。それは現代日本においては最も困難な行為で、しかもそれをまだまだ白眼視の対象という一面を持つモーターサイクルでやる。そのなかでは、イベントの在り方、イメージ創りはさておいても、モーターサイクルやライダーそのものも変化していく必要があったことと思います。いくらか、ぼくたちは変わることができたのでしょうか?
■デキルダケ日刊の読者のなかには、ビッグタンクマガジンの読者もいくらかおられることと思いますが、9月号のコラムで、マツモトさんがYUSUHARA 2DAYSのことに触れていました。そのなかで、この種のイベントの危うさ、少し引用を加えますが「夜に軒先の小道を250台ものバイクが爆音を残し次々に通過していって本当にいいものか」ということ、そしてこうした(梼原のような)環境で、何百台ものマシンを走らせることが、いかに地元の理解があるとはいえ、推進できるものではないのではないか。というような疑問を呈しています。どうでしょうか。ぼくとしては、ちょっと意見が違います。今後もモーターサイクルスポーツというものが、社会環境や経済という人間的活動と関わりを持ちつづけ(そうじゃない端的な例がギャンブルレースであるオートレースの一面)、その楽しみをぼくたちが享受しつづけるという前提において、TBI、またYUSUHARA 2DAYSのようなイベントは、公道というイベント開催には困難な場所であるからこそ、開催される意義が大きいと思います。もちろん、そのあたりの意味は、やはりマツモトさんが同コラムで書いていたことのひとつ「時にはバイクに乗らないことを選択することのできるデリケートで自律的な感性を持ったライダー」が、そのYUSUHARAから育ってくることが大いに期待できると思うからです。それが地元の理解の上に成り立っているとしたら、やはりこれは貴重なラボラトリーといえるんじゃないかと思っています。
ビッグタンクマガジン
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