「テラスに咲くチューリップを見ながら考えた。」
今年はなんとも裏の森の小鳥の声が素敵だ。しかも聞きなれない鳥の声もする。時間を見つけては、温かなテラスのコールマンの椅子に腰を掛ける。もらってきたチューリップの球根はいつの間にか赤い花をつけた。花びらの先はゴールドでグラデーションになっていて割合に派手だ。近くの農家からバケツいっぱい貰ってきたカサブランカも、森のすそに植えたものが勢いよく育ってきた。きっとこちらも派手な花を咲かせるに違いない。
時に考えた。長くなるので暇な方だけ読んでください。
人生にはこのように花を咲かせることもあるが、その大半は苦悩の日々であることは言わずもがなだ。厳しい冬を乗り越えて春が訪れようとも、生命が燃え盛る期間は短く、再び凍った土の下で息を潜める時が来る。
今は世界的に困難な時代だそうだ。中止とか縮小することが咎められない。むしろそれがよき判断だというふうに評価されるところが問題かもしれない。
いずれにしても諸行無常のことわりの通り。世の多くは、上手く行くことが前提の計画ばかり。しかし大方のことが上手く行かない。そもそもそれが人生なのではなかろうかと思う。上手く行かない、なんてことがどれほどのことであろうか。
20年も前、ボクの会社にやってきた一人の若者が居た。名前はミツタ ユタカ クンという。ボクと同じ干支の一回り下だから12歳下。うちの会社やSSERの創成期を共に過ごした。自宅が近いので良く1台のクルマに乗り合わせて出勤していた。良く飲みに行ったし2人で営業に日本中を走り回った。良い仕事をしていた。そうそう仲人もボクだ。もちろんモンゴルにもたびたび同行してくれていた。だからこれをお読みの中にも「おお知ってるよ」という方も少なくないのでは・・・
数年前に出身校に請われて転職した。教壇にも立っていたと聞く。その後も何度か飲みに行ったが、そのうち会う事もなくなって数年。その後突然の病に倒れたという話は聞いていた。
「見舞いに行かなきゃな」
と思いながら、なかなか出向くことが出来なかった。そんな彼が、そして半身不随の身体で昨日会いに来てくれた。連れてきてくれた男は、1990年第12回パリダカールのときに、サポートカーのドライバーを勤めてくれた男だった。
ボクタチはあの頃、パリのアパートにいた。たった2ヶ月間の生活だが、濃厚で未だに忘れがたい日々だ。20年の月日がみるみると溶け出してしまった。
昨日事務所にやってきた彼は、思わず泣き出してしまった。自由ならざる身体、言葉もところどころは困難だ。しかしボクは今までになく嬉しかった。彼を抱きすくめたいほどの衝動に駆られた。しかし、次に会う時には彼は、きっと快復して自分の足で歩き、あの日のように喋り捲る事だろう。それを信じて待つことにしよう。
彼がこれを読んでいるかどうかはわからない。しかし彼が育ったSSERが今でも彼のことを忘れていないこと。多くの仲間がまた元気になって戻ってくることを祈っていることを伝えたい。辛いリハビリに勝ち抜いて、早くうちの会社に戻って来いと願っている。
きょうの一枚
ベランダの鉢に咲いたチューリップの花。東京の発表会で頂いた球根。
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