「Rally Mongolia は変わるのか?の20年」
なにかに挑戦する、ということは、確かに少なくないリスクを伴う。 モンゴルでラリーを開催する、という事を決めたときからちょうど20年ほどが経った。ラリーがスタートしたのは1995年。パリ北京が1992年、わずかこの2年余りが準備期間だったと言っていい。
時間の量は関係ない。集中の量こそが問題なのだと思う。 全てをなげうってこのモンゴルでのラリーの開催に向かった。結果はリスクの量は減らないがこうして2013年の開催の準備に着手している幸福感にはまみれている。
目を閉じれば、思う存分のモンゴルの風景が広がる。本当にまだこんな地球があったんだとわが目を疑うような光景はいくらでもある。 まだ30歳後半だったボクも、そう遠くなく還暦を迎える。 20年の歳月だ。 石の上にも3年だとか、桃栗3年だとか、そんな時間じゃなかった。 モンゴルのラリーも過渡期を迎えているという意見もあるが、どこからどこへ、または何から何への過渡なのかなあ?と思う。
リスクの総量を減らせという。 完璧なサポート、乗り心地の良いオフィシャルカーやメカニックのクルマ。ランクル200とかに、なんていう話もある。それに参加者の数十人分のコストを裂いてもいいのだろうか?
もっと・・・したら、もっと×××したら、という議論はうちにも外にもある。 この20年、町は発展したがモンゴルの大自然は何も変わっていない。やがて変わっていくかもしれないが、その変わりようは人間的なスパンではない数千年単位で緩やかに変わるのみだ。 人の心はどうだろうか。 数千年単位でこのモンゴル高原で暮らした人々は、この20年で急速に変化していった。ランクル70に驚いた子供たちはもういない。写真を撮ってほしいとせがんでいた遊牧民たちは、みなiPhoneでこちらを撮っている、iPadさえ普及している。 沙漠の真ん中に大きな携帯用のアンテナが建っている。 ほとんどのビバークでも携帯がつながる。良し悪しなんか言っているヒマはないのだ。
変わることは何においても大切だと思っているし言い続けた。変わらないものはない。変わらないものはないという事のみが唯一変わらない理論だ、とも言ってきた。だから「さあ、変わろう」という事はしなかった。
「変化」にさらされているのは、世のすべての事象の事だ。モンゴルのラリーがどうのというレベルではないのだが。
さあラリーモンゴルは、どう変わるのか?変わらないのか?さらに進化するのか?深化するのか?その真価?が問われはじめていると言っていい。 ただ、楽チンとラグジュアリーを求める者は来ないほうが良い。大自然の懐は思いのほか居心地がいいが、常に手厳しい。過酷だと言っていい。そんなプリミティヴで、油断のないクリティカルな世界に身を置くことに力をみなぎらせることのできる者たちのためには、常に全開で門戸が開かれているのだ。
これがボクの出したラリーモンゴリア、20年の決断だ。 さあ、みんなで議論をしよう。 ということで、SSER Conference 2013を計画中!!3月頃開催予定。
きょうの一枚
70、SSERには、それはもう何台もの70が活躍していたのですが、どの一台もこだわって丁寧に作り初期のモンゴルの運営に供されていました。しかし次々とフレームを折って退役。これはもうオフィシャルの飛ばし過ぎがすべてです。。いま70復活の機運
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