「開国が、攘夷か。面白いほどに国論を二分してますな。」
ガストン・ライエが、ことあるたびに 「タマンラセットに置いているダグラスDC-3を一緒に取りに行こう。」 と誘ってくれてた。 DC-3ねえ。。。。
そのマシンをその空港に置き去りにしたのは1980年代末。
そこにあるはずもないし、ガストンも本当にそこにあるだなんて信じていなかっ たろうと思う。 思い出は夢だ。 思い出こそ夢だったという思い出だ。
その機体に数台のラリーマシン(DR-BIG)を積んで、ニジェールに広がる遥かなるテネレ砂漠まで何度かテストにDC-3で行ってた時のことを目を輝かせて話す。 そうだろう、彼はマルボロをスポンサーに走る世界の頂点に君臨してた男だ。
最後はフランスに帰るフライトでエンジントラブルが起きて、パーツ類を次々と砂漠に投下して命からがらタマンラセットの空港に不時着したんだ!という。
その後アルジェリアは危険地帯となった。
ふたりでDC-3を取りに行こう!という話しは、夢の冒険の昔話の扉だった。そこから延々と80年代のパリダカの話が繰り広げられて時が経つのを忘れる。
そのDC-3、航空ファンには珠玉の名機であることは、門外漢のボクでもわかる。そしてそれを所有してた元ワークスライダーの華麗な生活だって透けて見える。
今日の一枚は、いつもブチ負かされてしまう「宝島社」の新聞広告、見開き全30段!!今年の9月のもの。これだ。DC-3だ。きっと。
そのDC-3から下りてくるマッカーサーの写真。 このコピーといい、ヴィジュアルといい。 「お前たちは、またこうして国作りを、人から教えてもらわなきゃなんないのか」 という相当ダイレクトなメッセージが込められている。
これを見た日本人の多くは、実は自分が言われてることに気づかず 「そうだそうだ。政治はなにをしてるんだ!」ということにして、いわゆる?民主主義を標榜する国家の国民であることを放棄している。もちろんボクもそうだが、あなたもそうだ。
いま国論を二分してるのがTPPの交渉参加の問題。 誰もが 「TPPどう思いますか?」 みんな鼻息があらい。フンガー!なのがおかしい。 ボクも男の子なら旗色を鮮明にしなきゃいかん。
そこで今日の一枚の広告からボクの意見を少しだけつまびらかにする。ドーデも良いといえばそれまでだが・・・
「また轍を踏むのかね。」
幕末。国論を二分した開国と攘夷。 あの時代は主義主張は命をかけてしていた。 そののち国論を二分した「バスに乗り遅れるな」で有名な、昭和初頭から太平洋戦争へと突き進む新体制運動。バスとはまあ帝国主義というかファシズムだったけど。 乗り遅れずに乗ってみたバスの行き先こそが、いまの日本だ。敗戦の塗炭の苦しみを指すのか、その後に来る輝かしい隆盛を差すのかは都合の良い解釈で宜しい。
しかし、宝島社は昨年の広告で伏線を引いている。2枚目の写真「日本の犬とアメリカの犬は会話できるのか。」 よく読み説けばコミュニケーションの大切さを訴求してるようだが、実は違う。「出来るのか?」は問いかけではあるまいと思う。「出来ないだろ」という断定に似ている。事実いぬは会話が出来ないというところとアメリカのイヌという2重仕掛けの暗喩が暗い。
遥か時代に埋もれかけた国論を二分した議論の幾つか。 日本は正しい議論がされてない歴史がある。 今回もきっとそうだ。
しかしそうであるならばなお、交渉の議論のテーブルには着けばよい。着かなければ、それは負けだ。
そして反対派が言うように 「押し付けられたら反対できない。」 「日本の医療制度が崩壊する、農業が崩壊する。盲腸の手術に200万円もかかる」 そんなことはあるまい。それは国民が許すとはとても思えない。そもそも医療も農業も崩壊しかけているのではなかったのか。しかし反対派の言うような、そんな国なら「もう、それ以前に、よろしい」としか言いようがない。
みんな自国の利益のために動くのだが、せめて大義を持って、自国の利益ばかりではなく70億地球市民に等しく。。。というのは綺麗ごとなのだろうか。それはけして、情けは人のためならずなのであると思うのだが。
それと経団連とJA全中の代表は、気持ち若くしたほうが良いと思う。世界への見え方も大事だ。反対は美しく叫ぶべし、なのではありますまいか。
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