Organisation Voice 2010/12

 

 


2010/12/29 (水曜日)

「FUTUREのこと。」

ここに来て、まことに急にですが・・・FREE DVD MAG.FUTURE・・・沢山の年間購読(送料のみのね)の申し込みが相次いで届き始めました。それも、北は北海道から南は沖縄まで。初めてお聞きする名前ばかり。女性のお名前も少なくありません。それに添えてある一言にも、大変な勇気を頂きます。FUTUREはボクタチがお届けしているのですが、ボクタチには皆さんからの励ましの声が届きます。それが何にも変えがたい前進する勇気となっています。つまりFUTURE、実は双方向性のメディアなのだ、ということが分かります。

「動画ネット配信の時代に、いまどきパッケージですか?」の声は、ひとまず下火になりました。しかしパッケージ化は、かなりの製作コストではあります。

だからこんな声もあります。
「無料だからどーせ、と見てみたんだけど、内容も充実しているし有料でも充分販売できるんじゃないですか?」
大変ありがたいお話です。
しかし、それではいかんのです。収支を考えて取り組んでいるわけではありません。ボクタチは、ただただ伝えたいのです。その素晴らしい世界を。だいいち販売していて1万部も届きますか?

そもそも、このFUTUREを発行する原動力のひとつは、DVDを制作して販売しても製作コストすらまかなえない!という現実でした。「じゃあ映像制作はやめよう」そんな頃も当然ありました。やめることは簡単です。

2007年の西安-パリなど、テレビ放送を実現したものもあります。しかしそれを常に目指しても、テレビ局との折衝の中で、彼らの持つ経済原理と我々のそれとは全く相容れないものでした。
こんな風です。
「吉本のタレントでも使えばね?」
彼らが大陸を渡ったり、砂丘を越えたりはできるでしょうか?よしんば出来たとしても、その映像が本物足りえるでしょうか??テレビ放送は、いまや論までもありませんが、誰も期待していないものになってしまいました。電波の公共性は、もう無いのです。

また自動車メーカーなどの、クルマに対する思いの変化もあります。これはAPIOの河野社長のブログにも詳しいのですが、クルマは製品そのものが良く売れるか否か?利益率が良いか否か?を競い合う商品にしか過ぎません。いまやクルマはコンピューターで設計されるから、最終的にエンブレム以外は同じものにしかならないのだそうです。だから脱化石燃料のボンネットフード内の技術競争に終始し、少ない資本は一極集中で投下するしかないわけです。兵の分散投入は兵法にもとる!のであります。

経営テクノロジーが進化し、結果として夢とか冒険とか、そんな甘っちょろい事など許せない企業風土の会社ばかりになっていました。良く聞くフレーズですが「本田宗一郎さんが、今いれば・・・」と。しかしその幻想の回答は、こうです。「今いれば役員会や株主総会で罷免されるだけだ。」と言うのが現実でしょう。夢を持つことは、危険だということです。コンプライアンスの遵守とは「夢を持つな」と置き換えることが出来ます・

しかしそんな時代に、まだダカールに挑み続ける人たちがいます。ワークス参戦だから、プライベートだから、なんてのも関係なく、自動車の夢をまだかろうじて持っているのだと思います。販売戦略上。と言っているのも実は言い訳です。基本的に「好きなんです。」利己を越えた好きの力、それが冒険とかクロスカントリーラリーのせかいなんでしょう。

ボクタチも、その仲間であり続けたいし、その仲間を少しずつ増やして行きたいと思っています。

一生のうちにクルマに乗って砂漠を走る経験をする人なんて、極めて僅かです。砂漠を走れ!と言っているのではなく、たとえばそんな夢を日々の生活の中に温かな炎のように灯し続けたい。それが、私たちの望みでありささやかに描くFUTUREの姿です。

きょうは2枚

この1年の地と汗の結晶・・・スイマセン大げさすぎました。5巻を無事に発行できて感無量です。新しいことにチャレンジすることには、困難が伴います。しかし困難ってのは、無きゃ無いで虚しいものです。困難なればこそ・・でごわっと。小さなストップウォッチ

ボクのちょっとクラシックなストップウオッチ・・・タグ・ホイヤーです。今では使うこともなくなったのですが・・・

  (おまけ)

 
2010/12/28 (火曜日)

「漂泊の思いやまず」

大掃除なのですが、ボクは腰が悪いのをいいことにサボっています。片付け物の中からBMW R1200GS Adventureまあ2007モデルですが・・・のカタログが出て来て、しめしめと眺めていてビックリ。

1枚目の写真に添えられたキャプションには「千里の道も一歩から」なんて、しおらしく書いているのですが本文には

わたしたちは中国での最初の一歩としてパミール高原に向かいました。(中略)驚嘆しながら「氷の山の父」の意味を持つムスターグアタ山(7546m)の前に立ったのでした。それはわたしたちの誰にとっても・・・・

これは我々SSERがレイド・トレック・チョモランマ2009のスタートの前日に、高度順応のために向かったカラクリ湖の畔に聳える山です。この地を旅してきたわたしたちには、このカタログの持つ意味が比較的良く分かります。ただ文章も写真も僅かばかりですが、大げさすぎはします。ですがまあ長い道のりの冒険の旅も、第一歩を踏み出さなければならないという教えは、共通のものです。

タクラマカン横断の旅は、今日のブログにも少し書きましたが、この2007年モデルのGS-Aを年明けから整備して、サイドカーを付けて出かけようと思います。もしなんなら、もう1台同じのがありますのでご希望の方には無償でレンタル(っていうかな?)いたします。

このカタログの次のページには「足ることを知れば、心は安らかである。」と老子の言葉がヘッドコピーに使われています。「足るを知る」とは、まあ新車にはしないでも良いということでしょうね。

きょうの一枚

いま思えば、この近年の旅の憧憬はこのカタログに触発されたといっても過言ではないでしょうね。

  (おまけ)

2010/12/27 (月曜日)

「寒波到来。」

寒波がシベリアから南下!!モンゴルが氷点下40℃以下に下がると数日後には日本にも第一級の寒波がやってきます。地球は繋がっているって、気象に関するメカニズムなどが明らかになるにつれ、シミジミとそう感じます。

3日前までモンゴル高原を冷やしていた北極生れの寒気も、昨日からは日本にやって来ています。そうして温暖な四国のわが事務所の回りも、さすがに今朝は雪景色。しかしそれでも3基あるエアコンは無稼動!!・・・1個のダルマストーブのみで充分な暖が取れているから不思議です。わが事務所のエアコンは、まれに換気扇代わりとして点けることがあるのみです。

なぜそうか?そのためにはインナーウエアを充実すれば良いはなしで・・・とにかく昨今は、どこに行っても暖房過多です。たとえばお店の中ではシャツ1枚で働いていても、来店客のボクタチはパタゴニアのインナーを着て、極寒の世界から来ているので3分もすると「暑くて暑くて、たまりません。」コートなら脱げば良いのですが。気分が悪くなって、出て行くしかありません。

まあ鳩山さんの言った25%削減!!はともかくとして、二酸化炭素排出削減なんて、もう止めていますね。多分ですが。おそらく環境問題の馬鹿馬鹿しさが分かったのかもしれませんが、それはそうでも電気代は馬鹿にならないんじゃないかしら。

さてボクは長く出張をしていて・・・モバイル環境はあるにはあるのですが。久しぶりにOVを書いています。ラリーモンゴリア2011、TBI2011などプレエントリーのケース1が終わりました。こうした時代の中でも夢を失わない人たちがたくさんいて、これまた勇気付けられますし、遠くアルゼンチンのダカールに思いを馳せています。

来る2011年も、SSERは弛まず歩み続けようと思っています。旅をする喜び、冒険のまなざし。

また明日。

明日は大掃除。29日はSSER大忘年会ともちつき大会!!来年は皆さまにとって、さらに良い年でありますように。

きょうの一枚

まあ事務所の周りは一面の銀世界。雪は良いですね。いろんなものを白く覆ってしまって・・・

  (おまけ)

 
2010/12/17 (金曜日)

「TBI2011、あああ・・・年内から始める予定の試走が・・・」

今回のTBIは、全くこれまでと違う!というのはご案内の通りです。大阪が出発点ですもの。それで今回は年内に大阪方面を終わらせる!というボクの計画はもろくも崩壊。

でも1月からは雪と相談をしながら、まずは畿内編を。温かな和歌山、とかも素敵そうだし。ということで内緒なんですが1泊目は和歌山かも!しれません。

一時期は和歌山のオフロードライダーたちは、一大勢力だった時代がありましたねえ、なんとも懐かしい・・そしてTDN(ツールドニッポン)の時に、和歌山ルートの提案もあって、温泉に入りに行ったの懐かしいなあ。もとい、和歌山の林道を調べに行ったの懐かしいなあ。

そうそうあの温泉は、川湯温泉。
和歌山のとある女性に
「露天の混浴、一緒に入りませんか?」
と声を掛けられたものだから・・・
「河原で、川をせき止めてあって、どこでも掘ると川底から熱いお湯が沸いて来るのよ。」
「ウヒョウヒョ」

更衣室は別々。
ボクと和歌山の某オフロードライダーは2人で、すっぽんぽん。女の子はというと
「やられた!」
水着持参でございました。

きょうの一枚

その川湯温泉。冬場はやってないらしいし、雨が降るとこれまた中止。TBIでオンコースとなるかどうかは・・・

  (おまけ)

 
2010/12/16 (木曜日)

「父の親友と久万高原町美術館」

長い話を書こうと思う。

ささやかながらボクの亡き父も美術品の収集をしていました。まあ財力が無いわけですから、クオリティは知れていますが、なかなか良いものも多数あります。おそらくその影響を受けたのは、父の親友の故井部剛さんではなかったろうかと思います。

井部さんは久万高原町の林業家で、ボクの家でよく父と酒を飲んでいました。また2人で松山の夜を徘徊していたことは有名な話のようです。これはどうもボクの記憶があやふやなのですが、パリ・ダカールから帰ったとき「話を聞かせて欲しい」と言われて、パリ・ダカールへの思いや、その道筋とかを話しました。「その話しを子供たちに話して欲しい」と言われて、彼のジャガーの後部座席でご自宅に伺いました。

また2人は音楽を共通の趣味としていて、オーケストラを作るんだ!と張り切っていました。当然、というかおそらく井部さんがスポンサーで父は実働部隊だったんでしょう。そのオーケストラも無事に出来て、2人は少なくない地域貢献を果たしたんでしょう。その交響楽団、もう半世紀もそう遠くないほどの歳月が流れたようです。そうそうFM放送局も作るといって頑張っていました。

不思議な縁があって、ボクも久万高原でSSERというイベントを始めることになって数年後(これも記憶の糸)井部さんのお父さんの井部栄治さんが亡くなったと聞きました。父を連れて弔問に出かけた記憶がうっすらと。そのあと膨大な蒐集された美術品が久万高原町に寄贈されると聞きました。これを受けた久万町(当時)の町長・・・SSERの時に挨拶をしていた方ですよ・・・はそのコレクションの価値を測りかねて、ブリヂストン美術館の学芸員に相談したとの談話が当時の新聞に。

その学芸員は、このコレクションは、そんじょそこらの町の蒐集家が「寄贈します。」なんていうレベルじゃないですぞ。とか何とか言ったようです。驚いた久万町長、かなり気合を入れて素晴らしい久万美術館を建設します。そうして、そのコレクションに、まさにはじない美術館が出来たのであります。つまりこの久万高原美術館は、幻の井部コレクションが収蔵されているのであります。

素晴らしい久万産材、山との境界の無い中庭はどこまでが庭なのかが分からなくて、閉鎖的な空間にいながらも広がっていく自由な気分とでも評せば、良いのでしょうか、そんな感じです。ボクもいつかはこんな建築物をデザインしたいなあ、と思わせたものです。

そして、いまボクはその井部栄治さんのお孫さん。つまり父の親友の息子さんと、不思議なご縁で、NPOを一緒に立ち上げることとなりました。ちょっとブログにも書きましたが、まだボクよりもだいぶん若いので(パリ・ダカールの話をした少年は彼のことだと思っていたのですが、2人の記憶が繋がらないのですが。)彼はYAMAHAに入りなんとワークスチームのメカニックとして、世界GPを転戦していたというキャリアです。しかし家業を継ぐために久万に戻って来ました。

SSERは、長く久万高原でイベントを開催しています。また周辺には多くの仲間が野外音楽イベントや全日本や地方戦などのラリーを開催しているのですが、もう少し地域と関係性を高めたものにしていきたいと考えています。「人と人が出会う」のはイベントの最大の魅力です。久万高原町美術館は、いまも多くのファンをひきつけて。新しい出会いを創造していると考えれば、ボクたちも先人の教えに習って、もっと精進せねばならないなと思う今日この頃であります。

きょうの一枚

夭折の画家は多いが、村山 槐多も22歳でこの世を去った。1919年のことだ。井部栄治さんは1909年生まれだから、10年ほどは同じ時代を生きたのだろうか。その「裸婦」がコレクションの大きな中核をなしている。ギラギラした生命感、色、激しさに、はじめて見たときから忘れられない1枚だ。

  (おまけ)

 
2010/12/14 (火曜日)

「FJクルーザーって、どーですか?だって。」

社内のデザイナー伊藤くんの背後に、FJクルーザーの写真だかが貼ってある。タケチャンは「OVにFJクルーザーのことを書いて・・・」とかリクエスト。

「・・・・・」

「FJクルーザーが国内発売になる」と聞いても、全くボクにはピンとこない、のであります。元祖ランクルオタクだったボクは、最近すっかり「クルマはなんでもいいよ。」になってしまって・・・で、そのうえFJクルーザーって既に長年、松野さんの手によってモンゴルを走っているし昨年は、ボクが全行程をハンドルを握って、カシュガルからツアンダ、チョモランマBCそしてラサまで冒険旅行をした。

そりゃ何でかっていうと。もともとは松野さんが行く予定だったところ、直前になって大切な仕事が入って無念のDNSとなってしまったからなのだ。

「FJは天津に置いておこう!」とボク
「そんなことしたら、大変なことになりますよ。」
とタケシ!じゃなくて李さん。
あっ、李さんとはボクの中国の代理人。
「じゃあ、どーするのよ。」
「あなた運転してください。」
「いやーボク?」
まあいいや、ほとんど石原さんに運転してもらえば。

と北京に行くと、用意された4輪の中国国内運転免許証はボクのだけ・・・しかも検問だらけのウイグルとチベット・・・これではよほどの事が無い限りボクが一人で運転しなきゃならない・・・あの午後に襲ってくる気持ちの良い睡魔も、せっかくの絶景の連続する車窓の風景も・・・ああぁぁ。

「でも、まあ、いいや。」
と走り出してみると、エンジンは良く回る。
TRDのスーパーチャージャーがついているけど、それにしてもよく回る。こんなに良く走るのかい?!チカゴロノヨンクハ・・・標高5000mを越えても2速で全開にでもすれば

「こりゃチョモランマ登るわ!」
という感じ。なんともいえないモリモリ感が久しぶりで、これなら苦労することないなあ!と喜んでいたら、またまた足周りが素晴らしい。でも良く見るとBAJA用のスペシャルな足が、バッチリ組まれていて、こりゃ車両価格くらいの足が入っているねえ、と。でもまあ借り物だし、ボクの今の立場だし。こんなポテンシャルを発揮している場合ではないのでありますな。

で、このFJ、ボクはてっきり譲ってもらってモンゴルの試走用に、なんて絵を描いたものだから「DUNEからDUNEへ」と、いけない夢を見た。

・・・・ハナシヲモドソウ

ところがその左ハンドルのFJ、慣れればそのドライビングフィールの軽快さとボディのバランスが悪い。隣に座る石原さんに何度も「当たる!一杯だよ。」と叱られる。つまり、いつの間にか小さなボディの車に乗っている感覚になってしまう。まだ山側ならいいだろうけど、千尋の谷を望むチベット高原の険しい山道では人知れず石原さんは冷や汗を流していたことだろうと思うと申し訳ない。

あれから1年。
「FJ,どーですか?」
と聞かれても、あのチョモランマに行ったFJと較べては仕方ないんだけど

「なんだかなあ」
が正直な感想。

でもボクも、そろそろスーパー4駆小僧に戻ろう!と密かに心に決めている。

じゃあ、なにが良いのか、と考えた時にあまりモノ選択肢の無さに、やはり呆然。でも1台70が手元に帰ってくるという話もあったりして・・・

来年のモンゴルの試走用に、スゴイの作りたいなあ。

きょうの一枚

そうそう、1995年頃の試走風景!こんな70が、6台もあったのですが。これはダランザドガドに近いデューン地帯、こうやって砂丘のピークにクルマを停めて右側のように木の棒に黄色いコーステープを巻きます。試走1ヶ月で本番ならば、間違いなく残っています。やっぱ70、良かったですよ。ボクはパリダカに70->60->80->70というふうに乗り継いだのだから不思議です。

  (おまけ)

 
2010/12/09 (木曜日)

「IKEA、すごいなぁ。」

もう何年か前の西安−パリのとき、ロシアの南の都市カザンから一路モスクワを目指した時だ。そうそうカオルさんが行方不明になった日のこと。ボルガの美しい町が続くんだけど、ある町で大きなIKEAを見かけた「大きい!!」そしてついにこの前、大阪南港のIKEAに行って「やっぱり・・・」と、度肝を抜かれたことは前にどこかに書いた。

何が「すごいのか」というと、この企業のマーケテイングというか世界戦略だ。いくつかの文献が書店にはあった。そもそも割と高いけどデザイン品質に優れたスカンジナビアンデザイン家具を、まるでDIY店の家具のプライスで販売しているのだ。そのスケール感たるや、あまたある小売業の中でも抜きに出ている。見る目さえ養えば、かなり上手く付き合える。

「このグラス良いなあ。でも699円か・・・5個買えば3,495円かあ」と思ってよく見たら「6個セットで699円!」安い!と買ってしまう。てか6個でひと梱包になっているのでばら売りは出来ない。こんなに研究し尽くしたマーチャンダイジングには、なかなかお目にかかれない。今のユニクロではもうありえない。あんなCMに巨費を費やしていると・・・知らないぞー、っと。

しかし、そんな善良のベールのIKEA、秘密めいた部分も多い。運営をしているのは、慈善団体のような体をなしているし、売上もなかなか調べていても解りにくい。多分2009年辺りで150億ユーロくらいだ。2兆円くらいの企業かな。でも収益率は抜群で、利益を内部留保させるテクノロジーは、凄まじい。ユニクロが8000億くらいの売上で、中期計画を2兆円とか5兆円とか発表したあとUJの失敗で苦戦中だ。ひとつ辺りの店舗の床面積が小さすぎるのが頭打ちの原因だとIKEAを見てて、そう思う。

さてIKEAの経営テクノロジーというのは、前述の通り抜きん出ている。てかヨーロッパの経営テクノロジーは、いまやただ事ではない。日本の企業もナンチャラホールディングスなんて作っちゃいるけど、肉食系のヨーロッパ系企業の獰猛さは(いまはもう)ない。

それでもヨーロッパ系の企業てのは、表面的にブランディングがしっかりしているから、「いいなあ」って消費者は思うわけです。

日本の企業も、もっとやらなきゃ!てか、ボクもだけど。

きょうの一枚

「小鶴隊長」

最も信頼の出来るオフィシャルの1人は、この人だ。学生時代は山をやってたので、ボクとはとても話が会う。同時代に同じ夢を見ていた。ところで彼はモンゴルでは、最も困難なCPに行って貰う事が多い。元参加選手だったということもあるが、ボロボロのプロシードで、砂漠を単独で越えてくる男で、だからなんとなく冒険家風の風貌もファツションもとても素敵だ。ヘリの音が聞こえると、お湯を沸かしてくれるところも良い。熱い砂漠で、彼のこだわった豆で淹れてくれたコーヒーを、シェラカップで頂くのも愉しい。

 (おまけ)

2010/12/07 (火曜日)

「忙しいのに、仕事が手につきません。そこでクリスマスプレゼントなんかを考えた。ちょっとマニアックすぎたかも・・・」

コピーライティングの依頼が入っていて、今朝からこれをやってしまおう!と全てのスケジュールを調整して取りかかったまではいいのですが・・・頭の中は「・・・・・」な感じ。「そうだ、MOTOWORKSのドアのハンドルを、あーしよう」で電話。「そうだ、カウンターの天板をこーしよう」でネット検索。ということで、全くはかどっていません。クライアント様ごめんなさい。い。

しかもそのコピーは大手自動車関連の2011のカタログ、ってか毎年ボクに依頼が来る不思議な仕事。壮大なコピーワークが冴え渡っていますがな(かなりウソ)さらに月末が締め切りの大きな政策提言書の制作。これはボクの「自分がやる!」と、大見得を切ってしまった、だってこんなに忙しくなるとは思わなかったのに、ブツブツ。それにある地域の再生プログラムの企画書。これも重荷だ。「あーあ」現場行って「あーだ、こーだ」ってやってたいのに・・・

そこでラリーモンゴリアのクリスマスプレゼント企画!!
「やっぱ、ヘリかね?」
「ヘリだね。」
ということでクリスマスカードもヘリ・・・でプレゼントもヘリのシート「???」
まあ、ぜひこんな変なプレゼントですが、ちょっと出来ない体験が出来ます。

そしてタクラマカン大砂丘横断もなにかプレゼントを考えようかなあ・・と思っています。
サイドカーチーム・・・ムムム増えそうな予感。
今度は標高が高くないから、お酒も飲めるしね。

 (おまけ)


2010/12/06 (月曜日)

「中国からの便りは、タクラマカンへのお誘い」

中国のSSERのコレスポンダントのひとつ(主にSSERのシルクロードやチベット・チョモランマ辺りを担当している)上海のイベントでRally Mongolia 2011 のプレゼンテーションを行いました!というメールが届きました。彼らは、なんと1992年のパリ北京の時に、まだ若い頃だったのでしょうが、当時の勤務先でコーディネイトをしていたのだそう。じゃあ、ボクとも会っていたかも!?なんて話で盛り上がったのも数年も前!!最近もヨーロッパから北京を目指したヨーロッパの自動車メーカーのイベントをコーディネイトしたり・・・とにかく途方も無く難しい許可を取ることをやってのける人たちです。

そこから「レイド・トレック・タクラマカン2011」のボクのリクエストに応えてルート図が送られてきました。

スタートは何度かお話している通り、甘粛省の嘉峪関です。

実はここが万里の長城の西の果てだと言われてきていたのですが、ボクにはずっと異存がありました。だって敦煌の西にある玉門関など、どうみても長城に繋がるものではないかと・・・その周辺にも峰台のような土塁が多く見受けられます。そうこう考えているうちに数年前に「漢代長城は新疆から黒龍江上流まで」という記事。つまり甘粛省が西の果てではなく新疆まで延びていたのだという学説が発表されたのです。それも21世紀になってのお話。

当時の記事では「新疆にも長城は存在していた。漢代には、長城は玉門関からその西方の塩澤(羅布泊)地区まで続いていた」との見解を明らかにした。「古代に新疆に長城が築かれたのは(中略)漢の武帝が張騫(ちょうけん)を西域に派遣したことにより西へ向うルート=シルクロードが開かれた。シルクロードの開通後、通商団の往来の安全を守るため、新疆に長城が築かれた」と説明している。

羅布泊・・・ロプノールのことです。塩澤とは干上がって膨大な塩の海となった今の姿を表しています。

そのほかにもこんな記事が「万里の長城の西端はこれまで考えられていた甘粛省の嘉峪関ではなく、新疆ウイグル自治区のロプノールまで続いていたことが最近の考古学調査で明らかになった。この発見で、長城の長さは500km長くなったことになる。さらに西のカシュガルにまで続いているとの推測もある。」

まあ、なんとも壮大な話で6500kmと言われた長城の総延長は、「中国政府国家文物局と国家測量局の調査(2007-2008)によると明代の長城の総延長は、8851.8kmうち煉瓦などで造った「人工壁」は6259.6kmで、残りはがけなどの天然の地形を利用した壁と発表した。」(2009.4.20 朝日新聞 )

これらを総合すると、ボクの描いたとおりタクラマカンを行く隊商を支えたサライは、もっとたくさんあって繋がっていたのではないか?と考えることが出来るのでありますね。

今回のルートは、

1. 北京から嘉峪関までは航空機で。これは時間を短縮するために。中国国内免許は上海で取得します。約30分くらいの講習で受けられるように特別に計らって・・・

2. 嘉峪関の周辺を探訪します。ここらはマイクロバスで。黄河と長城が交わる辺り。

3. 嘉峪関スタート敦煌へ・・・1日の行程です。天候は100%晴天です。濃いブルーの空。井上靖の小説「敦煌」の世界へ。夜のバザールで食べるシシカバブーも。

4. 敦煌出発して玉門関経由で、善善(ゼンゼン)・・・ここは南にタクラマカンの巨大砂丘群を見るのですが、敦煌からダンダンウイリク、それに繋がる無くしたピストがあるのではないかと・・・睨んでいるのですが。

あー、書き出したらキリが無いので。地図は日本語のものに置き換えて見てください。ボクは昨年の尾上さんに挑戦!でサイドカーで行こー!!と思っていますよ。またTV番組を作りたいけど、いいやFUTUREもあるし。石原さんは何で行く?

きょうの一枚

1日目の行程は、敦煌まで。お昼に出発しても日のあるうちに敦煌着なのですが、少しひねったルートの提案です。いつもは安西から南下するメインルートですが、今回は敦煌の南に広がる砂丘に沿って、地図にある鳴沙山、月牙泉のほうからアプローチ。ホテルはその砂丘を背に。

 (おまけ)

 
2010/12/03 (金曜日)

「良いデザインと暮らそう。」

どうも中国ロプノールの旅をしてからというものリチウムが気になって仕方が無い。巨大な塩湖と化したロプノールに立つ巨大な発電施設は、何をしているのだろうか?最新のグーグルアースにも写っていないし。

NISSANが電気自動車リーフをいよいよ本格投入します、てか本日が発売日!!テレビではカルロス・ゴーンが気炎を挙げていました。生産拠点は中国に建設中とのこと。素晴らしいのですが、デザインはどうか?リチウムの供給、つまり電池の最先端技術はどうするのか?

なんて考えていて、そーだ「エリーパワー」のサイトを見てみよう。あの慶応大学発のベンチャー・・・吉田教授が3年前に立ち上げた会社です。資本金は130億円・・・その6輪駆動の電気自動車エリ−カプロジェクトは、あのあとどうなったんだろうか?の心配を他所にリチウム電池開発という源流点に遡って・・・でもデザイン的にはおそらく、こうした開発をする割には・・・と思っていたら、ありました。こんな商品でグッドデザイン賞を取っていました。

ちょっと欲しくありませんか?大型リチウム蓄電池。ミルスペックのようなフォーム、マットブラック(かな)な塗装(かな)ハンドルはバイクのキャリアのような、まあデザインする必要の無いもの(失礼)のカテゴリーに、このような・・・早速1台注文しようかな。

きょうの一枚

広告つきで、エリ−パワー社製大型リチウム蓄電池。まあ巨大な乾電池ですわ。

 (おまけ)


2010/12/02 (木曜日)

「デザインする、ということ。」

いまはMOTO WORKS(広島県福山市)のリニューアル工事の現場にいます。大まかなデザインは終わったのですが、やはりディティールのデザインは、現場にスケッチブックを持ち込んでするのが好きなのです。あたりの空気を感じながら、職人さんたち腕と人柄と相談しつつ、面白がってやる!のが一番です。大工さんも左官さんも、変わったことをするのが好きなのですが、設計段階で変わったことが織り込まれていると「???」なところを、いきなり現場で「こんな風にできない?」とスケッチブックで示すと「面白いね、やってみようか?」となるのです。面白がる行為ってクリエイティブ力UPの効果は大きいのです。これは副交感神経を刺激します。

先の龍馬伝で、龍馬がおりょうに「風呂は熱いのがええ」というカットは、福山雅治のアドリブだそうです。そのときのおりょうさんの笑顔は、つまり本物に限りなく近いものだったでしょうね。その計算されていない面白さもまた、計算されたデザインのひとつなのではないか!?とボクは思うのです。

話は変わりますがスマートフォン・・・遅ればせながらボクも手にしようかと思い始めて数ヶ月。面白い記事・・・まあ皆さんは先刻ご承知とは思いますが・・・・アンドロイドというOSをグーグルがオープンソース、つまり今まで当たり前だった高いライセンス料が、フリーで提供をされることによってアンドロイド陣営ひいてはスマートフォン市場が加速したとあります。なるほど、そういうことだったのか、と。しかし、このアンドロイドの技術をめぐってグーグルは、オラクル社から提訴を受けています。ここで面白いなと思うのは、グーグルはそのソフトを無償で提供しているということ。法の概念は、その行為によって利益を受けていなければなりません。

これからはフリーマガジン、SSERもDVDで取り組んでいますが、フリーナントカ!というのが増えていきます。何を利益というのかという概念も変わってくるはずです。

土佐の気概を表す言葉に「フリーじゃきに。」というのがあります。いつの時代に誰が言ったかはよく知りませんが、土佐人の自由さや金に拠らない、不思議な軽妙感が息づいていますね。アンドロイドは言葉が過ぎます。

今日は工事現場から雑感をお届けしました。

 (おまけ)