「いつか見た、夢のために。」
これはこのHPにあるタクラマカンのヘッドコピーだ。
実はこのたび珍しくポスターを作った。ラリーモンゴリアとレイド・トレック・タクラマカンのふたつを一組にしたものだ。そのポスターのヘッドコピーはこんなだ。
「奇跡の惑星を愛でる2つのエクスペディション」
さらにレイド・トレック・タクラマカンには「時空を遡って」とコピーが追加してある。いったいボクはなにを考えているのかしら。
実はこのポスター3月11日ころには、出来上がっていた。パートナーショップに掲示していただこうというものだった。あれから1ヶ月がたった。そう大震災から1ヵ月、いよいよ発送することにした。自粛していたというわけではないのだが。
メインヴイジュアルは昨年のモンゴル、夕日の中をビバークに向かう松野氏がドライブするFJクルーザー、土煙が夕日に染まる大陸ならではだ。撮影は赤松カメラマン。下段のタクラマカンは2007年のもの、玉門関からロプノールに向かう砂漠地帯で、冶武カメラマンが撮影した。陽炎のかなた西に広がる空間。この果てには異文化があるのだと思えば胸騒ぎを覚えない者など居まいと思う。
しかしこの秋のルート(タクラマカン)ではこの砂漠は通らない。この先で道はほぼ無くなってしまっているし、ロプノールエリアは中国軍によって進入が拒まれている。何もない砂漠のど真ん中に巨大な発電施設のようなものが出来ているのだ。そんな不穏さも手伝って、タクラマカン縦断の今回は自分でその気になってメインピストをはずさない限り砂やハードなダートロードは実は無い。
まあどちらもユーラシア大陸だ。その広がりは言葉で表せるような半端なものではない。
ボクがその果てしない巨大な空間に憧憬を覚えてからもう半世紀近くが経とうとしている。途中でNHKのシルクロードと喜太郎が「とどめ」を刺した。そして幾たびこの地を訪れ、立ち尽くしたか。
きっと血が求めるはるか異文化、エキゾチシズムなのだ。特に中央アジアの女がよろしい。あっ、不謹慎なことを書いた。
さてそのユーラシアを旅するほどに思うのは、時間と速度と距離の面白い関係だ。それにGMTも大きく関わってくる。西に向かうということも時間を加速させる。しかしここで言うのは時間と空間の関係「時空」だ。まあ理論物理学の世界。果てしない距離(つまり空間)は、さまざまなことを考えさせる時間でもある。「時空を遡る旅」とボクがいう理由は、その時空の不可思議さを言っているのだ。
そもそも「時空」英語で言うSpace timeの直訳であるが、英語よりも日本語のほうがはるかに素晴らしいと思う。時空、宇宙の広大な広がりと時間。実はささやかだが、いつもラリーではそれを体感している。特に試走のときにそのことに悩まされる。
Wikipediaから「時空」
「かつてニュートンは時間と空間は絶対的なものであるとした。空間とは物理現象が起きる入れ物であり、時間は宇宙のどこでも一様に刻まれるもの、と考えた。しかし、アインシュタインは相対性理論を構築し時間と空間を合わせたものを四次元時空と呼び、四次元時空こそが物理学の対象だと導いた。具体的には、以前は独立に存在すると考えられていた時間と空間が、ローレンツ変換によって入り混じり(特殊相対性理論)、時間の進み方は運動状態の違う観測者では異なることが示された。 また、一般相対性理論によって、時空は物質の存在によって歪み、この歪みが重力の正体であることが説明された。どちらの概念も、現代物理学では標準として受け入れられている。」[URL]
ポスターのタイトルにある「時空を遡って」というコピーを再び考えることにする。時空を遡ってという言葉はタイムトラベルのイメージだ。実際にそこに存在するはるか過去から劣化しないモノを見るほどに、その錯覚はつきまとう。恐竜の化石を見てもジュラ紀の世界の中に迷い込むことはないが、たとえば嘉峪関にたてば井上靖の「敦煌」の時代(西暦1000年ころ)に迷い込んだようだ。ボクは過去にそこに居たことがあるのじゃないかと思う。
旅に必要なのはこうした既視感、つまりデジャブに会うことの要素を多く持っていることだ。それが「いつか見た夢」という意味だと思うのだが。
ボクのいうのは「時空を遡って、いつか見た夢のために」旅立とう。ということなのだ。つまるところは、みんなで行きたいのである。その地に立つことによって主体たるあなたやボクが、まるで子供の頃に見た夢に立ち返る、つまり脳内でのタイムスリップであり、その旅の主体はあなたで、覗いているのもあなたであるという不思議な・・・と訳が分からなくなったので、このあたりとしよう。
試走が押して押して、大変!!
きょうの一枚
今日発送する予定のポスター。
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