あざ~っす。仙波です。
桜の咲く頃の寄稿から、さぼっており、現在は紫陽花が咲いてます。風情ですね。(風情でごまかします。)
今回の寄稿もまったくバイクに関係が無く、またまた訳のわからぬ私的、哲学的な話を書きたいと思います。
私も40前です。アラフォーです。人生を八十とするのなら、折り返し地点もすぐそこ。そして、エベレストを登頂された三浦さんの言葉を借りれば、2度目の二十歳です。
そんな年代なのか、最近は世はすべて【二面性】で存在すると思いだしました。もし見て頂ける方がいれば、私よりは年代が高い人ばかりだと思うので(心は少年かもしれません。)当たり前の事を書くかもしれません。
2面性とは
良い事があれば、悪い事がある。そういう事です。 言いかえれば「陰と陽」です。コインで表現すれば「表と裏」最終段階は「生と死です。」
すべては表裏一体であり、どちらかが永遠に存在する事はないと思うのです。それを最近読んだ本では、歴史にも例えている人がいました。 ヨーロッパが栄え、その後アメリカへ、その力も弱まり、次はどこへ?など、何かが永遠に続くことなどないのです。歴史上にもです。
栄があれば、衰えがあるのです。
それを最近、強く感じます。 だから、良い事があっても、いずれ終わる、悪い事があってもいずれ終わる。そんなふうに感じてしまいます。(さびしいかもしれませんね・・・) しかし、私が思う大人の定義とはこの二面性、表裏一体を感じだした頃に人生に味が出てくるのでは?と思うのです。 若い頃は絶対に感じなかった事です。
常に良い事ばかりではない。良い事が続く時は、辛い時の備えをし、辛い時は必ず良い事がある。と思い進むのが人生であると感じるのです。 そして、最終段階の二面性・・・「生と死」です。
生まれたんですから、必ず死に向かうわけです。これはまぎれもない事実です。その二面性を強く感じる時、人は「挑戦」という言葉や行動を起こすのかもしれません。失敗も生きている時にしかできません。そして、何が成功で、何が失敗かの定義が実はこの世に無いように思うのです。それは究極の二面性が存在するからです。何度も言いますが「生と死」です。
なんかあやしい話になってきたので、ここらへんで止めます。何が言いたいのか、書きたいのかわからなくなりました。 最後に、明石屋さんまさんのお父さんの言葉を書いておきます。
「人間、生まれてきた時は真っ裸や、パンツ一枚でも履いて死ねたら、それはええ人生やったんとちゃうんかな?」
ですです。
写真はモロッコに行った時に走らしてもらった場所です。二面性すらちっぽけに感じる景色ですね!モンゴルもでしょうか?
ではでは
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