Organisation Voice 2011/04

 

 


2011/04/28 (木曜日)

「リーダーとはなにか」

いよいよTBI。大阪は河内長野にあるプラザ阪下では、明日のプロローグランのくい打ちが始まっています。

コースをどのようにするか、というささやかなことでも面白い現象が表れます。

そのささやかなプロジェクトの中にも必ずリーダーが生まれるのです。そもそも事前に周到に計画していても大勢で作業をしてるうちに「こうすれば良い」「ここはこのように変更したらどうか」と言い出す人は出てきます。

「おー、そうかいじゃあそうしてくれ!」

と言ってしまえば、最初に計画した人は「???」となります。アレンジにはコンセプトが必要ですからね。

じゃあ「だめ、それでは問題が起きるでしょ。当初の予定通りやるの!」と断じてしまえば、実も蓋もありません。

ここでささやかではありますが覇権争いが生じます。

コンセプトの違いを論じてる暇は無く、即座に答えを出さなければなりません。

このようなクローズドコースは、設営するものの意図や意識が大きく反映されて、つまり味付けによっては面白くなったり面白くなくなったりしてしまいます。

ここはリーダーの腕のみせどころ、ということになります。

つまるところ、ことに当たらなければリーダーの資質は見えてこないというところでしょう。

いま日本は未曾有の大災害に見舞われています。まさにリーダーのリーダーたるリーダーシップが求められていますが、いかがでしょうか。

大変残念なことにわが国の政治はリーダーを生み育てるシステムは無かったようです。議院内閣制も良く機能しないのでしょう。野には人材は沢山います。しかしその登用される人材は三顧の礼を持って迎えられるようなことではありません。

肝いりだったり政敵に変じないことを条件に付されてるような、誠に頼りないような人が用いられているのをみるにつけ、やはりその頂点にあるリーダーの資質のあまりにものレベルの低さに愕然とします。

まあなんとしても、良き日本をもう一度という思いが募ります。

2011/04/27 (水曜日)

 

「旅とはなんぞ」

そもそも旅に出る、つまり人が動くと文化も風俗も連綿として広がり言語も伝わります。人と人が出会い血の繋がりも出来てしいます。日本に文化や言葉を伝えたのは人間ですが、行為は「旅」ですね。ね。

古来からより良い安住の地を求めて人類は「旅をする」というDNAが刻み込まれていると思います。

ゆえに「旅に出ます。」

現代の旅はDNAが求める、血の仮想体験かもしれません。それを理由に旅先で変なことばかりするのはだめですよ!

時おりしもツールドブルーアイランドのスタート直前。これも2000kmの「旅」で、これまで約5万キロの道のりを旅してきました。感慨もひとしおですね。

ウイキペディアで「旅」とは何かを見てみました。

「広義では、人が徒歩もしくは何かしらの交通手段を用いて移動すること全般を言う。狭義では、観光地や行楽地などへの観光(宿泊を含む場合が多い)のための移動を表し、買い物、通勤や出張などのための移動とは区別される。一般的に 「旅行」と言う場合は、狭義の旅行を指す場合がほとんどであるが、JRの旅客営業規則のような約款における用語としての「旅行」は広義の旅行を指す。を指す。を指す。

語源

「たび(旅)」の語源は不明であるが、その意味上の共通性やアクセントの面か ら、「とぶ(飛)」との関係が疑われている。回数を表わす助数詞「たび(度)」は「たび(旅)」が転じたものという。なお、柳田国男によれば、旅の原型は租 庸調を納めに行く道のりのことである。食料や寝床は毎日その場で調達しなければならないものであり、道沿いの民家に交易を求める(物乞いをする)際に、 「給べ(たべ)」(「給ふ〔たまう〕」の謙譲語)といっていたことが語源であると考えられると柳田は述べている[1]。旅の枕詞は「草枕」である。枕」である。枕」である。

目的

旅行には、通常は目的地がある。その目的地に行って、観光を楽しむ。また、そ の移動過程を楽しんだり、移動中にも観光などを行なうこともある。特殊な例では移動そのものが目的の場合もある。   以下略」

この文の中で「ムムム」と思った箇所がありませんか?目的の最後の段に

「特殊な例では移動そのものが目的の場合もある。」

というところ。

つまりこれを特殊な例と語るところがおかしいのであって、いつまでも目的地に着くことが目的と思うところに「旅」の悲しさが付きまとうのではないかと思い ます。す。す。

帰りついた自宅が一番良いので

「あーあ、やっぱりウチが一番!」

と、長い海外旅行から帰りついた人が異口同音に漏らす、アレを思い出してください。ウチが一番なら旅に出る必要は無いのじゃないか?というとこれは別の議 論ではありますが。が。が。

つまり旅は、古くからは新しい安住の地を求める行為だったところがあります。今の安住を越える、もっと生活に適した食物が充分手に入る、そんな場所。

そう考えると旅は道中も含めて目的地は「新しい自宅」またはそれが見つからなければ「これまでの自宅」だということが分かります。

自宅に帰り着くまで、どのような道のりで経路で道中を楽しむか!?ということが何よりも大切な「旅」だとボクはそう思っています。

間違っても旅先に新しい自宅を見つけないようにしてくださいね、みなさん。


2011/04/25 (月曜日)

「TBI ウィーク、はじまった。」

いよいよ今日からTBIウィークだ。

風も緑も、空も海も川も、全てが光り輝いている季節だ。今年ははじめて四国以外の土地をグランドスタートとした。夜のフェリーに乗るまでの道のりは、ちょっと往年のパリダカの気分だ。

ベルサイユからセッテとかマルセイユに行った。1000kmのみちのり、まあ今回は170kmばかりだけど、変化に富んでいて面白い。大阪→奈良→和歌山→大阪かな?予定していたダートは、どれも通行できなかったけど、それより不思議で謎めいた道ばかりだ。ボクは好奇心をそそられっ放し。

それにしても今年がいろいろあった。過去にないほどの大勢の方の出場取り止めを受け付ける心境は複雑だった。それでもやはりTBIは今年もその4半世紀に及ぶ歴史を積み重ねることをためらわない。素晴らしい1週間をお約束する。

きょうの一枚

TBI名物は川を渡す鯉のぼり。今回はミニカミオンバレイが登場する。そのクルマにも鯉のぼりがはためいている。

2011/04/22 (金曜日)

「大人の賭け」

菅原義正VS尾上茂の温泉旅館を貸しきるという罰ゲーム?のついたモンゴルの勝負もなかなかのものだが、こんな賭けもある。

「ヴァージン会長の罰ゲームフライト、5月1日決行スッチーのコスプレでおもてなし」Yahoo Newsより

ヴァージンのリチャード・ブランソン会長がスチュワーデスのコスプレをする罰ゲームフライトが、5月1日(日)に実施される。これは、昨年に行われた賭けにブランソンが負けたために決まったもの。ヴァージンを率いるブランソンと、チーム・ロータス(当時はロータス・レーシング)のチーム代表トニー・フェルナンデスは、ともに航空会社を運営している。そのため、2010年の最終的なチームランキングで下位だった方は、相手の航空会社のフライトにスチュワーデスのコスプレをしながら乗務するという賭けが行われた。ロータスが2010年のランキングで10位になったのに対し、ヴァージンは12位。これにより、フェルナンデスが経営するエアアジアで、ブランソンがスチュワーデスになることが決まった。ブランソンがスキーで負傷したため、この罰ゲームフライトは遅れていたものの、5月1日に実施されることが決まった。フェルナンデスの言葉を借りると、「彼はフライトの間じゅう勤務しなければならない。給仕をすれば、掃除もする。トイレ掃除も免れない」ようだ。罰ゲームフライトを楽しみにしているフェルナンデスはさらに、次のように笑顔で語った。私の師とも言える人物が、エアアジアでフライトアテンダントになるなんて誰が想像できた? カミソリは用意した。彼の毛むくじゃらのすねをそるのが楽しみだよ」

というお話だが、実はボクは知っていることがある。というかフェルナンデスは知らないのだろうか?ブランソンは女装なんて大好きなのである。大好きなことが堂々と出来てメディアもしっかり集まってあまりにもプラス効果が多い。罰ゲームどころか広報戦略にしか見えない。和文英文で検索すると出てくる出てくる・・・何万ものブログで書かれていて。。。ああボクもまんまと・・・

いやそうだとしても「大人の賭け」というのはこうでなくちゃいかんとボクは思う。さて、8月の賭けの行方は楽しみではあるね。それにモンゴルの日本人のAUTO部門の参加者数は過去最多!!!半分がジムニーというのも面白いのだが・・・

きょうの一枚

日産リーフのレーシングマシン。なるほど。


2011/04/121 (木曜日)

「必死のパッチの、TBI試走。昨晩終了。」

TBIの試走・・・何とか昨晩遅くに終了。印刷には何とか間に合った。

ところが一昨日、オフィシャルカーのパジェロ、スタートと共に高速に乗るやエンジンが回らない!!すわコンピューターだろうと、バッテリーターミナルをはずし例によってエラーのログをクリア下のですが、全くカイゼンせず。

「うーん、燃料かなあ?」

そんなこんなで4時間の道のりを8時間もかかってクタクタで大阪到着。翌朝はスタートしてまもなくのホームセンターでポリタンを買って燃料を全部抜いて新しい燃料でリフレッシュ。これで!!直らなければ今回はコマ地図が印刷に間に合わない!という非常事態が起きる!!

んで案の定症状は改善される気配は皆無。坂道ではもみじマークの軽トラに、すごいスピード差で追い抜かれ、そうではないところでは長い渋滞の先頭という悲しい現実。
それでもなんとか試走は完成。必死で高速道を帰ってきた。

「よく捕まらなかったねえ?」
「なんで」
「最低速度制限があるでしょ。」
「じゃあ渋滞のときは、あれ全員捕まるの?」
と相変らず減らず口のボクでした。

きょうの一枚

高野山奥の院、高野山では時間をたっぷりと。それを見越したタイミング設定をしています。とにかく1日目は、昔のパリダカのヨーロッパステージそのもの。奥の院の参道、この灯篭にある三日月のモチーフはSSERのきっとどこかに。


2011/04/18 (月曜日)

「はじまりましたね、あの闘い」

桜も盛りを過ぎるころ、ラリーモンゴリアの華?の盛りは、菅原義正VS尾上茂のジムニー対決。

このふたり同じチームなのだが、とにかく凄まじい戦いぶり。口撃合戦は、とにかく面白い。心配しあいながら悪口を言う。良きライバルの姿とはこういうものだと思う。ゴールして相手がなかなかゴールしないとなると、最初のうちはニヤリとしていたものも、だんだん時間が経つと心配でたまらなくなるのだ。ライバルを失いたくはないのだ。そういう意味でこの2年は互いに存分に戦えなかった。昨年は尾上さんがトラブルで大きく遅れたし、その前の年は菅原さんがトラブルを起こした。しかしそのトラブルは二人共に共通なものだという点も面白いが、あれで完走に持ち込む二人の底力にも感服である。

いまは準備段階の闘い、つまりスペックが同じマシンをいかに有利に仕上げるか、なのであるが、とにかく虚虚実実の駆け引きが面白い。まあ結局のところ秘密とか作戦とかいいながらとにかく楽しんでおられる。

改造の様子は本日UPの「菅原さんの手紙」と尾上さんの ブログ をご参照されたい。

おふたかたとも今回は一層の軽量化に腐心をされている様子。菅原さんはついにリアハッチを幌に。尾上さんはボンネットをカーボンに。何せ二人の戦いは負けると温泉旅館を貸しきって回りのものをみんな呼んで大盤振る舞いをしなければならないという苛酷なもの。

昨年は七沢温泉で尾上さんにご馳走になった。小林多喜二ゆかりの老舗で、感銘も深かった。すでに菅原さんは「今年も尾上さんの驕りだ!」と意気盛ん。尾上さんも「絶対負けない!」と。今年のモンゴルではFUTURE特別編「おとなげない人たち」とおいう30分番組を作ろうかなあ。

いずれにしてもこのおふたり、そうは言いながらもラリーモンゴリアを何とか盛り上げたい!という思いでボクはことさらに胸が熱くなる思いだ。完璧な状態のマシンで最後までデッドヒートの戦いを期待!!

この模様は伝え続けていくことにしようと思う。

きょうの一枚

菅原さんはボンネットにエアインテイクを設けてエンジンルーム内の冷却を図った。さらにナビもドライバーのパワーアップに大きく寄与している・・・オッ。みるとドアミラーも空力向上。尾上さんはカーボンボンネットで軽量化を進めた市、ナビは石原孝仁!!とまあ強力でボクは戦前の予想が全くつかなくなった。まあ勝負の女神がどちらに微笑んでも、ボクには温泉旅館はついてくるしね。



2011/04/14 (木曜日)

「さあ、TBIだ。」

ボクたちの原風景である四国のTBI、つまりラリーの現場がボクタチの棲家である。例年より大きく遅れた試走が佳境に入っている。山々は美しい季節を迎えた。
山桜のその存在の美しさは誠に見事だ。毎年書いているような気がするのだが

もろともに あはれと思へ 山桜
    花よりほかに 知る人もなし

ボクの解釈は、普通の現代語訳とは違うかもしれないが、互いに「あはれ」と思うこの感情は、なんとも訳しがたいものだが山桜は花をつけたときにのみその存在が分かる。このことを「あはれ」と感じ、もろともに、つまり互いにその存在の不遇さを囲っているのではあるまいかと感じる。つまり「世が世なら・・・」みたいな気分があるのかもしれないと思う。世の中にこういう気分の人も少なくないだろうと思う。批判的な物言いをする人はどちらかというとそうだ。だから最初にこの歌を読んだときは、とっさにそう思ったが、いやいやもっと深い。

山々の桜が終わり、ヤマツツジが咲き始めるころにTBIははじまる。高知の川は全て太平洋に注ぐがその渓谷筋に咲く藤の花の色も見事だ。必ず人の手の届かないところに咲いているのもあはれであると思う。その沢筋を時折やってくる参加者の乗るオフロードバイクを眺めているのが好きだ。ラリーが素晴らしいと思えるもの。

そんなこの季節の色の変化ほど美しいものもまたあるまいと思う。川の淵のみどり、海の蒼、山の若いみどり、栗の花の淡雪色。そう昨日良く肥えて可愛いニホンカモシカの幼獣がボクタチの目の前にゆっくりと現れた。まるでなにかの使いのように。

その毛色の美しさ。
思わずカオルサンと目を見合わせた。
茶色でもなくベージュというのでもなく。

モンゴルではこういった色をホンゴル色といい、もっとも高貴な色だと言う。ホンゴル砂丘もその色に近いのでそう呼ばれる。馬もホンゴル色が上等とされる。振舞われる馬乳酒もどこかホンゴル色をしている。少し話が変わってしまったが、つまるところ花よりほかにも知るものも居て(カモシカとかね)案外と神様は見ていた「かも」ですね。

きょうの一枚

ボクは写真が撮れなかったのでネット上で拝借。

学名はJapanese serow 90度の崖をゆっくりと降りて対岸からこちらをじっと見つめていた。今度は熊と遭おうとカオルサンと約束した。


2011/04/13 (水曜日)

「反論の無い意見は保留する・・・2」

数日前にも書いたこのタイトル。ドラッカーの言葉だ。

書くまい書くまい、と常に揺れ動く「東電」福島第一原発の事故とそのニュース。しかしボクはプルサーマルの仕事に関係したことがあるので、やっぱり書く。そのときに感じたのだが、反原発の学者や活動家も多くそれにその論もいちいち頷けた。ヒステリックな女性活動かもいたりはするが、物静かな反対論者もいた。今回の報道も国の原子力政策そのものも、全て推進派だけで行ってきたように思う。つまり内部では反対のない意見ばかりで進めて来たに違いあるまい。

いや原発が良いか悪いか書きたいのではないが「そら見たことか」という反原発論者もメディアに登場させてこそ面白い。なぜ広瀬隆をださない?!

日本はこの20年間というもの、カイゼンという言葉まで世界標準にするほどトヨタ方式で徹底的な無駄を排除してきた。「絞りきった雑巾をさらに絞る」と揶揄される。しかし、絞りきった雑巾をさらに絞るためのエネルギーは無駄ではないのか?とは誰も問わない。これも節約原理主義である。絞りきった雑巾では汚れは落ちないことを知らないのかもしれない。ホコリは取れるけどね。

モノには「遊び」が必要だと思う。遊びとはそうブレーキを踏んで効きはじめるまでとか。飛び石の周りの砂利=犬走りという、とか。茶室なんかもそうかもしれない。とにかく日本の文化など侘びだとか寂びだとかは無駄の象徴でもあるのだ。実はそんな一見不要なものが必要なのだ。しかし不要に見えるものはコストカッターの餌食になる。反論の余地の無いものは、全て潰してきたろう。

東電の会長と社長も稀代のコストカッターだったそうだ。

小さくこつこつとカットしてきたコストは、大きな代償を残した。被害者は日本国民全員かもしれない。「想定外」とか「1000年に一度だから」というのは言い訳にはなるまいと思う。

さらにボクが語り続けてきたコンプライアンス。

なにをしても何かに当たる、ならばなにもしないのが良い。コンプライアンス不況というそうだ。企業はコストカットとコンプライアンスの徹底、おまけにCSR企業の社会責任の「3C」の推進で埋没してしまう。誰がこの国を先進国唯一の「負け組み」にしてしまったか。この20年のツケを全国民で負担して、再び日の昇る国にしなければなるまいとは思うがしかし。

きょうの一枚

ニッポン、この名前つまり国号を定めた法令はないのだそう。さらに発音も「ニホン」「ニッポン」どちらでも良いそうで、なんともあいまいな部分が残る。ちなみに菅さんは「ニホン」ということが多い。しかしボクはデザイン業界の端くれとしてみた場合に、この日の丸のデザインは究極であり、これを越える国旗(以外でもだ)デザインは見たことがない。誠に国号である?ニッポン日出ル国の象徴ではある。

2011/04/12 (火曜日)

「カオルさんとTBI試走中」

今日も朝からコース制作。満開の桜の中を1台のパジエロで・・・普通は2台体制。。。必ず2号車もコマ地図を書いて、あとで付け合せをする。これが2000kmの道のりで、間違いは平均2箇所。それを発見できるのも、この付け合せという作業。

以前は全てのコマが記憶できたものの、最近は半分くらいが「???」なのだ。ボクは右折と書いているのに2号車のコマは左折と書いていたりすることがあり、どちらが正しいかさまざまに検証(醜い言い争いの場合もある)どうしてもわからないときは(あまりそれはないのですが)現地を見に行く。これがSSERのコマ地図の精度を高めている。モンゴルだってそう。

石巻撤収チームがまだ帰り着かない!!高速で落ちていたボルトを踏んでパンク!とか・・・・とまれ安全運転で。

ちょい疲れたので今日はこのくらい。

きょうの一枚

そもそも四国は水不足ではあるまいかと思う。試走のこの時期にこれほど水位の低いダムを見ることはなかった。明日は多分、たぶんね、早明浦ダムも見に行ってみよう。で、あれほど雪が降っても水不足。緊急渇水対策本部というのも密かに立ち上がってたりします。写真はやなせ。



2011/04/11 (月曜日)

「いつか見た、夢のために。」

これはこのHPにあるタクラマカンのヘッドコピーだ。

実はこのたび珍しくポスターを作った。ラリーモンゴリアとレイド・トレック・タクラマカンのふたつを一組にしたものだ。そのポスターのヘッドコピーはこんなだ。

「奇跡の惑星を愛でる2つのエクスペディション」

さらにレイド・トレック・タクラマカンには「時空を遡って」とコピーが追加してある。いったいボクはなにを考えているのかしら。

実はこのポスター3月11日ころには、出来上がっていた。パートナーショップに掲示していただこうというものだった。あれから1ヶ月がたった。そう大震災から1ヵ月、いよいよ発送することにした。自粛していたというわけではないのだが。

メインヴイジュアルは昨年のモンゴル、夕日の中をビバークに向かう松野氏がドライブするFJクルーザー、土煙が夕日に染まる大陸ならではだ。撮影は赤松カメラマン。下段のタクラマカンは2007年のもの、玉門関からロプノールに向かう砂漠地帯で、冶武カメラマンが撮影した。陽炎のかなた西に広がる空間。この果てには異文化があるのだと思えば胸騒ぎを覚えない者など居まいと思う。

しかしこの秋のルート(タクラマカン)ではこの砂漠は通らない。この先で道はほぼ無くなってしまっているし、ロプノールエリアは中国軍によって進入が拒まれている。何もない砂漠のど真ん中に巨大な発電施設のようなものが出来ているのだ。そんな不穏さも手伝って、タクラマカン縦断の今回は自分でその気になってメインピストをはずさない限り砂やハードなダートロードは実は無い。

まあどちらもユーラシア大陸だ。その広がりは言葉で表せるような半端なものではない。

ボクがその果てしない巨大な空間に憧憬を覚えてからもう半世紀近くが経とうとしている。途中でNHKのシルクロードと喜太郎が「とどめ」を刺した。そして幾たびこの地を訪れ、立ち尽くしたか。

きっと血が求めるはるか異文化、エキゾチシズムなのだ。特に中央アジアの女がよろしい。あっ、不謹慎なことを書いた。

さてそのユーラシアを旅するほどに思うのは、時間と速度と距離の面白い関係だ。それにGMTも大きく関わってくる。西に向かうということも時間を加速させる。しかしここで言うのは時間と空間の関係「時空」だ。まあ理論物理学の世界。果てしない距離(つまり空間)は、さまざまなことを考えさせる時間でもある。「時空を遡る旅」とボクがいう理由は、その時空の不可思議さを言っているのだ。

そもそも「時空」英語で言うSpace timeの直訳であるが、英語よりも日本語のほうがはるかに素晴らしいと思う。時空、宇宙の広大な広がりと時間。実はささやかだが、いつもラリーではそれを体感している。特に試走のときにそのことに悩まされる。

Wikipediaから「時空」

「かつてニュートンは時間と空間は絶対的なものであるとした。空間とは物理現象が起きる入れ物であり、時間は宇宙のどこでも一様に刻まれるもの、と考えた。しかし、アインシュタインは相対性理論を構築し時間と空間を合わせたものを四次元時空と呼び、四次元時空こそが物理学の対象だと導いた。具体的には、以前は独立に存在すると考えられていた時間と空間が、ローレンツ変換によって入り混じり(特殊相対性理論)、時間の進み方は運動状態の違う観測者では異なることが示された。 また、一般相対性理論によって、時空は物質の存在によって歪み、この歪みが重力の正体であることが説明された。どちらの概念も、現代物理学では標準として受け入れられている。」[URL]

ポスターのタイトルにある「時空を遡って」というコピーを再び考えることにする。時空を遡ってという言葉はタイムトラベルのイメージだ。実際にそこに存在するはるか過去から劣化しないモノを見るほどに、その錯覚はつきまとう。恐竜の化石を見てもジュラ紀の世界の中に迷い込むことはないが、たとえば嘉峪関にたてば井上靖の「敦煌」の時代(西暦1000年ころ)に迷い込んだようだ。ボクは過去にそこに居たことがあるのじゃないかと思う。

旅に必要なのはこうした既視感、つまりデジャブに会うことの要素を多く持っていることだ。それが「いつか見た夢」という意味だと思うのだが。

ボクのいうのは「時空を遡って、いつか見た夢のために」旅立とう。ということなのだ。つまるところは、みんなで行きたいのである。その地に立つことによって主体たるあなたやボクが、まるで子供の頃に見た夢に立ち返る、つまり脳内でのタイムスリップであり、その旅の主体はあなたで、覗いているのもあなたであるという不思議な・・・と訳が分からなくなったので、このあたりとしよう。

試走が押して押して、大変!!

きょうの一枚

今日発送する予定のポスター。


2011/04/08 (金曜日)

「桜を散らす雨に思った。」

あれほど降らなかった雨が、桜が満開になると降る。なぜか。

日本人というのは案外と花の心配をしながら心のどこかでは散る花の悲しさを求めている。桜はすぐ散るから好きなのだ。百日も花をつけるサルスベリなどボクは好きだがあまり好きだという人を聞かない。つまるところ儚さも悲しさも美学なのだな。これはなまなかな民族では達し得ない境地だ。

文化じゃなくDNAレベルで論じなければなるまい。

諸行は無常である。それを確認するためにも日本人は常に無常観を持ちたい。創造と破壊はいつもボクたちのポケットの中にあるコインの裏表のようなものだ。どちらも手の中にある。茶の道など「道」がつくものは少なくなくそうだろう。一期一会などというのもそうだ。言葉は簡単だがそれは日本人の死生観のメタファーだ。

続いて言えばまことに変わらない日常など存在しない。いわゆる持続可能な社会云々だとかサスティナブルという掛け声が空虚なものだと知っている。形あるものは必ず滅する。しかしそれでこそ再生というルネッサンスがある。森の木々は大木になる過程では足元の新芽に光を遮り、成長をさせようとはしない。しかしそれを掻い潜って成長した木が現れるとやがて自らは倒れて栄養となるのだ。再生のエネルギーが大木を倒すのなら革命とも呼ばれる。今ではそれはビジネスの世界のことか。

ラリーを開催していても思うのだが全く同じルートを使っても同じ風景が存在しない。天候が違うからもあるが風景は思いのほか変化する。その年の降雪量や気温、災害などもあるかもしれない。1994年の試走で見つけた巨大なクレーター。半径1kmくらいだったかGPSポイントを拾って1年後大会直前の試走。どこを探しても見つからない。そもそもあの穴は存在していたのだろうかという議論になったから人間は現実以外つまり記憶は信じがたいとしているのかもしれない。

最近のこと近くに新しいコンビニが出来ていた。その前はそこになにがあったかをいくら思い出そうとしても思い出せない。毎日朝晩通っている道なのにだ。記憶は不確かになっていってこそ人間なのかもしれない。

きょうの一枚

「線路」写真 赤松 章

赤松カメラマンのブログから拝借してきた。彼は石巻・女川のSSERの支援記録も撮影に出向いた。やがて報告書にして配布したい。で、この線路。ちょっとだけ心を動かされた。もう30年来の友人だし良く仕事もした。モンゴルもアフリカもパリ北京も、ずっと一緒だった。


2011/04/07 (木曜日)

「驚いた。」

公共広告機構「AC」。「なんだかなあ」と思っている人は多いだろうと思う。昨日その新しいテレビCMを見た。感動した。ACやるじゃんと思った。でも最後にSUNTORYとでた。

なんだ、ACじゃないんだ。

変な話だが、サントリーの角が飲みたくなった。開高健を思い出したら文章がヘミングウエィみたいになった。たどたどしい文章ではなく、回りくどい論法ではなくストレートに物事を見てストレートに感じる。句点さえ惜しいのだという。なにか今回の震災とサントリーのCMが教えてくれたのだ。

嗚呼、SUNTORYの心意気に久しぶりに胸がすいた。あの70年代のサントリーの世界が甦った。
今晩はみんなでサントリーのウイスキーか、東北産の日本酒を飲もう。

まだ観てない人もいるから、ここにアップした。 [リンク1]  [リンク2]
見て、泣いてくれ。
これがサントリーの力量だ。
やはりサントリーの宣伝部に入社したかった。

そうそう昨日は試走に行った。小松/山田ペアという久しぶりのフォーメーション。なんだか2年前のモンゴルのときのようだった。試走に行くと、残雪、桜、こぶし、もくれん、全てのものが愛おしい。

事務所に来たヤマちゃんが、夏物のジャケット着ていたので
「ヤマちゃん、もう夏物か?」と聞いたボクは、半そでのTシャツで
「そんな人に、言われたくない。」のだそうだ。
なるほど、春はもう満開だ。

2011/04/05 (火曜日)

「TBIの春なのだー。」

と、のんきなタイトルで書きはじめると、なにか不謹慎な気分になります。それは、いま日本を覆い尽くす「自粛原理主義」です。

いま被災者たちのことを思うと、そんなことをしている場合ではない。という考え方で、それはとてもよく理解できます。日本特有の文化?お花見も自粛なのだそうですね。こうして友人の手前、慎むという心。思いは見えませんが「思いやりは誰にでも見える」という、あれです。日本人ならではの考え方かもしれません。大切な思いです。

一方で違う論があります。まあその、自粛してよいのか?という論、あまたの識者が発言していますので、ボクとして控えます。おっ自粛か?!個の置かれている状況と判断は千差万別だし、またそうあるべきですから。

そんななか先週末はTDRを開催いたしました。多くの方が参加を取りやめられました。もちろん被災された方もいれば、支援活動中の方もいらっしゃいます。そして夜のオークションを通じ、参加された皆様からは多くの義援金をいただきました。「心」は見えないけど「心遣いは見える」というところでしょう。

それにそのあと開催した震災支援の中間報告も、その部分だけの出席のために東京、長野、広島などから駆けつけていただきました。

そしていよいよ明日からは、TBIの試走の開始です。

本当に例年に比べると「まじすか?」というほどに遅くなったスタートですが、明日はDAY2をやりに行きます。自粛ムードではありますが、またこちらも沢山の参加のキャンセルがあって、悩みは尽きませんが「やはり粛々と」やります。こうしたラリーも開催されているよ!ということも世界に発信していって心配している海外の友人にも「良かった」と思ってもらえれば良しです。

「思い」も「心」も見える四国で。


2011/04/04 (月曜日)

「松山は、もう満開間近!」

TDR、ありがとうございました。

あの海津大崎の桜並木のなんとも「おー、ここは咲いていたらすごいだろうな。」と、何人の参加者がぼやいたことでしょう。そんなときにナビは「本当ですね、満開ならすごいでしょうねえ・・・渋滞が」って答えた方も多かったはず。実はボクもそう言いました。その手前まで寝ていましたけど。それにしても、朝の3時まで飲んだ皆さんの若さとパワーの秘訣はいずこに!!

ボクは実は会議の時には意識も怪しいほどで、とにかくパーティーのあとに会議!なんてのは、だれもが生まれて初めての体験だったと思います。

それでも震災支援の中間報告の会議には、深夜にもかかわらず50名もの方がご出席いただきました。貴重なご意見をいただき、この場をお借りしておんれうぃもうしあげます。たしかにNPO-PDRも、しっかりしなければなりませんね。

鴨川沿いの桜も、ああ無念。

で、帰ると松山はもう「ほぼ満開」以前のSSERの事務所の真白い山桜も、楚々たる咲き具合。なんとも日本人は・・・

と、TDRでは信長の最盛期から本能寺、秀吉の天下取りをまさに短時日で巡ったもの。いかがでしたか?

さあ!がんばらなければ月末はTBI!「がんばれ!SSER!」って、おれか?!

きょうの一枚

今回のTDR総合優勝は高知の竹田さん。手に持っているのは、ご当地では知らない人のいない!と言われる「サラダパン」なんとタクアンが入っているのです。人気ありとのことで、食べてはみたのですが。美味しくないことは無いけど、どこがそんなに人気なのかわからない?!のでした。それよりもさば寿司も食べ損なったし。琵琶湖の稚鮎はまだだし。