「お疲れ様です。仙波です。」
はじめまして
多数の皆様が始めましてのことと思います。
これから皆様に、日常にあるバイク生活を、販売する側の人間としての世論や生活の中で自分なりの観点で伝えていけたらと考えています。とは言いつつも、まったくバイクのことが出てこないこともあろうかと思いますが若僧の戯言と思い聞いてやってください。
この場所を提供頂いた山田さんとは、販売員とお客様という関係から今に至っているのですが、実はその出会いには自分的には運命的なものがあったのです。今の自分があるのも山田さんのお陰?
第1回目はその山田様との出会いなどをちょっと少し・・・
僕は、高校、大学とラグビーをやっていて、大学の進学もラグビーというスポーツを通じて進学したのです。当然大学時代でまじめにやっていると、ラグビーを通じて就職していくのが流れです。が、しかし!時代は氷河期と呼ばれる就職難時代に突入したのです。僕は某企業にほぼ100%就職するはずだったのですが、氷河期時代の企業の人事部の方は、4年間勉強もせず、ラグビーとコンパに明け暮れた自分に、一般の人と同じ試験を受けろと言い出したのです。結果は・・・僕を含み、明治大学の人間やスポーツでの就職者は全員おっこちゃいました。
そこで、僕はもういい!好きなことをやる!当時大好きだったバイク関係に進もうと考えたのです。もちろん回りの反対はありました。その反対者の一人が、高校時代のラグビー関係のOBです。せっかく日本一を狙える大学でラグビーをやってきたんだからもうちょっと考えろ!おれの知り合いにそういう関係の人がいるから話を聞いてみろ!ということです。そして、その、そういう関係の人が「山田さん」だったのです。
僕はSSERの事務所に行き、山田さんに自分の気持ちをぶつけたのです。僕は、将来バイク屋がやりたい!今は知識がないが、バイク関係の仕事に尽きたいんです。そういう僕の発言を山田さんはまじめに聞いてくれていたのでしょう。
今でも忘れませんがその時の山田さんの言葉は
「将来バイク屋になりたいのなら、バイク関係には進むな、まずは流通を学びなさい。」
バイクに関係のない会社に入り、物の流れ、物の動きを勉強してからでもバイク屋は遅くないよ。というのが山田さんの言葉です。
しかし、僕は自分の夢やその情熱でバイク業界へと足を踏み入れたのです。
そして月日は流れ、4年前に、BMWモーターサイクル正規ディーラーのプラッツ愛媛が出来て、そこに営業として働いていた僕と山田さんは再会したのです。山田さんも僕のことを覚えてくれたらしく苦笑いをしていたことを覚えています。その時まで、正直僕はあまり山田さんのことを知らなくてホームページを見て詳しく知るようになったのです。
僕は今思うと(勝手な解釈です。)、山田さんに言われた
「将来バイク屋になりたいのなら、バイク関係には進むな、まずは流通を学びなさい。」という言葉は、君の言うバイク屋とはなんなんだい?もし君に将来志すものがあればバイクを通じて何かをやっているよ!その時に必要なものを見つけているのかい?だったように思うのです。
自分は運命の中で、バイクと出会い、山田さんと出会い、今人生が一番ワクワクしている時だと感じています。僕が伝えたいことは、この世の中の多種多様な趣味のカテゴリーの中からモーターサイクルというカテゴリーを選択した人々が楽しく、人生最高!叫んでいる姿をこの世の中に伝えていければと思っています。
では、生意気なことばかり言いましたが、これからもよろしくお願いいたします。最初は紹介もかねて堅苦しくいきましたが、次回からだんだん砕けます。ではでは!
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