お疲れ様です。仙波です。
月曜日・火曜日と東京に行っていました。DUCATIの仕事で行ったのですが、ニュースでもあるように東京は暴風・豪雨であります。しかも、寒い・・・薄着の私は寒いし、浮いているし、トホホホであります。
そんな東京での発見と、最近の「えっ?それどうなん?」であります。その、それどうなん?とはゴミの分別であります。今回東京でもビルの会議場を使っていたのですが、ジュースを買おうと販売機の辺りに行きますと、ゴミ箱が六つくらいある。そして、そのゴミ箱が設置されている場所の上には入れていいものを丁寧に写真を撮って張っていてくれる。そして、それをスマートにやっているのが都会人であり東京の人であると感じた。とても丁寧に分別されている。
話はちょっとずれて、コンビニ等のゴミの分別であるが、ビンと缶は入り口は別々にあるんだけど、袋は一緒・・・何の意味があるの?入り口分ける意味あるの?と、いつも思ってしまうが、小心者?偽善者?A型?の私はビンは、ビンの入り口から入れてしまう。意味はないと思うのであるが・・・
さてさて本題の「えっ?それどうなん?」である。
先週実家に帰って驚愕の事実を知ってしまった。我家の地区はゴミ袋に名前を書かなければいけないことになったらしい。なんじゃそりゃ?である。何故、書かないといけなくなったかといいますと、ある日、ゴミ収集車が、二重ゴミ?かぶせゴミ?をしていたゴミ袋を持って帰らなかったのであります。要するに、プラスチックの袋の中に紙ごみを詰めて、プラスチックの日に出す。逆もある。そんな状況がわが地区では多かったようである。
でも、それどうなん?と思ってしまう。回収されなかったゴミはその場に残り、その名前の人はさらし者である。ましてや、家庭のゴミの内容を全家庭が公開しているのであるから恥ずかしさも倍増である。プライベートがささやかれる中、田舎なのかどうなのかわからないが、このようなことが通るのであるから不思議だ。でも、名前を書くのはやはり問題ではないだろうか?
「ちゃんと分別しているなら書いたらいいじゃないか!」ではない。ゴミって結構プライバシーはあるし、ある意味恥ずかしいものである。
しかも、その残るか、残らないかは、収集車の人のモラルに大きく左右される点もどうかと思う。名前なんか書いていれば、個人的な収集の犯罪も発生するかもしれません。どうなのよ我が地区の組合長は!である。
以前、山田さんのOVにも書いていましたが、ゴミを分別することが重要なのではなくて、ゴミを出さないようにすることが重要なのではないのしょうか?コンビニで買い物、スーパーで買い物、強制的に袋なしにすれば良いし、袋は有料にすれば良い!箸や、買い物後、袋に入れることがお客様サービスのすべてではないし、むしろ「私共のスーパーはゴミ0(ゼロ)に向けてお箸、袋をお渡しいたしません。」と謳った方が好感が持てると僕は思う。
むかし、ある田舎の温泉地方のスーパー?コンビニ?で買い物して、割り箸がないので
「おばちゃん割り箸は?」
と聞くと
「えっ?割り箸は3円だよ」
との事、仕方なく3円払いましたが、ビビりました。しかし、今思えば合理的なことかもしれません。そうすれば、ゴミは減るし、マイ箸、マイ袋を持参しファミリーレストラン等でもお絞り廃止、マイハンカチ、マイお手拭等で新しい市場が生まれるかもしれません。
ゴミが出ない方法、出さない方法をもっと合理的にやるべきではないでしょうか?
名前を書くとか、そういう小学校低学年的な方法はいかがなものかと・・・本質を見つめないと。
ではでは |