Organisation Voice 2007/05

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2007/05/31 (木曜日)
「スイマセン、今日も北京-パリ モーターチャレンジのニュースから」

「あー、やっぱり」朝、パソコンを立ち上げてメールチェックも「あとで!」といきなり北京ーパリのリザルトページへ!!「昨日はエレンホトからサインシャンド初めてのオフロード、短いけど困難だろうなあ・・・」と老婆心。やっぱりリザルトがあがっていない!レポートでは、砂嵐の収まったサインシャンドのビバークでは月の光がどーのこーの、と叙情的な書き出し。だが夜半になって衛星回線は、到達不能に陥った車両からの連絡が入り続いているらしいと。「ああ、なんか身につまされる」なボクですが、なにか軽く緊張してきているのも事実。マーシャルはそこで夜を明かすようにと指示をしているようです。100年前のラリーでは、1台のマシンが命からがら助け出されたというエリア・・・その1台はいまだに不明なのでしたね。明日、つまり実は今日なのですが1日走ればウランバートル、そして休日。燃料ポンプも、キャブレターも、きっと砂まみれのはず。交換できる人はラッキーでしょうね。

しかし、ウランバートルまでにたどり着くのは相当に厳しいと思います。ゆえにこのラリーの価値の高さが光ってきます。ダカールのように、最先端のマシンとははるかに比べるもない、いったい一台でもパリにたどり着けるのか?という構図は、本当にすごいことのように思います。

GPSや衛星電話が、何の役にも立たないプリミティブな機械と人の壮大で荘厳な叙事詩を見ているような、そんな思いにさせられます。それは20世紀に進化した自動車、快適性や利便性の権化となった自動車へ!!のアンチテーゼの、明確なおじさんたちの(しかも金持ちの)感性の一太刀!まさに「情熱の人生」

どーしよう、試走していて目の前で彼らが燃料ポンプかなんかを高々と掲げてボクたちに助けを求めていたら・・・なんて考えてしまいます。そして胸が熱くなります。それはもう20年も前のパリダカの時のように。とまれ国境からしばらくは春は砂嵐のシーズン。舗装路も少しは南に伸びているので、緯度が上がり西に砂丘地帯のないエリアまで行けば、砂嵐はないのですが・・・頑張ってまずはウランバートルへたどり着いて欲しいものです。特にイターラには。

きょうの一枚
北京-パリモータチャレンジのルートマップより
BTOUもこんな感じにしようかなあ?と思っていますが・・・。


2007/05/30 (水曜日)
「もう頭の中は、その北京−巴里モーターチャレンジで占拠されています。」

いや、でもいまだに壮大な嘘にだまされてるんじゃないか?!と毎日リザルトを見ながら思います。デイ3はエレンホトまで。昨日書いたとおりここは楽な舗装路。おそらくあのホテルに泊まっているはず。砂礫交じりの荒涼とした風景に、ある者は武者震いを覚え、ある者は既に困難に直面して絶望感に・・・ラリーのリザルトを見るとおそらくタイムトライアルというよりも、サバイバルのようです。なんとしてもイターラをパリまで到達させたいという思いに到ります。

それでも今日行われているであろうエレンホト−サインシャンドは左手にデューンを望みながら、起伏の強い砂礫のピストを線路と電線を頼りに北上!つまりタイムアタックになるのでしょうか。

いくつか問題があるはずです。古いマシンがどれほど埃対策が出来ているのでしょうか?はじめてオフロードを走りはじめるわけです。むろん4輪駆動がいるわけでもないですし・・・アストンマーチンDB4やら1950年ポルシェ356・・・なんて新車の部類!!毎日のレポートも写真つきで・・・。

ああ。なんということ「このラリーは、ほんとうのことなのだ。」ボクの努力の日々なんて、金の力でどうにでもなったのか?やっぱり力不足なのか・・・もういやになるような思いさえ沸き起こります。

モータースポーツは貴族の遊びなのでしょうか??

まあそれにしても「それは現実なのか?」と、信じられないようなことが現実に起きているということは素晴らしいことです。かつて三菱商事のパリ−北京1992も、きっとヨーロッパでは同じように見えたはずなのです。

ぼくたちが試走に出かけて、帰国してもなおこのラリーはパリを目指して走り続けているのでしょう。毎日このネタでスイマセン。

きょうの一枚
BTOU2007・・・ダッフルバッグはヘリ用の7kgモデル・・・写真上、下の赤いバッグは昨年の10kgバッグ


2007/05/29 (火曜日)
「ああ、ペキン−パリは2日目、四子王旗に着いた。」

歴史的な大コンボイは、大同をあとにフフホトの北にある四子王旗に到着。大同といい、四子王旗といい、なにか僕が果たせなかったペキン−ウランバートルの1日目のルート・・・しかも四子王旗は、1992年のパリ−北京の最終のSSが行われたところ・・・あそこは燕麦の名産地で、これがなかなかに美味い。まあそんなことはいい。この2日目は368kmだが、フフホトで青山山脈・・・あの「人生いたるところに青山(せいざん)あり」・・・を越えなければならない。といっても日本の舗装の峠道とおなじようなのだが、なにせクラシックカーにはきついはずだ。この日は8時間22分のタイムアロウド・・・1921年まで生産のクラスは、もう半数がペナルティを受けている。

明日は・・・と言うか既に今日なんだけどエレンホトへ250kmあまり。ここは比較的フラットで美しい舗装路が続く。標高もあるのでマシンにはやさしいだろう。しかし毎日言うのもあれだけど「スゴイ・・・」ただただそう思う。日本のモータースポーツの文化の底の浅さを痛感させられっぱなし・・・。30日はエレンホトから国境を越えて、サインシャンドへ。どこに泊まるのだろうか?ビバークなのだろうか?町のホテルなんて・・・そして、この季節でも日中は暑いはずだし、ダストも多い。また時折雨が降ると、脱出困難な鉄道沿いの道だ・・・そう、2005年のザミーンウッド、そこから北に向かうですよ・・・心配。

さてモンゴルと言えば、もうひとつの世界遺産「オルホン川流域の文化的景観」もちラリーは通りますけん、オタノシミニ!!でも問題発生!!8月に日本からやむごとなき方が訪モになるという噂が・・・いまはヨーロッパなのですが、バルト3国辺りに、あいさつをしていてくれてボクは嬉しい!!のであります。

きょうの一枚
ボクの座右の書「世界地図」毎年買い換える「なるほど知図帳2007」今年は流行色がゴールドなので、「なかなか昭文社のヤツもやるねえ・・・」でそのなかに「世界なんでもランキング」のページがあるんですが、日本が世界で1位になっているものが3つある。それは「借金が一番多い国」と「世界で一番、畜産物を輸入している国」とおなじく「水産物を輸入・・・」なんか誇れる1位は今はないのでありますな。あっ、国連分担金は世界で2位、ODAの拠出金も世界で2位!!


2007/05/28 (月曜日)
「スタートした!北京-パリモーターチャレンジ2007」

いや、要らぬ心配をしました。北京を午前4時!にスタート。これはボクと同じ考えですが、この時間帯でないと市内を抜けるのは困難!!100年前に製造されたイターラを先頭にですね・・・これぞ世紀の、まさに「ペキンーパリ1907」の100周年記念と呼ぶにふさわしい、プライド溢れるラリー。脱帽とともに深い敬意を表します。メインスポンサーは時計メーカーのご存知BLANCPAIN ミレミリアはショパールですし。とまれ1日目は北京から大同の365km、リザルトから推察するとタイムアロウドは8時間15分、かなりなハイアベレージです。12時間のペナルティを受けて20時間15分と表示された参加者が8台。うーーん、前途は相当なものです!!

しかし、やっぱすごい!組織力!資金力!なんといってもこれだけのマシンを集める力!さらに35日間という、仮にこれがラリーというカテゴリーに入れるとすれば史上最長級!しかも困難度合いで見れば1907年のそれと、大して変わらない!!ボクは彼らのウランバートルでの休息日に会えるかもしれないし、試走中にその歴史的な大コンボイに合えるかもしれない!!

ああ、なんという僥倖!!戦前のランチアやベントレー、ボクの年齢より古いマシンが全体の8割!!アストンや、シトロエン、アルファや、なんとメルセデスの1903年が最古のマシン!明後日は国境の町・・・多くの方の知っているエレンホトへ、たどり着けるのか!?といってもここまでは舗装路なのです!!

またレポートをします。

きょうの一枚
今年のBTOU・・・ウブス湖で配られる記念Tシャツ・・・「あなたはウブス湖に到達した」と書かれてて色も鮮やかな1枚。荷物の中から後半戦用のTシャツを1枚減らしてもOK!なのです。


2007/05/25 (金曜日)
「今日は表彰式?」

ボクの本業はナニカ?答えは・・・名刺にはクリエイティヴ・ディレクター・・・と書いていたりします。「クリエイティヴ・・・って、あんた?!ナニコレ?」とは誰も聞かないので、最近の名刺の肩書きなんて分かり難いほど良い!なんて風潮?!だいいちCOOとかCEOとか、地方の中小企業のシャチョウハンが書いとられてもワカラシマヘンガナ。

いや、こんな話を書くつもりではありませんでした。実は本業の一部ですが、昨年のBTOUに参加した愛媛銀行のチャレンジを、わたしどもがTVCMにしたものが愛媛広告賞最優秀賞!に輝いたのであります。こちらご覧ください。昨年のひめぎんの苦闘ぶりが蘇ります。

こうした銀行という変わった?業種のラリー・イベントへの参加、主催者の立場と、広告屋としての立場をわきまえて使い分けることは実に難しいものでありました。しかしラリーの現場がテレビに流れ、CMになりまた多くの人々の共感に留まることは望外の喜びでもあります。・・・なんか挨拶っぽくなって来ました。

この夏も、そうしたたくさんの物語に接しながら、ともにチャレンジしていきたいものですね。

きょうの一枚
GS1200ADV.続々入荷中!ノグ○チャン!シート頼むね。


2007/05/23 (水曜日)
「もうひとつの北京−巴里」

最近の内輪の話題は、間もなくスタートする(予定の)「北京−パリ モーターチャレンジ2007」というイベント。http://www.pekingparis.com

クラシックカーのラリーである。エントリーリストはすごい。1907年製のイターラが2台・・・これはまあシンボルマシンか?いやそれにしても凄すぎる。にわかには信じられない。20世紀初頭のマシンたち・・・・・イギリス人の精神ここに極まれり!!という感じだ。しかしルートを見てボクは驚いた。中国ステージはまあいい。モンゴルに入るやサインシャンド、ウランバートルで休日。さらに西へ!!僕は北に行くのかと思った。だって100年前のルートは北に上がったもの。

そしてバヤンホンゴル−アルタイ−ホブド・・・ホントウニアノミチヲハシルノカ?あの殺人的なアルタイからホブドに続く、それは無限と思えるウオッシュボード・・・今のラリーカーにさえ厳しいあの道を。でも距離の表示は非常に正確で試走してルートブックを作っていると思える。「ううーーん世紀のメモリアルな偉業か?!暴挙か?ソレトモ・・・」とまれ成功をお祈りします。

きょうの一枚
西安のANAホテルのロビーを3階からパチリ。正面(上)から入ると、中国っ!て感じの盆栽?が良い感じ。右手のほうにラクダの像が見えますか?シルクロードを行くアラブの商人とラクダの像が、エキゾチシズムを掻き立てるのでありますな。このホテルが「西安-巴黎」のオフィシャルホテルですから。


2007/05/22 (火曜日)
「いよいよ、試走」

西安−巴里の準備もさることながら、いよいよ「BTOU2007」の試走がやってきました。実を言うと今回のルートは、試走がとても厳しいのであります。がんばろっと。「ニンニクノチカラ」2ダースと「今日の野菜??」2ダース、EMSでモンゴルに向け出発!!野菜不足だからね、試走はね。今回のハイライトはなんと言ってもウブス湖・・ビバークはモンゴル最高峰のハルヒラー山の麓で、ウブス湖を見下ろす!!んだそうです。ワクワク。チームFAコート・・・AUTO3台!moto1台体制!ケッテーイ!!ロシアナショナルチーム4台とガチンコやってくださいね。そうロシアチームは「総合優勝!!」とバックスクリーンにバットを向けるのであります。

「さて、ちょっと耳寄りなお話」
いやまだ100%決定じゃないんで、書くのはどーかなあ?と思うんですがね。えーい書いちゃお!!今年の9/9出発の西安行き往復チャーター機を飛ばそう!という話。それも松山からね。で、これが上手く行くとまず西安巴里参加選手?はなんと直行便で、モー一番気になるオーバーチャージから開放されて!!しかも仲間や家族のお見送りツアーも楽チン格安請け合い・・・なんか日本語の表現が中国語的になってきた。さらに西安では壮麗な歓迎式典!!スタートはちょびっと華やかな・・・・・仙波君に言うと言下に「行きます!!!」で、彼は中国語はだいいち外国語だったのであります。良く聞くとマークシートの誤記入でそうなったらしく・・・とまあ、本当にどうなるかは未定ですが、参加される方のご家族やご友人の皆様、楽しみに続報をお待ちください!!3泊程度かな?11日はラリーじゃなかったツアーはスタートするわけですからね。

きょうの一枚
「魔除け」
西安の街で。昔は貴人の屋敷の前には来訪者が馬の手綱を結わえるこうした1.2mくらいの石柱が立ててありましたそーな。そこに施されたユーモラスで、しかしなんとも芸術的な趣に満ちた・・・そーです。これは「魔除け」でもあったわけです。「ほすぃー!!」と言ってみたのですが、ダレも僕の気持ちを理解出来なかったのか?無視されてしまいました。


2007/05/21 (月曜日)
「ふーっ、ただいまっ。」

西安から帰国。今回の西安は青空に恵まれて気持ちよかったです。5月と9月はベストシーズンのようです。とても暑くなっていたけど西安の35度より今日の松山の25度のほうが暑く感じるから困ったものです。

さて今回の訪中は、「西安-巴里」の最終的な許可の取得と契約調印が目的でした。非常に友好的に全てがスムースに運びました。中国側の皆々様には、この場を借りて御礼申し上げます。

ご存知の方も多いと思いますが、今の中国ではオートバイは、ほぼ全面禁止といっていいでしょう。走っているのはモペット、それも多くが電動になってしまっています。とくに排気量の多いものは全くダメ!「なぜか?」と聞くと「排気量の大きいバイクは環境に良くない」とのこと。「じゃあ大きな自動車をひとりで運転するのと、1000CCのバイクをひとりで運転させるのだったらどっちが環境には良くないと思う?」と聞くと「うーん?バイクかな」だって。理論的に理解されてないかもです。

そんなことから、今回の西安−パリは一般のツアーとしては極めて価値のあるものになります。ラリーなどの大掛かりな許可のものとは根本的に違いますからね。大変な努力がボクたちにも、また参加される方にも必要ですが、きっとホントウに「人生最大で最高の旅」になることでしょう。特番も決まり!!10夜連続放送なんてのも決まりました。デジタルハイビジョンを担いだスタッフも同行することになるでしょう。参加される方も見送る方も、オタノシミニ・・・また悩んでいる方、どーぞお早めに。

きょうの一枚
西安で手に入れた夜行杯・・・葡萄の美酒 夜光の杯 で有名な涼州詞、これはガラスではなく石を削りだしたもの、ホントウに夜になると光るものもあるそうです。


2007/05/18 (金曜日)

「アカシアの木陰」

西安はとにかく街路樹が多い。今日なんて気温36度なのに(もちろん空気は乾燥していて、暑さは日本の同じくらいの温度とは比べものにならないくらい)アカシアの街路樹が道路一面に木陰を作って涼しげだ。このアカシア正確にはニセアカシアだが、枝ぶりや立ち姿が誠にシノワズリーである。さらに背の高いプラタナスが背後に生えている。そのプラタナスも一様に日本で見るそれとは桁違いの高木である。この二つの木々が織り成す圧倒的な緑が、この西安の都を贅沢に見せている。アカシアの木は西安の市のシンボルツリー、ちなみに市の花は石榴の花、可憐に咲き誇っていた。

そして中国といえば柳。なかなか探しても見当たらないので「柳の木はないの?」と聞くと「川に行けばあります」と。そして、シルクロードはポプラ。木々を旅の概念に組み入れてみたら面白い。ヘディンのいかだもきっと柳の枝で組まれてロプノールを目指したのだろーか?

きょうの一枚
長い交渉の末に調印。思いがけぬフォーマルな進め方に、この日に限ってノータイで来てしまったボク・・・さらにもう一枚はそのアカシアの路。


2007/05/17 (木曜日)

西安で作業中です。沢山の問題をクリアするためにやって来ているのですが、成果も多く上がってきました。西安側のパートナーは非常にすばらしく仕事も順調です。特にこの数年、中国ではオートバイに対する規制が厳しく、まず不可能だというスタートラインから、記念すべき自動車旅行のスタートが切れることが再確認できました。もし「どうしようか?」とお悩みの方がいれば、間違いなく行くべきだ!とお薦めします。物議をかもしていたロプノールも許可が出ていますからね。

旅の友は1冊の「則天武后と玄宗皇帝」まだ読めていませんが、帰るまでにはネ。西安の天気は、気温35℃、曇り、真夏です。プラタナスの綿毛が浮遊しています。シルクロードの初夏!やっぱ9月はベストシーズンですね。

きょうの一枚
西安側スタッフとミーティング。今回は小雁塔の横にあるオールドチャイナなレストランで・・・とホテルの窓から撮影の2枚。


2007/05/16 (水曜日)
「黄土高原の上空から」

イマボクは西安に向かう機上の人になっている。大地は黄色がかったいわゆる黄土高原だ。毛沢東は、この大地の恩恵に隠れ共産運動を展開した。延安は西安のすぐ北にある。とまあ古代も近代も中国の歴史は、この辺りから作られたといっても大きくは間違わない。太陽は強いし黄色い。この辺りから巻き上がるパウダーがいわゆる黄砂、日本に向かって飛んでいくのだ。これは万葉集に歌われていたものよりも今のほうが激しいに決まっている。良くも悪くも毛沢東が「天まで耕せ」と号令をかけた農業政策のツケでもある。

ところで、いつものことながらこの無辺なる広大な広がりの上を飛ぶ時、1992年のパリ−北京を思い出す。3台のトヨタランドクルーザーをT-3、当時のトップカテゴリー、プロトタイプクラスに仕上げて乗り込んだ。予算は厳しかったが、2台+サポートという方法を選ばなかった。ギリギリのノンサポートで3台体制で臨んだ。それでも若いぼく達にとってみれば、それは目を剥くばかりの天文学的な金額負担を強いられた。ラリー自体は広大な時空を移動するために、なんとも大味なものになったが、ロシアや中国の20世紀の幻影をこの目に焼き付けた。

世界は激動していた。天安門、東欧の崩壊。ベルリンの壁の崩壊、ロシアの民主化の波。さらには湾岸戦争まで、その多くをボクは海外にいて海外のメディアで見ていた。カメラのアングルが違った。レポーターの立ち位置や覚悟も違った。日本と世界のメディアの、精神が違うと思った。血や肉片やチャウシェスクの残酷な姿もだ。世界が得体の知れない何かに突き動かされていると思った。世界は非道だ、とも思った。人類はこうして、イデオロギーとか宗教などとかで譲り合えず、この世の終わりまで憎しみあうのかとも思った。それに引き換え、危険だとは言いつつもクロスカントリーラリーはどうだろうか?平和と安定のシンボルとして国境を越えていく。周辺扮装の当事者も時には手を止めて、眺めていたりする。なぜか?何故なんだろうか、人間の行為とは?

1992年、あの時の滾るような情熱はいささかも衰えてはいまいと思うが、何せ体力が衰えた。「北京2008」に出場するチャンスは少ないだろうが、心と身体の準備をしておきたいと思う。そのころは、やっぱりモンゴルの試走中だろうと思うけどね。

きょうの一枚
もちご存知、兵馬俑、世界遺産。これを見るだけでも西安に行く価値あり。


2007/05/15 (火曜日)
「みのもんたはやっぱスゴイ!?」

ダイムラーとクライスラーの蜜月(というようなもんじゃなかったろうと思う)が解消したね。どーも合併の時から「どーなん?」な感じがしてたんだけど。各紙のトップは国民投票法成立なのに、やっぱ日経は5段抜きってトップ記事はいつもそうだけど・・・「クライスラー、サーベラス、9000億円で買収!!」世界の自動車業界の再編を促した巨大合併も、ひとまず!!というところだろうか?依存によってはなんともならないのであって、特にホンダのいうところの「合併なんかしてメリットなんてひとつもない」という姿勢が証明された形。またトヨタの歩む完全なる独自路線は、世界の頂点にフラッグをはためかすに至ったわけだし。

で何故ミノモンタなのかというと、なぜかボクは彼を見ていてトヨタを思い出す。たとえばyahooオークションで自動車→車体→トヨタと行くと、まあどのくらい車種があるのか、118車種あった!数えたぜ。世界一多い。ポルシェなんて7つ。911、928、944、968、カイエン、ボクスター、その他・・・なのだ。最近では4枚ドアのサルーンを作るなんて話も在るけど、やはりオールラウンダーの働き者にはなれないのだ。一方でありとあらゆるクラスターに爆撃を繰り返すトヨタは、手を緩めない。緩めるのが怖いかのように、いつまでも隙を作らず進撃する。トヨタは日本人の誇りだ!と誰かが語った。ミノモンタは、そんな怪物トヨタの個人版のような気がしてならない。

トヨタ的を愛するか?いやもちろん心から尊敬しているし、素晴らしいと心から思う。しかしマイナーを愛するか?いやポルシェがマイナーだといっているわけではないが。昨年の売上総利益は、中小企業のポルシェが、ダイムラークライスラーを上回っていたし。

ボクは、今年無理なスケジュールを組んだ。その時に「これだけやれるだろうか?」と普通に考えた。でも毎朝未明からテレビに出ているミノモンタには、かなわないと思った。つまりまだまだやれるのである。つまりまだまだ新しいことを何かやるぞ!という示唆でもあったりする。

きょうの一枚
飛ばない豚は・・・じゃなくて中国の十二支では猪は豚なのです。ひょっとしたら日本だけかもですね、猪って。西安の郊外のとあるレストランで。


2007/05/14 (月曜日)
ボクは今週は西安にいます。暑いかな?急激な経済発展を続ける中国でも、西安は少しいにしえの都の趣を持っています。でも周辺は軍需産業と航空宇宙産業で大発展中です。古くは長安と呼ばれた古都、散策するにはもってこいですが、無秩序な開発と発展だけは免れられないものかと案じています。2008年にはこの町は通らないようですが、ルネメッジさん「パリ-北京」をすると発表しています。正式名称は、北京2008・・・というのですがオリンピック前に北京にゴールしようという試み。有力なスポンサーも獲得できている様子で実現濃度は高まっているようにもいます。

ただボクには不安要素が少なくありません。同じように中国のドアを叩くものとして、やはりお金を積んで解決をしては、いかんのです。参加者に不利益になるばかりか、一部のものに法外な金を掴ませるだけで、彼の地のためにもなりません。まあひいてはモータースポーツのためにもならないと思うのですが、これをビッグビジネスとお考えの方々とは、共に天を戴く、というわけには参りません。これを貫くと、いつまでも「青い」と言われるのですが。さらにオリンピックの直前に・・・というのもいかがかと。だいいち許可が。

そんな自分と「でも出たいな・・」と考えている不思議な自分がいて、問題の身体の一部を直して、参加する!なんてことも密かに・・・「えっ、誰にも言わないでね、ここだけの秘密」ですから!?

TBIがTDNになった時、そのスケール感は気持ち良かったものです。しかし濃度が下がるという問題が持ち上がりました。1992年のパリ北京も、その濃密さとしては乏しいものがあったように思います。BTOUは、その濃度とスケール感の両立を目指していました。

ルネメッジとボク。1988年以来たびたび対峙することになります。ボクが最後に出たときのパリダカでボクのヘルメットにはルネメッジのサインがあります。数奇な運命(とボクだけが勝手に思い込んでいるのですが)ひょっとしたら彼も「いろんな場面でこの男を見かけるなあ」と思っているかもしれません。いやそれにしてもポルシェ969でパリダカを走る彼の姿は、あまりにも強烈で鮮明でした。

きょうの一枚
TBI07のスタート前に撮られる集合写真。真ん中右手の怪しそうなサングラスのおじさんの横に、白いTシャツ姿でさわやかそうな青年。車椅子に乗っています。彼は第8回のTBIの優勝者、江幡君であります。同行してきたのは細野君と福山君・・・その福山君も確か7回大会の優勝者。にわかに優勝者同窓会になりましたが、江幡君にはスタートフラッグを振っていただく事にしました。スノースクートの事故で頚椎損傷を起こしてから必死のリハビリを克服して元気な姿を見せていただきました。来年はTBI20周年(注、TDN含む)多くの仲間が集うことでしょう。

BTOU2006で同様の負傷をした西村さんも、元気でリハビリ中!お見舞いに通い始めて9ヶ月目、やっと椅子に座った西村さんと話が出来ました。そして車椅子でエレベーターのところまで見送っていただきました。僕は涙が隠せませんでした。

ボクタチはネックブレースの着用を心がけたいものです。そして大好きなこうしたモータースポーツの現場で、二度と悲劇を起こさないように、心に誓います。そして、2人がこれからも良き友人でありますように。


2007/05/11 (金曜日)
「トヨタの憂鬱」

なんかビーチバレーが大人気なんだって?とサイトを見に行くと「うーんなるほど・・・」でもあの格好で競技をするなら水泳もそうなんだけど、やっぱり明るい太陽の下!なんてのが良いのか?・・・んで「トヨタの憂鬱」とビーチバレーになんの脈絡があるのか??

BMW-Mottradのギアカタログ2007を見ていると、モデルとロケーションなどが劇的に若くなった。けっこう「おおっ」と思うような写真も使っている。まあトヨタではないわな。BMWの世界では、いまやチョイワルオヤジは迫害を受けて、若き恋人たちが急増中!な感じだ。

コンサバティヴなおじさんたち相手に疲れたBMW(バイクね)は、購買平均年齢を10ポイント近く下げたい!という強い姿勢が見て取れる。でトヨタとは何の関係があるのか?

今日レクサスのLS600hの内覧会の案内が届いた。もちろん専用封筒には箔押し!中身のインヴィテーションたるや、ゴミに出す時の分別は考えているの?といいたくなるような作り。こうしたコストを一部のユーザーに負担させるのは申し訳ないので「じゃあ、買おう!」というような立派なトヨタファンはいない。で、ターゲットはどこなのか?これまでになく迷いが見て取れる。憂鬱を感じる。走っているレクサスもどこかに憂鬱を纏っているように見える。

レクサスブランドの確立を目指して、攻勢時なのにだ。
乾いた雑巾を絞ってきたトヨタも、ブランディングにはひと苦労もふた苦労もしている。さらに「レクサスは失敗しない!なぜなら成功するまで続けるからだ。」といった語録は世の経営者たちの度肝を抜いたしね。そんなトヨタは連結売上高23兆円!!という国家予算級の売り上げ!営業利益2兆円!は、いつかは1000億企業に!なんて考えている地方の起業家たちからは、100万光年先の話にしか見えない。なんとも、素晴らしいのではあるが憂鬱ではないのだろうか。

実は華々しい数字の影で、国内販売は昨年に続きマイナス・・・日本では自動車離れがゆるやかに進んでいる。もちろん少子高齢化もあるにはあるが、実は「軽四がいいよん」なんて話だ。クルマへの夢を見させなかったのはトヨタの責任?だというつもりはない。しかし、クルマなんて大たいでいいよ・・・みたいになってしまっているような気がしてならない。

ビーチバレーの人気のような、若さや色気プラススピード感・・・本来自動車が持っていたイメージだ。それがなくなってしまったのではありますまいか?BMW-mottradのように、コンサバティヴからの明確な脱却!それはいま世界に冠たるトヨタにボクタチが求めるメッセージなのですね。

きょうの一枚
北海道、んにしても絵はがきのような風景が目の前に連続するのでしょうかね。こうした撮影時にも交通ルールは守ってね。


2007/05/10 (木曜日)
北京-巴里1907年から、今年で100年!って騒いでいたらマン島TTレースも100周年だったようですね。1907年ってかなりエキサイティングな年だったのかなあ、と思う。今月もうすぐだけどシシリー島で行われるモトジロ・デ・イタリアも21世紀になって復活!57年に中断になっているからまさに半世紀ぶりの復活劇だ。確か復活7年目?で初開催は1914年。これも素晴らしいイベントだ。宝石のような小さな赤いマシンたちが、美しいシシリー島を駆け抜ける。こうして復活するイベントも少なくなく、20世紀のミッドセンチュリーあたりの工業製品の美しさやスピリットが、懐古主義だけではなく新鮮なものとして21世紀に映える。

おお、そういえば三宅島のレースはどうなったのかしら?ボクの周りでも某誌の編集長をはじめ多くの?オフロードライダー?が参加を表明してたっちゅうのに・・・「お疲れ様です」の仙波君も「出る!」宣言をしていたのに。マン島TTレースで、いやもちろんこればかりではないけど、レーシングテクノロジーというか精神的な基盤を築いたHさんなんかは、積極的な立場をとるはずだと思った。なのに何故うまくいかないのか・・・想像できることは少なくはない。安全性の確保が、とかさまざまに論議されているようで、その論議はよろしい。どんどんすべきであろうと思う。しかしまあせっかく行政の首長たるものがこうしたことに声を上げているという歓迎すべき事態に、特にモーターサイクルメーカーなどや団体が「NO!」というのはいかがかと思う。いやそれほどまでにこの数十年間、バイクと社会のかかわり方でご苦労をされてきた経緯があるからだろうとも思う。がしかし、21世紀。みんな全力で考えて対応するのがヨロシイノデハナイカと思うのであります。仮に今年、三宅島TTレースが開催されて、2107年までは続くまいと思う。100年って簡単に言うけど、それはすごい量の時間だ。それほど連続して続くイベントは、そうはないのである。

きょうの一枚
世の中には面白い偶然がたくさんある。朝のTVで宮崎県のマンゴーを東国原知事が宣伝していたら、事務所に着くとマンゴーが!しかも宮崎県産!!が届いている。「ふーーん」送ってきた人は、まさに効果的な!ことをするもんだい。それにしてもうちの事務所はフルーツが良く届く!皆さんありがとう!!んで、鹿児島産の枇杷とかが、間もなく美味しいころなんだろーね。


2007/05/09 (水曜日)
暑くなりました。まだ5月というのにですよ・・・ムッホと「もうモンゴルの夏のほうが快適だなあ」なんて話しながら、暑くなり過ぎるであろう今年の夏に思いを?馳せています。

「そーだそーだ」とお考えの、そんなあなたには北海道4デイズさらに炎暑の8月を避難してBTOUと、熱くてクールなイベントが!目白押し。何のことはない自分の避暑のためにやっているのではないか?という疑いさえもたれそう。ことほどさように、今の日本の夏の暑さは殺人的であります。かく言うボクは6、7、8月のうちどのくらい日本にいるのか?北海道も含めると多分ですが?ほとんど居ないのであります。さらに9月も完全に居ない!!10月も中ころにならないと帰ってこないという無秩序ぶり・・・果たしてこんなことで許されるのでありましょうか??

最近の英文のニュース記事では、大気中の二酸化炭素を分解する装置が開発されたらしいというのであります。大きなエアインテイクから自然吸入して、CとO2分解、これまで植物や珊瑚礁の役割を機械装置でやろうというもの。宇宙日傘計画よりは少し良いような気がしますが、まあいずれにしても今年の夏の暑さや、来年の夏の暑さからは逃げられそうにはありません。

来週はボクは西安へ再び行ってきます。返す刀でモンゴルの試走。同時並行で北海道の試走・・・涼しい夏を過ごすためには、熱い戦いがあるのを忘れていました。さらにだ・・ボクの乗る試走用のマシンのエアコンは粉砕されているという噂?ダレ、コワシタノハ?!

きょうの一枚
四国カルストです。20年近いTBIの歴史で、その姿を現したのは2回目?というくらいの霧の摩周湖か?霧の四国カルストか?ってな具合。空間の広がりがムショウに大陸への思いを掻き立てます。


2007/05/08 (火曜日)
「そのラインは、いったいナニ?ちょっと諫言」

TBI2007・・・素晴らしかったですね。四国にも多くのツーリングライダーの姿も見受けられ、まさに適度なサイズのツーリングアイランド?だなあと感じました。また遍路を行く旅人の姿も多く、四国の持つ役割のようなものを少なからず感じました。それぞれの思いでそれぞれのスピードで旅をして行く。それに応える四国の自然と歴史が育んだ風土・・・いや、実に素晴らしいものであります。

しかしTBIの終了後に、お叱りのメールを、ほかならぬツーリングライダーから頂戴しました。林道内で対向してくるTBI参加者に対しての厳しいご指摘です。われわれもルートを中盤から走行していくと、「ほんとうにこのラインでこのコーナーに入っていくのか?」と思うようなタイヤのあとが、それはたくさん見受けられます。そしておそらくその轍をつける速度。対向された方にかけた迷惑は少なくなかったろうと思います。ご迷惑をおかけした方には、このスペースを借りてお詫びを申しあげます。とともにこうして公道走行を主体とするイベントは、ルールとマナーを重視していかなければ成り立たないということを、互いに再認識しなければならないでしょう。とともに、おなじオフロードライディングを楽しむ者同士として、もっと大切にしなければならないものがあるということも、これを契機にもう一度考えようではないですか。

そしてその新しい一歩として、北海道4デイズから、初心で取り組みたいと思います。


「ちょっと聞いたタラバガンのおはなし」

モンゴルの草原には、それは可愛らしい小動物タラバガンが、それは無数に生息しています。いや、いましたというほうが正しいかもです。最近は大量に捕獲されて、肉はおいしく毛皮は染めれば例の高級毛皮と見紛うばかりなのですから、隣国の需要が爆発的な種の危機を生じているのは事実です。そのタラバガン、もちろん冬には冬眠します。2ヶ所に出入り口のある巣穴は、その冬で寿命を終えるタラバガンが埋めてくれるという言い伝えがあります。役目を終えた男の最後の仕事?まるでアルマゲドンのブルース・ウイリスやインディペンデンスデイのあの爺さん、だれだっけ??かともダブリます?いやあんまりダブらないか?ともかくその伝説が事実かどうかはともかくとして、厳しいモンゴルの大地に暮らす民の死生観を移しているような気がしてなりません。

きょうの一枚
2005年に続きセットされたTBIのスタート会場。来島大橋の直下で有名な来島の潮流に足をつけれるほどの距離の好立地!!でも県の用地で、借りるのにはほとほと苦労しますが、ここのところ縁起の良い?スタート地点だと、内輪では特に人気。


2007/05/07 (月曜日)
「TBI2007無事全日程終了」

四国を6日間に渡って駆け抜けたTBI2007、本年も無事に閉会。終わってみればここのところもうひとつ不運続きだった前田啓介が総合優勝!!序盤のうちに昨年のTBI-BTOUの連続王者池町佳生に差をつけて、そのまま逃げ切り悲願の!!ホントに悲願の!!!優勝を飾りました。この調子で昨年の池町のようにBTOUも勝ってWタイトル!!と行きたいところです!がガントルガ、ハマーのKTM660勢、ボルドバートルのKTM450の壁!!ドイツからはカイザーらがKTMで・・・さらに池町・池田のBMW勢が乗り込んで仕上げてくるのは明白なBMW G650X・・・・それ以外にも伏兵の少なくない夏のBTOU・・・果たして前田ッチ!ヤレルノカ!?興味の尽きない展開になってきました。それにしても、あの満面の笑顔には勝負に勝つということだけでは得られない、こうしたクロスカントリーラリーの長丁場のイベントならではの爆発的な歓喜が込められてるように感じました。

さて新緑の季節から、一気に初夏へ。四国の山々は生命力に溢れ、まさに生きている!という感じが強くしました。次ぎは北海道です。

PS:北海道4デイズの資料請求をGW中に多くいただきました。にもかかわらず発送作業が未完です。プレエントリーの締め切りが5/10日ですので、この結果を踏まえプレエントリーを5日伸ばし5/15とさせていただきます。