Organisation Voice 2009/11 

 

2009/11/30 (月曜日)

「次は名古屋・大阪」

東京の発表会は大盛況。椅子が足りずに時間も立ちっぱなしの方も大勢。本当にありがとうございました。さらに懇親会の熱かったこと。店に入りきらないので道路にビールの空きケースを並べて・・なんかチョモランマ酒場、良い感じでした。料理もおいしくてね。でも店の前で飲んでたぼくたちは隣のキムカツから出前を取ってましたけど。

この余勢を駆って、次は名古屋と大阪。不景気を一時的にも吹き飛ばす豪快な一夜を!!そしてまた砂漠でも続きを、やりたいものです。

「未来は、過去の中にある。」

これは先日講演を伺った。その時の演題は「新たな生命文明の視座−森里海連携、懐かしい過去にある未来」国際日本文化センターの安田教授のお話。ボクは半分裏方だったので、オペレーションブースで聞いていたのですが、面白くなって一般客席で聞いていました。会場の備え付けのプロジェクターは4000ルーメンくらいしかなくて、ぼくたちは予算オーバーになるのを知りつつ10000ルーメン超の大型のものを持ち込んでいました。

教授は世界中の種子の化石を研究して、滅びた文明のそのどれもが森の喪失が原因であるといっています。生態系とエネルギーの枯渇が文明の喪失であるということ。日本人の過去の生活は、森羅万象に神が宿るとして、自然を慈しみ畏れ、共生してきた文化ですから、それが維持できていくのなら未来はあるのですが。

話が変わりますが、今日の一枚にある日本郵船が20年後に就航を計画しているスーパーコンテナシップNYKES2030・・・検索したら中国のサイトばかりでビックリ。今年8月に行われたグッドデザインエキスポで、グットデザイン・フロンティアデザイン賞をとった。

このスケッチを見ていて、「未来は過去にある」という言葉を思い出しました。何か深海の生き物のようでもあり、太陽光と風力、そして燃料電池のハイブリッドで動く?総排水量10万トン、全長352mで8000個のコンテナが積めるそうな。

ボクは「????」8000個のコンテナの積み下ろしを考えると・・・・・一度にそんな大量輸送が20年後もあるのだろうか?デザインは確かに未来的ですがどこか過去を思い出させるものがありはしますが。そしてそのサイトのコピーにビックリします「未来はつかみとるもの」だそう。ヘッドコピーとリードコピーに整合性がないのですが・・・

きょうの一枚

http://www.nyk.com/csr/envi/eco_pdf/nyk_ecoship.pdf

2009/11/27 (金曜日)

「水を考える。」

ボクの会社のほうのコラムのバックナンバー31にも書いていますが「水」の問題。案外深刻です。

IM0(世界気象機関)では、地球に存在する水の量はおよそ14億キロ立米。そのうち97.5%が海水で、淡水はわずかに2.5%。しかしご存知のように淡水の多くは南極、北極に氷として存在していて、その他は0.8%。さらそのほとんどが地下水で、河川、湖沼などの水量はわずか0.01%に過ぎないということです。まあ分母が大きいのだからこの理論による危機のあおり方は、人類の誕生なんて地球の歴史を1年のカレンダーで見たら12月31日の・・・ってあれで、人を驚かせる手法によって組み立てられてはいます。

だからといって「水」は、これからも安定して「湯水のごとく」使えるのかというと確かに疑問です。

そうした中で日本は、食料自給率のトリックに似て、淡水の輸入大国なのだそうです。そう聞くとエビアンやヴォルビックをそんなに輸入してるのか!?と驚きますが、実は輸入穀物など農業生産品に使う水の量も計算しているということです。

日本の降雨量は世界平均の2倍もあるのですから効率よく取水し、循環させれば水資源に困ることのない国だといえます。中国やモンゴルの奥地では水は干上がり、または塩分濃度が高くなった湖や、真っ白になったドライレイクが、それはたくさんあります。

ロプノールひとつで全中国に必要な塩分を数十年供給できるそうです。そしてそのドライレイクこそは21世紀の石油、つまりリチウムペグマタイトの温床であるのです。

ならば日本もかつて塩田で栄えた瀬戸内海沿岸(降雨量が少ない)で再び塩を生産し、海水からリチウムを精製するための施設、まあとりあえずは研究施設を作るのはいかがでしょう!と提案するのです。しかしまあ政治家でも大学教授でもないボクの意見を聞く人は少数で、いつも酒の席の話で終わってしまいます。

でもこれまでそうして提案した多くのことは数年後には顕在化し、必ずそんな風になります。話がそれましたが、水こそは地産地消を考えるのですが、写真のようなポールスミスデザインのボトルのエビアンなら買ってみたいなあ、と思わせます。日本の水ビジネスに完璧に欠如してるのは、こういうところでしょうか。マイレージなどはサービスの差別化のできなくなった故の囲い込みであり、こうしたプロモーションは企業活動の妨げになる!と10年以上から「やせ我慢」してエアラインのマイレージを拒み続けてきたボクです。しかし、差別化できるのならまさにこのボトルをはじめ、エビアンの企業コミュニケーションの技法は、大いに学ばなければならないでしょう。水商売=儲かる。コストが安いものを高く売るためには何が必要なのかは、フランス人がとっくに会得してブランディングという魔法を作り上げてきたのですよ。 

2009/11/26 (木曜日)

「四万十川、絶景なり」

と書きながら、ボクはカメラを忘れていったのに気づき、今日の一枚にUPすることができないではありませんか!!でも今までに見た中でも最高に美しい四万十川、旅人には心に沁みたことでしょう。太平洋を見下ろす林道は諦めて引き返すことになりましたが、6時ころには松山は道後温泉にチェックイン!温泉を楽しんだ後は、夜は例の居酒屋を借り切って、大賑わい。って、大賑わい。

四国の林道を走る、ということは、どうにも不思議な感覚を伴います。かつて空海が開いた88ケ所、龍馬らが脱藩のために駆け抜けたか細いトレイル。歴史や文化が幾層にも降り積もっていて・・・TBIの原風景は、そうした四国に営々と続いて今があるのだなあ、としみじみ。としみじみ。

すぎちやんがTDRを一生懸命に組み立てています。案外と簡単に見えるイベントの立ち上げは、その実とても大変なことです。何人来るかわからないのに、施設などを予約しておかなければなりません。特にGWとか連休に宿泊施設を押さえなければならないのです。旅行代理店は、リスクのあまり、ほとんどやってくれません。自分たちで自分たちを信じて、やるのです。度胸勝負!です。度胸勝負!です。度胸勝負!です。

四万十川周辺の林道を走りながら、これまでの25年間のラリーの現場で起きたことをあれこれと考えました。苦労がいくつもあり、喜びもその苦労の数ほどありました。「ああ、いい人生だなあ。」なんて考えたのでありますよ。ますよ。ますよ。

今、円高のニュース!!がテレビで。毎日の番組はデフレスパイラル、事業仕分け。科学技術予算削減の問題。ちょっと考えられないような冷たく厳しく、実に日本人らしくないことが起きていますね。

そして不穏な経済情勢が日本を覆っています。「恒産なきところに恒心なし」のたとえにあるように、人々の心も千々に乱れています。楽しいことを考えるというのは、こうした時代にこそ求められるものなのですが、つまりぼくたちは時代の寵児!(変換は弔辞とでた。時代の弔辞を読み上げる?)たりえたいと思う。

2009/11/24 (火曜日)

「team APIO がやって来る。」

関東から、四国まで走りにやってきているAPIO軍団。明日はぼくたちが迎撃する。こちらはTBI名物のかの林道に連れて行き、こま地図渡して「じゃ、出口で・・・」そんで夜は松山のとある行きつけの小料理屋を貸し切って大騒ぎ!の予定。参加希望の方は明日の朝9:00に四万十市の某所へ。詳細希望の方は至急メールくださいまし。

「team APIO がやって来る!といえば」

Rally MONGOLIA 2010・・・すでにチームAPIOは3台のマシンがスタンバイOK!だという。もちろんプレエントリーも届いている。そのなかには昨年ランタンルージュの若林さんの名前もある。「いつか再び挑戦を・・・」といってた彼女、しかし今回はジムニーを引っさげて、やってくるのだ。思いの深さが伝わる。ちょっと最近涙もろいボクは、目頭に熱いものが・・・・・。主催者という重い責任を持ってラリーに取り組んでいて、昨今の経済情勢やら、運営の台所やらを見るに苦しいこと辛いばかり・・・と悩んで焦燥しているときに届いた1通のプレエントリーフォーム。どれほど僕に勇気を与えてくれたとお思いですか??エントリーフォームは、まことに誇らしげにチーム名に「チームAPIO」と書いてある。ああ、明日は少しルートを簡単にしとこう。

「さらにAPIO」

たぶん、今度の発表会でチームAPIOは、まだまだジムニーのラリーマシンを供給することができます!同じチームで参加しませんか!と言ってくれるはず。チームAPIOはジムニークラスの創設を願っていますから・・・そして明日は杉ちゃん(TDRの実行委員長)もやってきて、APIOさんへのTDRの協力の要請をあの林道を越えたあたりにある、例のカフェでやるはずです!!太平洋も見えて、素敵な一日になりますように。

「ローカルサミット」

というのがこの連休で松山と宇和島で行われました。レセプションの席でボクに声をかけていただいた方!公務員でしたが・・・「昔2Daysに出てましたよ。クラス優勝したこともあるんですよ!!」と。ずいぶん立派になったウエスト回りは最近バイクには乗っていないことを如実に物語ってはいましたが・・・とても嬉しい心に残る出会いでした。こうしたことがあるから、主催する喜びもあるんですねえ。

でそのローカルサミット、ボクは2日目にアジア連携という、小さなワーキンググループで話し合いをしました。

そしてよせば良いのに「ハブ化は反対!」とにかく混み合ってる巨大空港なんかには行きたくないのであります。松山空港だって結構大きい。これが限界。あの掘っ立て小屋ひとつのアガデスの空港や、モンゴルの田舎の空港がよろしい。いやそれで僕がハブ化に反対といってるのは、考え方のお話。日本全体に100個近くある空港をやれ廃止だ統廃合だと、言うなかれ。ローカルからローカルへリージョナル化の時代なのですぞというお話。つまりなんでも間でも東京の言いなりになっていた時代がだめだったのだといっている口の下から、ハブ化???

2009/11/20 (金曜日)

「坂の上の雲」

もうご存知のスペシャル大河ドラマ。司馬遼太郎が描いた明治の青春群像。テレビでは3年にわたって放送。まず第一回は11月29日夜8時からの90分。そして12月いっぱい毎日曜日の同時刻に5回放送されます。

松山がちょっとブームかな?とお思いでしょうが2010年の大河ドラマは龍馬伝?とか。原作はどなたか知りませんが、まあ四国ものがラッシュするわけで、GWのTBIは今から宿泊地の心配をしなければなりません。そんなこんなでTBI2010はうれしい悲鳴の定員オーバーで、まだまだどんどん届いてるので「・・・・・」

話は戻りますがボクの高校は校門をくぐった右手に、秋山好古の銅像がありました。以前にもこのOVで書きましたが、その銅像のいわれを3年間のうちには、ついぞ先生から教えていただくことはありませんでした。第2体育館という武道場も好古が立てたものですが、やはり先生は何も言いません。

最近ある高校教諭と話をしました。「あんな戦争を賛美するような小説を、行政を挙げて街づくりに使うのはいかがか?しかも司馬は、これを映画化してはならないと遺してる。」とそのように、反対する左よりな話も聞こえてきます。「まあいいではないですか、エンターテイメントだと思えば・・・」

こうした歴史小説は史実に基づいて書いてはいるでしょうが、別に本人にインタビューしてきたわけでも、目撃したわけでもありません。そこには作者の想い、たとえばこのような男だったのではないだろうか?このような人物であってほしい。と祈りにも似た姿が映し出されているはず。

坂本龍馬に関してはそれが顕著です。あまりよく知らないので間違ってたら関係諸氏にはお詫びいたしますが、司馬の「竜馬がゆく」が出されるまでは、坂本龍馬は知られた人物ではなかったと聞いています。そして毀誉褒貶も少なくなかったと。もちろんボクも龍馬は好きです。その龍馬とは司馬の心の中にある龍馬で、願わくば実物も好漢であったろうと祈るばかりです。ただし「いろは丸」事件あたりは・・・あれで良いのなら・・・。

さてそのTBI。ちょっと「坂の上の雲」と「龍馬」をテーマにしようかな、と画策中です。そうそう龍馬脱藩の道、なんてのもたくさん走りましたね。

2009/11/19 (水曜日)

「いやいや」

今週はこのHP始まって以来、というか日本にいるのにこれだけ更新を怠ったことはありません。毎日様子を見に来ていただいた皆様には、ご心配をおかけしました。心よりお詫び申し上げます。

明日は北京から帰ってきたウラルやらマシンをピックアップします。長旅の汚れも疲れもすべてが愛おしいマシンたち。明日が楽しみです。

そんななかで、尾上さんは自走で神奈川まで。相変わらずタフなおじさんですね。ぼくもFJを横浜まで走らせる予定!

ところでぼくは今週はもうへとへと。カフカの不条理な世界に踏み込んでるようで、さまざまにご心配をいただいている皆様には、まもなく公式に発表します!!

でもまあ来週は尾上さんたちとツーリング、そしてその週末は東京の発表会へ!!2次会はチョモランマです!?

サーバートラブルで、東京発表会へご参加の皆様のリストが不完全なものになってしまいましたので、ご案内が完璧ではありませんが、すごい顔ぶれが揃いそうなので是非お越しくださいませ。

2009/11/17 (火曜日)

「ちょい、トラブル!?」

日曜日の夜あたりから、どうもサーバーがトラブルを起こしてたようで、いまだ十分復旧はできていません。ボクにメールをいただいてる皆さん。ごめんなさい。返事どころか目も通せていないのであります。これをご覧になって「なんで返事がないんだ!」とご立腹のあなたぜひお電話ください。この後数日で復旧する見込みです。なんだか最近はパソコンに使われているようです。

ところで今朝の冷え込みときたら。事務所に置かれたダルマストーブは全開!薪がたりません。本当に環境問題はこれでいいんだね?!カーボンオフセットって。

さて来週は東京からAPIOのご一行様が、四国を走りにこられるようでちょっとアテンド。例のあの場所をご案内するとしましょう。あの場所というのはTBIの勝敗を決する、あのムフフフな場所。前田にしても40分かかる例の場所さ。ああそれから太平洋を見下ろすあの林道。でも彼らはなんたってジムニー軍団だから問題はないか!?あのカフェにもご案内しよう・・・お休みかもだけど。

その後は東京に向けて出発いたします!!でもまだ天津から帰ってきたマシンが税関に・・・

きょうの一枚

http://plaza.rakuten.co.jp/apioblog/

アピオの河野社長のブログ!もうご存知ですよね?

2009/11/13 (金曜日)



「小林さんがやってきた。」

先のモンゴルで負傷した小林さんが遊びにきました。忘れもしないこの夏の思い出!!2本のSSのあったETAP-4、バヤンホンゴルの町から南に伸びるピストで転倒!!直ちにバヤンホンゴルの病院でレントゲン、そして両足にギブス・・・「へぇえ、もーよくなったの?」驚きの回復力です。だっていまは事務所の表でつるはし持って土方作業?のマコチャンを手伝っていました。

お土産に持ってきたマカロン食べながら
「いやあ、来年はゾーモットですか?いいな、行きたいなあ」
「・・・・・」

きっとバイクに乗れるのはまだまだ先のことでしょうに、こうした思いに支えられ、背中を押されてここまで15年ものモンゴルラリーをやってきたのだなあ・・としみじみ。まあそんなこんな、あの時の話で盛り上がりました。篠塚さんのカミオンに乗せられてビバークへ、ヘリと車を乗り継いでウランバートルの病院へ。

そこからの展開が「聞くも涙、語るも涙」の物語でしたが、いまとなってはそれも笑い話。「いやあ、それにしてもネックブレスの効果は大きい!」のだそうです。皆さんもゆめゆめお忘れなき用に!

ところで昨日は天皇即位20周年!うちの会社も20周年。そういえば、あの頃でしたねえ。皇后陛下は「健康な社会、長寿社会を目指してきたのに、いまは高齢化が悪いことのみで語られるのが残念だ」と語りボクもおもわず「ホントウダ」とシミジミ。天皇陛下は、現状の国民の苦しい窮状を語り「昨日は悪天候で、明日のことを心配していたのに、今日はいい天気だ。」と、奥の深い暗喩にとんだ表現に、ボクは感激したり。

天皇制がどうのと、プラカードを掲げて行進している人の群れもテレビでは流れていましたが・・・・・

きょうの一枚

モンゴルのサイトに3分ばかりの画像をUPしています。ぜひご覧くださいな。2枚目は小林さん。

 
2009/11/12 (木曜日)

「雑誌、なのに座右の1冊」

雑誌が売れてないそうですね。情報というものとの向き合い方が大きく変わったからでしょうか?インターネットで検索して、知りたかった情報を得る。なんてのが普通になってしまって、今では図書館も行かない、毎日通っていた本屋へも月に1度も行けば多い方だ。

そんなボクの座右の1冊がある。雑誌だけど。それも2005年「 PEN 」10月号。特集のタイトルは・・・「古い機械の手ざわりを、なぜ男たちは愛するのか?〜イタリアの小さな車、小さなバイク」表紙のデザインも秀逸でページをめくるたびに(それが広告であっても)驚きと垂涎と歓びがある。特に「モトジロデイタリア」は、秀逸の極み。まあなんと宝石のようなきらめき。

さてさて、自動車・バイクもですが苦境に立たされて来ています。特に今回の騒音規制はわれわれも歓迎といえば歓迎なのですが・・・純正マフラーは外れなくなりそうだし、製造年が古かろうとダメなわけで・・まあこの話はこれからあちらこちらでかまびすしくなるでしょうから・・・でも夜中の緊急自動車のサイレンもうるさいですよね・・・ああこれは言っちゃいけないか・・・電気自動車やハイブリッドカーは「静かで危ない」ので、音をつける?(変な日本語だ・・・)ことも法制化されるそうな。

「音」と言うのは、あいも変わらずに不思議なものです。

きょうの一枚

そのPEN 2005年10月号、表紙


2009/11/11 (水曜日)

「ゾーモットへ行こう!」

最近の合言葉です。ボクのモンゴルのお気に入りの土地は、第1位ゾーモットと恐竜の谷。もう10年も前の10月。逸見太郎さん(故逸見正孝さんのご長男)と菅原さんとフジテレビのロケで行きました。出演者はまあボクタチ3人。ストーリーは、琥珀を探す旅に行くというもの。ジユラシックパークでは、琥珀のなかに封じ込められた蚊が吸った恐竜の血からDNAを取り出して、クローン恐竜を作るというもの。琥珀はなかなか見つかりません。

チベットではあちこちで虫入りの琥珀を売っていたのですが・・・どれを見てもにせものっぽい!のであります。そのあとマンモス再生のプログラムを見たのですが、シベリアのタイガの氷の下から出てきた冷凍マンモスのDNAで、現存のアフリカゾウに組みこんでいくとか?精子を見つけて何世代かで、マンモスを作るとか・・・どーなったですかね、あのプロジェクト。

話が逸れすぎましたな。第2位はどこか?それはハルヌール、オリアスタイのデューンの南にある川沿いの美しい草のベッド。

3位 スガワラ峠
4位 夕暮れのヒャルガスヌール
5位 ウブスの東のデューンの中にある川。
6位 ホンゴル砂丘
7位 オルホン川南岸の山の稜線の道

なんてぼんやりと考えていました。いやこれでいいんだろうか?とかね。どの土地も、天候や時刻によって全く違う姿を見せます。

おお、そうだ。昔ヤルーカントリークラブと呼んでいた場所も素晴らしかったなあ。砂丘と川と森が織り成す景観が、今でも忘れられません。

でもあそこは本部隊のトラックが、砂からの脱出が大変だったか・・・

きょうの一枚

完成!ダルマストーブ。火が入っていますよ。


2009/11/10 (火曜日)

「ダルマストーブ設置完了」

昨晩は久しぶりに事務所のテラスで「鍋」を囲んで、大いに盛り上がりました。ボクの指先に巻いていたバンドエイドも鍋のだしになっていて、みんな「おいしい!おいしい!」の連発。ボクはそれと気づいたときから食べるのを止めましたが・・・来客の皆さまは大阪、広島、高知の面々。オフィシャルスタッフもいれば、パートナーショップも。2Fでは徹夜組のデザインチームが2名。おそらく不思議な光景が広がっていたことでしょう。

さてそんななかで、某大工さんはもくもくと煉瓦積み作業中。「左官じゃないけん!」といいながらもなかなかの出来・・・そうです懸案のダルマストーブの設置。今日は煙突工事を朝からやっているので、今夜には試運転(まさに暖機運転)が出来そうです。最初は低温で2から3時間燃やすのですよ。

さあ、こうしてまだ暖かいのに冬の準備をするボクって。

そうそう昨日は、ベルリンの壁崩壊20年の記念日。あの忌まわしい壁の存在もはるか20世紀の歴史の彼方なのでしょうか・・・まだ近くには2つに分断された国があって、いまだ20世紀の古いパラダイムの中で逼塞しています。しかしそうだとしても、なにかこう21世紀の新しいイデオロギーの萌芽が見えてきませんねえ。若干あるのが環境主義?原理主義のような気配が濃厚です。環境ファショにならないようにね。

きょうの一枚

日本映画「サイドウェイズ」2004年にヒットしたアメリカ映画のリメイク版。

サブタイトルに惹かれます。
「寄り道してこなかった大人たちへ」
へっ、ボクのことだ!と思ったあなた!間違いです。ボクのことです。まるで寄り道ばかりして歩んできたように(人からは見える)ボク・・・実は「寄り道なんてただの一度もしたことが無いんです。シミジミ」

ストーリーはこう

キャリアも私生活も今ひとつな中年2人が1週間のドライブ旅行に出かけることから話が始まります。


2009/11/09 (月曜日)

「冒険心は、いまだ健在なり。」

先週末は、とても口にできないほどのハードな日々で、こちらのOVを数日間のお休みを頂きました。「倒れたのか?」とご心配を頂いた皆さま!倒れかけてますが、倒れてませんよ!!もう直ぐ倒れますけどね・・・

そうそうチョモランマの記事はBACK OFF誌12月号に掲載されていますので、ぜひご覧下さいませ!!みんな高度障害!?気味の顔ですが、それでも心意気は・・

カシュガルで、とある日本人に出会いました。その方が東京の発表会にこられます。カシュガルには敦煌から、ご覧(今日の一枚)の自転車の一人旅。

メールから拝察するに、近々ラリーへの参加も視野に入れて活動中のサラリーマン!お子さんも何人か・・・

メール一部

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「2月6日のマカオ国際マラソンに次女と参加する約束をしています。といっても7キロのミニマラソンですが、毎日平均で20キロ以上走っています。
1月9日フロリダディズニーランドハーフマラソン
1月10日同フルマラソンに出場します。

来年は3回の遠征でイスタンブールまで走ります。
4月中国、カシュガル〜ウズベキスタン、ブハラ
9月〜グルジア、バトゥーミ
12月〜トルコ、イスタンブール
その他にトレーニングとして山岳マラソンに参加

2011年5月〜ベネチア〜シャモニー
8月ウルトラトレイルデュモンブラン(フランス、スイス、イタリアを回る
 166キロの山岳マラソン制限時間46時間、最高標高4800M)に参加  [HP]

  

2015年5月ベネチア〜ローマ、シルクロードのラストランは・・・」

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ちょっとすごくないですか?
しかもウルトラトレイルデュモンブラン・・・先日NHKで見ました。
オンデマンド放送もしていますから探してみてください。予告編はこちら [HP]

次の競技はこのようなスタイルになるのかもですね。石鎚山系で3日間、120kmのトレイルレースをやる?る?

しかしそれにしてもタフな人たちが居るモンです。

2009/11/04 (水曜日)

「ダルマストーブを買った。」

寒くなったので、明るい暖房計画を立てなければならない。そこで、事務所移転の時から懸案の「薪ストーブ」を買うことにした。ベルギー製のドブレあたりがなかなか宜しい。よろしいのではありますが、どーもオシャレ過ぎる。クラシックなモデルも、もちろんモダンなヤツなんかはもってのほか。

「うーん」とオークションを眺めていると
「ああ、これだ、ボクの探していたやつは・・・」
と、ダルマストーブをすかさず手に入れることにしました。

届いてから組み立てるまで、エントツ工事やら、床壁の耐熱工事など進捗具合はまた折を見てここに書くことにします。

暖かな火が燃える、なんとも滑稽なダルマストーブ。きっとオシャレな薪ストーブよりも、みんなに可愛がられることでしょうね。

ところで、チョモランマからの帰国の貨物が松山に到着。税関検査待ちの状態になりました。天津から日本、なんてのは実に目と鼻の先なのですから「えっ。もう着いたの?」ではありません「遅いくらい!」なのです。こうした国際物流は、もっと「早く安く」なるべきなのですが、いかんせん日本の港湾関係の諸掛りはなにがなにやら分からなく不透明で高く、何年やっていても理解が出来ません。はるか外洋を渡ってくる船賃と、クレーンでコンテナを上げ下ろしする費用が同じだったり、どこに払うのか港湾チャージとかってのも、航空機の着陸料より高いのは何故でしょうか?

自動車メーカーなどは、海外に自動車を輸出するのに極限までコストダウンをしていて、ボクタチが1台運ぶのに比べ、おそらく30分の1以下の金額で輸送しているはずです。

モンゴルのラリーも、ご他聞にもれず最大のネックは輸送費。昨年は北京五輪で、金額どころではない!として頑張って輸送したのですが、当時のアジアの好況もあってコンテナが無い!ということで購入!!そのコストも馬鹿にならないものでした。帰れば自動的に売却?!ってレンタルと同じジャン。3ヶ月間で金額は1/4になるのであります。なんてこと。

さて最近、声高に聞こえる空港や港湾のハブ化!そんなものを進める前に、もっと大きく改革しなければならない点が山のようにあります。でも将来リージョナル・ターミナル(・・・ボクが作った)なんてコンセプトが台頭して、混乱するハブよりも空いていて快適な地方への分散化って方向にでも変われば、たくさんある日本の空港や港湾は、「ああ!これでよかったんだ。」なんてことにならなくも無いと思うのです。マーケティング的にも集中の後は分散がはじまり、分散のあとには集中がはじまるということですから。

まあ実は、なににおいても集中には、常に大きな弊害があります。ハブ化なんて悪いことの方が多いはず?!空港利用者数が多いのが良い=黒字化、ってボクは幻想だと思うけどな。人の多い空港には行きたくないもん。

さてその集中か?分散か?と考えているところにニュース。今日トヨタは都内で2010以降のF1から撤退するという発表をするそうです。というかこのOVがUPされるころには発表済みのことでしよう。9月末から微妙な発言が続いていましたし、周辺の関係筋からは「当然のこと」として早くから「F1も止めることだし、その予算をどーのこーの・・・」なんて発言もあって、ボクはそのつど「???」と首を傾げていたものです。

ブラジルとアブダビで大活躍して、来年のシートが確定!と言われていた小林可夢偉(23)・・・彼の将来にはちょっと期待していたのですが、このあとどこかのチームへの就職活動は厳しそうですね。・・・これは余談でした。

でもこれは経営資源をどこかに有効に使おう=集中化、なのかF1にばかり集中しすぎた資源を、分散してあまねく広く使おう!というものなのか?すでにホンダは9月期に黒字化を達成しているから、早々のF1離脱も経営にはプラスだったと見るべきかもしれませんが、それはそれで「どうなのか?」という問題も。とまれ日本の自動車メーカーは世界に冠たるものだったのですが、世界のモータースポーツシーンからは見事に撤退していきました。

さあて2010年、ボクタチは元気良く!!頑張っていこうと思います。

2009/11/02 (月曜日)

「設立20周年。」

寒くなりました。そうそう、昨日11月1日はSSER ORGANISATIONのお邪魔している?グローブコンペティションという会社の創立20周年!でした。1989年11月1日11時11分(あー、たぶん時間はいい加減ですが)第12回パリ・アルジェ・ダカールにランクル60プロトとプレスカーランクル60を船積みして、その直後に会社設立の登記をしたものです。燃えるものがあった時代です。ワタクシ34歳。2度目のパリ・ダカールへ身も心も万全の状態。

当時(いまもありますが)グローブという名前の会社があって、ボクはその代表をしていました。そこから分離独立したカタチにして、名前の後ろに「コンペティション」とくっつけました。

もちろんSSER ORGANISATIONは25周年記念大会を終えましたから、グローブコンペティションより少しばかり歴史が古いわけです。

この年のパリ・ダカールは、僕たちの方向性をさらに色濃いものにします。プロトタイプのディーゼルという、今では急激に主流になるような、でも当時はマニアックなカテゴリーに居ると云うのが愉快でなりませんでした。総合20位くらいで最後の2日を迎えました。キファからタンバクンダの道は、一昨年に出場した時にとにかく深いフェシュフェシの道だったと記憶していて、燃料が心配になって急遽スタート前の集落で少しの軽油を手に入れました。しかしピストは全体的にしまったバオバブの中の道、燃料は極めて粗悪なものでクランクメタルを損傷してしまいました。

データを単純な記憶に頼ったこと、どこかで手に入れるような安易な考えで燃料を確保したこと、そんなことが悔やまれて悔やまれて、仕方がありませんでした。

そうあれから20年。とにかくたくさんの旅をしてきました。あの時の苦い経験が、いつまでもひりひりするような記憶で脳裏にこびりついて離れません。それ以降は特に、リスクマネジメントを強く意識し、自分たちの主催するラリーであれ、受託してプロデュースするさまざまなシーンでも、確実に「高いリスク」と対峙してきました。

このような、変わった仕事を主業として活動をしてきた20年、いや実際は25年なのですが、充実した感覚となにか、まだ足りないような気持ちと、そういうさまざまなものに支配されて来ていたといえます。

さあ、まだ旅も道なかばあたり。

そろそろ若い力(TDRとかね)の台頭があって、新しい楽しみもまた見出されるというものです。

そうそう、今日は中島さんが松山にやってきます。禁酒中なのですがその禁を絶って、松山の美味しいお魚でも食べに行く20周年記念の夜としましょうか。

近々20周年大祝賀パーティー!をやる予定にしています、事務所で。