Organisation Voice 2007/03

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2007/04/02 (月曜日)
「モンゴルへ。」

桜の中、試走が続いています。昨日は気持ちのいい日曜日で、特にはかどって充実。2年前の台風の被害のあとのTBIでは軒並み不通だった四国の林道群が、まるで生命力があるように生き返っています。なんとダート200kmオーバーなんて1日も現れそうで、ハードで美しい旅になることは請け合い!!です。

一方あわせて準備の進んでいる「北海道4デイズ」と「BTOU2007」今日はBTOUのお話を少し。まず、ケース2のプレエントリー応援企画がスタート!!詳しくはコチラで、来週はウランバートルまで行って参ります。BTOU2007は、途中2年間のお休みを経て、今年11回目で13年目の大会(ラリーレイドモンゴル時代から通算)です。特にこの90年代後半から近年の、世界における環境などに関する新しいパラダイムの中で、「クロスカントリーラリー」のあり方を模索し続けてまいりました。そういった理由もあって、この大会に参加されると、ラリーを通じてですがいろいろなことを感じ、また考えさせられるだろうと思います。

モンゴルの大自然の中でオフロードライディング&ドライビングは至上の喜びでもあり、その偉大な大自然というか空間は、あらゆることを考えさせてもくれます。自己との対峙。自分の人間としての性能やこれまでの生きざま。そしてもう少し付け加えると、鋼のように強くなっていく自分との出会い。もちろんラリーという枠組みは、多くのことを強制します。ある一定時間内に到着しなければいけないというルールは、故ティエリー・サビーネの言葉を借りると「冒険を時間というナイフで切った・・・」というふうになるのでしょう。

昨年スーパーカブで完走した平岡さんは。「何度ももう止めようと思いました。でも応援してくれる仲間のことを思うと、もう少し頑張ってみよう。その繰り返しでした。もう限界か、と思ってもその限界は自分で決めているだけなんです。」と語りました。その限界は自分で説は、その後会社で定着して周囲を苦しめている?という話題もオマケです。

なかなかさまざまな事をするのには制約や、限界を感じます。ほとんどの場合それを乗り越えないことがこれまでの日本の社会通念だったような気がします。しかし探検家や冒険家の偉業に感動し、それを讃え、でも心のどこかで羨望し、場合によっては揶揄し嫉妬している自分があった・・・はずです。それはつまり「自分だって」という思いだったはずです。

冒険とは、おそらく自分の限界を自分で乗り越えるための作業のことを言うのだと思います。その作業に取り組むには「強い意志」が必要だと思います。また意志とは意思の上に成り立っています。意思のうえに成り立ち、挑戦への意志が起き、その質によってそれを持続させることが出来ます。「意志あるところに、道は拓く」と僕が書いたら、誰かがモンゴルを走って「道には意志がある」と言いました。なんとも粋ではありませんか。

そんなこんなでケース2・・・はるかウブス低地、世界遺産の彼の地まで、これは2007年だけの特別なルート、いやホントに・・・で参ります。参加を決めるには高いハードルがありますが、ぜひ参加をご検討ください。真摯に参加のご案内でした。

きょうの一枚
日曜日の試走で、ダムのほとりの国道の桜に思わずパチリ・・・桜が終わるまでには試走も終わらせなければなりません。いかに桜の花が短いものか知ることが出来ます。


2007/03/30 (金曜日)
3月30日爛漫の春です。暖かいし気持ちが良いですね。なんのいたずらか松山では黄砂が少ないような感じで、例年に比べれば空が少し青い感じです。空の青と桜の色が良く映えます。それにしても桜は良いですねえ。西行の「願はくば・・・」の歌が心に沁みます。

さて4月になるとBTOUのプレエントリーCASE-2が25日の締め切りに向けて進みます。昨日のミーティングでCASE-1より少しコストアップするエントリー費を還元しようという企画が進んでいます。まもなく発表予定です!もちこれまでのエントリー済みの方にも・・・朗報!!ぜひBTOU2007へ参加をご検討ください。何かたくさんのことが同時進行していて、そうとうにタフなアタマが求められていて、もちろん体力もなのですが、極限に挑戦しているような・・・。

昨日ある方とこんな話をしました。
ある方「最後にどうしてもあのシルクロードを走りたいんです」
ボク「いや、ボクもなんです。この数年急激に目が悪くなって、それもあまりに酷くて道路のギャップが判別つかないほどで、もう普通に走れないんですよ。」
ある方「いやあ自分も全く同じです。よし!!でも行きますよ。西安-パリ」
ボク「そうすか、一緒に走りましょう!!」
ある方「そうしましょう!」

でもその人は。北海道4デイズやBTOU2007にもエントリーしている「目が悪い・・???」ついでに言うとその方は、北海道弁で話します。さてその人は最終的にどのように選択をするのでしょうか??タノシミタノシミ

ほかの話。カザフスタンの前の首都アルマトイからバルハシ湖に向かっていく途中に「タムガリの考古学的景観にある岩石彫刻群」という世界遺産がある。で検索検索・・・「おおおーっ」モンゴルでぼく達が見た壁画と同じだ。岩の質も絵も酷似している。紀元前1500年から20世紀?まで描かれ続けてきた???で岩石彫刻をペトログラフというんだとも分かった。

よし、どうしてもこのモンゴルのペトログラフをコースに入れてやろう!!と考えているのですが、カザフスタンのそれは2004年登録・・・なのでモンゴルのはそろそろ保護の対象になっているかもです。

そんでもって、はたしてタムガリの世界遺産のそれと、人知れず砂漠の奥にあるモンゴルのそれと、どちらがすごいのか?!見比べてみたいと考えたりしています。

そんなこんなで、BTOUに行こう!!というお話でした。

さて最後に・・・今、ボク最近はSkype・・・で、パソコンのモニターにはムービーのカメラがついてるので北海道の春木さんとは”無料”通話でテレビ電話状態・・・みなさんもSkype設定して電話ください!! :http://www.skype.com

きょうの一枚
恒例の事務所の山桜07バージョン、山桜はご存知の通り花と若葉が同時で、しかし花の期間は短いのが特徴。つぎ気が着いたら花の季節は終わってるので、今年の春はデジカメを持って歩くことに・・・・


2007/03/29 (木曜日)
「奄美の残像」

TDNで訪れた奄美のことが懐かしい。その島は妙に魅力的で日本的ででも南洋で、沖縄でもなければ日本でもないという感覚。多様な動植物の宝庫で日本のガラパゴスだったといっても過言ではない。数奇な人生を送った日本画家・田中一村の作品で迎えられると、彼の人生や晩年をすごした粗末な住宅に心打たれる。日本画壇の将来を嘱望されつつも、傷つき流転の果てにこの島に着いた。大島紬工場に勤めながら残した作品群は、目を疑うほどの大胆さでゴーギャンのそれともかぶる。

実はもうひとつ奄美に惹かれた物語があった。新聞のお悔やみ欄にひっそりと掲載された島尾ミホさんの死。

アサヒコムから
戦後文学の代表的作家、故島尾敏雄氏の妻で作家の島尾ミホ(しまお・みほ)さんが、25日午後10時、脳内出血のため鹿児島県奄美市の自宅で死去した。87歳だった。(中略)同県・奄美群島の加計呂麻(かけろま)島出身。この島で国民学校の教師をしていた1944年、特攻隊長として同島に赴任してきた敏雄氏と知り合い、敗戦後の46年に結婚。52年に上京するが、敏雄氏の浮気がもとで心の病にかかり、55年に家族とともに奄美大島に移住する。極限まで追いつめられた夫婦の姿を描くことで、愛とは何かを問い詰めた戦後文学の傑作とされる敏雄氏の「死の棘(とげ)」は、このときの島尾家の様子が題材になった。 86年の敏雄氏の没後は敏雄氏が残した日記を収めた「『死の棘』日記」の出版などに尽力。01年には、自らの半生を描いた日ロ合作映画「ドルチェ―優しく」に主演した。著書に田村俊子賞を受賞した「海辺の生と死」や小説集「祭り裏」がある。

80年代初頭にこの「死の棘」を読んだ。あまりに赤裸々で、あまりに絶望的で、あまりにも若いボクには衝撃的だった。夫の死後、ミホさんは多分20年間以上だが喪服を着続けたといわれている。TDNで訪れた時、加計呂麻島に渡りたかったが、時間がなかった。特攻魚雷の基地などのあとが残っていたと記憶しているし、鮮やかな本の中のシーンが蘇った。

もう一度奄美大島からラリーをスタートさせたいと思ったが、やはり時代がもうこの島でそうしたことをしない方がいいのじゃないかと思わせた。

話は変わる。北海道だ。芦別の隣に歌志内という町がある。この辺りにもボクは深い感慨がある。あまりTVを見ないボクが見たテレビドラマ「昨日、悲別で」の舞台がこの辺りだ。アイヌ語で別とは川のことだが、ドラマのタイトルは「悲しい別れ」のようなニュアンスがあって、それは生まれ故郷との別れとか、そういう風に感じた。最近知り合った外資系の金融機関に勤める男が「ボクは歌志内の出身なんです」と聞いて大いに盛り上がった。

北海道4デイズは、夏のもっとも豊かな時期に行われますが、打ち合わせなどに雪の中に良く訪れる。暑い奄美、雪の芦別。日本はロマンチックで美しいストーリーに溢れているね。

きょうの一枚
そんな奄美の加計呂麻島の見える対岸の集落の石積み。長年の風雨に晒された老人のような風情。きっと戦争も見たのでしょうね。やけに抜けのいい青空がウツロだったりします。人影はありませんでした。


2007/03/28 (水曜日)
「孫子とクラウゼヴィッツ」

西安の碑林博物館のことを書いたが(いつ書いたっけ?)そこには曹操に捕らえられた関羽の絵に隠し文字で劉備に送った碑文が残っていたりする。(正しいかどうか未検証)それは三国志から見ると紀元200年前後だ。司馬遷の「史記」は紀元前100年ころ。そんでもって孫子は紀元前500年くらいに生きた人だから「孫子」の兵法というのはいかに古いのかがわかる。日本は何をしていたころだろうか?それでも紀元前19世紀!という楼蘭ははるか彼方、さらに1400年も遡らなければならない。最近、北朝鮮問題などを見ていると、孫子の兵法ではなく・・・孫子は好戦的ではないし、戦争をする前に考えることがある・・・と読み解けるのだが。でも、そうか孫子は兵を用いるのは詭道なりだとか、欺くとか騙す事などを兵法であるとも説いているから、ここらも彼の地の将軍様は読んでいるのか。

で思い出すのがクラウゼヴィッツの「戦争論」孫子と並び称される古典の名著だがこちらは1830年代のことだ。19世紀だ。つまり楼蘭の美女から38世紀も経っている。さてその「戦争論」一部だけを書き出すと誤解される恐れがあるが、まあこんなことを思い出した。「実力行使を辞さない者には、すべてが敗れる。」という一説。

まあ何が言いたいかと言うと、どうもここのところ春めいてきたのか、頭の中が混乱しているということだろうか「木の芽時だしね?!」で今日から試走を再開。「実力行使を・・・」がなにも北朝鮮のことに限らず、絶対にやる!という強い信念が必要なのだということだ。新しいこと、難しいことに取り組むとなかなか問題が多くて、ついつい意気を失いそうになる時がある。というかこれまでのボクは、常にそういう時と闘ってきたともいえるんだ。

ほんとにここんところスイマセン。いよいよ「西安−パリ」のパンフレットが印刷アップの予定!!ボクもADV発注!!カタログを見ると、孔子の言葉が・・・孔子も孫子と同じ時代に生きて、ボクが今読んでいる小説では若き日の孫子(孫武)が孔子と会う場面から話が始まっている。ほんとうかな?で、どこに行くにも心を込めて・・・じゃなくて「足ることを知れば心は安らかである」という一説、でもバイクは渡河中!!「???」

ボクは思う「足ることを知るには、興味をなくすことかもしれない」と。「足ることを知るな!足らざることを求めよ、ならば心は安らかなり。」でもそれは決してお金とか物質的なことではないのであります。「???」

きょうの一枚
西安の少し市街地から外れたところにある政府関係御用達?のレストランが、第1回目の会談場所。延安で活動をしていた毛沢東も度々訪れて会議をしたり食事をしたという。その廊下でパチリ!古き良きオールドチャイナの空気良し。


2007/03/27 (火曜日)
ボクはこう考えていた。「人間は歳を取るにつれ、自身のルーツと言うか、自分は何者なんだったのだろうか?という思いが強くなるのではないだろうか?と。山口瞳の『血族』や、誰だっけかの、そうクンタキンテ(それは登場人物か?)の『ルーツ』などのように・・・そして日本人のDNAの濃いモンゴルへの憧れや、日本の文化の源流となった中国・西安あたりに、遺伝子的な望郷の念がざわつくのではないか」と。そして老境を迎えるころになると、特にその地を訪れてみたいという思いに駆られる。・・・イマのボクの状態だ。

昨日付のアサヒコムから
「奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)から出土した青銅製の海獣葡萄(ぶどう)鏡(国重要文化財、直径16.8センチ)が、同時期の中国製鏡と同じ成分比の鉱物でできていることが、奈良文化財研究所飛鳥資料館(同村)の分析でわかった。(中略)唐からの輸入品とみられる奈良・正倉院の鏡や中国出土とされる他の鏡と、ほぼ合致した。高松塚古墳の海獣葡萄鏡は、697年に没して翌年埋葬された唐の高級官僚、独孤思貞(どっこしてい)の墓(中国・西安市)の鏡と同じ鋳型で作られたことが、すでにわかっている。このため、直後の702年に派遣された遣唐使が704年の帰国時に持ち帰ったとする説が有力だ。今回の結果はこれを裏付け、高松塚の被葬者が、遣唐使のもたらした文物に触れられる高位の人物である可能性が強くなった。 (アサヒコム)」

西安に行くと激しいデジャヴに襲われる。「ボクはここにいた、この町に棲んでいた」みたいになる。西安には四国にはゆかりの深い青龍寺がある。ここは空海らが訪れ、密教を会得した場所である。高松塚古墳の時代と同じなのだ。この寺は中国の歴史遺産の中では新しい部類かもしれないが・・・800年代には一度毀損されその後復興と毀損が繰り返され、1982年に発掘され再興された。四国88番札所の0番といわれているので四国人のボクとしてはお参りに行った。・・・そして思うのである。やはりボクは何かゆかりがあると。境内の植栽や不思議な形をした置物や、その空気感はなんなんだろー?高松塚古墳が7世紀末から8世紀つまり空海ら遣唐使によって持ち帰られた鏡が副葬されている。そんな西安は紀元前11世紀からせ西暦9世紀にかけて中国の政治、経済、文化の中心だった。古くは長安といわれ1369年明の太祖によって西安と命名された。ボクの歴史を遡る旅は、ひとまず西安で満足をしたかと言うと、どうも中央アジアあたりにもデジャヴがあるに違いないと踏んでいる。特に西域南道・天山南路辺りが怪しい。最も古いシルクロードの隊商路だ。

特に「楼蘭」だ。砂漠に消えた古代都市で見つかった女性の貴人のミイラは「楼蘭の美女」と呼ばれ、纏っていた衣装の炭素年代測定では紀元前19世紀!!のものと発表されたお話は、あまりにも有名でショッキングでもあった。しかし「史記」に記述が出て来るのは紀元前2世紀、司馬遷は紀元前100年前後の人だから、あの熱心な調査と聞き取りからしても、もっと古くからの楼蘭の記述がないのはおかしい・・・。

スイマセン、なんか訳が分からなくなったのでこの辺りでヤメます。

きょうの一枚
ゾーモットではラクダが歌うように鳴いています。気持ちがいいのでしょうか?
どうしてもゴビ砂漠ではこの地を訪れない訳には行きませんね。


2007/03/26 (月曜日)
能登半島沖地震の被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。時間が経つにつれて被害の大きさが分かってきました。少しでも早く復旧が進み、美しく平穏な暮らしが取り戻せますようお祈り申し上げます。

ところで今後に起きる地震の確率では、このエリアは確か1%台で日本国内でもダントツに確率の低い地域だったそうで、日本国内ではどこにでも常にこうした大きなリスクがあるということを再認識させられました。特にここのところ地震のニュースが少なくて、なにかこう安心したような空気があったこと、また東京都知事選で「関東大震災級の地震が云々・・・」という話も、なんか危機感を感じることなく「フーン」と聞いていたことにも少なからず反省。もう一度、普段からわれわれが出来ること、を含めてしっかり対策と対応を心がけて行きたいものです。

さて話は変わりますが、安全に関するお話。
今年からヘルメットリムーバーの着用が義務化されていきますが、BTOUではやはりネックブレースの着用を強くお勧めいたします。レギュレーションにもそう追記されました。強制化には少し時間がかかるかもしれませんが、よろしくです。金額は安くはありませんが、安全への投資としては抜群に格安であることは紛れもない事実。多少ライディングに支障があるやも知れませんが、それはまあ慣れで対応するです。SAFETY FIRST

きょうの一枚
BTOUから・・・バロンバヤンウランのビバーク。いつも強い西風が吹き付けるこの大地。砂丘が西から東へ移動しながら、きめの細かい粒子は中国や日本まで飛んでいく。今日は良く晴れて、空は黄砂で覆われていた。ボクはなんとなくゴビ砂漠の匂いを嗅いだような気がした。ふとバロンバヤンウランのことを考えた。さまざまな感慨のあるあのビバーク・・・。


2007/03/23 (金曜日)
ビッグタンクマガジンのサイトから KTM990 Super Duke の動画を見に行った。うん?目くそ−シロナガスクジラを笑う?という意味深な発言を探って悶々としていますがな。おそらくあの映像は論議を呼ぶでしょう。でもその議論をしているあなた、ほらあなたのことですよ・・・まあ似たようなもんじゃないですか!?ということですか?ハルキさん。いや実はもっと意味深で、シロナガスクジラの意味が分からないのです。ここらじゃ「メクソハナクソを笑う(キタナーイ)」というんですが、さすがに北海道になるとそーなるのか?

まあいずれにせよ広告というのは、議論の対象にあるのがひとつの効果ですよ。もうこのHP見た人だって、BTMのを見た人だって「どれどれ」と見に行って「あれはけしからん」「いやバーチャルじゃないか?」「いやあれは実写じゃないか」とKTM社の仕組んだ成否はともかく巧妙な罠にはまるはず。で、このコピーが「アドレナリン・ウォンテッド?」うーそういやDUCATIのスーパーモタードもコピーは確か「スリリングがどーのこーの」だったかと。まあ似たようなコンセプトかもしれないが、確かにバイクに新しい動きが生じてるような気がしますな。

今日は1日試走・・・で帰り道で「いかん。今日作ったルートは納得できん」ということになり、丸一日分がふいになる見込みだ・・・ガックシ

しかし春は完璧。繚乱に咲き競う百花は見事に春霞に薄墨を混ぜたような淡さを・・・って何言ってるんだろう。んで、すごい村を発見しました。山の高いところの林道から真っ逆さまに下る怪しい小径を見つけました。「行ってみる?」「行って見ますか?」「・・・」と谷底まで降りていきます。普通こんな道を自動車は通りません。でもその向こうには国道があるはずですから、きっとそれに繋がるはず。降りても降りても谷底はまだです。と、2軒の集落?が・・・全く人里と隔離された異次元というか、いつの時代なのかという佇まい。しかし美しい。結局そこで道は終わりました。

どんな人が暮らしているのか・・興味は尽きませんが陽も傾いたこともあって「ヤマンバ」だったらまずい!と思い、降りてきた小径をひーひー言いながら引き返しました。ドライバーはカメラマンだったもんですから、写真を撮っているはずで、また公開しますね。

きょうの一枚
こんな感じで試走を続けています。その集落の写真は近日公開予定オタノシミニ


2007/03/22 (木曜日)
BTOU2007・・・TBI2007・・・北海道4デイズ2007・・・西安-巴里2007・・・なんとボクの2007は忙しくてゴージャスなんだろうか?と思う。

どれ一つもかけることなく「心を込めて・・・」と行くには大変だが、心を込めるつもり。だからどれかに、なんかの形で・・・たとえば競技者で、メカニックやマネージャーで、メディカルスタッフかオフィシャルスタッフで・・・2007年を逃したらトンデモナイ!!というほどの一年にしちゃう!!

さてBTOU・・・ヨーロッパのメディアが世界にリリースをするという話がやって来た。これはかなりなもので、BMWの本社のオファーのようだ。X-Challenge・・・完全に本気モード!!のよう。もちブルーシーの参戦も本決まりで、メルマガにも書いているけど、結構マシンの信頼性を重視した体制・・・つまり少人数で走るということ。少人数ということは、サポートパーツもかなり限界があってほかの参加者と同様なのだ。さらにマシンはラリーの中でこのチームのみのものだから、ラリー中にパーツを手に入れる!ということも困難なはず。新しいマシンのほぼ世界初ラリー投入!見所たくさんのBTOUをお見逃しなくだ!!

あとね、4輪も多そうなのだ。ロシアチーム4台体制・チームFAコートも2または3台・菅原さんはジムニーにスイッチ、APIOの尾上さんたちもジムニーでエントリー!!もちろんモンゴルの「赤い彗星!?流れ星だったっけ?」達も健在!!あとはオタノシミニ!!まだまだ参加者大募集中!!2007BTOUを堪能してくださいね。

きょうの一枚
TBIのルートは「海・海・海」と書きましたが、さすがに四国、島というだけあってありとあらゆる表情の海にだけは事欠きません。


2007/03/20 (火曜日)
試走の宿はいつも日が暮れてから探す。もう少し前まではテント生活だったのだが、モンゴルのそれが1ヶ月近いテント生活になってからというもの、四国は温泉の宝庫・・・とばかりに少しばかり贅沢をしたりなんかしています。

「人間の品格」
東京都知事選の候補者たちの討論会を見ていて思った。本来日本人はひとまえで人の悪口を言うのは似合わない。また自分の実績を云々するのも品格にもとる。だいたいアメリカのようなネガティヴキャンペーンとかは日本文化が受け入れない。たとえば都知事選に立ったならば、石原知事の実績を評価する発言をすればよろしい。
「石原知事は、東京都にこれほど多大な貢献をした。願わくば次期も知事を続けていただきたいと思う。ただ公僕の長としていくつか問題がある。」とかね。 つまり「Yes,But法」である。少なくとも日本人の品格として、最低のマナーのような気がする。あ〜あこんな話旅先の宿ではこれ以上書き進むことが出来ん。

試走の話も少し・・・1日目は素晴らしく「海・海・海」本当に濃厚な海。新しい誰も知らないダートも、青い海原を背景に駆け抜ける。お天気だけはお願い。


2007/03/19 (月曜日)

「TBI試走スタート!」
いよいよ先週末からTBIの試走が始まりました。ボクはいつ休むのか?でここまで試走開始を遅らせた原因は、昨年の大雪!!でも今年は積雪がないので、もっと早く始めればよかったとも思うのだけど、スケジュールはまるで半年先まで・・・な感じで決まっているわけ。で、のこのこと春の山に出かけると、昨年の大雪でも3月半ばにはなかったところにもこの暖冬に雪が残る!?という異常ぶり。でもまあ、そんなことにもめげず、これからしばらくは山の中で暮らしています。またしても連絡のつきにくいボクですが、お許しくださいな。

「最近腹の立ったこと」
病院。急に近くの病院に行った。はじめての。医師はこちらも見ずにパソコンとにらめっこ。「どーしました?」もパソコンの画面見て言っている。「えーと・・・」「カタカタカタカタ」「それで?カタカタカタカタ」診察は患者の目を見てしなければいけません。しかもマスクしているから、表情も分からん。「ちょっと横になってください」おっ触診です。でも終わったと思ったら消毒薬で手を洗う。それも1分くらい。「・・・・」まず人の身体を触る前にお前の汚い手を消毒せえや!!怒!!言ってやりました。そんでもってあとは汚いものでも触ったみたいに必死で手を洗う。嫌味に見えます。まるでパソコンのキーボードよりもオレの身体のほうが汚い!と言うのか!!(結構汚いかも)で気分を害しまくり。おまけにレントゲン・・先生が来ますからじっとして待っていてください。中腰で裸で、寒いし・・・「すいません、病気になりそうなので帰ります。」と言って隣にある病院にいくと、すっかりそこのお医者さんとは仲良しに。

医療に関してはさまざまなことが取りざたされています。得に愛媛では例の腎臓移植の問題など・・・ボクもBTOUやらで医療に関してはかなり勉強はしたつもりです。安全な大会運営、それでも万一のときは・・・今回BTOUには1名の緊急救命医がエントリーされています。「なにかお手伝いできることがあれば何でも・・・」「クーーッ(涙)」まず今年からはヘルメットリムーバーが必携です。そして今年からではありませんが、ネックブレースの着用も義務付けられなくても是非!!転ばぬ先の杖は、高くても安いものです。でも何とかもう少し安くならないかと思ったりもします。ネックブレース。BMW製@102,900−ナリ。

きょうの一枚
今日の一枚は2枚・・・なにかと「食い物ネタ」の多い今月の「今日の一枚」試走の美しい写真もたくさんあったのですが・・・ジャーン「南予の鯛めし」プリプリの鯛の刺身を(少し炙ってもいいのになあとボクは思うのですが)味醂の強めのチョイ甘めの出汁をかけて頂く。これは結構ですな。卵も地鶏の黄身のみ・・・卵だっておいしそうなこと・・・次ぎは来島(糸山とか)の鯛めしのお話・・実は翌日はこっちを食べたわけで2日連続「鯛めし」なのであります。

で、やっぱりまじめに走ってるところも・・・今回のテーマは「海」徹底して四国の美しい海と山河の対比をお楽しみいただきます。


2007/03/16 (金曜日)

ボンバルディア機の前輪が出ないで空中で旋回を繰り返していると、そのわずかな間にでもそのエアラインの株価は急落し、胴体着陸に成功すると急に株価が跳ね上がる。・・・そんな風に株を売買する人の心情なんて・・・と思わざるを得ない。

また日本の低金利で資金を調達して、世界中をうごめく大量の資金。これさえも似たような気分で右往左往している。もちろんそれでも資本主義の原則「市場の原理に任せる」のが良いことなのだろう。

ライブドアの元社長堀江被告に実刑判決が出た。国民はどう見るか?裁判長は判決文を読み上げたあとに、ハンディキャップのある子供を持つ母親から届いたという手紙を読み上げたという。こんな一罰百戒の判決・・・ネズミ捕りにも似ているよ−な気がする。法の執行の公平性は厳に。

アサヒコムから
小坂裁判長は判決理由読み上げ後、堀江前社長に向かい、東京地裁に送られてきた、ハンディキャップのある子どもを持つ母親からの手紙を紹介し始めた。 「大きな夢を持ち、会社を起こし、上場企業までにした被告に対し、あこがれに似た感情を抱いて働く力をもらった。ためたお金でライブドア株を購入して今でも持ち続けている」。手紙にはそう書かれていたという。

ボクの気分「・・・・・・・」
「働いて貯めたお金は、自分の夢のために使って欲しい。」

話は変わる。というか変えよう。SSERの中国名が決まった。中国の立派な方が決めてくれた。アリガトウゴザイマス!!発表しまーす!!ジャーン!!「馳宇競技公司」です。皆さんよろしく。宇宙を駆けるという意味の競技運営団体!!だそうな。なんとなくロゴも簡単に想像がつきますな・・・でもボクのこと、また変なデザインをするに決まっている。名刺も作んなきゃでごんす。

そー!携帯が中国から届きました。お待たせ!!お誘いのお電話よろしく!!でも明日からはTBIの試走で山の中だから繋がりにくいかもだんね。お酒はちょっと自粛中!!

きょうの一枚
1枚目・・・西安市の城壁の中の屋台。城壁の上から撮影。少し右手には西安碑林博物館があります。碑林とは文字や図像を刻んだ多数の石碑がまるで林のごとく林立してるさまをいうのでしょうね。ここは昔の西安の孔子廟を基礎に1087年に建てられました。展示品は約3000点、圧巻は楊貴妃の彼氏・・玄宗皇帝の天宝四年(745年)の自筆、5.7mの高さの碑。題字は皇太子李亨(後の粛宗皇帝)の書です。碑文の中には「身体髪膚これを父母に受く」という銘も。身体に穴あけたり、彫ったりしてはいけませんと言ってますよ。

2枚目・・・こちらは蘇州でお昼に食べた「そば」少し米粉の混じった麺のような感じ、なめらかです。スープは普通においしいのですが、鶏の骨付き肉のから揚げがスープに程よい脂を浮かべて食欲をそそるのですが、ボクは小龍包の美味さとボリウムで、そばは半分でリタイア・・・今食べたーい。おなか空いた。


2007/03/15 (木曜日)
東京は初雪ですって?やっと冬がやって来ましたね。事務所の暖房も久しぶりにつけました。異常気象!困ったことです。西安も8つの川に囲まれて水の豊かなところです。黄河とその支流ね。そして三国志では馬超が曹操とたかったことでも有名な渭水(いすい)・・・古くから多くの歌に読まれたこの川は、中国の歴史にもたびたび登場してきます。で、それらの川の水は近年極端に減ってきています。

「西安市の水は大丈夫ですか。」と聞くと「ウーン、厳しいところを聞いて来るねえ」というような顔をしながら「近年は大きな問題になっています。」と西安市の方・・・もともと水の豊かなこの地でしたが、黄河や渭水も少しばかり水量が足りなさそうです。21世紀の地球を覆うもうひとつの問題が淡水の量、ようは水ですね。水の惑星地球の問題が水・・・でも温暖化で南極の氷が融けると海水の塩分濃度が下がって・・・なんて話もありますね。んで、もちろんさまよえる湖ロプノールは、さまよっているのではなく完全に干上がってしまっています。タリム川に昔のような水量は戻ってきません。だいいち水量を決定付けるのは、降雪なんですから・・・そして、干上がるといえばアラル海も今では砂漠の中に船があるという奇景を晒しています。アフリカのチャド湖ももう見る影もないほどに小さくなって、それがルワンダの紛争の原因のひとつともされているくらいです。かつて人間は、水を巡る争いに終始しました。モンゴルやユーラシアの湖は、塩湖ばかりになってしまっています。干上がりかけて水が蒸発していけば、塩分濃度はいやがうえにも高まるわけです。そして川は水量を減らしているうえに、流域の取水量が莫大に増えて、海までたどり着かなくなっていたりします。

パリまで行くツアー「越野賽」ではイリという町で国境を越える予定。そうここにも有名なイリ川が流れます。天山山脈に端を発し中国からカザフに流れバルハシ湖に流れ込みます。さらに次にはヴォルガ川・・・母なるヴォルガは大丈夫なのでしょうか?流域を旅しながらこの目で確かめてみたいものです。水清き美しい流れのある大地・・・そんなところばかりであって欲しいものです。ちなみに四国の川はきれいです。

川は流れる。ずっとずっと昔から。
ただひたすらに黙り込んだままで。
どこから来てどこへ行くのか
それは誰も知らない。
・・・・・ボクの好きな歌です。

きょうの一枚
“川”といえば四万十川。滔々と流れるさまは心に沁みますねえ。この沈下橋をわたると目の前の複層林に飛び込んで全長30kmにも及ぶ困難な例のスペシャルが待っています。漆黒の闇、いくつかの難しい分岐、目まぐるしく変わる路面。1時間以上かかるエントラントもざらな深い森の中の出来事。それはこんな美しい川のすぐ横で。


2007/03/14 (水曜日)

「西安の夜は更けての巻」と「楊貴妃のおっぱいの巻」の2本立てだい!

いつまでも中国ネタではいかん!と思いつつ。西安といえばあなたシルクロードの基点となった町、さぞや東西の世の美女たちが、妖しい夜を過ごしている!なんて思っていたのでありました。と、パーティがはねるや黒塗りは、スルスルと城壁のほとり南城門から東へ約800m・・・おお、そこは80年代のボクの若き日のバブルのころの楽園!!美女たちのあでやかな姿・・・なのにボクときたら、すごく高そうなスコッチに目が眩んで・・・イツカラコンナニサケノミニナッタンダ・・・もったいなくもみんな、そんな酒をソーダ割で!!!そんでもってそれを口にするとなんか安物っぽくなる。ボクはストレートでって頼むと、普段はパイチュウーガンガン飲んでいるミナサンが「えっ、なにそれ?」みたいな空気??でもって「カンペー」「カンペー」で、そんな敵は薄いガスくさいウイスキー味の水。ボクはストレートでのどが焼け付きそうになるくらい!!だけど、シングルモルトのなにかこうシェリー酒の樽の匂いも香ばしい、そうスベイサイドの醸造所産・・・でもその晩から、西安市の当局の皆さんの僕を見る目が畏敬に溢れている・・・ってそんなはずはありません。シングルモルトがぶ飲みの勢で、這うようにしてホテルの部屋に帰ったそうな。ハナヨリダンゴな西安の夜は更けたのでありました。「えっ、お前が更けているって・・・」

続いて翌日は少し観光。兵馬俑に行く前に華清池に行きますがな。華清池の華という字は正確には化学の化に十と書きます。あっ知っているか?で、そこは玄宗皇帝と楊貴妃の温泉・・・楊貴妃のお風呂や玄宗のお風呂・・「なんで玄宗皇帝のお風呂は大きいの?」「えっ、それはたくさんの女の人と入るからです」「うそ、どーして」「そーなんです」と西安市がつけてくれた可愛い女性のガイド。そして見つけたのは楊貴妃の像。おっぱいをアップにして撮っていたら、その女の子にあきれられました。楊貴妃と玄宗皇帝のロマンス・・・その温泉地に残る遺跡さえもロマンチックに感じますね。お湯は少しアルカリ質。きっと美人の湯・・なんてのはここらあたりが発祥なのかもしれませんぞ。道後温泉もアルカリ泉質でございます。TBIのさいにぜひどうぞ。

きょうの一枚
玄宗皇帝のお風呂と楊貴妃のお風呂。さらに楊貴妃のおっぱい。すいません今日は低レベルだったかもと反・p>

きょうの一枚
玄宗皇帝のお風呂と楊貴妃のお風呂。さらに楊貴妃のおっぱい。すいません今日は低レベルだったかもと反省。明日はレベルアップを目指しますけん。


2007/03/13 (火曜日)

お詫び「上海のホテルに携帯忘れて来ました。何度もきっとお電話を頂いている皆様!ごめんなさい。彼(携帯ね)が帰国するまでまだ数日かかる予定ですよって、御用の方は大変恐縮ですが・・・SSERまで連絡ください。トホホ・・・」

さて今日は中国旅行の第二段・・・蘇州にも行ってきたぞの巻上海の日曜日はビックな良い天気。しかも初めて1日中スケジュールが空き。夜は会食の予定があったので。ホテルで手配した黒塗りのボイジャー・・・アメ車ね。革張りで肘掛つきで威張った感じが中国通。
蘇州といえば「蘇州夜曲」
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/JASRAC/soshuyakyoku.html
水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすり泣く・・・

がしかし・・・もちろん世界遺産の拙政園などは素晴らしく、いや虎丘もいいのですがなんといってもメインは運河と水門や支流で川と暮らす人々の生活。それが蘇州なのでありますよ。揚子江と黄河ふたつの大河を貫いて古くから中国の動脈として栄えた水上交通。その資材の集積地であり宿場的な街々には、古き良き中国の面影が色濃く残っているはずなのですが。もちろん運河も城壁の佇まいも、町中が観光地なのもいいんですが。「どーもあなた、整備しすぎましたな。」石畳は美しすぎて出来たばっかり。でも風情は充分ありますからまあギリギリはセーフとしましようか。腹が減ったのでふらりと入った食堂で、小龍包とそばを食べました。美味くて安い!ので大満足・・・しました。やっぱり安いのが良いね。

きょうの一枚
運河の佇まいとお昼ご飯!!などボクの蘇州旅行記


2007/03/12 (月曜日)
「ただいまあ!!」と元気に帰ってきたかのようですが、実は「死にそーー!」なのであります。それはなんと5日間も連続で白酒のカンペーの嵐!!毎日毎晩もち昼も50度の酒を一気に流し込み続けたとです。「こんなに強かったっけ?」と・・・ついたあだ名が「パイチュウ王」いや、なんか儀礼的に飲まなくてはいけないので飲んでいたのですがね・・・そしたらいきなり肝臓が腫れ上がったのでした。もう痛くて痛くて・・・とまあそれよりも、中国の成果は素晴らしいものがあります。何せ抜群の事前準備と最高の交渉メンバー!もう書きたいことは山のようにありbォなり肝臓が腫れ上がったのでした。もう痛くて痛くて・・・とまあそれよりも、中国の成果は素晴らしいものがあります。何せ抜群の事前準備と最高の交渉メンバー!もう書きたいことは山のようにありますが、前述の通り今日は肝臓がフォアグラ状態なのでこのくらいで失礼するざます。

きょうの一枚
「兵馬俑」秦の始皇帝の地下軍団!!まだほとんどが発掘作業がされないままなのだ!んでもって、始皇帝陵もすぐ近くに山!になっているけど、これも発掘は始まっていない!のだそーな。驚くばかりの地下宮殿があるらしいと史記に司馬遷が書いている。金銀財宝も・・・んでもって発掘を始めないという選択もあるなあ・・・とそう思ったわけ。また今の技術では、完全なものを発掘できないかもとか・・・世界に誇る日本の技術もどーもキトラ古墳だっけ?の保存などでしきりに問題になっている。


2007/03/08 (木曜日)
ここ西安はかつては長安と呼ばれた中国の古都です。紀元前11世紀から紀元後10世紀まで!?2000年にも及ぶ漢や唐などの都です。多くの王朝がこの地を目指したのでしたねえ。特に秦の始皇帝、前漢の武帝、特に唐の玄宗と楊貴妃の物語は、まるでオペラのように西安で演じられています。城門の前の特設舞台では、BMWにまたがった現代の旅人のために西安市が特別に公開してくれるかもしれません。

三蔵法師玄奘三蔵つまり西遊記ですが、天竺まで経文を受けに旅に出た高僧もやはりこの地から旅立ったのでした。と書けばきりがありません。まあことの歴史とはそういうものでしょう。阿倍仲麻呂記念碑や空海記念碑もあります。つまり日本との交流は深いのです。近くには兵馬俑とか・・・うー書き出すときりがないので観光ガイドブックなどを読んでみてください。

うー、遥かなりシルクロード。ついにその入り口までたどり着きました。1992年パリ北京から15年。あのときのルートには西安は入らなかったのでしたから。そして9月には、この地を駆け抜けようと思っております!!

2007年SSERの挑戦はいよいよ始まりましたね。

きょうの一枚
楼蘭・・・もうその名前を聞くだけでもクラクラするほどのタクラマカン砂漠に秘められたロマン。かつてシルクロードの都市として栄えた町が、何故に砂に消えて行ったか。そして著しい乾燥は、どのようなメッセージを今に伝えているのか。旅人を拒むその地に、果たして旅は到達できるのだろうか?それもロマンだ。


2007/03/07 (水曜日)
西安は日本で言うところの古都つまり京都に当たります。何をしに来たかという話の続き。それはすでに発表済みの今年のSSERの活動テーマ「北京−巴里1907」100周年記念「北京−巴里自動車探検旅行2007!!」のシルクロード部分の走行許可関係の仕事!などです。この「など」と書いたところの怪しさは後日に譲ることにしますが・・・その楼蘭というスェン・ヘディンというスウェーデンの探検家が発見したあたり。タクラマカンの真ん中に乾燥ゆえに守られた古代の遺跡がありますよね。北には米蘭というこれまた探検家しか足を踏み入れられない、つまりらくだのキャラバンでしか到達できないところがあります。ボクはどーしてもこの地を自分の足で踏破してみたかったのです。100年前のラリーはこのルートを通ってはいません。逆にウルガといって現在のウランバートルを通ってバイカル湖のほうに抜けたのでしたが・・・で、問題はこのエリアは特別な許可がいるということ。

それは、最近は一時的に開放されていたロプノールであります。あのさまよえる湖!!で、政府からの通過のためのこのエリアへの侵入は一人当たり4000USD!のオファーが到着!!ってそれ50マンエン!!??ではありませんか!25人で行くとなると1250マンエン!!アドベンチャーが5台買えるやんか!ということで飛んで行くことにしたのでございます。ロプノール核実験場・・・リスクがあれば遠回りをしますが、でもそこはバカがつくほど無邪気なボクのこと「あたって砕け」たりなんかします!!

きょうの一枚
敦煌にある月牙泉・・・一度はどうしても行きたかったところ。月牙とは三ヶ月の事です。ものすごい高い砂丘の間に泉が湧いているのです。北京−巴里自動車探検旅行の目的地のひとつ・・・。


2007/03/06 (火曜日)
明日から西安に行きます。出張の谷間が1日!という過酷なスケジュールは、出張が過酷なのではなくその・・・今日1日が過酷なんだということ、なのです。グスン。

それはまるでミルフィーユのように堆積されうず高く積み上げられたかの仕事の量。それをジャマするのは?もちろん仕事なのではありますが「打ち合わせ」と「睡魔」ということで、西安に思いを馳せることなく、明日のことは今夜考えようと、準備もせずに寸暇を惜しんでこのOVを叩いているのであります。「西安へは何をしに行くのか?」オー、良い質問です。西安はご存知のシルクロードのスタート地点、かつての城壁都市は正門はシルクロードの入り口であり、ゴール地点。まるでトゥーランドットの物語のように、城壁都市はあらゆる民族が行き来したシルクロードの華。シンドバットのようなアラブ商人や、マルコ・ポーロのようなベニス商人、カザフやウイグルの商人たち・・・て、すぐこうして夢想状態(トランス)にはいるのが悪い癖で、ついつい話を稀有壮大にしてしまうのも、そうした悪しき少年のころからの空想科学小説もどき・・・。

で、何をしにいっているのか?は明日のお楽しみ。西安のホテルからメールするわ!!

きょうの一枚
チーム・クロス・チャレンジのG650Xをテストライドする池田秀仁・・・これからマシン制作に突入!!楽しみだね!!KTM勢も負けないでね!


2007/03/05 (月曜日)
「カレー対決・・・第1ラウンドが始まった。」

さて、札幌のプレゼンテーション・・・なんかすんごい会議室で重厚感漂う素晴らしさ?!そんな中でも、とても楽しい雰囲気で北海道の皆さんとミーティングが出来ました。ほんとにありがとうございました。何故だか道路には雪も凍りもなくて快適。大通公園のイルミネーションもなかなかで、通りで結構大規模なライブをやっているあたりも好感度大!!まあノルディックワールドカップ開催中とのことで、札幌は国際色豊か・・・!でした。そして懇親会のイタリアンも素晴らしかった。サービスも、もち北海道の食材とお料理も、そんでもって空気感もよろしい!!ウームとうならされて、大盛り上がり。で外に出たら雨!?しとしと降っていましたがな。

その日はその前の夜に蟹と鮨で大盛り上がりをしたくせに・・・さらに昼飯ときたら鮨広名物の丼!!これってなにどん?て言えばいいんですかね・・・今日の一枚参照。夏はさらにウニが増量されて旨いんだなこれが?!を見越した春木さん手配のイタリアン・・・翌日つまり昨日の帰国便じゃなかった帰路にボクは都内でとあるミーティングがあって、終わってから菅原さんのところに行くと、「カレー対決に参戦!!」した、買い物からフィニッシュまで完全に菅原さんが一人で作ったカレーをご馳走になった!!

これは実に心のこもったもので、松山のカレー対決も「食べに来る!」とおお張り切りなのであります。で、そのカレー・・・丁寧に作られたバターライスにポークを主体としたまろやかで素晴らしい出来!「まあ2位は確定ですね。」とボク。おろしたりんごと玉ねぎの甘さがなかなか新鮮でした。もちろん市販のルーなんて使っていません。で、最もおいしかったと思えるのは、そのおもてなしの心。むくつけき男4人で、あーだこーだと食い物について語りながら夜が更けていきましたとさ。

きょうの一枚・・・鮨広丼ちょっとほんとにすごいかも。


2007/03/02 (金曜日)
いま芦別にあるスターライトホテルに到着。日が陰ってくればそこはやはり北海道、冷え込んで来ました。これから打ち合わせを兼ねて寿司広で宴会!?昼間はとても暖かで道路に雪はありません。
昨年のメンバーと同じ組み合わせ!で寿司広のあとは店の前にある妖しい、もとい怪しい店できっとI町君はテレサ・テンを歌うはずですが詳報は後日。明日は札幌に移動してプレゼンテーション&懇親会・・・I町君はTBIにニケツで走ろうか?何て後ろでワイワイと話していて、気が散って文章が打てないではないですか!!ということで今日はこのくらいです。

きょうの一枚
いよいよ明日(3/3)はPRESENTATION2007 札幌が開催されます。皆様のお越しをお待ちしております。


2007/03/01 (木曜日)
今日から3月!!暖かな日差しがタップリの四国。いや四国だけではなく西日本!でも明日からは北海道・芦別アーンド札幌・東京!!まだ春浅いというよりまだ冬の真っ只中に行くわけですが、でも楽しみであります。何が楽しみかって・・・それは「芦別の熱い夜??」そんな今朝は4デイズのパンフレット制作にと、TDN2004で使った芦別市のラリークロス会場の写真を選んでいました。

それは驚きの!まさに市街地の中、アパートや民家の軒先から、すぐ目と鼻の先。そこで激しいタイムトライアルが展開されているというわけで・・・誰もがまさにすぐ観戦出来るというものでした。そりぁあもうヨーロッパのエンデューロシーンもかくやという勢いの、激しい市街地戦。日本のエンデューロ?シーンにも新しい方向性がわずかに垣間見えた一瞬でした。「なぜに芦別では、こうしたことが普通に受け入れられるのだろうか?」それは北日本自動車工学専門学校の存在かもしれませんね。地域に溶け込んで、地域に貢献しているということなのでしょう。

さらにそこには、長谷見さんやガストンらの姿もあるわけですから、知っている人には驚きの状態。そんなガストンと長谷見さんは同じ組でスタート!!世界の勝負師同士の激突は、やんちゃ度に勝るガストンが第一コーナーを制して勝利!!あの真剣な大人気ない?眼差しこそがガストン・ライエだわい・・・と。オフィシャルも参加者たちも大喜びなのでありました。

きょうの一枚
さてうちのオフィスには某メーカーの某モデルが到着。モチ乗ってみることに・・・でこいつは単に写真写りが悪いだけの、スンバラスイマシンであることが判明。マルゾッキ&エアサス・・・これではHP2の立場がないなあ?と思ってHP2にも乗ってみると「うーう別物」ってこの忙しいさなかに何やってるんですかねこの人は!?
というわけで今日の一枚は事務所の中にある?バイク溜まり・・・幸せな午後。