Organisation Voice 2011/05

 

 


2011/05/24 (火曜日)

「カモメのジョナサン」

70年代に、ボクこの本の影響を受けたか。その青い表紙に白くカモメが描かれた1冊(今日の一枚の表紙とは違うのですが・・・)を、長く愛読していたような気がする。それも異様な共感性を持って。

そういえば子供のころからかアリの群れを観ても、イワシの群れを見ても、たとえばムクドリの群れを見ても、その群れにない個体をいつも探していたような気がするのだ。つまり進化は、そうした突然変異に期待すると言うことを学んだころからだったかもしれない。いや、群れることを非としてきたかもしれない。「群れず、媚びず、拠らず」を心して生きていた時代があった。

いまも群れを外れている1匹の羊にさえ、共感する。共感すると言うか「彼はなぜそうなったか」を考えるようになったというのが正しい。

その本ではカモメにジョナサン・リビングストンなんていう壮大な名前を付けている。ジョナサンはほかのカモメが餌を獲る(飛行を小舟からでるパンの耳を手にいれるための移動手段としてのみ考える)ことだけを目的として飛ぶところから、ただ「飛ぶ」ということに価値を見出し、それを追求するために群れを離れてただ早く飛ぶことだけのために危険な練習を繰り返す。

群れは彼のことを認めようとはしないばかりか、次第に遠ざけるようになる。ボクは若いころはそれを「当然だ」と考えたが、今では「悲しい」に変わりつつある。つまり思考の主体がジョナサンよりも、群れ側に近づいて来たのだろうか。

こうしたセンテンスとこの本の後半部分は新興宗教的なインスパイアがあって、問題視される向きもなくはなかったが、ボクは自分がジョナサンのようだな、と思いつつジョナサンならないように気をつけなきゃいけないとも考えた。

何でこんなこと書き始めたかと言うとジョナ・ストリートのことを考えていたからだろうか?それとも朝から行く試走の道すがらに群れを失った羊を見る悲しさの予感かも。

そういえばうちの事務所の水槽に居る亀にもジョナサンと名前を付けた。今は誰もそう読んではいないが「この亀は普通じゃないねえ・・・」つまり「普通じゃない」ことをボクは「ジョナサン」と呼ぶ構造を持っていた。

「変わっているねえ」「普通じゃないねえ」と言われることに喜びを感じてきたボクも、求道のジョナサンに教えを説く年頃になってこの本の本質が解りはじめた。

『「ジョナサンよ」と彼は言った。それが彼の最後の言葉だった。もっと他人を愛することを学ぶことだ。よいか』

つまりまあ、独りよがりだった自分を反省しながらですが群れの調和と新しいことへの挑戦は両輪で行わなければならないという悟りの境地に達したのかもしれません。

きょうの一枚

そんな「カモメのジョナサン」まだ読んでない人は、まあ読まなくても良いと思います。

2011/05/20 (金曜日)

「ブツヨクなんてないもん!」

APIOのコーノさんのブログで「オーバースペックプロダクト大全」が紹介されていた。あろうことか文末には「経済活動で復興に協力したいが最近欲しいモノがないとお嘆きの貴方に物欲を刺激します。どうですか?ヤマダサン。」

という、なんともチャレンジングな物言い。
「くくくっ・・・ヒック(悔し涙)」

そういえば、昔のことダカールの海岸で、ジャーナリストの多賀マリオさんに「あなたは、歩くモノマガジン」と言われて、喜ぶべきか悩むべきか悩んだことも昨日のよう。まあのころは確かにそうだったかもです。

しかしコーノさん、ボクは声を大にして言いたい。

ボクはただいま、そのブツヨクの究極に足を踏み入れつつ「こんな恐ろしい世界があったのか?」と茶道具やら掛け軸やらの、いけないオーバースペックならぬオーバープライスな・・・だって、たかが古ぼけた南部の鉄の茶瓶が・・・そんな値段はしないでしょ!なのです。まあ高いったって茶瓶はタカが知れていますが・・・・・

でも近年はとくに節度あるボクとしては、行きつ戻りつ、美は美として愛でつつ「所有しない」という美学を発見しているのでもあります。

物欲とは、まだまだ修行が足りませんぞ!「喝!!」

と言いながら、周期的にやってくる時期戦闘機候補とか、試走が近づくと俄然活気付くアウトドアグッズ購入症候群や、あの「イメルダくん!」と賞賛された靴が欲しい衝動やら、抑えていた衝動がまるでライカだあジットだあ、Mマウントだあっていうコーノさんのごとく、つぼの中から「レッドスネークカモン!」な状態になっているんであります。ピィー(笛の音)

きょうの一枚

ボクのブツヨクはあらぬ方向に向かっていて、キャノンのCMで観た長谷川等伯の「楓図」が・・・スキャンして実物大に出力して作って事務所に飾ろうかとも思ったけど、おそらく大ヒンシュクで・・・。でも素晴らしい。



2011/05/19 (木曜日)

 

「ちょいとパリダカづいてきたので」

もう少し景気の良い時代のオハナシ。
マジでボクはポルシェ959を買おうとしていた。いやほんと。ほんとって!

ある日ヨーロッパのオークションサイトだったかでRothmans Porches dakar1986と書かれているマシン!「まさか?」で金額を見たら650万円(円換算でね)くらいだって、しばらくは何も手につかない時間をすごしていた。
「650かあ・・・」
それでもため息は出る。
「もうそんな金額になったんだろうか?」
と、心はちじに乱れる。

数日後に良く見たら6500万円だということが解って「あー、良かった」と心からそう思った。あの胸に起ったさざなみ、あれがなんだったのか、ボクは知っている。時々起こるあの胸騒ぎみたいな、どこから沸いてくるのか解らない、あの飢えにも似た焦げ付く思い。いつもそれに突き動かされてきた人生だったもの。

パリダカのときもそうだった。
その引き金は、ガストン・ライエだったしNXRだったし、ポルシェ959を駆るルネ・メッジやジャッキー・イクスらの姿だった。

ポルシェ959、もちろん80年代のクルマだから、今では遥かにこれをしのぐマシンは普通に存在するだろうがボクの中では特別の存在である。実は松山に1台あるのだ。あるにはあるのだが・・・・。

いずれにしてもボクの胸騒ぎは今も続いていて、時々その思いに自分でもたじろぐことがある。

きょうの一枚

ボクもタバコを止めて長いのだが、モータースポーツシーンにロスマンズがマルボロの向こうを張っていたのが懐かしい。

Rothmans International p.l.c.は、今はない英国のタバコメーカー。ブランド名はロスマンズやダンヒル などを作っていた。

1999年にブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)に買収されて21世紀を見ることなく消え去った・・・しかしロスマンズブランドは今も残りロスマンズロイヤルなんて気品のあるタバコとして愛好会もあるくらい。

おまけ


2011/05/18 (水曜日)

 

「男と女」

TBIの閉会式のあと、自分は「あのジャン・ルイだ。」というある大学教授と酒を飲んだ。モンテカルロラリーから雨の中をシェルブールに向かって走るフォードの姿が思い出されて「???」な感じになって少しボクは口をとんがらせた。映画「男と女」の話だ。その主人公のジャンルイ・トランティニヤンと自分を重ね合わせている男が目の前にいて「まさにこれはロマンチストだわい。」とひとり納得した。まあそれもラリーの魅力なのかもしれない。ニーチェじゃないけど男は危険なものが好きなのだ。

さらに彼はフランス語のせりふを大きな声で言うものだから「待っているのはどんな女の人か興味がわいてくる。」のである。ともかく、この映画はボクも子供心に少なくないインパクトを受けた。ジャン・ルイはル・マンでフォードF40をテストするものだから、ボクは「栄光のルマン」とこんがらがってしまって、いずれにしてもこの時代のフランス映画には、数知れずインスパイアされっぱなしだ。

きっとパリダカへの情景も、このフランスの甘美な切なさのようなものの延長線上に感じたのかもしれない。そういえばその席で「海へ」の話になった。88年のパリダカが舞台だ。ジョゼ・ジョバンニの「砂の冒険者」が原作で倉本聡の脚本。88年に製作されて高倉健やらいしだあゆみやら桜田淳子も出ている!ついでに言えばラリーの監修は菅原さんだ。ボクも走りながら眺めていた。なぜだかラックロゼのスタートに向かう細い道で、宇崎竜童ともうひとり名前は忘れたが、激しいスタックをしていた。撮影クルーはいなくて、彼らは後ろからラリーカーがやってくるので焦っていたのが思い出される。

確かにこの映画もそのフランス映画の妖しさがあった。パリダカの映画だから!と観た向きには意味不明だったかもしれないが、まさにフランス映画のようだった。

きょうの一枚

今年カンヌ映画祭。昨日の「今日の一枚」“パリの真夜中”がオープニング上映作品。この映画祭の公式ポスターはいつもチェック!!今年のモデルはフェイ・ダナウェイ。1970年撮影、カメラはジェリー・シャッツバーグ監督。「ボニー&クライド」にボクたちはしびれたっけ。


2011/05/17 (火曜日)

「ラリーのレストラン」

パリダカの創成期、つまり1979年とかその時代。ラリーにケイタリングは無かった。食事も自分たちでどうにかしなければならなかったそうだ。そのあとはTSO(主催者)が食材を配ったりしていたという。本当にプリミティヴな冒険であり、競技より前にサバイバルだった。

やがて「AFRICATOUR」という旅行会社が、ケイタリングをはじめるのだが缶詰とインスタントのコーヒー、歯が折れそうなパン。食べるのも億劫なような食事だった。篠塚さんがコッヘルで食べているインスタントラーメンが、羨ましくて仕方なかった。

その流れが大きく変わったのが1992年。パリ-北京だ。三菱商事が巨額の資金を提供してMAPSという運営会社が設立された。

ビバークには巨大テントが建てられた。恐ろしいコストだ。パンも焼いているし朝食には目玉焼きもあった。パリダカもこれに負けじと、食事の質の向上に腐心した。数年ぶりに行ったパリダカ、えっと1998年の20回大会。ビバークの食事はFAUCHON?だった。特別美味かったとも思わないけど、少しだけ考えさせられた。砂漠は既に冒険のフィールドではなくなったよ。そう示唆されているようだったし実際にそうだ。危険なのは砂漠地帯ではなく、テロや国境付近や強盗などになっていた。

いまモンゴルのケイタリングについて、SSERでは準備が進められている。星空レストランのテーブルやイスもそろそろ新しくしなければならないようだ。とにかく機材の疲弊が進む。そうした中でも工夫して安全で温かい料理を心をこめて作るだろう。なんか今年は缶詰とか震災の影響でかなり困っている。なんとパン焼き機を大量に発注していた。海外からのエントラントが増えているからだが、原発の風評被害は少なくない。

きょうの一枚

サルコジ大統領の妻カーラ・ブルニは、ウッディ・アレンの『Minuit a Paris』(パリの真夜中)に出演、そのポスターにボクはちょっと心動かされた。まだまだ表現の世界はあるね。そんなフランス、次期大統領候補最有力のドミニク・ストラス・カーンがアメリカで逮捕された。IMFの専務理事だから実質上の世界通貨の番人。なにが起きたのか?

 
2011/05/16 (月曜日)

「モンゴル、試走直前。子曰君子求諸己小人求諸人」

美しい季節、新緑は日に日に濃さを増し畑では麦秋の黄金色が広がる。

SSERの隣の畑もたくさんの野菜が育っている。その伸び具合を見るのも楽しい。昨日は福山で麻生さんが野菜を植えているところを眺めた。子供たちが来て手伝っているのが可愛らしいのだが、おじさんはビールを飲みながらだ。

ところで、事務所の葡萄も大きくなってきた。大きさがまちまちだった3本の木だったがいつの間にかどれも変わらぬ大きさになった。葡萄の葉は可愛い、小さくてもちゃんと葡萄の葉だ。でも考えてみたら植物の葉は、どれもそうかもしれない。

さて、こんな季節になるとモンゴルの試走だ。強い砂嵐の季節だが、それと闘うのも楽しい。留守をするので厚主クンと強風で壊れていたぶどう棚を直した。厚主クンは断熱工事の続きをしなきゃ!と材料を買いに行った。断熱は14面ある天井の10面までは終わった。あと4面をしてから出掛けられると残されたスタッフは助かるだろう。

ところでボクにはどうしても、疑問がある。
なぜ東電の賠償を、ほかの電力会社も協力しなければならないのだろうか?これだけはどう考えても納得がいかない。四国電力などが自発的にするのではステークホルダーは納得しないだろうし、政府が指示するのもおかしい感じがする。

どこかの金融機関が破綻したとき、ほかの金融機関は支援したことは無いと思う。ということは電力会社はみんな同じ根っこで繋がっていたということで、きちんとした株式会社ではなかったのだろうか?

「会社はだれのものか?」なんて本がむかし流行った気がするが、いったい東電はだれのものなのだろう?東電の株主や貸し付けた金融機関にも責任があるという論調はそのとおりだと思う。利益を求めたものは損失にも責任を持つべきだと思う。

子曰 君子求諸己 小人求諸人

子日わく、君子は諸(これ)を己(おのれ)に求む。小人(しょうじん)は諸を人に求む。

意味は言わない。ただ小人とは徳のない愚かな人の意味

小人閑居して不善を成す。

とかね。

会長と社長は役員報酬を半分にするそうだが、半分でも3600万円!らしい。というネタの出もともハッキリしないので、「らしい」を付けたがこれも風評被害?であることを祈リたい気分だ。

さてモンゴル。
日本とアメリカが共同で核廃棄場を作るらしい。それはあまりにも小人の考えではあるまいかと思う。自分で始末の出来ない危険なゴミを、何の責任もない国に金で頬を叩くようにするのだろうか?か?

それは恐ろしい禍根を未来に残すと思う。
「原発はトイレの無いマンションだ。」
という意味が、改めて解る。

美しくかけがえの無い地球、モンゴルはその最先端だとボクは思っている。経済的に貧しいからと言って、それが貧しいことにはならない。貧しいのは日本人の心になったのか?

きょうの一枚

この国のどこに核廃棄施設を作るのでしょう。そうしてどのようにしてここまでそれを運んでくるのでしょう。いつから日本人は・・・

 
2011/05/12 (木曜日)

「ところで、高速1000円って、いつまで?」

やはり気持ちが悪いことのひとつには
「決まったのか、決まってないのか?」
「実行はいつからなのか?」
気がついたら始まっているのか?さっぱり分からないことだ。

今日のこと、あの梼原町に居を移した土屋君が事務所に遊びに来た。かつてSSERの映像制作を担当していたあの通称イチカメさん!だ。農業をしながら暮らしているのだが、その移転を決めた理由のひとつが松山IC以南の高速無料化だという。

良い話しは続かない。
まさにそういうことだろうか。

6月18日は松山でモンゴルの船積み車検だから、
「高速1000円できてもらおう!」
と言ったら
「えっ6月からは無くなるんですよ、それ。」
「・・・・・」
「いや6月いっぱいはOKらしいですよ」
「なんかNEXCOのHPとか見てから言えよ。」
「NEXCOのHPには、何も書いてありませんよ。」
「まさか?」
「・・・・・」
何も書いてませんがな。

ということで、高速1000円の廃止は風評?ということになってしまうではないですか。確かどこかで決まったような。東北は無料にするとか?

しっかりしなさいよ、と本当に言いたくなるではありませんか?!

で、ところでいつからなんでしょう?

きょうの一枚

北海道の魅力は、やはり深い森。そしてそれを抜けたときに広がる巨大な空間が出現します。なんと言ってもそのコントラストが日本離れしていて・・・。

 
2011/05/11 (水曜日)

「そうそう、連休の分散化はどうなった?」

もう忘れたかもしれないけど、民主党は連休の取得を分散化させるという案を進めていたと思う。

「TBI、やれなくなりますよね?」
「ゼーンゼン!」
「でも休日が・・・」
「そんなことよか分散化したら、日本のサプライチェーンが破綻するよ。トヨタ方式など徹底した効率化で在庫を持たずに生産する奇妙なシステムは狭い国土の日本ならではなのよ」

あの時そんな話しをしたものだが、図らずも今回の大震災でそれが証明されるという皮肉に。

そもそもサプライチェーンとは、供給(サプライ)の連鎖(チェーン)のこと。完璧に分業化された部品や素材の調達がその日の必要量に応じてタイムリーに供給されるというもの。
「道路を倉庫にしている」と揶揄されたことも・・

そう、今回大きなダメージを受けた自動車業界はその代表格!てかトヨタ方式とかカイゼンというシステムを築き上げ筒、実は彼らが最も恐れる事態が起きたということだ。

自動車は一説によると3万点を越える部品で構成されているという。1台分の部品を広げて置くと、体育館ひとつ分といえば大げさだけど・・・

以前ラリーカー製作のときに全ての部品を1点ずつにばらして工場(いまの事務所)に広げた。180m2ではとても足りないのだ。
エンジンの構成部品も全て1個までに分解した。
「組み立てられるのか?」
みんながそう言った。ばらばらになった部品の管理は難しい。

どのひとつが欠けても1台の車は作れない。
日立ルネサスの壊滅的な状況は世界中の自動車メーカーに極度の被害を与えたし、とにかく全ての部品が連鎖して進むので、GWを1週間ずつ3つのエリアで行うということは、3週間操業が止まる・・・つまり製造業では今回の大災害級の製造支障が発生する。

さらに今回の震災とこうした考え方から心配な点は一つ。

要は阪神淡路で被害を受けた神戸港湾は、復興後もすでに天津や釜山に移った機能を取り戻せなくなってしまっている。というようなこと。

海外生産も大きな被害を受けたが、いまの政府の考え方では製造拠点を海外に移さざるを得なくなると思う。サプライチェーンの崩壊を見ながら、やはりGWをずらして取得するのは不可能だろうということが分かったというのも、辛い話しではある。

あと製造工場に大きな倉庫需要が出てくると思われる。在庫が膨らんで、少しだけ経営を圧迫するかもしれないので部品の共有化がさらに進んでいくことだろう。

なんてまじめなOVを久しぶりに書いてみた。

きょうの一枚

ああ、早く北海道に行きたい!!今年は赤松カメラマンも行くそうだ。ああ、夏はウニのシーズンだよねえ。なぜか去年はボクは行ってないって。「すしひろ」2年ぶりだなあ。ということで美味しいものを食べようという企画の「北海道4デイズ」ビバークの食事もがんばってるし。


2011/05/09 (月曜日)

「やっぱ、蓄めるチカラの開発も」

浜岡原発が止まるようだ。重大な決断を、割と簡単にしてしまった。いずれにせよ「決断」というものは、どのように深く考えたのしても発表された時点では、その道筋や伸吟ぶりは伺えない。

国家の運営というのは誠に難しいものだと思う。何かを試みれば利があり害がある。芦別に行くたびに「石炭を掘れば良いのに」と思う。まだまだ良質な石炭が沢山あるそうだがオーストラリア製の石炭が輸送コストを見ても割が合うのだという。環境先進国になろうとする日本も火力頼りだ。

「なぜ石炭は見捨てられたんですか?」
と聞くと
「それは国のエネルギー政策の転換によるものです。」と

ボクは石炭は掘りつくしてしまったのかと思いきや、そうではなかったようですね。

ある決断は大きな利害を生みます。北海道の少なくない産炭地の都市は崩壊してしまいました。炭鉱から観光へという語呂合わせに頼ってみたところであとの祭りです。

バランスのよいエネルギー政策は不可能なのでしょうか。同じ石炭を燃やすなら国内での採炭を復興させては・・・ああ時代は逆行するのですか!?

電気の供給というのは作ったものを蓄えられないというところにその難しさがあるようですね。この蓄える技術をもっと発展させることは出来ないのでしょうか?何度も書きましたが、海水にあるリチウムを取り出す技術を開発して電気は大量に保管できるようにしたらいかがでしょうか?

夏の暑さも冬の寒さも、それぞれ蓄えて反対の季節に放出できる!なんてことは出来ませんかね??

きょうの一枚

北海道4デイズ。富良野で。気持ちの良い7月の北海道。
夢のようなライディングの日々!
そうそう!プレエントリーの締め切りは接近中です。5月15日ですよ!どうぞお忘れなく。


2011/05/06 (金曜日)

「TBI2011 完走率100%」

何か今回は特別の「悲願」のようなものがボクにはあった。そして大会開始時の総合ブリーフィングで確かに「今大会は100%の完走を!」と宣言とは大げさだが、少しばかり祈りの気持ちにも似た思いでいた。

そして100%成就!!まるで「事は成った。」という満足な思いに包まれていた。

完走率100%って聞くと「なんだかTBIってのは、楽なのだろう。」そう思うのが普通だろう。

でも、数人のグループでツーリングに行っても、何かしら問題は起きて、100%完走というのはそう容易でない。

距離も2000kmをゆうに越えているし、ハードなオフロードも500km超えだ。なかには「よく見つけてきたねえ、こんな道」と賞賛?されるような自然に還ろうとしている道も織り込まれている。

参加する者はあらゆる緊急事態に全て自分で解決しなければならない。深夜の山奥でガス欠になることもある。クラッチを壊したものもいるし、体力の限界を感じてリタイア届けを出して受理されなかった者もいる。

ビバークと呼ばれるキャンプ場には、温かな食事と主催者の手で運ばれた一人当たり22.5kgを上限とするバッグ。しかしその大半はテントとシュラフで占められる。その程度の荷物だけが頼りだ。

こうしたことからも、100%の完走というのはまことに凄いことだと思う。

もうひとつ。

総合4位になった松井航さん。22歳。今年モンゴルへ挑戦する。女性参加者にも25歳の若者がいました。来年はモンゴルへ挑戦するそうだ。

ボクの諸願は成就された。

さまざまな願いや祈りを込めた2011のTBI、偶然ではあったものの鎮魂の意も含んで高野山に参った。歓迎してくれたのは奥の院の入り口にある白山桜の古木、なんと満開。これから始まる四国への巡礼の旅立ちへ。

そこは空海がいまも禅座して読経をしているといわれるところ。時間が無かったので、半ばから手を合わせた。

また新しい旅に立てそうだ