Organisation Voice 2011/08

 

 

2011/08/31 (水曜日)

「ラリーモンゴリア雑感の続き。そうそう、七沢温泉」

ここのところ舌戦もいっそうの、モンゴルジムニー対決。
口汚くののしりあうと言うのはまるで同じバスで移動する仲良しの格闘技のリング上のよう。

先にゴールするとうれしいけど10分も経つ頃から心配で心配でたまらなくなるおふたり。
「大丈夫かなあ。何かあったかなあ。」
これほど闘志むき出しなのに、競い合う相手を労りあう人を見たことが無い。
なのにそこへ帰ってくると、
「何だ、帰ってきたのか。崖から落ちてればいいのに。」
崖なんかないのですが・・・
そんな言葉を掛け合います。
横で見てると「ドキッ」とするほどですが。

しかしそれにしても、こうした友を得られたのは人生の中でも僥倖というよりほかは無いでしょう。ほかのジムニーも割って入れないほどの二人の蜜月ぶり。よしんばそんな人がでてくればきっと二人は1.カン無視2.二人が共同してやっつけてしまう、かのどちらかでしょう。

ふたりとものジムニーのクロスカントリーラリーマシンはほぼ完成域にあって、そして更なる進化をやめようとはしません。恐るべきスピリットです。

ところがこの勝負は、最後は七沢温泉の貸切という罰ゲームが待っています。温泉旅館でドンちゃん騒ぎを、負けた側の全額負担でやらなければならないのです。いやいや、負けるわけにはいきませんねえ。

そこで少しレースの中身を分析することに。

手許にプリントアウトしたモンゴルのリザルトを。

ETAP-1、初日のSS248.99km・・・まず尾上さんが3時間47分27秒で、菅原さん3時間48分34秒。その差はたったの1分。スタート順位は菅原さんが1分前だから尾上さんはほぼ同時にゴールしたことになるんですね。「一緒に走ろう」と約束してもこうは行かないものです。

つまり250kmかかって1分前にスタートした前車に追いついたという構図。これでマシンの性能差は互角だということが解ります。
後で菅原さんに聞くと
「尾上さんは常に全開で走っているから壊れるよ。」
と言いますが、上空から見ていると
「そうすか?」
な感じ。

では勝負はどこで分かれるか?
ナビの勝負か、またはマシントラブルの有無による勝負と見るべきでしょうかねえ。
1日目はナビにもマシンにも案外易しかったでしょう。
ナビの力がでるのは翌日エタップ2、砂漠の中のルートファインディング。

ETAP-2は476.57kmのややロングステージと砂丘。
そしてここでスガワラさん、得意の砂丘の出現に
「前半の勝負どころ」
と読んだわけです。夜のビバークでも姿が見えないようで、きっとルートブック
と睨めっこか!?と思いきや本部ゲルでビール飲み飲み世間話中!
「???」
そして翌日のこのSSは9時間10分52秒の21位でフィニッシュ。さすがです。尾上さんは10時間34分31秒の29位。

スガワラさんの目論見どおり?1時間20分の大差がついてしまいました。

クロスカントリーラリーでの1時間や2時間の差は、前半で言えばさほどの問題ではありません。ところがこの人(スガワラサン)と戦わなければならない尾上さんにしてみたら、余人には計り知れないほどの不気味なプレッシャー。のどが渇き余分にビールを飲むのさえ、妖術にかかっているかのようです。

ナビの石原さんは、この砂丘の中を深読みしすぎたようです。

そしてこの時間差は、このあと目に見えない負荷を尾上さんにかけるからスガワラさんは、天をもあやつる妖術使いと言われるゆえんになります。

とまあところでこの調子で書き続けると、どんどん長くなるので今日はこのあたりで・・・。みなさん、お近くの妖術使いにはくれぐれもご注意を。

続く

2011/08/30 (火曜日)

「気がつけば・・・」

もう8月も終わり。

どうもモンゴル前から8月いっぱいの体調不良。夏風邪が1ヶ月以上続いている感じで元気の無い毎日でしたが、まあ9月の声を聞くとまたもや元気が復活中!!先週の土曜日は、新しい試みもかねて久万高原へルートチェック。

「ムフフ」
な感触を得て気持ちよく帰ってきました。

その頃シャモニでは、ウルトラトレイル・デュ・モンブランが開催されていました。本日付「菅原さんの手紙」を参照ください。菅原さんは三好礼子さんにサポートを頼まれて、モンゴルから帰るや中1日で出発したのはご存知の通りです。どうもサポートチームも大変なようで、プレランで500km走り本番でも500km走行!なるほど礼子さんが菅原さんにサポートを依頼した理由が良くわかります。

166kmという山岳の距離は半端なものではありません。そして48時間の制限時間。スタート前に菅原さんは「無理だ」と判断していたようです。それを完走する礼子さんに、ただただ驚きと最大の敬意を。

こうして世界は相変らず「限界への挑戦」のバーを高く掲げ続けています。超えるのは無理なはずの高さのバーを、人間は常に超え続けてきたことは間違いないでしょう。

「超越する。」
困難な難しい問題を与えられれば強くなり、勇敢になり見えない力さえも沸いてきます。どうか国政も今回ばかりはそうであって欲しいし、ボクタチモささやかでも日ごろの活動を一層活性化させて、地域と人々の交流から生まれる熱のような、新しい力を醸成させて行きたいものだと思います。

気がつけば、もうすぐSSER3DAYS・・・そして晩秋には九州4デイズ。楽しい日々もこの秋ももりたくさん、ということです。

きょうの一枚

「一斉スタート」

これは2000年のモンゴルのラリー最終日の一斉スタートの様子。どこから探してきたかというと、なんと自分のOVの記事からなのです。このときはカミオンバレイは日野のFU6x6・・・ドライバーはテル君「あの、ボクも並んでスタートして良い?」「良いよん」といったらヘリまで並ぼうとして、1機はご覧のように上空へ舞い上がりましたが2号機はまじで、一斉スタート・・・。

 
2011/08/24 (水曜日)

「SSER joint JEC」

北4のファイナルクロスには、ボクもチョビ垂涎のエアアーチが立っていたよね。JECの。つまりSSER主催の北海道はJECとのJVだった?のです。

で、春木さんとボクが4日間にわたってタンドラの中でひそひそと話し合うのは、やっぱり日本のオフロードライディングの将来!!

SSERは1985年からたゆまず開催だから今年で27回目、27年の歳月を刻んだ。しかし忘れないで欲しいことがある。SSERは実はどこよりも早くISDEもしくはIECのシステムを導入したんだけど、1985年当時はなかなか理解されなくて、折衷案的に今のシステムになった。

ところで今年は昨日のOVに書いたとおり美川スキー場が全エリアの使用が認められた。ということは将来に向けて一定の新しいフォーマットに向かう方向の模索が始まるのだといっていい。

北4のカウンターとしてのSSER joint JEC、これからどのように発展をしていくのかをちょいとご期待ください。

きょうの一枚

池田智泰選手、北海道4デイズ。SSER参戦。JECからのメッセージ。ちょいと、四国勢の安眠を破るのか。

2011/08/23 (火曜日)

「SSER 3DAYS計画」

いつまでも続くこの梅雨のような天気。ボクタチは暑い夏を知らずにモンゴルなんぞで過ごしていたものだから、なんとなく今が梅雨って感じで、「梅雨が明けると暑い夏がやってくるんだ!」と錯覚してしまっています。

暑い夏!と言えばSSER!

そんな時代もあったね、と。

カキ氷だけで3000杯も売れた暑いSSER!ラジオ体操もやりましたねえ。ちゃんとNHKの収録付きのね。

そんなSSER 2DAYSのノスタルジーに浸りながら、ついに明かされる新しいSSER3DAYS。 もちろん林道SSはこれまでボリウム!そして写真にある美川。

メイン会場は写真の一番右にPとあるところ、ゲレンデSSは、たったのBとSだけ・・・一番左のギザギザと登るところ、FやEは登れるか?てか降りれるか?いまモンゴルで疲れた体に鞭打って・・・この巨大なゲレンデの全貌を解き明かすべく・・・なのですが雨が・・。

こうして今年SSERは大きく様変わりする予定です。もちろん楽しさはこれまで通り!!さあて、これからは徐々に情報を発信していきます。

2011/08/17 (水曜日)

「ラリーモンゴリアから、雑感」

ラリーが終わり、いつもより疲れた体で日本に帰った。てか行く前から酷い過労感。とにかくここ数年というもの、試走から本番までが過酷過ぎて・・・本番時に完璧な体調だったためしがない。どうも年をとる、ということは体調の管理が難しくなるということかもしれない。

ということでラリー雑感その1、は「モンゴル人ドライバーたちの台頭」について。

彼らがこんなに早くクロスカントリーラリーの世界で頭角を現すとは正直なところ意外だった。特にMOTO部門では民族的本能?も手伝って早くから驚異的なパフォーマンスを見せていた。実際に昨年のジョナ・ストリートの優勝までは長くモンゴル人ライダーが総合優勝を手にしていたのだ。

ところがAUTO部門となるとなかなかそうは行かない。マシンのポテンシャルが必要だから。そして一気にそれを進化させる出来事は2008年の塙選手の総合優勝と、そのマシンをモンゴル人ドライバーたちが手にしたことにある。彼らはそのマシンを徹底的に研究した。

今年、逃げ切るように優勝した塙選手も

「正直言って驚きました。ボクが30年かけて手に入れたマシンの技術的なところも、あっと言う間に取り入れられて、こんなに早く進化するとは考えられないですね。」と驚きを隠さない。

ところがラリー後半のエタップ7に困難なデューンがあって、それまで総合で2位争いをしていたモンゴル人のAUTO部門の選手たちはこぞって1時間近いロスをしてしまった。

不思議なことに彼らはタイヤのエアを抜かない。抜けば難なく超えられることを知っているのに誰もなかなか抜こうとしない。誠に不思議な光景を演じる。このエタップのデューンは、手ごわかったろうと思う。エアを抜いて15分で超えるか、抜かずに1時間以上かけるか?そんな闘いの機微などどちらでも良いかのような姿だ。古いパリダカファンならご存知かもしれないが、ボクはそこをひそかに「ネガの谷だ」と考えていた。ボクも何度かモーリタニアのネガの谷を越えたことはあるのだが、なんとなくイメージもそれを一回り小さくしたような感じだ。

ネガの谷、というのは地名なのかどうかは知らない。でもなんとなく「ネガ」と聞くとネガティヴな気持ちでは超えられないぞという意味のように感じた。「何とかする、何とかなる。何とかなら無くても、何とかしてみせる。」そんな気分でネガの谷へ向かうと下(裾野)から上まで大スタックのクルマがもがいている。そんな古い記憶を辿って、ゲルの中でボルドバートルの違反行為の裁定だとか、失格者やリタイア者の最終的な裁定の問題などを、篠塚さんと話し合った。

ボク一人不思議な気分というか邂逅というか、時の移り変わりを楽しんだ。そしてそのデューンを真っ先に超えてきたのは先述の塙選手だった。

2011/08/17 (水曜日)

「ラリーモンゴリア2011、感動をありがとうございました。」

今回はモンゴル、日本、韓国、ロシアの4カ国の参加者で開催されたラリーとなりました。プレエントリーの時点では多くの欧米からの参加打診があったのですが・・・そのためケイタリングチームでは大量!のパン焼き器を導入!朝食に焼きたてのパンをサービスしようと意気盛んだったわけです。

いやでもそれにしてもパンが美味しいのにびっくり。塩味の効いたパンの耳の美味しいこと。

こうしてささやかですが国際ラリーとしてのプリミティブではありますが、少しずつエントラントフレンドリーなスタイルを構築していこうと考えて行動しています。本当なら今大会は10カ国くらいの参加国籍を想定していたのですが。。。

しかし閉会式。まことに微力には過ぎますが、私たちのこうしたラリーが、間違いなく国際交流のほんのささやかでも一助になっていると実感できることは変えがたい喜びです。

この閉会式に初めて政治家や行政関係者を呼ばず純粋に参加者とスタッフのみで行いましたが、こうしたアドベンチャー精神の溢れるこのラリーでこそ紡ぎあえる豊かな友情の輪がありそして確実に広がっていることが政治からの言葉を挟まないゆえのリアルなダイナミズムがそこに存在していました。

そして、みんな「来年も会おう」と口々に、そして硬い握手を交わしながら、それぞれの帰途につきました。

2011/08/07 (日曜日)

FA-coat Rally Mongolia 2011 「スタート・カウントダウン」

ウランバートル郊外、チンギス・ハーン村と呼ばれる12世紀のモンゴル軍の一個師団の軍営を模したキャンプ。ここが2011年のラリーのスタート地点です。

屋根に特徴のある当時の軍団のゲル群と装備が飾られ、世界帝国を築く道のりにあったハーンたちの姿を彷彿とさせます。レストランにあてがわれた大きなゲルのひとつの天井には、ものすごい数のユキヒョウの毛皮が飾られているのに驚かされます。もっとも希少な国際保護動物のひとつです。

今回ラリーは急遽スタート地点をこちらに移しました。美しい丘陵と白樺の森の織り成す国立公園の中です。

さて昨日から登録検査がはじまりモンゴル、韓国、ロシアからの参加者のチェックが進んでいます。今日の夜にはパルクフェルメが実施され総合ブリーフィングが最も大きいゲルにて開かれます。いよいよ明日9時(ウランバートル時間)にスタートします。

特に今年は長く厳しい開催までの道のりでしたが、こうして無事にスタートができますことを支援いただきました皆様に感謝申し上げます。

2011/08/03 (水曜日)

「とにかく快適」

昨日のOVを見て愕然。まるで意識不明の状態で書いたような、書いてないような。そういえば書いた記憶も曖昧で読み返すと「ゾッ」とするような誤字脱字間違いだらけで、今日は名誉挽回のために、時間を見つけてパソコンを広げました。

モンゴルの首都ウランバートル。今回ここにはじめてくる旅行代理店の担当者。飛行機の窓からゴビ砂漠を眺め草原に驚き、初めて訪れる地への興奮に眼を輝かせています。

到着するとトヨタタンドラに乗ってホテルへ、そして銀行で大量の両替と、さまざまな問題の打ち合わせ。
日も暮れかけるころ、ホテルの前にあるウクライナ料理の店へ。そういえばボクはウクライナ料理をよく食べる。日本では食べないけどね。

この店は結構お気に入りで、そういえばカザフスタンのアクトベにあったウクライナ料理やオデッセイのロシア料理を思い出します。

それらの思いは鮮烈で、実は微妙な塩加減まで記憶のファイルに仕舞われていたりします。

料理こそが旅情なのだろうと思います。
そのくせ、きょうあたりから日本料理に行くんでしょうね。

思えばずいぶんとユーラシア大陸を旅してきました。旅を仕事としてる者を除けば類を見ない量じゃなかろうかと思います。

そうしていよいよ今年のラリーモンゴリアも、まもなくスタートします。試走の際は燃料不足で、思うようにルートが伸ばせなかったのですが却ってそれが面白いルートになりました。

どんな大会になるのか、心から楽しみにしています。
熱いドラマも生まれることでしょう。
塙選手にモンゴルのAUTO勢は燃えているそうです。
HINOの進化したカミオンも注目です。
なんかMOTO対AUTOの総合争いも今年の注目のひとつでしょう。

そしてなんといってもジムニークラスの対決。これは目が離せません。きっちり進化した菅原さん尾上さんの2台。

篠塚さんは今回もやってきます。なんとか出場を・・と準備にかかってはいたのですが、マシンがやっぱりね。次は何とかしたいものですが、もうオフィシャルとしての顔になっちゃいましたからねえ・・・

もう枚挙に暇がありませんが、こちらのHPでは大会の模様をいちはやく伝えて参りますのでご期待ください。

2011/08/02 (火曜日)

「ウランバートル便り」

ウランバートルに到着しました。さまざまに困難を伴った2011年のラリーモンゴリアの開催、そういえば第1回大会も1995年ですから阪神淡路大震災の年でした。あの時も開催に向けての悩みぶりを、思い出しました。しかし今回はそれ以上に長引く原発の問題などは、日本人が主催するラリーに対しての少なくない不信感が生まれたのでしょうか?メールにはその一言も書かれていないのが、かえって・・・そして大きな問題のもうひとつは円高。追い風だと思うのは大間違い!物価はそれを読み込んだかのように上昇。

たとえばヘリの燃料費
ボクは
「今年は、ついに楽勝!!」
そんな時にモンゴルからの連絡
「燃料代がないらしい、そしてロシアからの輸送でこれまでにない大幅にアップ!!」
「・・・・・」
なんのことはない円高差益は、まったく効果なく結果支出増は覆いようがありません。

そんなことも手伝って、欧米からの参加予定者はほぼキャンセル。

しかし、そんなこともあんなこともすべてはこの7年の開催経験の中に、たぶんに織り込まれています。困難に立ち向かうのは参加者と同じ。だからゴールの感激と歓びは、これに尽きるというもの。

さあ一足先にラリーの最後の準備に専念することとしましょう。
ではみなさん、爽快快適なウランバートルでお待ちいたしております。