「ブランソン、ほくそ笑む」
こんな展開があるのだろうか?ボクは試走の日曜日なのにF-1に噛り付いていた。まあ簡単に言えばテレビならどこにでもある時代。リチャード・ブランソンとはご存知ヴァージングループの会長だ。学生時代に起業し、ヴァージン・レコードからはじまり、その挑戦は目覚しいものがある。いまでは航空宇宙産業まで・
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さて、なににほくそ笑んだか?それはオーストラリアGP、デビューウインを1-2で飾ったのは、つい前日にスポンサー契約が結ばれ小さなロゴステッカーが貼られたばかりのブラウンGP。
リチャード・ブランソンはかなり前に「F1はブラックホールだ。」などと発言していて、つまり際限なく金がかかりやってられない、というふうな発言ととらえられていたのね。
しかしまあそこへ持ってきてこの快挙。きっと次のGPでは真っ赤なボディカラーになってチーム名もヴァージン・レーシングとか?になっているかもです。まF1の規定もあろうけどね。
かつてのHONDAの財産を上手く継承し?FIAの大幅な車両規定の変更、まあ抗議を出されてもめていたけど。それにしてもロズ・ブラウン、天才的なピットワーク戦略家だが、全ての面で真の実力者だったのだろう。
そのヴァージン会長ブランソンさんBBCのインタビューで「わたしはラッキーな男だよ!」と。まあこうしたラッキーは実力のうちでしょうね。今年のF1は、また違う角度で楽しめるかもしれないなあ。
TBI試走情報、4月4日より12日は完全に試走のためにほぼ留守をします。よろしくお願いします。
「大唐西域記」
3月28日は「シルクロードの日」探検家スヴェン・ヘディンが1900年3月28日にロプ・ノールにある楼蘭遺跡を発見した日だったそうです。
昨年一昨年と2年にわたり、わたしは敬愛するヘディンの足跡を辿ってシルクロードに旅立ちました。なにかと複雑な許可を取り敦煌・玉門関より今は幻となった天山南路をロプ・ノールへと向かったのでした。
現地のガイドは、「ロプ・ノールは凄まじい風が吹きクルマの塗装は剥げるは、前に進むことが出来なく危険だ!」そう言って行きたがりません。このあたりの話だけとっても、まさに西遊記の如しなのです。
それでも玉門関をあとに西に進めば、しばらくは舗装道路が続きます。やがて道はヤルダン地形と呼ばれるの奇岩奇跡の聳える不気味な砂漠に至ります。古くは鬼が棲み、これより先には人間が住んでいないとも言われていました。おそらく彼方から長安に向かった隊商らには都市の建造物に見えたに違いありません。
そこを過ぎるとまさに一面の砂の海が広がります。現地ガイドの心配は的中し、確かに強烈な風に見舞われました。立っていることも容易ではありませんし1m先も見えません。2つあるデジタルハイヴィジョンカメラの1個は、砂のために完全に故障してしまいテレビクルーらは先行きの不穏に見舞われていました。さらに殆ど雨の降らないといわれる砂漠に、豪雨と雷鳴がとどろきます。
こうした景観や気象現象の組み合わせには、玄奘三蔵が天を操る妖怪やらと思ってしまうのは頷けるところです。
1年目はわれわれ「怪しい探検隊」は干上がった塩の海のロプ・ノールを北に進み、トルファンに抜ける全く道の無い砂漠に踏み込みました。北には広漠たる砂丘群が広がる善善と呼ばれる河西回廊の都市があります。
ここは楼蘭はすぐ近くです。楼蘭と聞くとやはり行って見たい衝動に駆られます。そしてタクラマカンまで少し足を伸ばせばニヤやダンダン、ウイリクという遺跡があります。残念ながら、わたしたちはそこへ行く許可がありませんでした。しかし、そんな思いは芥子粒のように砂漠の中を、まさに命からがらトルファンの近くへ辿りつくことが出来ました。
ダンダン、ウイリクはヘディンが1896年に発見します。そのあとイギリスの探検家オーレン・スタインの手によって発掘が進みます。スタインは玄奘三蔵を敬慕してやまないとその著書にもあり、発掘にはつねに三蔵の「大唐西域記」を携え、その記述と現場を確認したといいます。それはいかに胸躍る感動の日々だったことでしょう。20世紀初頭は、まさに探検行の時代だったといえます。
そのわれわれが奇しくも彷徨い辿った道こそは、玄奘三蔵が天竺に向けて歩いた道だと、わたしは考えています。
玄奘三蔵はこのあと高昌国に滞在するのですが、高昌故城はトルファンにあります。その遺跡には玄奘が説いたとされる仏間が現存していて、土で作られた建物に入るとひんやりとして、その濃密な空気が1400年の時をさかのぼるような錯覚に眩暈さえ覚えるではありませんか。
こうしたエキスペリエンスは、望めどいつもいつも出来るわけではありません。それでも今年の秋にはついにチベットへ、その足跡を追って行こうと思っています。シルクロードの要衝カシュガルから、カシミールへ、そしてチョモランマBCを経由してラサに向かうという計画です。最大のテーマは幻のグゲ王朝やカイラス山、など、いずれにしても、わたしの西遊記は続きます。
いま、初めての経験なのですが、Web BOOKを購入しました。オフィスで暇な時に玄奘三蔵が天竺からの帰国報告書として記した「大唐西域記」を読んでいます。本文よりも解説が多く読んでは戻り進んでは戻り、を繰り返しています。
われわれ日本の文化を形成してきた仏教美術や死生観、それはシルクロードを伝いながら、どのように変質してきたのでしょうか。遥かなるロマンチシズムと伝える手段としての美術や教え。人類の生き生きとした姿があまりにも鮮やかに浮かび上がります。
きょうの一枚
「玄奘三蔵取経図」12世紀後半、西夏末玄奘は猴と馬を伴っていて、いつの間にか西遊記のストーリーはフィクションとノンフィクションの間を行き来するようになったのでしょう。
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