「今日もボクは考える、ゆえにボクあり。」
四国に大雪がやって来て1週間前に駆け抜けた剣山周辺は、すっぽりと雪に覆われてしまい孤立が続いています。走りながらも、道は立派になりつつあるけどこの辺りは、この1本の道しかなくて、しかもあの険しい峠を越えないと往還できない秘境中の秘境だよなあ。。なんて思ってましたから、その数日後に起きた大雪被害に驚かされてしまします。 被害が小さいことを祈ります。
そうしたルートを走るツールドブルーアイランド 思わず四国の秘境を目にします。 その第1回大会は1989年でした。
昭和天皇が崩御され元号が「平成」と改められた年の4月のこと。 いまだ瀬戸大橋もなく、四国には高速道路もありませんでした。 まさに未開の島、つまり秘境を旅するブルーアイランドでした。
ボクもまだ若かったものですから、さまざまな会に呼ばれます。 特に観光のシンポジウムのようなもの
そこではみなが異口同音に 四国は道が悪いから。 四国はアクセスが悪いから。 四国は、四国は。。。
そこでボク 「いえなに、橋や高速なんて、無いほうが良いんです。」 一同唖然 「アクセスの悪い、大きな島、って魅力ありますよ。道が悪ければ、その悪い道はそれなりの愉しみ方をすればいい。時間で地図を書けば四国は北海道より大きくて広いんです。」 皆ふたたび唖然。 TBIは、ボクのそうした考えから、四国は広い。鳴門から足摺岬まではあの当時で10時間かかりました。 いま?いまは5時間くらいでしょうか。
そして、そのころは林道だけは無限とも思えるほどに存在しました。 事務所から、裏の土手を通れば往復200km以上を繋ぐ、いやもちろんごく部分的には舗装も挟みますが、長大なダートルートが容易に完成してたのです。 やっぱりすべての道は舗装しなければならないのだろうか? 本当にそれが環境に良く、人々の暮らしを向上させてきたのだろうか。と良くそう思います。
山間の舗装路の幾つもが、仮にそれが県道であれ、稀には国道であれ道路中央部分には苔が生していて、人の往来も途絶えた道も少なくありません。
ボクが高校生のころには「四国の山を守る会」というのがあって、石鎚スカイラインの建設の反対運動に参加してたことがあります。しかし、道路が完成するやバスを仕立てて、そのバスに乗ってスカイラインを走り、ところどころに停まっては道路の左右で生態系が変わってしまった!などとやるわけです。 その頃から天邪鬼なボクはポツリと 「この道路に反対なら、使わずに歩けばどうだろう」そう言いました。一人のお年寄りが 「歩いたら君、登れないじゃないか」と。 ボクは「反対運動とは何か?」しばらく悩まされました。
なにをしても反対する人がいます。 それはそうでしょう。 行為には、必ず利益を得るものと不利益を蒙る者がいます。不利益を被る人の中には攻撃的になる人も居ますが、それをたきつける不利益になっていないけど、なんでも気に入らない!という人がいます。 近年そうした人たちが増えてきています。
誰かが言いましたが「不機嫌な時代」だと。 不機嫌な次代とは、自分の知らないところで色々なことが決まって進んでいく時代のことのようです。 「一言、言ってくれていれば良かったのに・・・」 これもまた良く聞く言葉です。 「知らされていなかったから許せない。」 知ってさえいれば協力したのに?というわけです。 既知か不知かの差は、それほど大きなことになっています。
松山には「坊っちゃん列車」という電車が走っています。 ある観光の関係者の会議で、これを東京駅とかどこかにポスターを貼ったり観光キャンペーンをやる!と言っていました。
ボクは「止めたほうが良い」 というと、やはり皆が色めき立ちます。 「どうして」 「知らないほうが良いんです、知ってそれを見に来た人は、がっかりする。本物ではないし、電気で走ってるし。それよりも、そんなことを知らずに松山に来た人が、これが走ってるのを見ればそれはびっくりする。そちらの方が価値は高いのです。」 「でもそれでは人が来ない。」 「そんなことは無いし、そんなもので切る人はたかが知れてますよ。」 二度とボクはその会議には呼ばれなくなった。
どうも本当のこと言うと、ダメらしいんです。 「うちにポスター作らせてください。」 とでも言える人にならなければならないのですが、さすがに遅きに失しました。
でもボクは考えるんです。 無駄だと思うものにかけるエネルギーと、無駄だと思うものネルギーをかけないことの差は何か? その「無駄だと思うこと」の価値観を決定づけるものは何か? ここらあたりを来年あたり解き明かしたいなあと思うんです。
きょうの一枚
「価値観の相違」という簡単な言葉でくくられること。つまり無駄だと思うことにかける情熱の違い。無駄だと思って、価値があるはずのものを見切れるのもまた情熱のようなものが必要。今日もボクは、また訳が分からなくなる。
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