多忙な毎日を過ごしています。その理由のひとつは今週末のショウイベントを担当させていただいているのです。おかげでほかの事をする時間が全く取れないほどで、疲れます。イヤホントニ。四国初展示とかってやっているHP-2・・・そこらの自転車置き場かなんかに泥んこのHP-2を置いていてやろー。ウソ。
さてトップページには「ガストンへ送る最後の手紙」と題した、実はこれはBTM2月号の原稿の英訳版ですが、掲載させていただきました。日本語版はBTMで。そうです、はや1年。もう1年。まさにこの1年は、ポッカリと心に穴が開いたような1年でした。でも不思議なことにBTOUへの海外からの問い合わせが急増中。もちろんカナダがダントツなのですが、フランスやポーランド、ドゥバイなどからも。ガストンにお礼の気持ちで一杯です。ですが主催者として、いかにこうした海外の参加者に便宜を図るか?という大きな課題が残ります。
ユーラシア大陸の東の端には、急激な変化のある国が、ささやかな我が家の日当たりを悪くしている、まさに巨大マンション群のような中国という国が聳え立っています。さらに無数のビルを計画しているらしくて不愉快なことです。いやマンションの話ですって。それが設計の悪いものや、止めればいいのにオーバーデコなもの、九龍城を彷彿とさせるような景観を損ねるような暮らしぶりの住人。悪弊を撒き散らすモラルの低い住人。今にも倒れそうなものまであるのです。とまあ、そんな感じといえば・・・まあ中国と親しく交渉をしなければならない立場の人がこれ以上言うのはよしましょうね。しかしまあ魅力はそうした部分にもあるのですからね。
さてプレゼンテーションの準備やツール作りにも取り掛かっています。BTOUや北海道4デイズ・・・いったいどんな内容で?シリーズ戦や新たに始まるヒストリックの2戦はシリーズだというお話。日本のスタンダードTBIはいかに。いやもうすること多すぎ。
今年のテーマはクオリティの向上!環境品質、運営品質、で三河商人の言葉を借りれば「参加者よし、主催者よし、環境よし」と行きたいところです。ちなみに三河商人は「買い手よし、売り手よし、世間よし」・・・トヨタの真髄かもです。で、その2006のコンセプトワードは「THE
MOST IMPRESSION」それぞれの大会それぞれの現場で記憶に残る素晴らしいシーンを。
きょうの一枚
はじめてのRRMのガストン、1999年夏。長時間のハードライディング、シールドタイプのヘルメットなのだが、メガネの痕の傷がラリーの激しさを物語っていた。こうしたシリアスな表情も時々見せた。
故ガストン・ライエの没後1年を、氏と心の交流のあった友人たちの言葉で偲ぶ
ボクの免許証の入ったケースにはガストンの写真が入っている。それはスガワラサンがBTOU2005のプライズギヴィングセレモニーの時にボクのテーブルに置いたものだった。それまではほかの写真を持っていたのだが、何故だかその日からそのスガワラサンから託された写真に持ち替えた。
以前も書いたと思うけど、その写真はラミネートされていて、優勝者のガントルガが空けたモエ・エ・シャンドンが、シャンパンファイトではないのに結構激しく噴き上げ、その黄金色の雫がガストンの写真の頬にかかった。まるで泣いているように見えたのがおかしかった。
11月ガストンライエミーティングでのこと。こんなことを書いたら笑われるから黙っていたのだけど、富士山の見える美しい朝の朝霧高原。数枚のデジタル写真、ブリーフィングに集うみんなの頭上に、なにか天使の白い羽のようなものが写っている。まあそんなことを言うつもりは無いのだけど「ガストンも来てるよな」とそう思ったら、白馬のホテルのパーティでも・・・そんな不思議な力をも信じたいほどボクは、このことについていまだに受け入れられていないような気がする。
春木さんの好意で2月号のBTMに「ガストンに送る最後の手紙」を書いた。家族のもとへも送った。こんなに大きい喪失感を感じたのは、実は初めてだったということにも気付いた。
山田 徹
昨年のクリスマスイブに我々チームの壮行会が地元ミュルサンヌで行われる事になり、案内状をJP JAUSSAUD(ジャンピェールジョッソー)氏に送ったところ、彼からは病気療養中で来られない旨の手紙が託され、その文末にはSincerelyyours,
I will look the result every days !!!と結んであった。
一昨年末ににガストン氏が全く同じ言葉を私に贈ってくれたのが、最後の言葉になってしまった。2005パリダカではカミオンクラスで総合2位を取ることが出来たので、病床にあってガストン氏も自分の事のように喜んでくれたと思っている。
そんなガストン氏を偲んで、昨年の北京-ウランバートルには、彼の写真を持って参加して一緒になってミスコースだらけだった。今回のパリダカでは室内に氏の写真を貼って参加していたら国際映像を撮るカメラマンが車内でインタビューしたいとの要望があり、質問が(通訳が来ているので日本語ですよ)終わったのでインタビューアにガストン氏の貼ってある写真を見せて(彼を知っていますか?)と聞いたら彼はキョトンとして知らない様子。カメラマンがそれを見て驚いてガストン氏のパリダカでの活躍などを長々と説明して。カメラマンがこの部分を映しても良いかと言って撮っていたのでフランスのTVには映ったかもしれません。
パリダカの英雄が後ろで見ているので今年も真剣に走り、彼のお陰もあって完走できました。彼の写真を持ってまだまだ走りますよ。山田さんよろしく。
追伸
JP JAUSSAUD氏はルノーに乗って1978年のルマン24で総合しました。それまでの6年間はドイツのポルシェをベルギーのイクスが乗って優勝したので、フランス国民が泣いた日と言われています。その後パリダカでは三菱のPX-33や日野レンジャーにも乗っています。
菅原義正
ガストンママの「ガストンの具合はかなり悪く、家族しか面会できないようです」とボクあてに記された小さなメモ用紙を、ふと目にしたのが2月6日のこと。少し黄ばんだメモ用紙が1年の月日を物語ります。
その小さな一枚がいつか誰かの手で捨て去られてしまっても、時に師の如く、時に友の如く、時に父の如く接してくれた、ガストンとの思い出が忘れ去られることはありません。
ルマンより愛をこめて
すがわらてるひと |