お疲れ様です。仙波です。
自分が勤めている会社は毎週火曜日、第一、第三水曜日が定休日です。春分の日は、ちょうど第三水曜日と当たり、一般の人達と同じ休みとなりました。春休みも始まっているのか、どこに行っても混みこみです。やはり、平日の休日の方が落ち着くな~と感じた一日でした。
話は変わり、今回の寄稿で125回目となります。区切りというわけではないのですが、今回は自分の夢の一部について書きたいと思います。自分はプロフィールにも書いていますが、夢の中に「教育」があります。さて教育とは何か?自分は感じてもらうこと、聞いてもらうこと、見てもらうこと、と考えています。
教育とは本当に難しいです。厳しくする部分もあれば、厳しくしすぎてもダメである。自分の息子を幼稚園に入れるときに、あることで選択を迫られました。キチット授業をする幼稚園と、自由な時間を大切にする幼稚園です。一瞬自分的には、自由な幼稚園を選択しようと思いました。しかし、ある事を聞き、考えを改めました。自由という表現は本当に難しく、自由に過ごした、幼稚園時代は、小学生に上がったときの規則に順応する能力に欠ける場合があるようです。ので、キチット当たり前の事を教えてくれる幼稚園を選びました。
教育と言うのは本当に難しい。国語、算数、数学、理科、社会、歴史、音楽etc・・・数多くの授業があると思います。それらはすべて、教科書があり、それを勉強するものでした。僕の記憶の中での、感じる授業は遠足と、道徳の授業が感じるものと認識しています。道徳の授業では、差別の問題の映画を見さされます。その映画に自分は昔から、疑問を感じていました。何を自分達に訴えているのか?差別をするな!なのか、差別をしろ!なのか、どうかわからない内容でした。
自分はこのバイク業界に入ってから、感動しっぱなしです。日本にはこんな綺麗なところがたくさんある!いや、自分達の周りにもたくさんある。しかも、その景色を感じれるのは、その場所の温度、空気、匂いを感じられる無防備なものでなければいけない。だからバイクが良いんだ!バイクは感じることが出来る!と強く思うようになりました。そこで、自分は人間の成長にとって「感じること」それ以外の成長はないと思います。感じることにより、学びます。だから僕はバイクを通じて、何かを感じてもらえることはないか?と恥ずかしながら模索しています。
昨日のラジオで言っていました。すべての先生ではないが、「生徒をお客様だと感じ、接客をしている。」教育の現場としては相当悲しいことでしょう。先生たちも、能力主義、生徒達からの評価、父兄からの評価で、査定される、恐ろしい時代です。そんな評価ではなく、教育再生委員会で話し合われているような、教職免許がなくとも、一般の有識者というか、通常体験できないことを体験してきた人の経験を教育現場に生かせればいいのではないか?と強く思います。BTOUに参加される事だって、小学生からしたら興味津々な話ではないでしょうか?その体験をしゃべれる場はないのか?
今どの職種にも「伝承」の言葉が上がります。引き継いでいく事それも重要な教育だと思います。
自分は若僧ですが、いつかそんな夢を現実に出来たらと思っています。
バイクを通じて
「感じることの出来るなにか!」
を伝えていきたいなんて思っています。
ではでは |