Organisation Voice 2012/06

 

 

  
2012/06/29 (金曜日)

「忙中の閑」

そうだ、北海道4デイズとモンゴルのコマ地図書きをしないといけない。このころのボクのMy風物詩です。

何かこれを書き始めた途端「悪い人になる。」らしくて、機嫌が悪いのだそうな。決してそんなことはないと思うんだけど、たとえばその時のボクは素粒子レベルでは?モンゴルの分岐に立っていて遠くの山の形やピストのさまを書き写しているというのに、邪魔をする人が居るんです。
いや決してそれは邪魔をしてやろうなどとは、思っていないのは良くわかります。
なぜなら、

「出来た―!書き終わったあ!」

というと、これは昔からなのですが社内では大きな拍手が必ず起こります。見事にあの分厚い気の遠くなるような絵を書き上げたボクへの賛美の拍手だとばかり思っていたのですが、どうやら違っていたようです。それはコマ地図書き中の極度のボクの悪態から解放された、まあ解放軍が首都に入城してきたときの民衆の拍手のようなものだったというわけです。

それはそうでしょう。

そして考えてみれば、ぼくの心情は「たった一つのコマも書き間違えない。」つまり距離が打たれたコマ地図のベースを、極度の緊張で「あっ、間違えた。」を完璧に排除してしまっています。
モンゴルのあのコマ地図を書いていて、ここのところ「あっ、書き間違えた。」は1回あるかないかです。

その間違いを極度になくすのは集中!ではありません。完璧に「ワガコト化」です。そこに立っている自分を想像して、前のコマからの距離感を感じ今向かおうとしている方向や目標物を自分の概念でしっかりととらえる作業です。ひと月前に見た風景を思い起こすのではなく、そこまでもう一度やってきている状況を作るということです。

あらゆることも「ワガコト」としてやれば、そう大きく間違いません。間違いの多くは集中を欠いたから起きるのではなく、所詮は「タニンゴト」ととらえているから起こるのだとボクは思っています。

あとは「心」です。さあ、書こうかな。この行為のためにボクは事務所の中にホテルの1室を再現したり、茶室を作ったりしているのだと言っても大きくは間違っていません。


2012/06/28 (木曜日)

「つれづれなるままに・・」

もう10年以上も、まだブログなんて言葉もないころから、思いつくままにこのWebサイトに「OV」なんぞとタイトル付けて書いてきました。

コンセプトは?推敲しない、つまり書きなぐったままの素の文章を載せるということでした。だからあとから読むと実に稚拙な表現や回りくどかったり重複していたりと、まあ人に読んでいただくような文章なんぞではないわけでした。

そして、あのころは(って、どのころだろう・・)書きたい思いが湧き続けて、いや今も思いは湧き続けるのですが、とめどなかったように思います。ところが昨今。人々が良きにつけ悪しきにつけ、書いて書いて書きまくります。

ブログ、ツィッター、FB、あんなに子供のころに作文が苦手だった子供たちも、まるで音楽の授業で歌わされるのが嫌だったくせに今ではカラオケではマイクを離さない大人のように?なんでそれほどまでに「歌うの」じゃなかった「書くの?」と思うほどに、筆がやや重くなってしまいます。

マザーテレサの言葉。
ボクはマリア・テレジアの言葉だとばっかり思っていたのだけど。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

つまり思考や言葉は運命になるということでしょうか。
マーガレット・サッチャーも演説の中で使っていました。
そしてボクも「思考には気をつけなければ」ならないなあ、なんて考えはじめています。政治や時代も混とんとしてきていて未曾有の・・・と書き始めると誰もがそうだそうだと思うでしょうが、いつの時代も太古より人はいさかい殺し合い、為政者は言葉を操るのです。

困難な時代は、ほんとうに歴史の中に常に存在し、というか常に困難は極度に人々に寄り添い続け、それを一時的に振り払うためや人生の青山を求めて旅に出たりしたものです。

さあ、自分の思考、そして言葉を磨き、心を磨いて人生を。

きょうの一枚

エゾジカ。本州でも林道は鹿の宝庫に。いろいろ問題はあるだろうけど、ボクは良いことだと思ってる。ただしダートでのクラッシュは避けたい。あと熊もね。

2012/06/27 (水曜日)

「例によって、時々週刊タクラマカン」

もうすぐ北海道4デイズ。あの(雨さえ降らなければ?)爽やかな、あの北海道!です。今年は少しフォーマットが変更されてA-TECのキャンパスを使わない方向で進めています。そして芦別駅前が特設スタート会場!さあて、心配なお天気のほうは。。。

ところでまったくお天気の心配のない「タクラマカン」いや、一度は年間雨量50mmのロプノールで、おそらくそのほとんどを降らせた?ボクは、砂の海がいかに水を吸わなくてヌタヌタのヌルヌルになるかを、またしてもいやというほど味わったものでした。しかしさすがにそれ以降は完全に「晴れ」パリまでほぼ完ぺきだったというのが自慢!!です。

さて夏の様々なスケジュールをひと段落させれば「タクラマカン」に行くのであります。サイドカーも行くし、GS-Aはすでに3台!そうそうジムニーも。。。目指すは敦煌からトルファン、砂漠公路、米蘭、さらに4000mの峠を越えて。。。で、最近みんなで盛り上がりかけているのは「チョモランマ再挑戦!」といっても登るのではなく、青蔵公路完全走破!!の再現。できれば中尼公路でネパールを超えてムンバイまで。。。ああ、体力は大丈夫かしら。そんな世界地図とにらめっこしているときは自分の体力や、あの恐ろしかった?高山病のことなど完全に忘れてしまっていて。。。

自分の情熱を遮るものは自分の身体なのだ・・・
と。その都度に運動する!とか健康診断に行く!とか言っては、何もしない日々が続いているのであります。

さてタクラマカン!バイクで走れるチャンスは、まあそうありませんから悩んでいないで?ご一緒しませんか。。。

2012/06/21 (木曜日)

「ここにも、さまよえる湖が」

地球の異変は相変わらずのようで、ここモンゴルでもすごいスピードで環境の変化が進んでいます。とりわけ大地の乾燥はニュースで伝えられているとおりかなりなものです。
タクラマカンでは、あの巨大な湖ロプノールが、今では彷徨ってるのではなく完全に消え去ってしまっています。あらゆる川が海へ届かなくなっているとも言います。人口爆発による取水量の急増に乾燥が拍車をかけるわけです。山々は保水しなくなったし、黄土の流出も相当量。

モンゴルに話を戻します。ここでもこの10数年の間に湖は小さくなり、今年エタップ2では、例の左右の湖が時間によって水位が変わるという超常現象のようなものが観測されるところなのですが・・・大きい西側の湖は小さくなってしまっていて、少し小さい東側の湖は影も形もなくなっています。確かに雨でも降れば広大な、そしてどうしようもないほどの泥の海を出現させるのでしょうが、とにかく消滅してしまっています。
数年前は右側の湖の畔を全開でCAP180で走ったのですが、肌に感じる湖の湿度もいまではあまり大したことはなく、乾燥が進んでいることを空気が伝えています。

さて今回のボクの主題のひとつ、砂丘の浮かぶ湖も実は同じような状態になっています。エタップ2のゴールとビバークにここを選んでいたものですから、ありとあらゆる方法でアプローチするのですが、地図にある湖の上にまでやってきているのに湖はありません。
近くの遊牧民に尋ねると
「3年前まではあった、」
「いや30kmばかり後退した。」
「・・・」
30kmも後退するはずはないのですが。

翌日、その村の女性の村長さんを訪ねました。大歓迎!です。
「湖はいま少しずつ水を戻しつつあります。」
「おお!」
「この大会を村を挙げて大歓迎します。」
翌日、車で湖まで行きました。
確かに小さくなっていますが湖は存在していました。

そして湖に浮かぶ砂丘も遠くに見えます。
次の日は、もう一度エタップ2を制作し直すために出かけることにしました。

ボクタチはこの村の子供たちのために、ノートなど文房具やバトミントンなどの遊び道具をたっぷりと積み込みました。
村からビバークまでは50kmばかりありますが、きっと村長さんや子供たちが遊びに来てくれることでしょう。

さて、モンゴルの情報・・・
今年から、さらにアシスタンスの規定について厳しくコントロールしていきますのでご注意ください。もういちどレギュレーションをご熟読ください。


2012/06/19 (火曜日)

「スガワラ峠の雪と氷」

それはモンゴルほどの高緯度にある山塊の3000mの峠。日本の3000mの高山に比べても、空の群青はまるでヒマラヤだ。それにその高緯度の空気も凄絶な感じすらあるのだ。そこに至る道は地元の遊牧民でもあまり通ることはない。おそらく通る必要がないのだがシャルガルジョートというこの国でほぼ唯一の温泉保養地へ、危険だけど近道だということで稀に人が通る。
そして6月の試走の時は2年に1回くらいしか通れない。そして通るときは雪の斜面を奈落の谷に向かってクルマを走らせるのは、暴挙としか言いようがない。

でも今年は、それどころの騒ぎではなく厳冬期の山そのものだ。下手をしたらラリーの本番も雪渓が残っているかもしれない。
そのうえその試走の折は吹雪と新雪という大歓迎ぶりで、ふとSSERのイベントの雨の多さを実感するのだった。

ボクがこの峠に(勝手に)スガワラ峠と名付けたのは、もう12年ほど前だろうか。
試走の時に見つけたこの峠を、本当にルートに加えるか否かをずいぶん悩んだ。
悪天候時にヌルヌルとなった斜面を登ったり下りたりできまい。それに体感温度を奪うほどの風と冷気が支配している。

それでも青空ならば驚くほどの景観と、困難な峠越えの喜びは喩えようがないんだ。
そして、はじめてこの峠をルートにした年に、菅原さんが役員として参加していただいた。しかも最後尾を司るカミオンバレイを担当する。でもそのころには地元の軍用トラックとランクルという組み合わせ。この峠を越えるのに苦労をしたことはうかがえる。それでも「あの峠は素晴らしかった」と。それにその経験が菅原さんをして「この大会にHINOのカミオンを寄付しよう。」という思いに至ったようだった。
いま2台目のFTという4×4のカミオンがラリーの最後尾を守っている。
スガワラテルヒトやシノヅカケンジロウもそのハンドルを握った。
そうした、このラリーへの思いに心よりの敬意をもって「スガワラ峠」と命名したのだ。
どうか心して登り、そして超えていただきたい。
たおやかさと高山特有の厳しさと、驚くべき景観がまるで菅原さんのようだ。

2012/06/18 (月曜日)

「車検も大雨でしたね。」

雨雨雨。。。

「そういえばチョモランマ酒場の時も雨でしたね。」誰かがボクにそう話しかけた。

そうだったのか・・・
なにも雨はラリー本番の時だけじゃないんだ・・
ということで松山の船積み車検も大雨。
雨不足に苦しんでいる松山も、何も土曜日だけ雨が降らなくてもねえ。
さらにAPIOさんに誘われて走りに行った高知も、もちろん雨。

ここまで雨の確率の高いボクは、何かこの特技を社会貢献に利用できまいかと思案中です。

まあそれはさておき、雨のリスクの高い6月の催し物・車検は国際展示場の1/3を仕切って。
すると中にまでトラックなど積載車も入ってこられるので雨なんて、問題ないわけです。
しかしそれにしてもこれだけの確率で雨に当たるのは、相当なものです。

もっと言えば、モンゴルの試走も過去になく雨と風と雪。

そろそろ流れが変わるはずなのですが。
いよいよ次は北海道4デイズ、これこそ今年ばかりは4/4の晴れを目指しているのですが。

そしてモンゴルはまあ大丈夫でしょうから、あとは近場で行くとSSER3DAYS、これも過去の連続晴天記録も今は昔。そのSSER、今年は100マイル×3 まあ160km×3=480kmのラリーを目指して組み立てて参ります。

モンゴルのルートインフォメーションも、このあと取り掛かることにしますね。


2012/06/13 (水曜日)

「ラリーモンゴリア試走レポートその1」

今年のルートに挑むのは、実は参加者たちだけではなく、まずボクタチ試走チームなのだ。5月26日夜にウランバートルにつくや明早朝にはウランバートルを出発する。この早業が、ここのところのボクのウリだ。

そして全長3500km超のルートを、1日300km(これが実に難しい。)約14日間で走破しルートブック(コマ地図)を作成しルートのGPSのログを拾うのが主な仕事になる。これを完璧にこなすのはいくつかの課題がラリーのように絡み合う。

まずはマシンの問題だ。完璧で壊れないマシンとスペアパーツ。マシンは何もクルマのことだけではない。テラトリップやマップツインといった測距器やGPS機器などのことだ。
とりあえずこの3つが最後まで安定していれば、何とかなる。
しかし今回はクルマを3度も取り替えた。
1台目はエンジン不調。2台目は新品のクラッチが、砂の中で滑り始めていた。
やっと3台目のパトロール中東仕様で納得。
2度もウランバートルからクルマを夜のうちに呼んで、朝起きてクルマを乗り換えてスタートするというセレブぶり。ただし補正は厳密にとりましたんで。。。

クルマの次は人間の身体だ。つまり食事と快適な睡眠。そしてチームワークのことだ。
さらに、かなりハードな精神力とサービス精神が要求される。

問題はそのサービス精神で、この山の上の風景を見せてやろう!なんて考えるほどにルートの難易度は上がる。つまりサービス精神の高さは難易度に直結する。

そして最大に必要なものは「情熱」と「表現力」だろうと思っている。
それらの意味を総合しても今大会のルートは、素晴らしい出来栄えだと自画自賛している。何度も何度も出場した参加者らに瞠目の景観をお見せできると断言できるし、思いがけない困難を強いる場面もたびたび出てくるだろう。

ときにふと「ここはタンバクンダか?」と思わせるようなダカールのオールドファンには懐かしい風景が出てくる。約束していた湖に浮かぶ砂丘地帯は、水位が急激に下がってしまったので望めなくなったもののその干上がった湖底のデューンの袋小路を彷徨うことにもなる。

大きな4000m峰を有するボグド山脈はアルタイ山系。狭隘な谷をいくつも詰めることになるが驚きはそこにもある。一つの谷は氷で閉ざされていて、いちかばちかのアタックを試みた。何とか抜けられた。もう一つは谷には氷が張り詰め青い光が満ちていて、氷の底に水が流れていることが確認できた。さすがにここは「行くな」と、迂回路を取った。

平均標高もいつになく高い。ひょっとしたら、2000mを超えているのではないだろうか。
今回は吹雪の中、厚い氷や雪の中を超えて行った。
まさに美しい風景や、20年近いこうした旅の中でも初めて出会う景観やピストに感動しきりだった。

ルートには様々な性格が表れる。
後年「そうか、あの年の大会に出ていたのか・・・」そう言われる大会にしたいと、毎年そう思っているからいまだに進化できているのではあるまいかと自負している。とにかく2012年、これまでになかったルートとそのコーディネイションを楽しみにしていただいてよいと。

きょうの一枚

積雪地帯はピストが良く見なかった。標高2300mに降りてくると、緑のじゅうたんと雪が見事なコントラストだった、今日はこのあたりでキャンプをするか!とクルマを止めた。