「TDR、楽しかったね。」
次に控えてるのは九州!です。久しぶりにボクが(スイマセン)気合を入れてやります。気合を入れてって、それじゃあ他は、まじめにやっていなかったのか!?と言うと、勿論そんなことはないのですが、まあ今年の夏のことが・・・でもこの夏のことは、これからじっくりと闘ってきます。「攻撃は必ず反撃を受ける。」ボクの持論です。でも反撃は、緩やかにしておおらかに闘おうという思いです。歯を剥いて闘ってるのは、あまりアズマシクナイですものね。・・・これスガワラさんに教わった北海道の言葉。アズマシイとは、真に言い得て妙ではありますが、風水でも東側にあるものは基本的に静かでクールというイメージのようです。
東京(江戸?たぶん明治以降の屯田兵の言葉なので東京で良いかな)のことをなぜ北海道の人はアズマつまり「東」と呼んだか。方角的には東京は南に位置するはずです。このアズマシイは本来は、西国へ落ちた落人らが京都のことを指す言葉ではなかったろうか?そして東風(こち)吹かば・・・と菅原道真に詠ませた東とはやはり京都のことで、つまり北の大地から見たアズマシイは方角的には整合しないのですが、やはり京都のことかもと。そんなささやかなひとつの言葉からも、ワケの分からないところまで思考を広げていくボクはいったいこの先どうなるのでしょう・・・・
なんて考えていて、ふと検索してみたら
アズマシイとは「我が妻といる時のように心静かなこと。」つまり吾妻と書くのが宜しいでしょう。アズマシイではなくアヅマシイが正しいのですね。でも、どうも僕の聞いた語感では、やはり「雅やかな風情」というのに近かったように記憶しておりますが北海道の皆さんいかがですか?
さて、話は九州に戻ります。北海道に話を持って行っておいて、次に九州に振るなんざあ、かなりこなれた話術ではありませんか?
ボクは先週、Amazonで1冊の文庫本を買いました。470円。
城山三郎「指揮官たちの特攻」
これは、かなり前から読もうと思って、読めてなかった一冊。
神風特別攻撃隊第一号に選ばれてレイテ沖で特攻をした関行男大尉は実は愛媛県西条市出身です。国道11号線を通るたびに関行男大尉の墓標の案内看板が見えます。まあ今週末読む本ですね。そして、事務所に変な本を発見。
模範 大全科学習書 尋常六年後期とあります。発行は昭和15年。こんな本がなぜこんなところに、と開けてみるといきなり
少しこの教科書を読んでみましょうか?
「西南の役」
----眼のつけ所
明治維新の大業もあらかた基礎が定まり、これから国運が盛んにならうとする時、はしなくも朝鮮の問題から、いまはしい大乱を引起すに至った。明治維新の大忠臣、大功臣の西郷隆盛がどうして賊軍となったのでせう。また西南の役に於ける人々の功績や皇室の御めぐみや博愛の事業はどうであつたらうか。か。
-----学習の道すじ
(1) 征韓論→朝鮮が我が好意をしりぞけ、無礼を加へたので、西郷隆盛等が朝鮮を伐たうと主張し、其の論が破れて辞職した。
(2) 西南の役→隆盛は弟子におし立てられて乱を起した。谷干城らが熊本城をよく守った。隆盛等は官軍のため、遂に城山で自殺した。
(3) 皇室の御めぐみ→天皇・皇后・皇太后三陛下の御仁徳。佐野常民等は官軍・賊軍の別なく傷病兵を治療した。これが我が国赤十字社の起。
-----研究
(後略)
昭和16年には国民学校令が敷かれ、尋常小学校はなくなるので、昭和15年後期というこの教科書は、まあ尋常小学校の歴史的に最後の1冊。えひめ町並み博2004の知り合いの出してた骨董屋で、この本とか婦人画報とあと古いライティングビ
ューローを手に入れて事務所に置いていたのでありました。
この本を見てるとなにかこうその持ち主の勉強への情念のようなものが感じられ
て、すこし身震いをしました。まあ当時の小学6年生の方が良く勉強が出来たのでしょう。今西南の役を中学生はどのように語るでしょうね?そのうえ教育勅語
なんかも当然書かれていて、教育を受ける意義とそのありがたさなども学ぶのであります。
なんか話がとっちらかってしまいましたが、ボクはそのラストサムライの故郷へ旅をしに行くのでごわす。そしてその古い教科書には、傷みも少なく落書きはないのですが、尋六 中東達観 と名前が書いてあります。名前を検索してみたが、当然のこと中東さんという名前は見当たりませんでした。昭和15年で12歳としたら、ボクの父母の世代ではあります。。
(おまけ)
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