Organisation Voice 2013/4

 

 

2013/02/27 (火曜日)

「九州は火の国たい。」

TBIは今年25周年記念の拡大版!
今年のフォーマットはというと、いままでのTBIに加え九州4デイズで、3,000kmを越えるディスタンスになった。グランツーリングだ。

そして今年の大会のラリープレートは桜島をフィーチャーしたものにした。
まことそれを書こうとグーグルアースで九州の火山を一つずつ眺めていた。
俯瞰すると、そこは「火の国」だということがわかる。

火の国とはまた災害も多かったのだろう。現にこのところの鹿児島や昨年の竹田市など阿蘇周辺も豪雨被害にさらされている。

自然災害が多いのは何も九州に限ったことではなく、広く日本列島全体がそうなのだ。こうした災害ととなり合わせに住む日本人は、自然を畏敬し自然とともに生きてきて今日があるのだろうとそう思う。武士道などの生き方も、人々の優しさも「明日はわからない今日を生きる」という死生観に基づくものだろうと思う。

先に鬼籍に入った市川団十郎さんが遺した辞世があって、本葬の時に発表されると知り興味を持って、今日の新聞でその句を知ることに。
その辞世は
「色は空 空は色との 時なき世へ」

般若心経にある世界観が込められて、深く、また古くから用いられる日本人の心の透明感を澄みきった心で書いているように感じた。
悲しさや苦しさを超えるために、この日本に暮らす人たちはこうした無常観を死生観に重ね合わせて生きてきたのだろうと思う。

桜島から昇る噴煙を見ていてそう思ったりと、なかなかTBIの準備も25年もやっていると感慨が深い。

さあ、素晴らしい旅をご一緒に。。

 
2013/02/25 (月曜日)

「いよいよ試走スタート!SuperTBI」

テレビでは大雪のニュース。「酸ヶ湯では史上最高の・・・」
と各局。
「おお、酸ヶ湯かあ」
すっかり懐かしくなったツールドニッポン。
その時には試走では酸ヶ湯温泉に泊まったなあ。あの湯治場の独特の雰囲気。
ヒバ千人風呂の独特の木造の柱のない巨大空間。
いやそんな話じゃなくて、
テレビではある局は「スガユでは」
とアナウンサー「ああ、スカユなんだけどなあ」とボク。

少し時間が経つと、どの局も見事に「スカユ」になっていましたね。
この効果は大雪の被害は深刻にしても(いや、心からお見舞い申し上げます)
広告効果も少しはあるかもしれません。
酸ヶ湯といえば八甲田、八甲田と言えば新田次郎「八甲田山死の彷徨」

話を戻すと
試走とは、八甲田山・・・ではないにしても、
計画と実践の間の細かな修正作業の積み重ねが必要だということなのである。
やみくもにルートを繋ぐだけというわけにはいかないのだ。
いよいよこれから、ここまで各スタッフの推薦するルートを取りまとめて、
一筆書きに仕上げる作業が始まる。

迂回路、避難路。救出ルートを常に頭に入れて、その範囲で素晴らしい景観と林道を有機的に組み合わせていくという胸踊る作業。
いったい、どれほどの道を走りどれほどのコマ地図を書いてきたのだろうか?と、その精度と内容を充実させるために今シーズンから、試走用のオフィシャルカーランクル70「Wテラトリップ号」が発進!でも今バンパーの塗装中!でお披露目は今週末。ボクのバックスキンのステアリングが装着されているという精神性?
間違えない確実な距離と方向感覚を。

きょうの一枚

今では全国あちこちで見受けられるようになった、こいのぼりの川渡し?発祥は四万十川。さつきの空に風を受けさっそうと。。

2013/02/21 (木曜日)

「畿内から南九州へ」

いま邪馬台国畿内説を裏付けるかの「卑弥呼の墓」とされる?箸墓古墳(宮内庁の管轄で立ち入りが制限されていた)に考古学者らが立ち入り調査が始まったというNEWSが話題です。
ということは、カオルさんら邪馬台国九州説派もやきもきしていることでしょうか。
いや九州も旅をしてみると「そうかもな」と思うことしきりです。天孫降臨の南九州の地は、山の形さえそれらしく、あちこちに立ち上る湯煙もまた心にしみるというわけです。
で、その邪馬台国の問題をうならせるような?25周年TBIは畿内発南九州行そして四国!という大胆なもの。そしてエントリーも定員に達しました!
それでも例年のごとく数名の不出走があるかもなので、若干キャンセル待ちを受け付けることができます。2から3名ですが。どうぞお早めに!

そして面白いのはAUTO部門、これはオープン参加なのですが、なんと尾上/石原組がエントリー!このチームは長年モンゴルで菅原さんと熱い闘いを繰り広げている2人!そして菅原さんはというともちろんMOTOで一番にエントリー済みです。AUTO部門はまだ締め切りまでに余裕がありますので、ぜひどうぞ。極上の旅?が約束されています。(いやどうかな?)さて、SSER九州チームからは試走の試走、つまりコマ地図を作成する前のルート設定の嬉しい情報が続々!!

TBIとモンゴル、卑弥呼の邪馬台国伝説からチンギスハーン伝説、そして幕末の土佐・薩摩を駆け抜ける、これはもう一大スペクタクルじゃありませんか!!

噂のFバンパーは大勢の意見艶消し黒を押し切って、半艶ホワイトで塗装することにしましたよ!!

きょうの一枚

九州の山の姿は、変化に富んでいて楽しい。なぜこれほど多くの火山と温泉がこの土地にばかり集中しているのだろうか。時に激甚災害も生むが豊かな温泉にも恵まれていて、まことに日本人的な心が育つ土地でもあるから天孫降臨の伝説もまた生まれたのだろう。


2013/02/20 (水曜日)

「急に暖かくなったので、モンゴルの事を」

モンゴルのことを書きます。
昨年特に問題だったX-1トラックの遅着問題。これを、どうにかしなければなりません。以前のように10kgBagをヘリ輸送も考えたのですが、これはいまの燃料高騰と不足気味の燃料をこれに用いるのは問題です。
そこで10kgバッグ輸送チーム、つまりシュラフ・テントと簡単な着替えなどの入ったバッグを、メカニック輸送のようにランクルなど数台のチームを構成してX-1チームとしながらも、早く着けるようにしようという考えです。
残る大きなバッグ20kgは、X-1が運びます。さらにタイや輸送は、本部隊ごとにMotoだと2本ずつ積み分けて事前にビバークに運び込んでおきます。
どういう具合かというと、これは例で言いますのでまだ対応しないでくださいね。

本部隊は第一本部隊がBivouac1-3-5-7とします。そして第二本部隊がBivouac2-4-6としますね(これは仮に、ですよ)ルートが発表されたらそれぞれ戦略を立て、どのビバークにどれを送っておくかを計画しておいてください。

これによってX-1トラックの重量は完全に半分以下にすることができます。するとトラックの選択肢も広がり速度も向上させることにもつながります。

こうして確実に荷物の届くビバークを実現していきます。
ということで、みなさん。モンゴルの準備を始めよう!!

■Facebook(SSER ORGANISATION) [URL]

SSERのFBも楽しい話題が盛りだくさん。
いまの旬はSuperTBIとRallyMongolia2013

■Facebook(Rally Mongolia) [URL]

RallyMongoliaのFBは、海外の方にもご利用いただきやすく英文併記を主体に
これまでの写真や情報を満載してお届けしています。

■Twitter(SSER ORGANISATION) [URL]

Twitterでは、最新の更新情報などをつぶやいています。

2013/02/18 (月曜日)

「OVは歴史を語る。」

これを書くようになって、もう何年になるんだろうか?
書きなぐった感もあるけど、あの時ボクはどんな思いでTBIに向かったか、あるいはモンゴルに向かっていたのかが、手に取るようにわかる。
でも読み返すのは何か、浦島太郎が玉手箱を開けた時みたいになりそうで、極力振り返らないようにしているけど、写真を探しに行くくらいにしていた。
きょうはオフィシャルウエアの事を考えていて
「そうだ、めずらしいTBIのオフィシャルの集合写真があったなあ」と。なぜ珍しいかというとTBIでは各オフィシャルは自律的に動いているので一か所に集まることは珍しいのだ。
写真を見つけて、その文章に「ぎょ」っとした。
なんとその時のOVのタイトルは「檄」なのだ。

 

2001/03/14 (水曜日) 檄。。

本日のOVは、SSERの精神と、オフィシャルの概念について記す。いままで SSERとは厳しいレギュレーション、うるさい車検。冷徹なレギュレーションの運用。というイメージがある。一部は、故永山竜叶君が情報として、書き連ねたものがそうなったかもしれない。しかし、当たり前のことが「まあいいじゃん。」とやってきた、多くののライダー達、その実、社会はそれほど甘くなく。いつまでもモラトリアムを気取ってられるほどの、おおらかさなど持ち合わせてはいない。たとえば法に問題点があるのだとすれば、国には「おかしぞ」と問題提起することのできるシステムは整っている。それをせずに、批判ばかりして、場合によっては、平気で無視したりするのは、勇気のある行動とは言いがたい。勇気ある行動。それこそがSSERオフィシャルスタッフの行動の基準である。たとえばSSERのオフィシャルは、誰がなんと言おうとも、動じることなく単身、夜のゴビ砂漠をわたり、サバイバルにも長け、危険を最大限探知し、回避する。それは自らの為のみでなく、挑戦する参加者のためであり、他のオフィシャルの任務遂行のためである。それは厳格で、やさしさに満ち溢れた男の中の男たちである。こんなことを平気でやれる奴や、同様のモチベーションを備えたチームを、私は知らない。軍や自衛隊などと言うものは、充分な装備、電子デバイス、システムに保障されたもので、平時下にあっては、真の冒険性や、探険性というものは持ち合わせてはいない。ゆえに、われわれオフィシャルは、参加者にも相当のことを要求する。確実にそれをクリアして来る者のために、それをしない者に妥協することはない。たとえば、レギュレーションとは、日本の法律などはまったく別のもので、レギュレーションが求めるものは法律で求めるものより厳しい。なぜか、法律とは、広く一般に適用されるものであり、我々のそれは危険であるとか、困難であるとかに対応する、もう一段階以上、絞り込まれた者を対象にしているのである。こういうことを正しく認識して欲しい。「道交法で良いのに、なぜ SSERではだめなんだ?」という意見を年間にどのくらい聞くようになったろうか。違法でなければ良い、というのはこのイベントに参加する以上、間違いである。それは先に述べた。
さて、私個人は今回TBIに参加すると宣言して久しい。もちろん多くのオフィシャルスタッフも、参加者として名を連ねている。そしていま、この段階になって、実はは参加をためらっている。いままで12年間続けた、このイベントに身をおいて、あたらしい次の何かを考えてみたいという、ある意味では姑息な了見での参加ともいえる。しかし、ここに改めて宣言する。どのような困難な事態になろうとも、この大会の最高責任者は、私であること。全ての、オフィシャルスタッフと、わたしはひとつであること。最も困難なことに誰もが進んで、挑戦することを信じている。SSERの精神。それはいかなるときも、公正で、公平である、ということ。その行動はあくまで、平然と勇敢であるということ。だれでもが、一朝一夕でオフィシャルスタッフになれるというものではない。

 

きょうの1枚

故永山君が収めた、10年前のTBIノオフイシャルスタッフの集合写真。TBIのオペレーション中に、こういった全員の写真を撮る、というのは非常に難しくて、「やっと実現した」と大喜びしていた彼の姿が今でも忘れられない。参加者もこの当時の顔ぶれが揃う、オフィシャルも揃わないものか、と真に願う。僕たちの13年間のために。』

・・・・・12年も前のものだ。なんか気合が入っているなあって感じで、しかし少し読んで恥ずかしさを伴いながらのこのあとの12年のボクの生き方はズレタカ?ズレテいないかを考えるには最適だった。
いつも決定権をゆだねられたときにはこうした一連の想いを思い出す。
そして座右の銘「仰ぎて天に愧じず。」を小さくつぶやく。
そして「間違いない。」と心に決めて判断をするんだ。



2013/02/15 (金曜日)

「Rally Mongolia は変わるのか?の20年」

なにかに挑戦する、ということは、確かに少なくないリスクを伴う。
モンゴルでラリーを開催する、という事を決めたときからちょうど20年ほどが経った。ラリーがスタートしたのは1995年。パリ北京が1992年、わずかこの2年余りが準備期間だったと言っていい。

時間の量は関係ない。集中の量こそが問題なのだと思う。
全てをなげうってこのモンゴルでのラリーの開催に向かった。結果はリスクの量は減らないがこうして2013年の開催の準備に着手している幸福感にはまみれている。

目を閉じれば、思う存分のモンゴルの風景が広がる。本当にまだこんな地球があったんだとわが目を疑うような光景はいくらでもある。
まだ30歳後半だったボクも、そう遠くなく還暦を迎える。
20年の歳月だ。
石の上にも3年だとか、桃栗3年だとか、そんな時間じゃなかった。
モンゴルのラリーも過渡期を迎えているという意見もあるが、どこからどこへ、または何から何への過渡なのかなあ?と思う。

リスクの総量を減らせという。
完璧なサポート、乗り心地の良いオフィシャルカーやメカニックのクルマ。ランクル200とかに、なんていう話もある。それに参加者の数十人分のコストを裂いてもいいのだろうか?

もっと・・・したら、もっと×××したら、という議論はうちにも外にもある。
この20年、町は発展したがモンゴルの大自然は何も変わっていない。やがて変わっていくかもしれないが、その変わりようは人間的なスパンではない数千年単位で緩やかに変わるのみだ。
人の心はどうだろうか。
数千年単位でこのモンゴル高原で暮らした人々は、この20年で急速に変化していった。ランクル70に驚いた子供たちはもういない。写真を撮ってほしいとせがんでいた遊牧民たちは、みなiPhoneでこちらを撮っている、iPadさえ普及している。
沙漠の真ん中に大きな携帯用のアンテナが建っている。
ほとんどのビバークでも携帯がつながる。良し悪しなんか言っているヒマはないのだ。

変わることは何においても大切だと思っているし言い続けた。変わらないものはない。変わらないものはないという事のみが唯一変わらない理論だ、とも言ってきた。だから「さあ、変わろう」という事はしなかった。

「変化」にさらされているのは、世のすべての事象の事だ。モンゴルのラリーがどうのというレベルではないのだが。

さあラリーモンゴルは、どう変わるのか?変わらないのか?さらに進化するのか?深化するのか?その真価?が問われはじめていると言っていい。
ただ、楽チンとラグジュアリーを求める者は来ないほうが良い。大自然の懐は思いのほか居心地がいいが、常に手厳しい。過酷だと言っていい。そんなプリミティヴで、油断のないクリティカルな世界に身を置くことに力をみなぎらせることのできる者たちのためには、常に全開で門戸が開かれているのだ。

これがボクの出したラリーモンゴリア、20年の決断だ。
さあ、みんなで議論をしよう。
ということで、SSER Conference 2013を計画中!!3月頃開催予定。

きょうの一枚

70、SSERには、それはもう何台もの70が活躍していたのですが、どの一台もこだわって丁寧に作り初期のモンゴルの運営に供されていました。しかし次々とフレームを折って退役。これはもうオフィシャルの飛ばし過ぎがすべてです。。いま70復活の機運 

2013/02/13 (水曜日)

「いやあ、もうTBIモード満開。」

四国路はもう早い春。
菜の花は競って咲いています。
双海のシーサイドラインを通って、片手に青い海を見ながら片手に菜の花の土手。
そして海が目の前に見えるので有名な下灘駅。
長浜、大洲とまったく違う時間が進んでいるような土地には、いつもの春が訪れていました。

光る海、美しい半島。
思わず鯛めしを食べることに。
この土地の鯛めしは、少し変わっていて
漁師飯がはじまりの「ひゅうがめし」と言います。
おなじように「さつまめし」というのもあって、灘の向こうの薩摩や日向の名前を使った郷土料理。その二つに共通しているのは飯にぶっかけて食べるという行為。
漁師たちが甲板の上で食べたのでしょうか?

その「ひゅうがめし」こと鯛めしのレシピを。

まず炊き立ての白いご飯。
ぷりぷりの鯛の刺身。6キレから7キレ。
土佐ジローの卵の黄身だけ。こんもりとしていて、うまそー。
それに薬味いろいろ。
そして別の碗に刺身卵の黄身、この土地に伝わる甘口の醤油をよく混ぜます。それをご飯にぶっかけてあとは薬味(まあ、ねぎとかミョウガとかゴマに刻みのり)これが旨くないはずはありません。

今回のビバークで注文しようかなあ?と思うのですがいかがですか?
ああ、おなかが減ってきたので本日はこのあたりで。

2013/02/12 (火曜日)

「四国と九州。ディレクターはロケーションサービス」

かつてTBIの時に見つけたこんな風景(きょうの一枚)これは山の中にある神社にかかる木橋。ボクがここを初めて見たのが1989年です。そのあと数年間はここを積極的に通りました。ほんとうに不思議な場所にあるのです。どちらかというと・・・
山々の峰筋のようなところ、数件の古民家。全く異空間でした。長いハードな林道で急な山道を抜けたところにあります。数軒の民家も小高い丘の上に立っているようで山里にはない不思議な広々とした爽やかな空間が広がっています。葉タバコの生産に向いているのでしょう集落ではタバコが植えられていて、それはもう4半世紀前と全く寸分も違わない風景を作っています。
名前は弓削神社。いわれは省きます。

今では観光ガイドなどにも掲載されてしまい、マディソン郡の橋に端を発した屋根付き橋ブームでなにかと来場客も、よくこんなところにまで。と思うばかりです。
いやなにが言いたいかというと、別にこれまでなかったモノを発見したと言っているのではありません。天候と時間と風景を司りながら?TBIのコースディレクターは、丁寧にルートを構成していきます。
ですから、まあ「毎年同じルートでも・・・」という意見もたまにはあるのですが、二度とない風景、それは時間と天候と様々なものが生み出す希少なもので、それを感じる旅がTBIだったらいいなあ、とそう考えるわけです。

この25年間、バイクの性能も飛躍的に向上して壊れなくなり且つ、ライダーに対して少しでも疲れないようにする機能も充実しているわけです。ナビの腕さえ手に入れれば、過去には「困難な旅」だったTBIも比較的に参加しやすいものになったと思います。

さてこのGWのTBIは大阪から南九州と四国を巡ります。
参加表明がまだの方はお急ぎください。とても素晴らしい風景のシークエンスを提案してまいります。

◆2013年2月20日(水曜日)は第2次プレエントリーの締切日です。
   エントリーご希望の方は、お急ぎください。[概要]

◆4×4 エキスペリエンス部門の募集がスタートしました。貴重で得がたい冒険旅行が
   楽しめるはずです。[概要]

2013/02/08 (金曜日)

「ガストン・ライエ」

1987年暮れ。どんよりとしたパリの冬空。シャルル・ド・ゴールにほど近いガストンのガレージに向かってルノーエスパスを走らせた。
ボクタチのチームの4人のMOTO用のウエアをイギリスのAPICO社に協賛を受けていてサイズを送ってあった。
受け取りはガストン・ライエのガレージで12月〇日。そんな話だった。

なにかパリダカに向かうボクたちがパリダカの英雄ガストン・ライエのオフィスでガストンと同じように誂えられたウエアを受け取るというのは、まさに狂喜すべきことだった。幸先が良いと言ってもいい。

かたや赤と白のマルボロカラーに塗られた、まさに神々しいまでのウエア。こちらは、そう言えばもっとしっかりデザインしておくべきだったと反省するようなものではあったが、それはそれで輝いて見えた。
そんな時代だった。

高校生の頃にサインをもらってから15年。その間にガストンはMX125の世界チャンピオンに上り詰め、そして左手を手首から切断するという事故でMXを離れたものの「ちぎれた手首を持って走ってって、くっつけてもらった」と笑いながら語り2年後にはパリダカールに現れて、2連勝を収める。

ボクをパリダカに掻き立てたのは、テネレを走るマルボロカラーのガストンの乗るBMWだった。
1988年のパリダカ。アルジェリアのハッシメサッドからタマンラセットへの1000Kmのステージ。夜明け前なのだが風景が分からないのがつらいなあと思うばかりの漆黒の闇が重たいばかりだった。遠くに見える明りに近づくまでもずいぶんと時間がかかる。そこにはパリダカの盟主ガストンの姿があった。すぐわきに停められたカミオンから明かりを取って、どう見てもエンジンが降ろされていた。
「見るな」
たぶんそう言ったんだろう。近づいたボクに早く行け、というようなしぐさを見せた。

それから幾度、彼と待ち合わせをしただろう。ソウルで、関空で、ホテルのロビーで。時にはパリの空港で。迎えに来てもらっていたり、迎えに行ったり。
ゴビで負傷したガストンは「山田にヘリで迎えに来てくれ」と泣いているから早く行ってやってくれ。と無線が入った。
子供のようで、誤解を恐れずに言うと可愛くてたまらなかった。

そんなふうにガストンは、どんな時も屈託のない笑顔で会った。
けがをして「イタイイタイ」
と言っている時も笑顔で、二人でいつも底抜けに笑った。

モンゴルで2回、芦別で1回、負傷しているガストンを運んだ。
饒舌で、詫びているようで、それでも悔しそうだけど楽しそうだった。
彼の人生は、あまたの勝利に飾られていたが、一方では少なくない失意にもまみれていた。
晩年の彼の見せた優しさと、笑顔とそれでも時折見せる寂しそうな横顔を思い出すほどにボクは偉大でかけがえのない友人を失ったという喪失感に襲われて仕方がない。

あれからの歳月は、いくら経っても濃密になることはあってもそれへの想いが希薄になることはないのだ。


2013/02/06 (火月曜日)

「BMWとMax FritzとOfficial Wearのおはなし。」

2月の冷たい雨が、歩道を濡らしている。北のほうでは大雪だという。
ボクは、こんなだというのに大きく重たいバイクを引っ張り出してやろうかと考えている。

で、どこへ行こう。何を着よう。

少しダイエットしたせいで、古い重たい革ジャンやMax FritzのライディングジャケットやいくつかあるBelstaffも着れそうだ。
そう考えてるうちに電話がかかってアポが入り始めるのだ。

「何を着ようか」なにかこの言葉がボクの今迄を象徴している。
別にオシャレだとは思わないけど、良いものを少しずつ欲しいと思うのは、モノの食べ方にも似ている。
ところが最近こうした行動の結末として困ったことが起きている。

これまでのバイク遍歴とウエアの類が、いまの手持ちのバイクやウエアの関係に齟齬をきたし始めているのだ。

むかしはBMWにBMWのウエアを着て乗るのは、愚の骨頂だと思っていた時期もあるがいつのまにかBMW謹製のウエアが、それ以外にやや優勢だったわずかな時期に、買いためてしまった。

特にここ数年、バイクメーカーのアパレル開発が熱心で、多くはイタリアンデザインで悪くないのだ。だから大きなロゴ入りのウエアをバイクを買うときに買ったり。または時々行くバイク屋で付き合いの延長で買う。
これは一種の囲い込みマーケティングでもあり、バイクを購入する谷間のショップ(というかディーラー)の販促とか売上積み増しの手段だったろう。まあ一石二鳥を狙ったもので少なくない成功を見せていた。

メーカー違いのウエアで大きなロゴでも入った日には、ほかのバイクには乗りにくい。
つまりウエアのコレクションが成立したらが、違うメーカーのバイクの触手が伸びたときの抑止力としての侮りがたい効果がある。

それでも、たまにMagni(いまはない)にBMWのジャケットで乗ったりすると、やっぱり気持ちが悪いし恥ずかしい。
ハーレーのウエアを衝動買いしたこともあったが1度も着ることなく、どこかへ行った。
Triumphのロゴ入りの革ジャンが欲しくて眺めているのだが、バイクがないのに買ってどうなるんだろうと思うし、やっぱこんな悩みは幸せなのだろうか。

でBMW乗りのそんな悩みを解消させるのは、知る人にはBMWとの相性の良さを感じさせながら、まあメーカーを選ばないのならMax Fritzがよろしい。
そんなこんなで今年からOfficial Wearに採用させていただいた。
このウエアの主張に負けないように、良い大人のみんなで着てやろうと思う。

きょうの一枚

なんとなくBMW スクランブラー仕立ての80?こんなのが1台あれば日曜日の朝は幸せ。

2013/02/04 (月曜日)

「メイド・イン・ジャパン」

NHKで3週連続でやってるドラマだ。演出も脚本も臭くてどうしようもない感じはあるものの。本質は突いている。
タクミという総合家電メーカーがシャープにもパナソニックにもSONYにも見える。
唐沢演じる矢作再生戦略室長に民事再生法の申請を提言する部下。もうすべてが海外で生産されているのに何がメイド・イン・ジャパンですか?!と詰め寄る。
ボクはきっと唐沢は胸に手をやって「心だよ」というだろうと思った、その瞬間、あにはからんや胸に手を当てて「心だよ。」と言った。

奇しくも符合したわけだが、昨晩はBS1でグローバリズム経済を云々という特番が組まれていた。こちらは構成に??がありはしたもののNHKが(この得体のしれない魔物に)取り組む姿勢を鮮明にしているところは評価ができる。
グローバリズムと、置き去りにされるローカル。
良いではないかと思っている。

ボクは実は数年前にとある銀行のオファーで「メイド・イン愛媛」という、まあ農水商工業者と東京など大手の商社や百貨店などのバイヤーとのビジネスマッチングの総合プロデューサーを何年か務めた。
難しいのである。
なぜなら「天は自らたすくる者をたすく」のであるから。
それでも「心はある」が不器用な人たちに光を当てようとしても「なんとなく心が少し足りない」のだ。声が大きい人から心が足りない。そんな人から順番に物事が進む。助成金申請などの上手い人から順に心が足りない。
心ある人には、なかなか補助や助成は回ってくる気配はない。
儲けたい人と、心ある人には似て異なる心の動きがある。
ああ。。

ボクは20世紀の末に、仕事を精力的にした。21世紀はその思いを胸にはしたもののラリーなど「天命と信じられる」ものに捧げた。

そのころ思ったし言い放ち続けた。
賃金が安いことで差益が出て利益が上がるという行為は、まず続かないし低俗だ、と。
日本企業は東アジアを漂流している。チャイナリスク、チャイナプラスワン。やっぱりミャンマーだとか。帰ってくればいいと思う。

もっと書きたいし言いたいけど、このくらいにしておこうと思う。

きょうの一枚

今日はこれを読もう。