Organisation Voice 2006/12

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2006/12/29 (金曜日)
2006年最後のOVとなりました。本来オーガナイザーの「ぼやき」を書き綴ろうと思ったのですが・・・振り返ってみますと、このサイトができてもう7年と2ヶ月が経ちました。ちょうど故ガストン・ライエさんをはじめて招いたミーティングの直前からスタートしたのでした。今思うに、このOVは自分にとっても貴重な資料になりました。その時ボクはどう考えたか、どう行動したか。「おお、日記をつけるとはこういうことだったのか」と思います。でも時には「こんなことを書くのはよくない」とか恣意的な部分も少しだけあって、公表するということの難しさもいろいろ考えさせられたものです。

この7年間は、こうしたネット社会がもたらす部分も大いに手伝って、実に愉快で、でも苦痛と苦悩にも満ちていて、人生の中でも有意義な時間だったと感じています。

さて、あとわずかとなった2006年。皆様はいかがでしたか?ボクはまさにアチコチを飛び回った1年でした。しかもその果実は2年後3年後にと繋げる長い道のりの始まりを感じさせます。

特にラリーといういまや前近代的になろうとするスポーツの未来、自動車の未来、環境と人間の未来・・・ほんの少しアジアを広く知ろうとするほどに、驚愕を覚えるほどの未来への不安が横たわっています。

2007年、ぼくたちはラリーなどを通じてしか大きなメッセージを発することはできないかもしれませんが、皆さんとさまざまに語らい、次世代が健康的な時代になるように進んで生きたいと思います。SSERオフィシャルスタッフの強化合宿?が明日からあるそうですので、行ってきます。

きょうの一枚
「ボクのMVアグスタとサハラローズ」
世界で一番大きいサハラローズ、その時価は計り知れません。だってバイクより大きいんですもの。でもこのバイクも時価は相当なものです。アルチェロ・マーニさんもこのころはここのレース活動を・・・でボクのこのマシンはアゴスチーニが乗っていたもの。ああ、マイク・ヘイルウッドやジョン・サーティース・・・今のMVアグスタ社はこの時代のアグスタ社とは別物なのだ。なんか文句ある?!


2006/12/28 (木曜日)
「Peking to Paris大陸横断ラリーin1907」が届いた。よく見ると発刊日は2006年12月20日となっているから、まさに発刊ホヤホヤ・・・発行はマール社・・・デザインなどをなりわいとするわれわれは「ムム聞いたことあるな!」という出版社。しかし何故にこのタイミングで・・・・・表紙周りの帯に書かれている言葉を・・・「人類の歴史を変えた幻のラリー」「1907年、自動車の限界に挑む世界初のラリーが行われた!」

「ガソリン自動車が誕生して20年、フランスの新聞ル・マタン紙が、北京からパリまで走るという前代未聞の長距離ラリーを企画した。エントリーした車は3輪・4輪、会わせて5台。時は折しも鉄道ブーム。輸送手段のほとんどが馬車から鉄道に変わり、使われなくなった道は自然の中に飲み込まれている。橋は朽ち、道は沼と化した。果たしてゴールはできるのか!そして勝つのは誰だ!」

「毎朝、出発のとき、われわれは力がみなぎるのを感じる。なぜなら、前日のつらい記憶をすでに失っているからだ。忘却と希望こそがわれわれの力なのだ。このラリーは、人生と全く良く似ている。」ボク「・・・・・」

優勝・・・イターラ 62日間
完走・・・スパイカー、ド・ディオン・ブートン 2台
リタイア・・・コンタル(ゴビ砂漠にて)運転手は瀕死の状態で救出されたものの、クルマは現在もゴビ砂漠に眠っていると言われている。
ボク「ムムムムム・・・」

ルートも分かるし、リタイアの位置も分かる。そういえば第一次世界大戦時代やノモンハンのころの残骸も草原や砂漠には残っているのだ。さあ、コンタルを探しにいこうか!?

きょうの一枚
事務所の玄関ホールの内照式の写真パネル(正確に言うとカラーコルトン)のフィルムを数年越しの念願かなって変更。新年を迎える準備OK!モデルは任意に写真を選んだのですがなんと尾島さんが2枚!と負傷して現在リハビリに励む西村さん。OVは明日もお届けする予定ですが、いろいろあった2006年もあとわずか。2007年は良い年でありますように。西村さんも2007年はオフィシャルの一員として復帰するのが目標!!みんなでガンバリマショウ!


2006/12/27 (水曜日)
そういえば2040年には夏の北極海の氷がすべて融ける!そうですね。(まだみんな生きているよ)ことほどさように地球温暖化は深刻度を深めています。で大きな問題はそれらによる海流の変化だそうです。北極海の氷が融ければ地球の大循環である海流がストップするといわれています。南極の氷がすべて融けると(もち氷河やグリーンランド氷床などもね)海水面は確実に70m上昇するそうです。まあ南極の氷がすべて融けるのにはもう少し時間が掛かるでしょうけど。日本で70m海水面が上昇したらどれほどの家屋が水没するのか?そしてどれほどの耕作面積を失うのか?今度うちのスーパーコンピューターで計算してみます。あっいやスーパーで買ってきたパソコンのことです。恐ろしい数字が出てくることでしょうね。いまから30年ローンで家を建てるなら標高100m以上のところが良いでしょうね、ってそんな話かい!

でも海流がストップすると全球凍結に向かうという話もあって・・・すると標高の高いところに住むより・・・ってまだそんな話かい!!?いずれにしてもこれほどの環境変化は人類の制御の速度を超えていることでしょう。すでにデイ・アフター・トゥモロウばかりか多くの科学者が警鐘を鳴らし続けています。食糧の生産は穀物野菜を問わず激減!!最近はその海流の変化からなのでしょうか?エルニーニョだとかラニーニャだとかで気候が大きく変動します。昨晩関東を襲った記録的な豪雨も、こうしたことに起因しているような気がしてなりません。どんどん暖かくなる地球。逆に全球凍結なんて恐ろしいお話もあって、非常にバランスのギリギリのところに人類は、いや生物は生を営んでいるんだなあ、と愛おしくさえ感じます。

さて2007年に向けて年末年始の特集はこうした環境問題が多くなっていることでしょう。良いお年を。ってまだ書くと思うけど。

きょうの一枚
2006年のオフィシャルウエア・・・「印象に残る1年でありますように」と願いをこめたメッセージ。2007年は、どんなテーマで行きますかね!?


2006/12/26 (火曜日)
みんなダカールに出かけちゃいました。ほぼ最終組の池町君も今日のエアでフランスへ。今回も空前の規模となったダカール。このラリーはいったい、どうなっていくのでしょうか。この答えは下段の記述を参照に。さて三橋選手はゼッケン340、池町選手はゼッケン344、結構お近くです。同世代の二人は数奇な運命の道のりを歩みます。ダカールではMOTOで好成績を獲得。二人ともモンゴルでは総合優勝を遂げています。そして4輪へ転向するや、ニッサン。そして池町はトヨタへ移籍、そして今回はついに念願の?ミツビシへ。三橋は今年からトヨタ。そのことだけを聞けばまるで二人とも順調な道を歩んでるかのように見えますが、なかなかどうして苦難の道、茨の道を歩んでいるのです。自ら常にそういう道を選んでいるのでしょうか?ぼくたちも古くは、この季節はパリにいて、ちょうど近くのスーパー「モノプリ」で毎日買出しをしては自炊の日々を送っていました。で、最近の話題ではそのスーパー「モノプリ」が急成長中!だそうです。そしてその経営コンセプトはやはり「エコ」でした。

日経デザインにはこんな記事がありました。『「On fait quoi pour vous aujourd'hui?」(今日はいかがいたしましょうか?)フランスのスーパーマーケット「モノプリ」の広告はこんな御用聞きのような簡単明瞭なメッセージで身近なスーパーであることを消費者に印象付ける。(中略)商品やストアデザインのコンセプトから運営に至るまで1990年代初頭からサスティナビリティ(持続可能性)に力を注いできた。』・・・と書き始めたのですが中身が濃いけど長くなるのでやめ。で2005年上半期には売り上げを64%アップさせたとも・・・僕がよく使う言葉サスティナビリティ・・・それはいまや世界の標語のようなものであります。地球温暖化、まもなく訪れる食糧危機、いずれにしても地球上では、多くの問題が「それはサスティナビリティか否か?」を問われているように思います。日本の企業がよく言う「持続可能な成長」というのは実は幻想で間違った言葉です。持続するということは持続する可能性の低いものに対して用いられる考え方です。

まあ極論を唱えれば「継続は力なり」、ということは継続させるのには力が必要で、その力は必ず衰えるということではありますまいか。世界は大きなひとつの原理で動いているような気がします。それは「諸行無常」つまり持続可能なものなどはありえないと、古よりそう伝えられてる普遍の原理です。

だからといって決して持続を否定しているということではなく、むしろゆえに続けることが大切で貴重で意義のあることだと考えるのです。長くダカールを戦い続ける男たちに魅力を感じるのは、ひとつはその部分かもしれません。得体の知れない定理への挑戦はまた見えざる敵との戦いのようなものでしょうか。

きょうの一枚
北京にて。実はこれ民族博物館から町並みを見たものです。高いもの、大きいものは権力と富の象徴。世界普遍の原理ですが、はて。


2006/12/25 (月曜日)
メリークリスマス!!

良い天気で、朝の光は燦燦「こりゃー、今日も1日、暑くなりそうだねえ」なんて言い出しかねないほどの強い日差し。高知ではハイビスカスの花が咲いているという勢い。温暖化というからなにか柔らかな響きがあるのですが、もう止められない一線を越えているような感じがします。

さて、2006年も残り少し。この12月にとある本が発刊されました。それは「大陸横断ラリーin 1907 北京〜パリ限界を超えた1万マイル ルイジ・バルツィーニ/著 樋口あやこ/訳 」早速注文しましたがな。なんとこんな本が新刊で出るとはねえ?!早々に読んで報告いたします。でもまあ何度かこのOVに書きましたが、来る2007年は1907年の北京−パリから数えること100年。パリ−モスクワ−北京から15年。世界の自動車冒険旅行が競技という形態を整えた100周年のアニバーサリーイヤー!!(パチパチパチ)なのであります。僕はこの100周年を祝いたい!!100周年記念BTOU!!だし、100周年記念SSERアクティビティ!!とすることを宣言!!冒険ラリー100年の記念品を作って売ろう!(と、すぐそんな姑息なことを考える!!)

さて100年ほど歴史をさかのぼる1901年、スェン・ヘディン探検隊は砂漠に消えた古代都市「楼蘭」を発見し、さまよえる湖「ロプノール」を発見します。ちょっと年号が不確かですが・・・ロプノールはちょうどゴアテックスの上の水滴のように地表をうろうろしていたのでした。その時の冒険の本を試走に持っていったきり紛失・・・読みかけだったのになあ。そして次第にタリム盆地やタクラマカンあたりの様子が明らかになっていきます。ボクはというとグーグルアースで今日もモンゴルを、そして西域を探検中!!さあ、年末大接近中!!ボクの世界地図は増えるばかりだ。

きょうの一枚
その注文した本です。


2006/12/22 (金曜日)
BTOUのお話を少し。

11年目の開催となった2007年は、既報のとおり西に向かいます。西へ向かうと、モンゴルの大地は時間の流れに乗って進むことを実感する広さです。たとえば日に日に日没が遅くなります。おそらくホブドまでいくと午後11時まで明るいはずです。これで地球を実感することになります。時間の方向に走る!!つまり地球の自転の速度で走れば時間は止まるのだろうか・・・などといつも考えるのは決まって西に向かう旅でこそだ。

そんな時間旅行の2007年は、どんな顔ぶれ・どんなマシンが集まるのでしょうか?タノシミタノシミ・・・で、どーも菅原さんは「ライノからフルカバーボディに変えるよ、何だと思う?」と、さて?? 古くからRRM時代の参加者もあれば前回のワンツー池町、池田、春木編集長たちの参戦表明。もちガントルガや、ロシア人チームも。

YOUTUBEに出るや、早速ヨーロッパのTVが取材の申し入れがあったり!と、ここに来て忙しくなり始めたSSERのオフィス。来年の暑い夏に早くも思いをはせながら、モンゴルの地図はもうマーカーでマッカ!?になってきています。

さて週末。メリークリスマス。皆さんにも素敵なクリスマスプレゼントがありますように。

きょうの一枚
TBI2006から。四万十川の沈下橋。それにしても結構大きい流木が橋脚に引っかかってるではありませんか?四万十川、今も豊かなこの川は四国のシンボルでもありTBIのシンボル、なんかこの河原をビバークに出来ないかね?


2006/12/21 (木曜日)
ダカール。アフリカ大陸の西の果てにちょこっと突き出した半島。沖合は、大西洋ですが、日本の遠洋漁業もここまでやってきて操業していますがな!カナリア海流という寒流と赤道海流がぶつかる好漁場なのです。

話がそれました。でそこは、たぶんアフリカ大陸の最西端にしてセネガル共和国の首都。古くから奴隷の積出港として栄えた忌まわしい過去を持ちます。もちろんフランスが旧宗主国ですから、言葉はフランス語が通じます。というか公用語に近いものです。緯度はというとたぶん北緯17度くらいですか?赤道と北回帰線の間、つまり熱帯です。で、1979年からはじまったパリダカールというラリーのおかげで?一躍有名になった町です。

このダカール、つまり地名ですが、何故にこうも胸を掻き立てるものがあるのか?いまだに不思議です。そのラリー、よく出来た物語のようでもあり実にいい加減な落書きのようでもあります。またしっかりと考えつくされているかのようでもあり、行き当たりばったりのようでもあります。巨大なマネーが動いて、誰かが潤っているようでもあり、その実大変に困っているようにも見えます。

しかしひとたび競技者としてそこを目指すには、誰にも負けないほどの闘争心を抱き続けるモチベーションの持続が必要です。あきらめることは簡単なことです。あきらめない、ということは大きな犠牲が必要です。12月21日にもなって、まだ現地にも行かずに出場のために最後の努力を続けている男がいます。

この2007の大会を自身10年に一度のチャンスと狙っているのです。こうした無意味なとも思える挑戦が、ラリーを、または夢を実現してきたのではないかと思います。道のりははるかなようで、時間はわずかです。夢と冒険に命を燃やすためには、人生はあまりにも短いのかもしれません。

きょうの一枚
蒼き狼の試写会のパンフ・・・・人生は短いのか?しかしこれほどまでに語り継がれた男もいまい!というほどのチンギスハーン。で、ロゴはどーしたんだろう?


2006/12/20 (水曜日)
昨晩は東京で「蒼き狼」の完成試写会に行ってきました。角川作品の「男たちの大和」に続く超大作。原作は森村誠一の「地果て海尽きるまで」チンギスハーン役は反町隆史・・・なんてのは皆さんご存知。上映は来年3月3日からの予定です。で、どうだったか?「・・・・・」ボクは評論家でもないし、答えるのはいかがかと思いますよって、映画を観てください。

でも少し書くと。空気が今のモンゴルの気がするんです。もちろん今のモンゴルで撮ったものであるのですが・・・また今も昔もモンゴルの大地は変わっていない!!のではあるのですが・・・・・なんかボクには違和感が。チンギスハーン役反町の演技はなかなかのものなのですが・・・どうにも一人芝居を観ているようで。ただテーマが、父子、女、などと交差させていて、伝えたいメッセージは感じます。

でボクはチンギスハーンと符号を同じくする部分があってですね・・・チンギスハーンは1155年生まれでボクは1955年生まれ。今年はチンギスハーンが51歳でハーンの位について800年。つまり1206年-2006年なんですね。ついでに書けば、自動車の黎明期1906年には北京−巴里自動車競走があって、来年は100年。なんと過去の2007年に自分の手で・・・と考えていたのは不遜な思い上がりだということが。しかしモンゴル、そして将来の中国西域への探求の思いは、まさに「地果て海尽きるまで」の思いはいや増すばかりです。

きょうの一枚
今日も菅原さんからのメール・・・フランスの古城のオーナーが自分の敷地にあるオフロードコースにティエリーサビーネの名前が・・・その名前が城主の名前なのか故ティエリーなのかは菅原さんの文面からは読み取れませんでした。


2006/12/19 (火曜日)
訂正がありました。BTOUにはじめてご参加の方はTBI07にご招待!!というHPの記載。「あれ、これって、RRMも含んで初めての方じゃなかったっけ??」「・・・ううー、もう遅い!」という訳で、なんとBTOUに初めての方なら、RRMの常連参加者も招待してしまう!という太っ腹!!ぶりな今日のSSER・・・ボクは東京に向かう機上の人だけどね。

さて、昨日少しリークしたチームBMW Japan・・・2007/1末よりG650Xのマシン改造がスタートします。その様子は各種メディアやもちこのHPでも取り上げていくことになりました。(業務連絡)BTMさんもよろしく・・・マシンの仕上がり状況を見てTBIまたスペアマシンでA-TEC Cross Country Hokkaido 4daysにテストライドされる見込み。タノシミだね。雪辱に燃えるガンちゃん660・・・KTM勢に勝てるマシンとなるのか!?

明日の夜のOVは東京クリスマス直前レポート・・・なんてするかな?あと札幌・東京・大阪・・・でプレゼンテーションを予定!!名古屋の皆さん!今度は東京か大阪でお目にかかりましょうぞ。(すいませんスケジュールが合わなくて)

きょうの一枚
菅原さんからメール!!ルマンの近くにある彼らのガレージから、臨場感あふれる作業風景!が届きました。それにしても驚くばかりのスポンサーの数!!もち来年北海道4デイズの冠!「A-TEC」のロゴも!!またあの周辺の市街地でのSSや学校敷地内の専用コースでのモタード?もあるかもですよ!!


2006/12/18 (月曜日)
土曜日の早朝、ブッフェの朝食はクロワッサンやチーズが旨いし、だいいち居心地が良い。行き届いたデザインのレストランはフランス系のホテルだからか、ガラス越しに見える風景もまるでモンパルナスあたりのように見える。ここは北京だ。厚手の黒のカシミアのコート、手にするたびに気持ちの良い皮のグローブ、モンゴルで買ったカシミアのマフラーで装備して、ホテルの回転ドアを押し出すとものすごい風。氷点下5度に強風は体感温度を一気に押し下げる。

王府井に向かうと強烈な追い風で、歩く速度は加速。時間が早いのでまだ朝の準備の煙いの立つ胡同(フートン=路地)に迷い込んでみたり、パン屋を覗いたりしながら、天安門の近くまでやってきた。「寒い!」のだが少し薄く背中に汗を感じた。まだ改札の始まらない故宮に着いた。8時30分からだ。券売に並び40元で入場券を買う。1時間あまりかけて収蔵品などを見た。乾隆帝時代の壷や磁器、清朝の最も花やかなりし時代のものが多い。この故宮というのは明と清の時代の王宮で1420年に造営され、清の溥儀が退位する1911年まで約500年間も王宮となり続けたのだ。

高い城壁が張り巡らされ、総面積は72万u22万坪!!だ。天安門から入って北の門を出るころには、顔も凍傷寸前!景山公園の前でTAXIに乗ってホテル!大急ぎでバスタブに湯を張って、ダブンと入れば手足はまるで氷が解けるように・・・はるか500年の旅から帰ってきたような錯覚。やっぱ中国は大きい。無駄に広い。と思っていたら、空港までの田畑はもうすでに無くなった。ビルが林立し、5分間走る間に建築中のビルは100個ばかり数えられるほど。

きょうの一枚
BMW G650X・・・いよいよBTOUでも BMW vs KTM の闘いの構図が・・・BTOU2007にはBMWのミニ?セミ?ワークスチームが出場予定。マシンはこのG650X・・・夏までにどのくらい完成させられるのか?興味津々!!ライダーなどメンバーの発表などは、2月から3月ころに開催予定の「SSER PRESENTATION 2007」にて!たぶんプレスリリースがあるかもです。雪辱に燃えるガントルガ&マエダッチ勢のKTMにこのマシンは果たして通用するのか?!てなことがタノシミに追加。


2006/12/15 (金曜日)
北京2日目の夜。冬の北京は2年ぶりか。夏は暑いのに冬は寒い。そういう意味では損をしている。フビライは夏には北の避暑地を夏の都と呼んで、3ヶ月あまりは暮らしていたらしい。ザナドウという都。仕事はともかく、中国では考えることが多い。

そうそう北京に来る途中の新聞でウイニーの判決を見た。検察側の懲役1年の求刑は通らなかったのだが、罰金150万円の有罪判決。それならコピー機開発した人も有罪にならなければおかしい。知的所有権を考えるのはこの混沌とした北京では難しい。ビル丸ごとコピー商品のデパートは、何のことは無い日本人や西欧の観光客も多い。日本も中国の文化を持って帰って真似ている!と中国人は言う。そうだ唐や隋の都西安には、空海をはじめ多くの日本人が学んだのだ。学ぶ教える、真似る真似されるは繰り返されるのかもしれない。

きょうの一枚
BTOUコーナーでは新しくphotograph collectionと題しまして、秘蔵映像・画像をBGMと共にご覧頂ける企画をスタートさせました。定期的内容も追加しますのでお楽しみに。TBI版ももうすぐ掲載。
BTOUサイト>>


2006/12/14 (木曜日)
BEIJINGに居ます。古くマルコ・ポーロはこの都までやってきて元の皇帝フビライハーンに17年にもわたって仕えます。豪華絢爛たるこの都に驚いたと書いていることよりも、タクラマカンを越えるくだりのあたりのほうが興味深い。

「夜になって、この砂漠を横断していた。仲間たちから遅れをとってしまって必死で追いつこうとすると、霊が仲間のような声で話しかけてくる。旅人はこうしてあらぬ方角に連れて行かれて命を落とすことも多いという」

いま敦煌のその周辺は、観光客で押すな押すなの大騒ぎらしい。250mもの高さを誇るこの地の大砂丘も、近くにある莫高窟や月牙泉もラリーで訪れることは無理なのだろうか。BTOU次の10年の課題は、このあたりなのだが問題のほうが多いのだ。

きょうの一枚
中国と言えば「京劇」。清代から北京に伝わる伝統的な劇です。色鮮やかな衣装と胡弓や銅鑼の音が、目と耳を刺激します。


2006/12/13 (水曜日)
「出張の谷間」

日曜日から北海道に出かけていました。んでもって明日からは北京で、今日は出張の谷間!!ということであります。北海道は本格的な冬に突入していました。相変わらずアイスバーンを疾走するクルマたちに「フライングフィンだね・・・」そうフィンランド人はラリードライバーもエンデューロライダーも大挙して輩出する土地柄。緩やかに波打ったアイスバーンの道をたくみに駆け抜けてく・・・そんな姿を連想しつつ、こうした大地が鍛えるのでありますな、きっと。と、芦別の温泉に向かうのでありました。

北海道4デイズは、メルマガに少しリークしましたが、おなか満腹大作戦!!で行こうかと考えております。「Hard but Gourmet」なコンセプト。ビバークにはワインとかチーズとか・・・もうとんでもなく楽しくおいしい企画がスタートしています。

んでもって北京。ボクのライフワーク・・・生涯の目標。がんばって来ます!!

きょうの一枚
チームスガワラのルマン郊外にあるガレージ・・・グーグルアースではなくて空撮です。ちょうど真ん中辺りにある大きなガレージが作業場。手前の駐車スペースに4台くらい車が停まっています。その左の建物が住居兼オフィス・・・ラリーのスタート前になるとたくさんの人が寝泊りしているですよ・・・まさにパリダカ合宿所。ルマンのころには日本人のルマン出場チームが借りていたりするそうですが、最近はルマンのほうも日本人参加チームはどうなっているのか?


2006/12/08 (金曜日)
菅原さんたちは、昨日フランスへ旅立ちました。もう当たり前のことのようにダカールへ、飽くなき闘いを続けています。まさに「魂の挑戦」といったところです。こんなこと書くなと怒られるかもしれませんが、近年は、ゴール後あの高い運転席から降りるのも、しばらくしてからじゃないと降りられないほど疲労困憊です。まるでドライバーをサポートするデバイスが満載で、さぞや快適なドライビングをしているだろう!と思っている人も少なく無いでしょうが・・・・・。

80年代後半、ガストンライエが、ゴール後両脇を抱えられてバイクを降りているところを見たことがありました。1000kmを超えるタマンラセットへの道のり。そして指を一本一本メカさんに広げてもらっていた・・・まあ菅原さんの姿にそれがダブります。

近年カミオン部門の闘いは熾烈の一途です。もちろんラリーのクイックアシスタンスのカミオンも走るのですが、昔と違ってアシスタンスカミオンは別のルートを走っているので、まあ競技を走る90台のカミオンのレーシングクォリティはイヤーバイイヤーに高まっているのです。

菅原さんの生き様、それはまるで投げ出したくなるほどのライバルたちの進化。いやになるほどの日本国内の理解度の低さ。しかし、それらもこれらもひっくるめて、つまるところ「挑戦の人生」なんだろうと思います。

池町佳生も今年は挑戦します。いや今まで挑戦してなかったわけではないのですが・・・何に挑戦するのかというと、答えは「自身に」でしょう!?自らの人生のリスクをかけて挑む、といえば大げさですが・・・ただひたすら、上昇志向を持って生きる生き様には、ただただ脱帽するのみです。さて、ボクはフランスからのメールなどを頼りに、彼らの近況や戦いぶりを!今年も「こたつ・・・レポート」していく予定です!!

きょうの一枚
リドのカーニバル!!じゃなかったパリの名門キャバレー「LIDO」ちょっと華やかさが足りないので・・・ヤマハの50周年のパーティの模様!!


2006/12/07 (木曜日)
今日は一転して冷たい雨の1日。なかなか寒いです。今ちょうど来年の輸入車ショウの仕事に取り掛かっています。モチ地方のイベントなんですけど・・・で輸入車についてアアデモナイコオデモナイという話をしていたです。

Yahooの自動車アンケート!の企画にボクと池町クンが登場してます。

メインページ

http://autos.yahoo.co.jp/docs/special/award2006/index.html
http://autos.yahoo.co.jp/docs/special/award2006/100comments/index.html

ぜひ、見て、笑ってください。写真送れ!と言うんで、テキトーな写真送ったら・・・これがヌフトホテルのブリーフィング中のバカチョンデジカメ!!池町君なんかスタジオでライティングされたやつ・・・ようし!ぼくもスタジオで撮影してくるぞ!!

で、そのアンケート・・・好きなクルマも100車種くらいから選ぶので、その中にはボクの答えはゼロ!なのでしたが・・・まあかろうじて収めてみました。というか締切日過ぎてなに書いたか覚えてなかった。バイクでもやれば面白いのに。

おお、そういえば昨年のBTOUをガンガン走っていたあるライダー・・・1200GS-ADVを今にも買いそうな勢いでお目にかかりました。

「ADVで遠くへ行きたい!大陸を走りたい」
「やめときやめとき」
「???自分もHPでADVが良いって書いていたでしょ」
「違う!あれはカタログが良いって書いていただけなの」
「あっ、本当は自分も欲しいんだ!?(これは第三者の発言)それで人が買う!とかいうと、そんなことを言うんだ。もう、ひねくれてるんだから・・・」
「・・・・・」

欲しいバイクってのは、こうしてたくさんありますね。

きょうの一枚
菅原さんたちのルマン郊外にあるガレージには、空輸されたゲルが建っていてなにか不思議な空気を醸している。あの中でストーブを焚いてぐっすり寝れば、また元気が湧いてくる。チンギスハーンの時代いやもっと古くからの大陸の知恵だ。


2006/12/06 (水曜日)
「イタリアの誘惑・その2」

暖かな小春日和の日差しが窓いっぱい。オフィスの植木鉢も気持ちよさそう。オフィスにはなんとモンテッサと80G/Sがディスプレイ(しているつもりじゃないけど、鎮座)実はコピーの前に置かれていてジャマっケ!?だったのを昨日移動したのさ。デスクからはG/Sが最も美しく見えるボクの一番好きなアングル。製造年月日的には、ちょうど20歳のマシンだ。いい年のとり方ができているか?そこに置いてあったイタリア製のソファは、部屋から出て行ってしまって、奥の編集室?に移動。久万高原町の友人の作業場で見つけて譲ってもらった丸太の寝椅子・というかベンチと空間を作り出している。

その友人の木工所に、ボクがデザインするから家具を作ってネットで販売しよう!と言って「やろうやろう!」となってもう3年くらいになるけど、これもまた手付かず。相変わらず久万高原は林業が衰退の一途、二次加工品が出来ないままだ。いや、そんなことを書こうと思ったわけじゃない。イタリア家具の話を書こうと思っていたのに前置きが長くなった。

やっぱり服と家具はイタリアのんが良い。僕がまだ24か5の若造だったころ、ジョルジュ・アルマーニのオートクチュールのスーツを手にして驚いた。「世界にはこんな服があるのか?」と、彼は確か当時メンズなんてやってなかった。75年にアルマーニは自社ブランドをスタートさせたのだからその直後のことだ。それ以来ボクはイタリアン??街ではイタカジなんて言ってマリテ・フランソワ・ジルボーなんかが日本でも流行りはじめた。最近では、古くからボクの愛用の英国のベルスタッフも、イタリアンデザインに変貌して結構なプレミアムブランドになってきた。

オフロードバイクに乗る傍ら、ドカやマーニを乗り継いできたボクは、やっぱイタリアンレッドが好きで、自身のデザインも赤と黒の組み合わせは相当に多い。で、いろんな人に「お前は日本人じゃないね。イタリアンだ」とよく言われた。また前置きが長くなったので本文は割愛。要は愛でるのならイタリアンが良くて実用にはドイツが良いんだ!ということが書きたかったのに・・・・・どこから眺めても手触りも含めてすばらしいイタリアンデザイン。哲学的で複雑な表情のドイツプロダクツ・・・じゃあ日本はどうなのか?ということ。建築家はここんとこジャポネーゼががんばっているね。わけわからない変なOVでした。

きょうの一枚
3年前に久万で手に入れたベンチ。大洲の街角でイベント中にこれでよくお昼寝しました。


2006/12/05 (火曜日)
「イタリアンな誘惑」
最近のこと、バイク雑誌でDUCATIのHYPER MOTARDっていうの?あれを見かけて、ふーんドカティがねえ!?と、最近はボクのHP2も17インチで軟弱極まりないけど・・・実はこれが結構楽しい・・・というか歩くモノマガジン(某ジャーナリストが名付けた)なボクの気分はイタリアンにマッシグラ!!

では、とドカのHPに行ってみるとDUCATIはアルファロメオがリンクしてあって、あの世界限定500台の8C Competizione が2200万で「完売しました!」と嫌味タップリ?(ひがみかもしれない)に書いている。

気を取り直してドカのページに戻って、うろうろしているとアパレルのページは、「なに!?メーカーのページのクセに、ここでネットショッピング出来ちゃうんだ?」70年代のドカのりだったボクは、クラシックなドカのロゴの美しいヴィンテージな趣のレザージャケットを思わず買い物かごに入れそう!!になっちゃう。バイクも無いのにね。

そこで気がついた、各バイクメーカーはアパレルに力を入れている。以前はバイク買い替えまでの間の店頭のセールスアップかと思っていた?でもどうやらそうではなくて、いやそれもあるけど、「ブランド囲い込み」作戦なんだ・・・ウエアが完璧にあるブランドならバイクのブランドスイッチはしにくい!のではないだろうか。

で、ドカもKTMでもアパレルはイタリアンデザインで、イタリア製だ。BMWはドイツデザインのドイツ製。ここに微妙な世界観の違いが出る。かつて(って70年代初頭だけど)BMWからもデロルト(イタリア製ね)のキャブをつけたマシンが唯一リリースされて世界的なヒットになったじゃんか!イタリアよね。

で、ドイツが好きなボクはワーグナーの愛好家でもあるの(最近だけど)でも、ふっと聞いたフィリッパ・ジョルダーノ・・・1999年ミレニアムにローマ法王の前で15万人の大観衆の前でアヴェ・マリアを歌った・・・ローマ法王の死後は活動が出来ないくらい落ち込んでいたらしくて、最近の活動後の・・・とまあそんな話はともかく、やっぱイタリアなんだな。最近。で気がついた。「日独伊三国同盟だ!」不思議かも。

きょうの一枚
フィリッパ・ジョルダーノのデビュー?アルバム。ハバネラがすばらしい。


2006/12/04 (月曜日)
なかなか寒くなりました。北の大地の方はいかがお過ごしですか?うちも今朝、この冬の初暖房が入りました。でもうっかり間違えて冷房のまま「やけに寒いねえ」と。ここらの気候は最近はどうもほどほど、というのが無いといえば無いのですね。

12月といえば、ダカールの季節。もちろんラリー自体は1月なのですが、ぼくたちも何年もの間、12月のパリで過ごしたものでした。12月のパリと聞けば、ボクにはこの上も無く懐かしく、胸が熱くなるほどのものがあります。パリダカ、あっいやいまはダカールね。

多くの者がこのラリーゆえに悩み、時に打ちのめされ、時に立ちすくむ。ホントウにこのダカールってやつは、不思議なまでの人生模様を描いてくれます。それは何故なのだろうか?と、一時はよく考えたものです。これほどまでに多くの者を魅入る、その正体はいったい何なのだろうか?とも。

ボクがはじめて出たのは1988年。ちょうどアリ・バタネンのマシンが盗まれて、ユハ・カンクネンが優勝した年。マルコム・スミスも確かレンジローバーで走っていて3位だか「すごいなあ」と思ったものでした。丸目のキャメルレンジローバー・・・カッコ良かったなあ!年が違っていたらゴメン!!極めつけはダフトラックのヤン・デ・ルーイのダフ、ツインターボのモンスターマシン。80年代のテクノロジーの限界?!でこのラリーで、ダフの2号車の事故で撤退。

そしてここのところ復活!なのですが昨年はなんと車検落ち!普通ならもうちょっと厳しいかなって思うところ・・・今年はごらんの(今日の一枚)体制。メーカーはダフからジナフに替わったそうなのですが・・・で、デルーイさんというのは確か?運送会社の社長!!で、こんな調子。まるで佐○急便の社長がダカールに出る!とでもなれば、こんな体制が組めるのでしょうかねえ。

きょうの一枚
そんなこんなで、ダフじゃなかったデルーイチーム2007の体制!!いくらかかってんだい。


2006/12/01 (金曜日)
たくさんの宿題をもってムッホは本日ウランバートルに向けて帰国!!しました。皆さんによろしくとのこと、この誌面?を借てご報告いたします。ウランバートルはここのところ急激な寒波に見舞われています。そしてそのあと数日遅れで日本にも寒波がやってくる!のです。この数年間のウランバートルとの冬のやり取りで、この仕組みがわかりました。まあ考えてみたらそらそうだわね。気象なんてのは世界規模で動いてるんだものね。で、今年は4年ぶりのエルニ−ニョで暖冬・少雪らしいですね。でも今日は各地で雪降っているようですね。この前まで夏だったのに、もう冬。ということはすぐにまた夏??が巡ってきますね。

ところでBTOU2007インフォメーション資料・・・届いていますか?早い方はすでに「今日写真貼って、エントリー用紙送りましたよ!」だそうです。西に向かうプロジェクト、ロジスティクスにかかる高負荷を跳ね除けて、完璧なでもどこかエクスプローなラリーを実現しましょう。また参加者にかかる負荷も大きく、ゆえに困難さは増しますが、到達感・達成感は充実したものになることをお約束いたします。

きょうの一枚
池町選手が九州である全日本ラリーの道中で立ち寄りました。なんとワークスのスバルで・・・ダカールも近いというのに・・・。