「バイクのレゾンテトル」
そう時々、仙波君が書いてるようにバイクのレゾンテトル(存在理由というか存在する意義)が不明だった。
いや、もともとモノの存在なんて、理由づくめじゃなきゃいけないなんてことはない。そんなら人間の存在もドーナン?(仙波君用語)ということになってしまうし。「意味がわからーん!」(これも仙波君用語)ことになりかねない。しかし物事に存在する理由を見つけなければならない、というのは人間の悲しい業でもある。存在する価値のないものの存在を認めない!?という不遜な態度だ。
で、バイク。この3〜40年ばかりはかなり不要不急なものであったことは確か。戦後の復興期には、それはもう大車輪の活躍をしていた。なにかこう復興の最先端のシンボルのように。銀座の紀文のショウルームに、今もあるかどうかは不明だけど・・・モトグッティが鎮座していた。・・・以下は、HPから引用
「昭和21年、白米10キロが20円、公務員の初任給が540円、輪タクと煙を吐いて走る木炭自動車が人々の足だったその時代に、紀文は3万円のイタリアの名車「モト・グッチィ」を購入。グッチィは商品の仕入のために朝まだ暗い道を浦安へ、九十九里浜へ、毎日走りに走った。
バイタリティあふれるその姿は、店に並ぶ新鮮な海産物とともに評判を呼び、紀文の評価は着々と固まっていった。その革新的な精神と機動力は紀文の遺伝子として今も社員ひとりひとりの中に生き続けている。」
のだそうで、このころのバイクはなかなか社会での評判はよろしい、つまり「働く」という社会正義に重用されていたからだろう。
やがて自動車が普及しはじめると、バイクは急速に仕事を奪われてしまう。高校生が無茶な乗り方をして事故をし始めたころである。郵便配達、銀行のカブ、白バイ、まあ最近ではバイク便・・・もうバイクとは自転車のことになってしまったけどね。まだまだ働くバイクはあるのだが・・・経済合理性の前には沈黙!!中国が大型バイクを禁止するのも、@危ないA経済合理性B環境問題・・・なのだそうで、まあ無くても済むもの、の殿堂入りを果たしたのでありますな。
で最近の原油高!!ここらでなにやら世間様は少し変化が・・・。ボクの持論・・・今走ってるクルマで10年後に路上を走れるのは、良くて軽四、ハイブリッド、燃料電池、水素、電気自動車と、と!バイクだろう!!と。もちろんバイクもハイブリッド化?や電気化は進むだろうけどね。
これは原油高の理由だけではなかろうとは思う。もちろん地球温暖化対策!!アウトバーンも速度規制(二酸化炭素排出量削減目的で・・・)の議論がはじまったしね。ひとりで移動するパーソナルビークルの時代は必ずモーターサイクルの時代になるという僕の考え。シティコミューターばかりか都市間移動のためのコミューターもバイクに!!なんとなくバイクが善人で自動車が悪人!みたいな時代になると面白いかも。レクサスのハイブリッド・・・というのはなんだね、世界的なエクスキューズの表現手段なのだろうと思うしね。
そういうボクもクルマ小さく!バイクも小さくしなきゃいかん・・・と10年も言ってて出来ないのは、どういうことなん?!!
きょうの一枚 「プチ・モディファイ」 何日前かに書きましたが、HP-2・・・ノグチシート出来あがり!!ブルー/ブラックのアルカンターラ、かつてのイタリアのスポーツカーのあの感触でし!どーもHP-2のグレーのパーツの色調が気にいらなくってマットブラックに塗装(あー、プロに頼めば良かった)というだけのモディファイ、もち前後17インチにコンチロードアタックは市街地お使い仕様。でも50過ぎたおじさんのやることかなあ?!と日々に自省。 |