「レギュレーション考察」
今年のモンゴルのラリーが終わった。 さまざまな思いがよぎる。 そりゃあ、そうだ20年も(それまでは地の果てだと思ってた)モンゴルに通いに通ったのだ。 記憶を辿りながら 「何回、来たのかなあ。」 調べてみた。 どうも63か64回だ。
すごい。
SSER3DAYSは、30回大会。 1回大会の直前の試走中に日航機の事故があったなあ。 帰り道の食堂で、何人もの仲間と見て驚いたものだ。 それにしてもよく続いたものだ。 あまり変化のないレギュレーションと、変化のない環境で開催を続けてきた。
そう、レギュレーション。
そうそう、ボクはレギュレーションを振りかざして「ペナルティだ」「失格だ!」 と騒いでるという印象を持たれてるのだそうだ。
実は、そうだ。 特に今年のモンゴルは、その戦いに憑かれていた。 しかし、それは守らなければならない約束事だし、まあいいやってしてしまうならレギュレーションなんていらない。 ラリーモンゴリア2014、ある朝のブリーフィング ボクはこう言い放った。
「わたしはこの競技をスポーツにしたいのだ。純粋なスポーツマンシップが闘いあう、スポーツにしたいんだ。早ければいい、なにをやっても良い、分からなければ良いなんて思う者は、ここに居てはならない。暴走大会にはしたくないのだ。」 と朝から、どうしたものかヒートしまくってた。
排除しても排除してもウンカのごとく現れる隠れサポート。未登録のメカニック。 ゴール地点を隠すということをしても、いつの間にかやってくる。 「何やってるんだ?」と聞くと 「通りがかりだ。見てるだけで何が悪い?」 「昨日も通りがかりか?」 「うるさい!」 こんなことを、誰にでもやらせるわけにはいかないが、競技者を失格にするとレギュレーションには書いている。 その対象者を失格にしないなら、すでにそのレギュレーションは存在しないものになる。
しかしこのレギュレーションというものは なにも参加者にのみ突きつけられた課題ではない。
時に主催者はそれに苦しめられる。 つまりレギュレーションとは両者に課せられた、重たい約束事だ。
だってそうだろう? レギュレーションには〇月〇日〇時に、どこそこで受け付け車検をする!と書いたら、なにがあっても、そうしないといけない。 「忘れてた」とか「都合で・・」とかってわけにはいかない。 ここには給油が用意してあると書けば、どんなに苦労しても砂漠を渡って数千キロgのガソリンや軽油を運ばないといけない。
そんな約束事は、参加者よりも実は主催者のほうが多い。それも守るのが厳しい約束事の多くは主催者側にある。 レギュレーションというバレーボールのネットのようなもので対峙してる2チームの片方が主宰者で、もう片方が参加者かも知れないと思うときもある。
レギュレーションは主催者の都合で作られている!? そんなことはない。 とにかく多角的に検討を重ねて、競技としての存立性と安全性とを、付け加えれば「楽しさ」を加味して、吟味して練って練って、そして不要な字句をそぎ落として作ってる。
さて。 つづきはまた。
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