Organisation Voice 2011/11

 

 

2011/11/30 (水曜日)

「そーいや、MINIの物語」

ダカールにはペテランセルが、MINI-CROSSOVERでエントリーだね?てな話と2006BTOUの写真整理で大量に出てきたモンゴルに挑む4台のミニクーパーの符号が妙に合って、なにかこう懐かしく温かな気分になったりなんかした。

あのときの4台のMINIのエントリーは、どちらかというと無謀だったけど、ラリーの中に彼らがいるだけでとてもほのぼのとしていた。それに1台は完走した。チンギスハーンホテルにゴールした時には女性ドライバーは熱中症で意識も朦朧としていた。でも確かにエコチャレンジというカテゴリーを設けてはいたもののMINIとPRIUSの完走は、本当に驚きだった。

そんなことを思い出しながら、MINIのカタログを眺めてたりするボク。

きょうの一枚

モンゴルの大地に挑むMINIたち。


2011/11/29 (火曜日)

「みをつくし」

ボクはなぜか全国にあまたある、この手の記章の中でも大阪府章も大阪市章も好きなのだ。変わってる!って言われるか知れんけど。
大阪弁になっちゅう・・・

その昭和43年に制定された大阪府章は、当時のデザインとしては群を抜いていてイマっぽい。っていうか今世紀に入ってデザインされたのかと思うほどだ。そしてそれは秀吉の千成瓢箪を図案化したというが、案外ボクは大阪市章の「ミヲツクシ」をモチーフにしてると勘ぐっている。

子供のころに聞いた
「みをつくしても、あわんとぞ思う。」

百人一首に収められたその下の句。
「わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」

まあ解釈によれば開き直ってるような歌だが、(ばれたものは仕方がないから、リスクを犯しても今晩会いに行くぞ)みたいな。

しかしまあ、ここから難波とかみをつくし、とかが始まったのなら魅力的だなあ。。。と子供心に思ったもので、ある部分で相当にマセてたのかもだ。

「みおつくし」とはご存知のとおり航路標識で漢字では「澪標」と書く。

源氏物語にも「澪標」という帖があった。

光源氏と明石(光源氏の明石時代の愛人)が交わした歌

「みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな」
「数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ」

恋焦がれてこの身を捨てても、という意味なのだが維新の会の圧勝と深夜にも及んだ橋下会見に敬意を表してこんなことを書いたのだが。

どうか「みをつくし」て素晴らしい大阪を築き上げていただきたいと思う。

きょうの一枚

100年間続いたフシアワセ。上は大阪府、下は大阪市のマーク。いずれもボクは良いと思う。都構想では、どう変わる?

2011/11/28 (月曜日)

「PRESENTATION SEOUL 2012」

月日はまるで加速をするかのように過ぎていきます。

いつかやろう、と思っていることが、もう出来ない。になってしまそうなぐらい時間が過ぎていきます。

さて、12月10日にはSEOULへ参鶏湯を食べに行きます。違った、SEOULでの説明会を開催して来ます。昨年も、いや今年か。大勢エントリーしていただいたチームKOREA。。まったく未知のラリーに苦しみながらも、大活躍をしていました。

東アジアのモータースポーツの中でも、このモンゴルのクロスカントリーラリー・・・これからは中国や韓国の参加者も増えてくるはず・・・なのですが問題も少なくありません。まずは輸出入の通関の問題。とにかく難しくなり続けていきます。韓国からも日本と同じように一度船積みして天津に揚げます。ということでコスト的にも厳しいし時間もかかるのですね。

いままではモンゴルでのラリー開催には、無関税の一時輸入とかが認められていたのですが。。。政府筋で交渉しても近年は「あなたたちではないが、ラリーという名前でやってきてクルマを売って帰ったりおいて帰ったりする団体があって、認められない。」のだそうです。そういえば、そうかもしれないなあ。と思いながら、襟も正さなければならないと誓う今日この頃。ウランバートルの渋滞はますますひどくなり、自動車が増えすぎています。

きょうの一枚

#26 Kim Myung Rak 彼のヘルメットオンボードカメラは、まあ問題もありはしますがYOUTUBEで楽しませてくれました。特に映像にこま地図を組み合わせたあたり。。。主催者としては「・・・」で苦虫を噛み潰したみたいな顔のボクを想像してください。


2011/11/22 (火曜日)

「衝撃の発表!!篠塚建次郎氏ラリー復帰か!?」

すいません、おおげさで。

でも、19日のPRESENTATIONで篠塚さんたら、ラリーに参加する!!と発表してしまった!しかもジムニークラス「おおおおおぉぉぉぉぉ!」と会場がどよめくかと思えば、そうでもなく、みんななんとなくわかっていたのです。

3年もラリーの裏方をやれば、それにあの激しいジムニーのバトルを目にしていれば。。血が騒がないはずはありますまいて。

しかし、ただジムニーでとなると話は大きく変わって「七沢温泉の闘い」に割ってはいるということになるわけで・・・

菅原Vs尾上対決が、三つ巴に。なんて思っていると先の九州で菅原さんを唸らせたお二人もそれぞれジムニーで。。。なんて言っていると、あちらからもこちらからもジムニー参戦の雄叫びが!!!

きょうの一枚

今モンゴルではBajaマシンとパジェロEVOが大人気!!特に篠塚さんがスタッフとしてモンゴルに参加し始めてからというものは・・・そして皆さん速い速い。総合優勝も狙おうかというほど速い。実は今年も篠塚さんには、そのEVOのシートの話しがあったのはあったのですが・・・さて、篠塚さん。ジムニーをどのように走らせるかは、とてもとても興味があります。きっと日本のTVも興味を示してくれることでしょう。いやほんと。


2011/11/21 (月曜日)

「ボクタチが、失くしてはいけないと思っているもの。」

実はボクも、たくさんの失敗の積み重ねの上に生きています。大方は選択の誤謬のようなものです。それの繰り返しが失敗の積み重ねということです。まあ誰しもがそうで、当然といえば当然なのです。そしてその、さまざまな選択の誤りを、いまでも思い返すことがあります。しかし考えてみれば「あの時の判断」の、選ばなかった他の道の結果は、基本的にはわかりません。しかし想像する心は持ちたいものです。そこにかすかながら、自分が疎んじてしまった義があったりするからなのです。

たくさんの失敗のあと、50の歳も近づいたときに、それは突然に解ったことがありました。それは与謝野鉄幹の「ひとを恋ふるうた」

妻をめとらば 才たけて・・・って、いうやつです。

その鉄幹が言うには、1番では

「友を選ばば 書を読みて六分(りくぶ)の侠気 四分(しぶ)の熱」
そして2番では「友の情けを たずぬれば、義のあるところ 火をも踏む。」
ちゅうわけです。

なにやら鉄幹も失敗から学ぶところがあったのでしょう。

そうボクが出来ていなかったのも、この部分です。熱情が勝るのであります。やりたいことをやるために、失ったたくさんの友情があるかもなのです。

確かに友を選ぶならば、勉強家でどんな話しも気持ちよい者が良いには決まっていますが。。。それに加えてと鉄幹は「六分の侠気、四分の熱」が必要だと。

つまり義理人情を自分の情熱が越えてはならない。そういうこと。

自分がやりたいことがある時こそは、なおさら義理を重んじなければならない。

この当たり前のことが難しいのは古今を問いません。

だからこそボクタチ日本人が失くしてはいけないのが、この部分です。どこから独立をするというとき。新しい試みに踏み出ときなどは、このことを必ず振り返らなければなりません。

さらに続く2番では、友が困窮していると聞けば、自らは火を踏んでも駆けつけて友への義理を尽くす、ということでしょう。

最近は友からの知らせに「困ったなあ・・・」と思うことも少なくはないでしょうが、それはまた明日の自分の姿であると見るべきです。

「美しい日本」というときの日本は、美しき日本人の心とその風景、とそういう意味です。

九州4デイズでは奇しくも「五足のくつ」鉄幹らの、旅の足跡を辿りました。大江天主堂に立つ石碑には後年そこを訪れた吉井勇の歌碑もあり、あの時代の友と酌み交わし未来や理想を語った熱っぽい思いに、自らの半生を重ねてみることができました。まことに「旅」とは旅人を多感にし雄弁にし、雄筆にするものだなあと感じます。

鉄幹はこの歌の最後に
「ああわれダンテの 奇才なく
バイロン、ハイネの 熱なきも
石を抱( いだ)きて 野にうたう
芭蕉のさびを よろこばず」

とします。このあたりの詩になれば、まるで難しい迷宮に踏み込んだような感じがして、少し嬉しくなるようなフレーズですね。ここらの解釈については、またいつの機会に。

きょうの一枚

1枚目
鉄幹や白秋ら5人が旅をした天草大江天主堂。なんとも言えぬ悲しさと豊かさがない混ざった思いがこみ上げる。

2枚目
吉井勇が後年、回想して詠んだ「白秋とともに泊まりし天草の大江の宿は伴天連の宿」昭和27年・・・友への思いが強く感じられますよね。友とは思い出の中にあります。

3枚目
「ともにゆきし友みなあらず我一人老いてまた踏む天草の島」上の歌碑の除幕式に吉井勇。ともにゆきし・・・韻を踏んだ歌いだしにまた一人感動する56歳のおじさん。その吉井勇記念館は、TBIの「こんなところをSSにするのかい?」というほどのあの場所のすぐ近くにあります。義理と人情で繋がった友情もまた、不思議な縁でいつまでもここでも、また繋がっているということですよね。だから・・・来年のTBIでは「吉井勇記念館」を通りますね。

2011/11/16 (水曜日)

「PRESENTATIONは、午後3時からですよ。お間違えなく!!」

ついに発表会の準備が整い、明日はクルマで東京へ向かう!!途中で少し打ち合わせを挟んで・・・行くので遅くなるけど。

みんなと話していると、どうもPRESENTATIONの開始時間を勘違いしている人が多いのではないかという話になった。

「15時でしょ。じゃあ4時過ぎまでに入っておきます。」
「???」
これ、ボクもよくやる時間の間違い。
午後3時を15時と聞くとオートマチックに午後5時と勘違いしてしまう。
よろしく。
午後3時からなので。

発表の内容は7本もある2012年のイベントの紹介。
ツールドニッポンシリーズ2011の表彰式も同会場にて。
お土産は、写真集とカレンダー。。。

さらに「チームスガワラ壮行会」
篠塚建次郎さんも来られます。
ぜひ、お時間をお間違いなく。

[TPPの詳細はコチラ]

きょうの一枚

敦煌の宿から見た鳴沙山。2012はここをベースキャンプにタクラマカンをグルッと。そんなお話しも19日の発表会で・・・お楽しみに。

2011/11/14 (月曜日)

「SSER TPPに参加の表明」

えっと、TOKYO・PRESENTATION 2012 & PARTY略してTPPにご参加を表明している皆様。今週末ですぞ。またまだご存じない?みなさま、いまからでもお申し込みください。さらにParty?の場所も、チョモランマ酒場のみでは収容不能ということで、2間隣も予約しようという動きに。

これで菅原さんの壮行会も兼ねて、賑やかで楽しい!!今週末の夜に!!北海道4デイズのディレクター春木さんも来ていただく予定。

どうぞお誘い合わせの上。。。会場は狭いかもしれませんので少しお早めにお運びいただければ幸いです。

[TPPの詳細はコチラ]

きょうの一枚

実は、いまや土に還ろうとしているアフリカツインが1台、すぐ近所にあります。おっ、賢明なあなたは誰の所有物か、一瞬で見抜いたはず。それを1989年NXR仕様にしよう、というボクのお願いが少しずつ聞き入れられかけていて、こんな写真をタメススガメツ眺めては構想を膨らませているのでした。あの時代に帰りたいような、帰りたくないような不思議な気分。ちなみに1989年は第一回日石ツールドブルーアイランドが行われたSSERにとっては記念すべき大きな分岐路だったようにも思います。あの時TBIがなければ、いまのモンゴルも無かった事でしょうねえ。


2011/11/10 (木曜日)

「開国が、攘夷か。面白いほどに国論を二分してますな。」

ガストン・ライエが、ことあるたびに
「タマンラセットに置いているダグラスDC-3を一緒に取りに行こう。」
と誘ってくれてた。
DC-3ねえ。。。。

そのマシンをその空港に置き去りにしたのは1980年代末。
そこにあるはずもないし、ガストンも本当にそこにあるだなんて信じていなかっ
たろうと思う。
思い出は夢だ。
思い出こそ夢だったという思い出だ。

その機体に数台のラリーマシン(DR-BIG)を積んで、ニジェールに広がる遥かなるテネレ砂漠まで何度かテストにDC-3で行ってた時のことを目を輝かせて話す。
そうだろう、彼はマルボロをスポンサーに走る世界の頂点に君臨してた男だ。

最後はフランスに帰るフライトでエンジントラブルが起きて、パーツ類を次々と砂漠に投下して命からがらタマンラセットの空港に不時着したんだ!という。
その後アルジェリアは危険地帯となった。
ふたりでDC-3を取りに行こう!という話しは、夢の冒険の昔話の扉だった。そこから延々と80年代のパリダカの話が繰り広げられて時が経つのを忘れる。

そのDC-3、航空ファンには珠玉の名機であることは、門外漢のボクでもわかる。そしてそれを所有してた元ワークスライダーの華麗な生活だって透けて見える。

今日の一枚は、いつもブチ負かされてしまう「宝島社」の新聞広告、見開き全30段!!今年の9月のもの。これだ。DC-3だ。きっと。

そのDC-3から下りてくるマッカーサーの写真。
このコピーといい、ヴィジュアルといい。
「お前たちは、またこうして国作りを、人から教えてもらわなきゃなんないのか」
という相当ダイレクトなメッセージが込められている。

これを見た日本人の多くは、実は自分が言われてることに気づかず
「そうだそうだ。政治はなにをしてるんだ!」ということにして、いわゆる?民主主義を標榜する国家の国民であることを放棄している。もちろんボクもそうだが、あなたもそうだ。

いま国論を二分してるのがTPPの交渉参加の問題。
誰もが
「TPPどう思いますか?」
みんな鼻息があらい。フンガー!なのがおかしい。
ボクも男の子なら旗色を鮮明にしなきゃいかん。

そこで今日の一枚の広告からボクの意見を少しだけつまびらかにする。ドーデも良いといえばそれまでだが・・・

「また轍を踏むのかね。」

幕末。国論を二分した開国と攘夷。
あの時代は主義主張は命をかけてしていた。
そののち国論を二分した「バスに乗り遅れるな」で有名な、昭和初頭から太平洋戦争へと突き進む新体制運動。バスとはまあ帝国主義というかファシズムだったけど。
乗り遅れずに乗ってみたバスの行き先こそが、いまの日本だ。敗戦の塗炭の苦しみを指すのか、その後に来る輝かしい隆盛を差すのかは都合の良い解釈で宜しい。

しかし、宝島社は昨年の広告で伏線を引いている。2枚目の写真「日本の犬とアメリカの犬は会話できるのか。」
よく読み説けばコミュニケーションの大切さを訴求してるようだが、実は違う。「出来るのか?」は問いかけではあるまいと思う。「出来ないだろ」という断定に似ている。事実いぬは会話が出来ないというところとアメリカのイヌという2重仕掛けの暗喩が暗い。

遥か時代に埋もれかけた国論を二分した議論の幾つか。
日本は正しい議論がされてない歴史がある。
今回もきっとそうだ。

しかしそうであるならばなお、交渉の議論のテーブルには着けばよい。着かなければ、それは負けだ。

そして反対派が言うように
「押し付けられたら反対できない。」
「日本の医療制度が崩壊する、農業が崩壊する。盲腸の手術に200万円もかかる」
そんなことはあるまい。それは国民が許すとはとても思えない。そもそも医療も農業も崩壊しかけているのではなかったのか。しかし反対派の言うような、そんな国なら「もう、それ以前に、よろしい」としか言いようがない。

みんな自国の利益のために動くのだが、せめて大義を持って、自国の利益ばかりではなく70億地球市民に等しく。。。というのは綺麗ごとなのだろうか。それはけして、情けは人のためならずなのであると思うのだが。

それと経団連とJA全中の代表は、気持ち若くしたほうが良いと思う。世界への見え方も大事だ。反対は美しく叫ぶべし、なのではありますまいか。

2011/11/08 (火曜日)

「自動車関連税撤廃!!賛成!!」

まさかこのような動きがあったとは。。
知らなかった。
こんな話し自動車業界がお上に向かって出来るなんて夢にも思わなかった。
なんかからのコピペだ。

「自動車取得税などの廃止を求める声が、愛知県などから上がった。この提言に、自動車メーカーなどは、連携する考えを示唆している。全国およそ7,900万台と、国民1.7人あたり1台の割合で車を保有している日本。そうした車社会に、愛知県の大村秀章知事が提言を投げかけた。愛知・大村知事は4日、「あえて、われわれの税収を返上してでも、基幹産業である自動車産業の活性化を図り、経済を振興し、雇用を守り、税収を上げる」と述べた。愛知県や三重県など、自動車産業が重要産業となる7県が足並みをそろえ、地方の重要な税収源である、自動車取得税と自動車重量税を廃止すべきとの声明を発表した。大村知事は4日、「見通しのないことはやりません。実現ができる、わたしは、このことについて自信があります」と述べた。

日本の車の所有者は、自動車税を毎年払うほか、購入時には自動車取得税、新車の購入や車検時には、車の重量に応じてかかる自動車重量税など、いわゆる二重課税されているのが現状となっている。
日本自動車連盟が調べた「自動車ユーザーの税負担の国際比較」によると、日本で車を11年間使うと、平均およそ68万円の税金がかかり、これは、アメリカのおよそ49倍、フランスの16倍にあたるなど、ほかの先進国と比較しても極めて高い割合となっている。7日、自動車メーカーや日本自動車連盟などが共同会見を行い、自動車関連の税金の軽減や簡素化を訴え、大村知事らの提言に対しても連携する考えを示唆した。トヨタ自動車の豊田章男社長は「ぜひとも、皆さんで力をあわせてやっていきたい」
と述べた。

この動きに、ホンダカーズ日野店の曽根 徹さんは「うちは、いいと思いますね、なくした方が。今、ハイブリッド化で車体そのものの値段が高くなっているから、(自動車関連税が)なくなれば、売りやすくなる」と話した。経済産業省は、自動車関連税制の見直しで、1.6兆円の売り上げアップのほか、7.4兆円の需要と、36万人の雇用創出が期待できると試算している。一方、地方税制を管轄する総務省。川端総務相は1日、「地方の安定財源の確保という意味では、代替財源等、一緒の議論でないと、われわれとしては、議論をするわけにはいかない」と述べた。円高で、国内の基幹産業に深刻な影響がもたらされている中、自動車産業の未来にかかる税の議論は、極めて重要となっている。」

ボクの結論。

賛成、賛成!大賛成!!

きょうの一枚

ヤマダのFBでは毎日ラリーの写真を少しずつUP!海外の方々に広く目に触れるように・・・と努力しています。それにしても赤松カメラマンの写真は、相変らず素晴らしくて・・・もっと写真集のときに選べばよかったなあ。これは最新UPのゾーモット遠景。

2011/11/02 (火曜日)

「雨の九州4デイズ」

雨でした。やっぱり。
天気予報は、ひとつのマーフィーの法則のようなものがあります。
「晴れの予報は当たらないことが多いけど、雨の予報は必ず当たる。」
とかね。悩んだ挙句に長靴を持ってこなかったボクは、雨の予感がしていて「ああ、長靴と雨用の帽子・・・」とひとり前夜にクヌギの木のザワザワという音に、確信にも似た雨の匂いを嗅いでいた。

霧でしたね。あそこは。
2日目。「ラピュタの道」という、世にも不思議な道を行くことに。
SSの撮影も放り出してFUTUREチームは、やまなみをひた走る。
「なんかいい感じ。」
「雨あがりそうですね。」
長者原。
ここは黒澤監督が「乱」の撮影をしたところだ。ここで激しい夏合宿中のボクタチは・・・まあその話はまた別の機会に。
「いやあ良い絵が撮れそう。」
なんて話しているのに深草君は禁断の一言
「いやあ、でもミルクロードあたりは霧が多いですからねえ。」
「・・・・・」

あにはからんや、向かう方角には幻想とはとても言い難い、悪意にも満ちたガスの塊がへばり付いている。

「うーん」
対向車のライトも見えない。
入り口を探すのも一苦労。
ガスの中に突っ込んで
「風があるからエントラントが来る頃には晴れますよ。」
なんて言うのも。慰めだと言うことをボクは気がついていました。
「これも陰翳礼賛のツケだ。」

そもそも薄暗いところなんかに、日本的な美を見出そうなんて根性が気に入らない。なんて思っているとガスの中からブオオオオンと。わざわざボクの前に停まって言うには

「ホントに、絶景やなあ。」3人
「どこが絶景ですか」3人
「まじ、もー楽しみにしていたのに。ほんと。」20人
「フォフォフォフォ」5人

残念。来年は青天白日で行きたいものです。

きょうの一枚

frm・・・FREE RIDE MAGAZINE 11月号、Vol-37

SSER3DAYSを走った三上編集長の記事が載っている。これまでには多くのジャーナリストがSSERについて書いたけど、あたらしい切り口で捉えているなあ、と思う。SSERって、そうだよな・・・と雑誌の記事を見て思い返す自分がいたりするのでした。まだ読んでいない方はぜひ。オフロードライディングの本質的な楽しみ方のひとつかもね。 

2011/11/02 (火曜日)

「行くぞ九州!」

なんかブログも早く書け、OVも早く書け!と言われ。。。某大手メーカーのカタログコピーの仕事が目の前に(11/09締め切りが、全く手付かず・・・)あるちゅうのに。ということでブログとOVがほぼ同じようなタイトル。

そして事務所の中はオフィシャルのメンバーたちの大声が響き渡っていて・・・
その多くは土佐弁で、これから九州へ行くと薩摩弁と土佐弁と博多弁と伊予弁。

歴史を紐解かなくても、どこの言葉で話すとイニシアティヴが取れるかは、一目瞭然。怒っていて怖そうな言葉で話す、しかも意味が不明でも部分的には解る・
・・これが肝要。
やはり言葉の壁は大きいね。
スピードラーニング「土佐弁」
とか「薩摩弁編」とか、作らんかね。

ということで近代日本史のミニチュア版、九州4デイズがはじまります。

きょうの一枚

本番のときにボクはここで赤松カメラマンとFUTUREのVのカメラマンとここにおります。こんな感じでこの車が停まっている予定。