お疲れ様です。仙波です。
気が付けば蝉の声も小さく聞こえてきます。そして、この夏も色々な思い出が出来た事と存じます。と、何を丁寧に言っているのかはわかりませんが
北京-ウランバートルのラリー参加の皆様お疲れ様でした!
愛媛銀行の方も完走おめでとうございます!(地元ひいきであります。)
そんな愛媛銀行の参加者の女性の方が「仙波」さんというらしいのですが、お客様にラリー完走後のテレビ放送などを見て「妹さん?」と聞かれます。確かに妹はいますが、違いますし、さすがの松山でもそこまで世間は狭くないはず。
さてさて、私も8月はいろいろなところに走りに行きました。信州の長野、地元の剣山スーパー林道を走ってきました。そこで共通することを考えました。皆様も思ったことがあると思います。
バイク乗りはすれちがいに何故?手を振るのか?
いろいろな意見があると思います。
自分もお盆に飲み会がありそこでも話したのですが、みんなの意見で多かったのは少数派という意見です。
少数派だから手を振るのであろうか?
振らない人は何故振らないのか?恥ずかしいから?他人だから?意味はない?
剣山の林道では、私はコケないように必死で走っているのにすれ違うライダーが手を上げて振ってくる。私にあげる余裕はなく、会釈だけ、でも会釈はする。
何故?挨拶をするのか?
とお盆のバイク生活の中で感じました。自分が思うところ、ある本のタイトルにその真髄があるのではないかと思います。
そのタイトルは
バイクのツーリングはなぜか、少し寂しい。
であります。
街中で手を振ったり、会釈をすることはほとんどないだろう。しかし、山間部でのすれちがい等では会釈の数も増える。それは、ツーリングというものが少し寂しいものではないかと思うのである。
いや、言い方を変えれば、「寂しくなりたい」のではないかと思うのです。寂しさ、静けさの中で、共通の場所に、共通のものでの境遇、それが手を上げる行為や、会釈につながるのではないだろうか?
バイク乗りだけではなく、山間部に入るとなぜか、たまにある集落の人々に自然と会釈することもあると思います。
そんな心境だと自分は解釈します。
では、これからまた最高のバイクシーズンです。
走りまくりましょう!
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