Organisation Voice 2007/12

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2007/12/28 (金曜日)

「どこまでも行こう、道はきびしくとも・・・」

この1年は、ぼくたちSSERにとっても大きな挑戦の年でした。仙波君が座右の銘を書いていたのでボクも書いて今年を締めくくろうかと・・・するとなんかいっぱい頭の中をよぎる言葉、一帯ボクの座右の銘は何か??ふっと、よく色紙などに書く言葉。

それはBSの昔のCMソング(小林亜星作曲)
そしてこれが2008年SSERのコンセプト・・・ちょ著作権は大丈夫だろうか?

どこまでもゆこう
道はきぴしくとも
□笛を吹きながら
走ってゆこう

どこまでもゆこう
道はけわしくとも
幸せが待っている
あの空の向こうに

どこまでもゆこう
道は苦しくとも
君の面形胸に
風をうけてゆこう

どこまでもゆこう
道がなくなっても
新しい道がある
この丘の向こうに

どこまでもゆこう
道は淋しくとも
あの星をみつめながら
迷わずにゆこう

どこまでもゆこう
道はけわしくとも
幸せが待っている
あの雲の向こうに
幸せが待っている
あの曇の向こうに
あの雪の向こうに・・・

このメロディは、西安から巴里に至るバイクの上でボクの脳裏に浮かぶ旅のテーマソングでもありました。憧れの土地、シルクロードのロプノールや、カザフスタンのアルマティ、ロシアのエカテリンブルグ。憧れが現実に変わることが歓びだと、この歌も、そして昨日のメルマガにも書いた登山家の言葉「憧れから人生の喜びは生まれる。わたしは思い出より憧れが好きだ。」まさにそんな1年でした。そして来る2008年も、皆さんと共に常に「走り続ける」SSERでありたいと思います。さまざまに困難な時代、それでも地平線は輝き、人々は美しい、とまさにそう思います。

きょうの一枚
ロプノールは、いまは干上がってしまって全てこれ砂みたいですけど、薄く黄砂がかかってるだけの塩です。ボンネビルみたいにまっ平らにならなかったのは、毎日訪れる強風のせいかもしれません。


2007/12/27 (木曜日)

 

「HP-2 車検」

なんてもうHP-2は2年になるの?でいま車検に出して、いま横浜で引き取り待機中のR1200GS-Adventureより先に次の2年後の車検がやってくる!?アドベンチャーはもう徹底的に整備しないといけないほどになっているけど、いっぽうのHP-2なんて「新車?」と見紛うばかり。車検制度を年数でやるのはいかがか?と思うけど、まあ他に方法はないのかも?それよりも車両整備などは、乗る人の心がけだろうと思う。

でいつも思うのは自賠責や損害保険制度。どうして車両ごとに任意保険が必要なのだろうか??運転免許ごとに保険を設定すべきだと思う。事故を起こすのは車ではなく人、なのである。すると車が沢山ある人は助かる。カーナビをポータブルにするのと同じ考えだ。こんな合理性を見出せないようでは、日本も良くないなあ、と思う。運送業などの会社も助かる。でも案外沢山車両を持ってる企業は優遇されてたりと、見えないところでは損保もやっぱ商売をしてる。

事故の多いクルマの保険料は高くなるでしょ。自分が運転してなくてもだ。こういった懲罰的な設定は、免許の点数とスライドさせるほうが合理的だ。また車種によって保険料が違ったりする。イギリスは旧車には特別な保険制度がある。

ボクの80は車検と車検の間に2回しか乗らない。「車検に持って行くときと、取りに行って帰るときだけだ。」というジョークがあるが、いまやジョークではない。でも時々ふっと乗りたいことがある。そんなささやかな庶民の趣味に・・・って贅沢?なのかもですな。

きょうの一枚
今日車検に行くHP-2の2年後の車検時にも、3年車検のアドベンチャーは1回目の車検もこないんですね。なんか変な感じ。タクラマカン砂漠で2007年9月。


2007/12/26 (水曜日)

「もうすぐ春」

冬至を過ぎると、いまの環境から行くと、もうすぐ春。ボクはどうしてもひとつ心に決めたことがあって、周りのみんなに迷惑をかけている。それはなにか?今年の冬は暖房をつけない!ことにしている。そう決めても発表しているわけではないので、来客時には「寒かろうと」暖房をつけてくれるのだが、すかさず「止めてえー!」まるで、スーパーセコロジー!!だと思われてないかなあ?そんな事務所の中も、寒くは無いです。はるか遠く事務所の向こうの方では、石油ストーブが豪勢に焚かれています。

さて、この週末は荒れ模様だという予報を押して、どーやら四国に走り大酒呑みがやってくる見込みなので、またプチ忘年会!!で現在、SSER企画のチョイ気合の新年会を企画中!!開催場所や内容は近日中に発表の予定。2008 NEW YEAR MEETING・・・・・開催予定ですが、来るのは困難かもしれません。

きょうの一枚
うなぎ工房さんからのクリスマスプレゼント!!こちらは提供者からの心意気で、TBIまたは北海道4デイズ参加予定者が対象!!

本人からのメッセージ「ステーはHONDAのXR系寸法ですが(ハンドルクランプボルト間100mm)他機種の場合は変更加工品を送ります。絵巻とICOの手元スイッチステーも同梱してあります。」注;一瞬「オオーッ」となったあなた。絵巻とICOおよびICOのスイッチは含まれておりません。応募方法も検討中です。それでも「どーしても」という希望の方はメールをください。


2007/12/25 (火曜日)

「TBI、自己推奨文」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
霧ニモ高原ノ寒サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテミスコースセズ
イツモシズカニ走ッテイル
一日ニビバークノ食事ト
道ノ駅ノテイショクト少シノアルコールヲ食ベ
レース中ノアラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテブログニ書クノヲワスレズ
ビバークノウルサイハツデンキノワキニ
小サナテントヲ張ッテ眠リ
東ニ崖落チノエントラントアレバ
行ッテ仲間ヲアツメテヒキアゲテヤリ
西ニツカレタエントラントアレバ
行ッテ温泉マデユックリ先導シテヤリ
南ニ眠クテ死ニソウナオフィシャルアレバ
行ッテユンケルヲソットワタシ
北ニ鎌ヲフリマワス男ガアレバ
アブナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハアセヲナガシ
サムサノヨルハガタガタフルエ
ミンナニメタボトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウライダーニ
ワタシハナリタイ

現地でご一緒する皆さん
来年もどうぞヨロシク。

・・・・・自己推奨文の欄が小さいので、自分のブログに書いて、SSERがチェックしていることをチェックしようとするW林さん。

「ガンバレ!ブーチャン!!」

ところで、サイドカーでラリー・モンゴリア2008を目指していた二人の男。SSER2DAYSにも来て、なにやら怪しげな計画が記された書類を置いていった二人の男。兄貴も変なヤツで、ムートンのシートをべスパに貼って、ウランバートルを目指したり。はるか昔にはクワドで走ったりと、そのチャレンジングな精神は大いに評価するところであります。そしてサイドカー・・・おそらくこれでクロスカントリーラリーに参加したら日本人初の!!ということではありますが、とにかくサイドカークロスとは難しいものです。

そして、暮れも押し迫ったこのごろ電話

「ブーチャン、練習中にクラッシュ、骨と心が折れました・・・」

この場を借りてブーチャンにお見舞いを申し上げます。

おそらく、かなりの重傷のように聞いてはいますが、何もそう簡単にあきらめなくても・・・2009年でも良いし。チャレンジは、心のなかでもできるからせめて折れた心からでも治してくださいな。

きょうの一枚
2人の完成したサイドカー!!


2007/12/21 (金曜日)

「プチ忘年会」

今宵は広島から2人のパートナーショップがやってきて、プチ忘年会の予定。そこへ某大手広告代理店のT-木さんがアドベンチャーで山陽道を西に向かっているという情報!!「そーだ例の次のテレビの特番の制作打ち合わせを、尾道の薪の積んであるカフェでしよう!!ということになり今にも降り出しそうな曇天のしまなみをHP-2は駆け抜けていきましたとさ。で日がどっぷり落ちるまで貸切のカフェで、打ち合わせ2分バイクの話58分の計1時間くらいを過ごしたところへ、松山の忘年会に向かうピックアップがまさにピックミーアップ!!で、いま松山に到着して、これから今年最繁忙なはずの夜の町に、繰り出すのでありました。もうあっちでうずうず待ってるので、今日のところはこのあたりで。

あっ、それぞれのプレエントリーが凄まじい勢いで始まりました。来年も熱い一年になりそう!!で、プレエントリー済みの方!!クリスマスプレゼントのエントリーも忘れずに!!もう3日で締め切りだよ!!

きょうの一枚
で、出かける前をパチリ。シートおニューなのに雨降りそーー!!


2007/12/20 (木曜日)

「再びジムニー対決再燃」

ラリーモンゴリア2008のプレエントリーリストには、前回に続き菅原さんと尾上さんのエントリーフォームが到着!!どーも同じチームなのに雑誌の記事などを見ると、なかなか抱腹絶倒な戦いぶりを繰り広げてた2人!!大人の戦いを次回も見せてくれそうです。さらにジムニー仲間も増えそうで、これはちょっと面白そうなことに。

そんな菅原さんから近況を伝えるメールが届きました。

「こちらは天気が良いのですが、寒いのには閉口してます。作業も順調で、今朝早くから3名が、ルアーブルに2号車の引取、もう1班はドイツのカイザーさんの所までバイク2台の引取に向かいました。1号車の整備はほとんど終わり、昨日はアランプロストカート場の駐車場でハンドリングのテストをしてきました。写真はその時アトリエから出る1台です。一昨日チャンネル3と新聞が取材に来て、テレビはその日の夕方に放映がありました。文化の違いに何時も驚いております。」

仕上がりは順調のようですが2号車の到着が遅れているのではないかと心配されます。工場の中は1号車とアシスタンスカミオン6X6の姿しかありません。いよいよパリダカール30周年記念大会は、カウントダウンがはじまりましたね。

今年も皆さんと一緒にコタツの中から応援しましょう!!

きょうの一枚
菅原さんから届いた一枚!


2007/12/19 (水曜日)

「バリ会議はどーだったのか?」

環境に関することは、けっこうモンゴルのラリーをスタートさせる頃からライフワークのように考えていた。でもいまはもう、誰もが、この議論に夢中で多くの企業も環境経営とやらに積極的になってきたから、まあある程度前進を見ているという感はある。で、僕の役目も大方終わった。

バリ会議では、日本はNGOから「本日の化石賞」というのを受賞。WWFのサイト12/05「日本政府の発言に対する強い反発は、あくる2日目もやみませんでした。この日は、世界から集まった気候変動関連のNGOメンバー100人の、ほぼ全員の意見が一致した末、日本は「本日の化石賞」を受賞してしまったのです。「化石賞」とは、国際NGOが、その日の国際交渉の中で、もっとも交渉を妨げている国を「化石」であるとして表彰する、極めて不名誉な賞です。しかも今回、日本は化石賞の1位、2位、3位を独占してしまいました。」

ということで、どうもアメリカと協調路線で、後ろ向きだと捉えられているのかも。で、発表されたロードマップからは削減目標数値は削除されてしまった。日本の圧力オソルベシ!!さすがアメリカの手先!!でも、逃げられない事実は刻一刻と迫ってくる。それはデイアフタートゥモローだ。来年からは京都議定書の第一約束期間(2008年〜2012年)が始まる。さらに京都議定書以降の次期枠組みに向けた議論が本格化する年でもある。数値目標も待ったなしのはずだ。

何度も登場するが、またまた東京大学の松井孝典先生の言葉を借りちゃう。

先生「今の環境問題は、先進国の10億人がどうやったら現在のステータスを保てるかというレベルの議論ですから。地球を持ち出して先進国以外を丸め込もうとしている。そういった意味で地球の定員は10億人なわけです。100億人ではない。本当に地球に優しく、特権を捨てて他の動物と同じように狩猟採集のライフスタイルで生きるとすると、人間の定員はだいたい1千万人です。今の文明の延長でいくと定員は100億人。今の農耕はエネルギー多消費だし、水資源多消費だし。水も石油も他の天然資源もやがて枯渇するから、100億人だとあとだいたい50年、長くみても100年しか続かない。」概ね賛成ではありますが、ラジカルすぎると天文の専門家海老沢教授!!はいっています。間もなくゴビレポートの6話くらいに出るかも。

まあ、いずれにしても人類も地球にしても。また宇宙にしてもですが、無くなっていくものとはこうしたものです。でもでも多少はサスティナビリティなんて流行語にも敬意を表して、環境に良い生活をして行きつつ、環境の恩恵を日々に感じて遊びたいと思う、年の瀬でありますね。タイトルのバリ会議はどーだったのか?2008年7月G-8洞爺湖サミットまでが、政府もハードな道のりが続きそうです。

仙波君、無くなっていくものを惜しむという精神が、オフロードライディングだよ。さらにエンデューロとは、その楽しみに時間という負荷をかけて、さらにサスティナビリティな気分で・・・どうもっと解らなくなったろう?

きょうの一枚
モンゴルの夏は新しい生命で輝いている。山羊の赤ちゃんの可愛らしさは、なんとも。最近はカシミアの需要が高く、羊から山羊にシフトする農家じゃなかった、遊牧民が増えてきた。世界的にも儲かる作物に変えると、無くなっていくものは高騰をうむので・・・って今日の一枚には何の関係も無いことを。


2007/12/18 (火曜日)

「ヴォルガの兄弟舟」

風邪薬の影響か、あまりにも眠たいので事務所の緑色のソファに横になっていると夢を見た。ロシアの田舎町でぼくたちは道に迷っていた。そのうえみんなはぐれてしまったようで真っ暗な森の中の分岐で一人ぽつんと立っていた。りんごを持った鷲鼻の村の女がやってきて、この道で合っているという。

「あってるのか」とつぶやきながらもボクにはどうしても、その道にはある意志があるように感じられた。

そうだ、道には意志があるのだ。それは往来の少ない道ほど明確なように感じる。そしてまた走り出すとその道は案の定ダートに変わった。深い轍掘れがはじまるや、ここの道に大型のトラックが走っていることがわかる。しかしこのダートをいく大型のトラックには理由があるはずだ。

やがて道は泥濘と化す。何故こんなに水分が多いのかあたりを見渡して推察を立てる。このあたりばかりこれほどに泥濘地化するのには気象的なものだけが理由ではあるまいと思う。重たく大きいバイクをこの先に進ませるのは躊躇せざるを得ない。すると水のにおいがする。いや水というか川の匂いだ。マシンから降りて歩く。泥に足をすくわれて前に進めない。これは夢なんだろう。こんな深夜にこんな不幸な出来事はあるまい。体力も限界だ。真っ暗で川面が見えない。霧が昇っている様にも思うがその霧も、漆黒の中だ。

そんな白日夢。でもこの忌まわしい夢の出来事は、本当にあったことだ。それは西安−パリのある日の出来事だった。テレビには登場しなかったのだが、ロシアのなかエカテリンブルグからカザンに向かう1000kmのステージ。日が暮れて道を失った。やがてこの泥の道はヴォルガの畔だということがわかった。そこで渡し舟を見つけた。やっとの交渉の末、川を渡った。船べりからは真っ黒で不気味な川面が、悪意に満ちているように感じたが、風や空気は気持ちよかった。ヴォルガの舟歌は聞こえなかったが、だれかが「兄弟舟」を鼻歌でうたっていた。

このヴォルガの渡河は、実は数十キロのショートカットを実現していた。だからこの日1000kmあるはずなのに多分だが970kmばかりだったろうと思う。というのも途中で余分に走っている僕のメーターは1000kmになっていた。1日に1000kmというのはやはり、なまなかではあるまい。

きょうの一枚
そのヴォルガの渡河風景。漆黒の闇と思いきや満月の明るい夜でした。


2007/12/17 (月曜日)

「風邪をひいたので、それを理由に物欲を開花させる。」

最近はインナーウエア研究家のボクは、かなり風邪をひかない。インナーウエアの世界は、はじめてワコールがCWXをリリースした10年以上前から「これがこのプライスラインで売れるのだろうか?」と考えつつ、まあそれでもと購入。以来アンダーウエア研究家に。最近はBMWのインナーウエアを始めとする各スポーツブランドの冬用のインナーのコレクターでもある。スーツを着るときにはパタゴニアのシルキーなタイプが完璧だ。静電気を帯びないし・・・と届いたBMW-BIKESの最新号を見てると、バイオニクスジャパンというところから極薄の面発熱体を内蔵した上下のインナーが発売されてる。コンパクトなリチウムイオンバッテリー・・・ようし、社内全員これの着用を義務付けて、暖房をつけないようにしよう!!5時間の充電で最大20時間暖かいらしい。でもって「みんな家で充電してくるように!」したら会社は冬の暖房費がゼロとなる画期的な経費圧縮策!!上下で28,400円・・・届いたら試着レポートお届けします、覚えてたら。

と思ってさらにページをめくると!超デザインコンシャスなしかもゴア・ウインドストッパー使用のアンダーウエア上下が・・・こちらは上/下だと3万円を越えるが、これも欲しい。おそらくラリー2スーツの下には、このインナーだけで充分だろうと思う。

夏に買ったBMWのインナーは、他にさまざまに持ち込んだインナーの群を抜いて西安-パリを休息日のたびに洗濯をして1セットで走り切った。最近のBEST!温かなアンダーでも、必要に応じて熱と汗を放出するものでなければならない。

きょうの一枚
アマリリス全開、でも次の芽も急成長中!!10℃以下になると死んでしまうという熱帯の花も、元気な四国です。


2007/12/14 (金曜日)

「ACミランと、ゴビレポートと、ネックブレース」

サッカー見ましたか?いやあ、浦和も良く頑張ったけど、ACミラン、かっこ良かったすねえ。と、かなりミーハーにサッカー応援!!とにかくなんかワークスチームVSちょい頑張ってるプライベートチームみたいな格の違いを感じました。なかなか爽やかな後味のゲームでした、ボクには。

今日からBTOU2007のゴビアウォードの発表!!と言いたいところですが応募は1通。しかし僕はそれを読んで泣きましたよ。海老沢さん!!彼はTBIでリタイアしてモンゴルに挑んだ、東京大学のセンセー・・・彼の見たラリーの現実と環境問題、そのテーマに対してボクは沈黙!!何回かに分けて今日からHPに登場!!

さて、来年のラリーモンゴリアにネックブレースを義務付けるか否か?というミーティングをしていた。市場にはまだそう選べるほど多くは出回っていないのだから、義務付けは多少ハードルが高い。それならば「強く勧める」という強制力は無いものの、少し強制性を持たすべきだろうということになった。すでにラリーモンゴリアのレギュレーションはそのようになっている。

しかしここでやはり提言。ラリーにはネックブレースを!普段のツーリングにもヘルメットリムーバー+簡単なのでいいからネックロールを!!ボクも西安−パリで大転倒!ヘルメットを脱がそうとする男たちの力は、思いのほか強くて「ちょちょちょっと待って!!」ヘルメットリムーバー被っておくべきだったとは事後談。

簡単なネックロール、ネックスタビライザーも多くラインナップされて来ているので、ここらでひとつ、身を守るためにも投資をしてください。

ついでに各イベントごとの使用タイヤのレポートも今年から発表することとした。タイヤのシェアがわかるというよりも、イベントの色合いが鮮明になるという点が面白い。これは近日中にUPする予定。

きょうの一枚
海老沢さんとモンゴルの子供たち。研究者の目はやはり素晴らしいの一言。


2007/12/13 (木曜日)

「バイクのレゾンテトル」

そう時々、仙波君が書いてるようにバイクのレゾンテトル(存在理由というか存在する意義)が不明だった。

いや、もともとモノの存在なんて、理由づくめじゃなきゃいけないなんてことはない。そんなら人間の存在もドーナン?(仙波君用語)ということになってしまうし。「意味がわからーん!」(これも仙波君用語)ことになりかねない。しかし物事に存在する理由を見つけなければならない、というのは人間の悲しい業でもある。存在する価値のないものの存在を認めない!?という不遜な態度だ。

で、バイク。この3〜40年ばかりはかなり不要不急なものであったことは確か。戦後の復興期には、それはもう大車輪の活躍をしていた。なにかこう復興の最先端のシンボルのように。銀座の紀文のショウルームに、今もあるかどうかは不明だけど・・・モトグッティが鎮座していた。・・・以下は、HPから引用

「昭和21年、白米10キロが20円、公務員の初任給が540円、輪タクと煙を吐いて走る木炭自動車が人々の足だったその時代に、紀文は3万円のイタリアの名車「モト・グッチィ」を購入。グッチィは商品の仕入のために朝まだ暗い道を浦安へ、九十九里浜へ、毎日走りに走った。

バイタリティあふれるその姿は、店に並ぶ新鮮な海産物とともに評判を呼び、紀文の評価は着々と固まっていった。その革新的な精神と機動力は紀文の遺伝子として今も社員ひとりひとりの中に生き続けている。」

のだそうで、このころのバイクはなかなか社会での評判はよろしい、つまり「働く」という社会正義に重用されていたからだろう。

やがて自動車が普及しはじめると、バイクは急速に仕事を奪われてしまう。高校生が無茶な乗り方をして事故をし始めたころである。郵便配達、銀行のカブ、白バイ、まあ最近ではバイク便・・・もうバイクとは自転車のことになってしまったけどね。まだまだ働くバイクはあるのだが・・・経済合理性の前には沈黙!!中国が大型バイクを禁止するのも、@危ないA経済合理性B環境問題・・・なのだそうで、まあ無くても済むもの、の殿堂入りを果たしたのでありますな。

で最近の原油高!!ここらでなにやら世間様は少し変化が・・・。ボクの持論・・・今走ってるクルマで10年後に路上を走れるのは、良くて軽四、ハイブリッド、燃料電池、水素、電気自動車と、と!バイクだろう!!と。もちろんバイクもハイブリッド化?や電気化は進むだろうけどね。

これは原油高の理由だけではなかろうとは思う。もちろん地球温暖化対策!!アウトバーンも速度規制(二酸化炭素排出量削減目的で・・・)の議論がはじまったしね。ひとりで移動するパーソナルビークルの時代は必ずモーターサイクルの時代になるという僕の考え。シティコミューターばかりか都市間移動のためのコミューターもバイクに!!なんとなくバイクが善人で自動車が悪人!みたいな時代になると面白いかも。レクサスのハイブリッド・・・というのはなんだね、世界的なエクスキューズの表現手段なのだろうと思うしね。

そういうボクもクルマ小さく!バイクも小さくしなきゃいかん・・・と10年も言ってて出来ないのは、どういうことなん?!!

きょうの一枚 「プチ・モディファイ」
何日前かに書きましたが、HP-2・・・ノグチシート出来あがり!!ブルー/ブラックのアルカンターラ、かつてのイタリアのスポーツカーのあの感触でし!どーもHP-2のグレーのパーツの色調が気にいらなくってマットブラックに塗装(あー、プロに頼めば良かった)というだけのモディファイ、もち前後17インチにコンチロードアタックは市街地お使い仕様。でも50過ぎたおじさんのやることかなあ?!と日々に自省。


2007/12/12 (水曜日)

「アルジェリア」

かつてパリダカールは、地中海をティパサという瀬戸内海航路のアルジェリアへの払い下げのフェリーで渡っていた。偶然にもその船が、別府−松山−神戸で、就航していてぼく達が子供のころ修学旅行で乗った船だということがわかったのは、1988年10回大会の揺れに揺れる船内でのことだ。

アルジェの港が見え始めると、みながデッキに出て町並みを眺めて感慨に耽ったものだ。これから始まる激しい日々に思いを起こしたり、既にヨーロッパステージで抱えてしまったマシントラブルに憂鬱な思いだったりと、アルジェの町を眺める眼差しはそれぞれだった。

アルジェリアにはまた往時のパリダカールのメモリアルな場所がいくつもあった。タッシリナジェールの有名なホッガー山脈アセクラムの登りは今も忘れられない。かつてシャルルド・フーコー神父が隠棲したエルミタージュド・シャルルド・フーコーもこの岩山の中にある。そしてガストン・ライエに会ったタマンラセットの夜明け。アルジェからブラックアフリカに向かうメインピストは、今も忘れがたい思い出に満ちたところだ。

1991年選挙に端を発したイスラム原理過激派と政府の対立は内戦に発展し、多くのテロを生み続けてきた。ガストンは自分のDC-3あの銀色に輝く美しい機体の名機を、タマンラセットの空港に置きっぱなしで「一緒にとりに行こう」とよく誘われたが、ふたりともテロの恐怖と錆付いたDC-3で飛ぶ恐怖に勝てるものは皆無だった。

そんなアルジェリアも少しずつ和解が進んできた。もうそう遠くない将来には走れるのではなかろうかと思っている矢先の12/11、国連のビルがテロの襲撃を受けた。11人の国連職員を含む少なくとも67人が犠牲となった。その過激派も今年1月からアルカイダと手を組んだのだという。

グローバリズムの旗手アメリカは、このテロとの戦いをこのあとどのようなヴィジョンを持っているのだろうか?そして日本はどうなのだろうか?アルジェリアとニジェールに広がるサハラ砂漠、テネレ、ビルマの砂丘群。何かとても大切な思い出が、台無しにされているような憤りを覚えてこのニュースを読んだのでした。

きょうの一枚
アマリリス咲きました。見事で素晴らしい!!あたりの空気を、まさに華やかにしますね。


2007/12/11 (火曜日)

「もうすぐ!クリスマスプレゼント」

SSER恒例のクリスマスプレゼント攻撃!!なのですが、日々あれがどーだろ?!これがどーだろ?!とミーティング!!超大型!のなにか!?がないのですが、楽しい内容をUPして行きますのでお楽しみに!!

ところでこのOVもサイト内検索で「温暖化」「環境問題」でググってみると、莫大な量で書いています。もうそれは・・・

先のバリ会議では数値目標が先行して、それを日本が反発したみたいな論調が世界に流れました。ことの本質は、町村さんの言う「出だしから数字をぶつけてさあどうだとやることは決して良い結果を生まない」の意味はわかるけど、世界への伝わり方は広報論的に検証しておかなければ危険だ。世界では「日本は数値削減目標に反発!」と書かれているに違いあるまいと思う。ヨーロッパではまず数値目標ありきだった。また数値化できることを情緒的な表現をしても(町村さんの言葉を借りれば)良い結果は生まない。つまり日本は京都議定書の時には調子の良いこと言っておきながら、何のことは無い反発的なのか!?そーいや京都議定書の数値目標もなあ日本は守れてないんだって?それでどこが環境技術先進国なんだ!?そんなことならわが国の方こそが・・・・てなことで、些細なことでイメージは恣意的に悪用され、いつも仮想敵国の作りたい国際社会では、こうしたことが積み重ねられていくのではないかと心配だ。

ボクが官房長官だったらこんな談話

「数値目標大いに歓迎だ。みんなが国益ばかりを考えずに全人類的な利益、つまり未来を考え率先して取り組まなければならない。そのためにはわが国はより厳しい数値目標にも前向きに取り組む不退転の覚悟で臨む方向で前向きに検討しつつ積極的に善処し、かつ産官学の連携と国民の深い理解と社会保険料の見直しで品位ある国家として、アメリカの言いなりにまあ頑張りたいと思う。いや中国も一党独裁という問題は知らぬ顔してですね。しかしながらまあ、今すぐに数値目標を決めるよりも各国が議論を尽くして、真に実効性のある数値目標を出来るだけ早く決めるために全力を傾注し全身全霊でこれに当たる所存であります。えっともともとはなんの話だっけ。」

ねっ、ボクのほうが見事な玉虫色で政治家向きでしょ??

きょうの一枚
クリスマスの夜を彩る?モンゴルの星空。今は極寒だろうけど星は凄いことでしょうね。北の国からクリスマスプレゼントを持って、皆さんのところへ。


2007/12/10 (月曜日)

「もう来年の西安に・・・」

そんな申し込みが始まりビックリ!!でもなかには、ユアン・マクレガーのGSの旅に比べればマダマダ・・・だそうで、いやそれは出演者も比べようが無いじゃないですか!!ただこのTV番組「陽炎の彼方へ」はカッコイイおじさんたちの姿を指し示そうとしたのではなくてですね、カッコ悪いことがカッコ良くて、カッコ良いことが実はカッコ悪いのだというようなことをですね証言したかったというか・・・まあそうなんです。さらに制作チームの肩を持つとですね、見ましたかあの空撮部分。ふつうならヘリ飛ばしたんじゃないかと・・・そんな予算はありません。さらに時間が無い。まあどうやって空撮したかなんてのは聞くも涙、語るも涙なので想像にお任せします。さらに取り直しナシだから当然やらせなし。旅の邪魔をしないという徹底的な配慮が、おじさんたちからカメラの存在を忘れさせ、それは自然な振る舞いが収められる結果となりました。もちろん風景やもっと撮影すれば素晴らしいところだらけでしたが。実走行24日間、走行距離13000kmですから1日あたり600km近くを平均して走りながらとしてみれば、素晴らしい成果と言わざるを得ません!!要は次はもっとゆっくりと、タップリと、というところでしょうか?!まちがっても国営放送局のシルクロードとは比べないでくださいね、予算は二桁少ないのですから。でも、感動して旅に立つオジサン方が日本にもたくさんいるのですから。

きょうの一枚
「今日のアマリリス」事務所の中では、ゴムの木、マングローブなど熱帯性の植物も元気に生育中!ということでやはり熱帯アメリカ原産のアマリリスも、あっという間に咲きそうなほどに。まあ温暖化なのですが寒い事務所。


2007/12/07 (金曜日)

「日本の通関はどうなってしまったのか?」

モンゴルの帰国便でも問題が多くて、特例だからかな?と思っていたら西安−パリの帰国貨物も通関が終わらずに延々と時間ばかりが経っています。

通関業務が複雑怪奇になってしまいました。軍手の片方にもシートにはさんでいたウエスもリストアップして金額を書かなければなりません。そんなものには\0-と書いて提出すれば「0円なんてものは存在しない」のだそうで、このままだとEU圏内はものの流れが自由になったことも大きな要因として経済発展に繋がったのに、日本はその逆を歩み始めているように思えてなりません。しかしまあ空港の税関は簡単なわけですから、港湾貨物だけがそのような目に遭っているのかも知れません。遭っていると書いたのはまさに遭難のイメージがしたからです。しかも1度輸入して購入した車両やウエア類にまでもう一度関税がかけられそうな予感!!さらにレインウエアや日本製の無線機、13000km走行して激しくぼろぼろになっていても、持ち出したときの価値を申告せよということで、何かこの先黒い影のような漠たる不安が広がっていきます。

日本は、どうなっていくんだろうか?

確かに水際では不法な行為が行われている実態は知っています。しかしこんなことを繰り返していっても、人手は足らずコストはいやがうえにも増大します。海外ラリーに行く方ばかりではなく、みんな苦労しているようです。

やはりこれも政治のミスリードのひとつだろうと思います。ミスリード?そういえば今朝もテレビコメンテーターは「それは新聞のミスリードです。」って。例の坂出の事件のマスコミに対してのお話。

ボクはマスコミのミスリードという言葉が不思議でなりません。この場合は英語のmislead・・・間違った方向に導くこと・・・の意味でしょうから、マスコミは「事実を伝える」のが本業ですからreadしていただくことがあってもleadするなんて言う思いが不遜なのではありますまいか。どこかの新聞社の会長さんのように、政治に深くかかわったり、「連立の話は、今は書けないけどいつかは書く」みたいな暴言は自分たちの立場を間違えてる証拠だと思います。政治を動かすのは結構!!しかしそれなら新聞社の主筆は辞すべきで・・・そんな新聞をミスリード・・・misread・・・してしまっているのはわれわれ市民。この場合のミスリードは、誤解・読み間違いのような意味ですが、果たしてそうかな。伝える側がミスリードをミスリードしているふうにも見えますが、けしてボクの今日のお話をミスリードしないでください。

きょうの一枚
「アマリリス」事務所の受付カウンターに今日から登場!アマリリス。ヒガンバナの仲間らしいんですが???すっくと伸びた茎が、勢いがあってヨロシイ!!


2007/12/06 (木曜日)

「大敦煌」

BS-11の開局記念番組「大敦煌」ストーリーは良く知らないんですが、これは必見!!で今は数十年ぶりに井上靖の「敦煌」を読み直しているところ・・・字が小さくて厳しいのではありますが、ホンモノの小説家の文章の力はスゴイの一言。昨日もOVに書いたのですが補足的にその「敦煌」あらすじなどを・・・※注:BS-11の大敦煌のあらすじではありません。

話は天聖4年(西暦1026年)宋の都、開封(いまの南京)からはじまります。隋の時代からはじまりこの宋の時代に完成した「科挙制度」、まあ日本の国家公務員上級試験のベースとなった中国の文治政治の根幹を成す制度。これは清朝末期まで続くのだから凄いことです。北京の時代には龍門を昇って試験を受けに行くことから「登龍門」なる言葉が出来たり、最も成績の良いものの巻物(答案)を一番上に置くことから「圧巻」なる言葉が生まれ、まあとにかく日本でも普通に使ってる故事成語の多くは、この科挙にまつわるところが少なくありません。その試験の内容は四書五経の・・・とここらに触れると話が長くなるので省略。

さてその科挙の試験に居眠りをして失敗した趙行徳が、市場で売りに出された西夏の全裸の女と出会うところから物語は始まります。この女もなかなか興味深いのですが、彼女を助けて礼に貰った布片に書かれた文字!科挙を受ける秀才も知らないその文字に惹かれてゆく主人公。やがて、それが西夏文字だと知ることに。余談ですが、西夏王国は昨日も書いたのだが1032〜1227と歴史書には出て来るので、井上靖の書く1026年には西夏建っていないのではあるまいかと思う。この王国はチンギスハーンに滅ぼされているので、滅びた年号は1227年で符合するですが。

さて最初は少し線の細い秀才趙行徳は、西域への憧れを深め、ついには隊商に紛れて西域に行き、図らずも西夏軍の一員となり戦闘に加わる。涼州(いまの甘静粛省のこと州都は蘭州)で戦い、甘州(張掖のこと)攻略に向かう。ちょっといい女(これが敵方の王族のお姫様)を助けて恋に落ちたりと、なかなか井上靖も渡辺淳一なところを垣間見せる。最後は莫高窟(敦煌千仏洞)に多数の仏典を埋蔵するという話。

歴史的にもこの莫高窟から発見された経典などは多く、謎に包まれていて諸説ふんぷん。西夏の攻撃を受けてここに隠したという説。しかしのちの研究では西夏には仏教徒が多く、莫高窟(敦煌千仏洞)の造営保護にも西夏は積極的だったという。他の説には古い経典を燃やすのもためらわれて、ここに集められた、まあ経典の廃棄場所だったのではないかという説。

しかしいずれにしても莫高窟の人気を高めたのはこの小説に他なりません。敦煌の町では誰もが日本人小説家・井上靖のことを良く知り、尊敬していたりするのが不思議です。彼がいなければ今もこの町は砂の中に埋もれたままだった。というほどに。

きょうの一枚
BS-11、大敦煌。見なきゃ!


2007/12/05 (水曜日)

「全く書けない日」

毎日毎日OVを書いていて、全く何も書くことが無い日!というのはありませんでしたが、全く書けない日!というのは1度か2度はありましたが、今日はその3度目!!時々は経営者のように決算書とか試算表とか貸借対照表と1日過ごす時があります。今日はそんな1日で、つまり文章を書いたり創造的なことを考える脳のパートが完全にスイッチがオフになった・・・とでも言えばいいのでしょうか。

あっ、でも書いているうちに少しずつ戻ってきたかもしれません。W林さんは作文の神様が降りてくる・・・みたいな表現をしていましたが、言いえて妙という感じ。コピーを書くとき、イラストやデザインをする時、文章を書くときにはそれぞれの神様が降臨するのでしょうか??降臨・・・素晴らしい言葉です。そーいえば浅田次郎の「蒼穹の昴」の中では科挙の試験の際に、梁文秀(主人公の一人)は寝てしまっている間に神が降臨する?んだった。井上靖の「敦煌」でも同じように趙行徳は科挙の試験の際に、エンジュの木陰で眠りに落ちて、夢の中で天子の声を聞く。そーか、寝てしまっている時が良いのか?

話がそれたついでに・・・「敦煌」では趙行徳が試験を受け損なって失意のうちに歩いていて、西夏の文字に出会う。その文字に興味を引かれて西夏に出かけてみたいと強く願うようになる。そうするとそれまでの失意はどこかに掻き消えて行く。でその西夏というのが実に謎の多い王国で、どこに在ったかというとまたボクの好きな世界に戻るのでしばらくはお許しを頂きたい。

西夏王国は1032〜1227、寧夏回族自治区・甘粛省・内蒙古自治区に跨る中国西北部にあって、チベット系のタングート族が建てた王国で、遼(契丹族)や金(女真族)と同様、宋の周辺にあって栄えた国であるが、チンギス・ハーン率いる蒙古軍により滅ぼされる。この国は文字を作ったのである。井上靖の「敦煌」はこのことがテーマとなる。

北京郊外の居庸関・・・これは実は100年前の北京―パリの写真にも出てきている(と思うのだが)そこに5種類の文字でこの関の由来などが書かれていて、ひとつだけわからない文字があった。それが西夏文字だった。

そして20世紀初頭1907年!つまり北京―パリと同じ年だ。ロシア人探検家によってゾーモットの南を中国側内モンゴルに入ったあたり(当時はいずれも清朝のテリトリーだったわけで)に西夏王国の首都??カラホトが発見される。1300年以降この国の文字を知るものはいなくなっていた。カラホトは正しくはハラホトで、モンゴル語で黒い城という意味。ちなみにフフホトは青い城。

とまあ書き続けていくほどに訳の分からなくなった今日は、このくらいで。

きょうの一枚
モンゴル帝国の首都ハラホリン(現代モンゴル語読みХархорин)もかつてはカラコルム(Qaraqorum)と呼ばれていた。黒い=カラ・・・コルムは砂礫、つまり黒い土地という意味。ボクの記憶では新疆ウイグルとパキスタンの間に聳えるカラコルム山脈。世界第二位のK2がある・・・まあこんなことからも、ウラルアルタイ語族の研究が出来るわけです。


2007/12/04 (火曜日)

「東京 PRESENTATION 2008」

月曜の朝、日差しが明るいなあと思っていると、いつの間にか冷たい雨が降っていた。築地にあるADKに。非常に親しいADKのT木さんは12/1にR1200GS-ADVが納車になったばかり。で、ビッグサイトにはおろし立てのマシンでやってきたものだから、気もそぞろでそそくさと帰ってしまっていた、というくらい。当然「西安−パリ2008」は織り込み済みだ?!

さてその西安−パリのテレビ番組。予想をはるかに超えて「陽炎の彼方へ」は大好評!!いや予想にたがわずだ。その評価は、まずタレントを起用しなかった点。またおじさんたちとカメラマンの関係が非常に距離感無く、常に自然体でいられたこと。かつてチームACPで、1987年のパリダカールにクラス優勝したドライバーの石原さんは、喧嘩っぱやいが腕のいいテレビマン。11PMからなるほどザ・ワールド・・・ボクとは1度はCXの9時台の番組を制作したことがあって、彼の仕事ぶりに心酔した記憶が・・・今回の企画に日本中探したって彼以上の適任者はいまい!!ということに相成ったというわけ。

そしてもうひとつの大きな制作上の要素は、全く撮り直しなどヤラセの要素を廃したこと。カオルサンへのボクが告げる衝撃的な内容は「カオルサンにこうしたことを告げなければならないんだがどうかな?」とテレビのクルーに「撮るように」という意味で伝えたのではなく、信頼にたる旅をする仲間として相談したものだった。安全を考えれば夜のホテルで伝えるべきだったんだが「帰る」というのなら、そこからモスクワまでは170km。シエレメティボ空港はもっと近いしノボテルもある。ロシア人ガイドや通訳も複数がいるから・・・などと考えた挙句の告白だった。またせっかくのカメラを構えての好アングルの撮影も大型トラックに割り込まれる「もう一度走ろうか?」「いや、いいよ。旅の邪魔をしたくないんだ。」と。

普通テレビ撮影がくっつくと前に進まないくらい大変なのだが・・・全くそれが無かった。唯一最後のカットで一人ずつ撮るから、バイザーを上げゴーグルをはずして順にタンドラの後ろを走って欲しい・・・というオーダーだけだから、実に凄いことだ。カメラマンもおじさんたちも全くの自由体。その抜け!が、この作品を素晴らしいものにしたのではないかなあ!?と思う。一瞬番組冒頭のくず哲也さんの声に「???」と思うという人はいたが、この軽妙で肩の凝らないナレーションは、常人の域を超えてる。まるで共に長い道のりを走った参加者のように、またはそれを見守り続けていた誰かのように、おじさんたちの心に沁みた。

西安−パリ、それはなんとも不思議で愉快だった旅は、こうしてテレビ放送で締めくくれた。また次もこのような企画があれば、この石原さんたちと出かけてみたいなあ!と思っている。実はグループサウンズを熱唱していたのも、画面には写ってないけど石原さんなのである。

まだ見ていない人は再放送を観てください。
「陽炎の彼方へ」
■放送時間 12月8日土曜日14時00分〜16時00分 1月2日水曜日9時30分〜11時30分

きょうの一枚
敦煌山荘、背後には鳴沙山、テレビでもその威容が。敦煌に訪れるならこのホテルがお勧めです。来年はお見送りツアーも足を伸ばしてこの辺りまで。