Organisation Voice 2011/09

 

 

2011/09/29 (木曜日)

「九州試走に行って来まーす。」

てか、昨日来。。。
ジムニーによる世界最高到達点記録が更新できないか!?と考えています。
ボクが狙っているのは、今日の一枚にある峠。
西チベットにあるガルという町をベースキャンプにします。
この町が標高約4200m4日くらいいれば、もうかなり。でもまあここまでの道のりも厳しいのではありますが。

用意するのはジムニー2台。大型のラダーとウインチなど。バイクもつけましょうかね1台。

そしてこの峠に、アタックキャンプ。5330mです。
写真を見ると広々とした尾根が延びていますが、右奥に小さな冠雪した山が見えています。あまりに広いので、ここから具体的には高さは特定できないのでグーグルアースを開いては、2009年のレイドトレック・チョモランマのときのルートをなぞりながら。。。

どうすか、石原さん。
いま思っても、あの旅。。大変だったけどホントに面白かったねえ。

週末は九州4デイズの試走に行ってきます。どんなルートが設定されているのかこちらもタノシミタノシミ。

2011/09/27 (火曜日)

「きっと、鬼が笑ってることでしょう」

ホントなら、今頃はタクラマカンに行く荷物をまとめて「重いんじゃないない?」とかやっていたはず。毎日ワールドニュース何ぞで中国の奥地の出来事や気温を調べたり、でも重大事がいくつも目の前にあるのですが・・・既に心の半分以上は来年のモンゴルや、タクラマカン。。。既にタクラマカンは「来年なら行くよ!」というメールもチラホラ・・・なんとなく嬉しくなって、、

SSERの年間行事はというと

TDR-TBI-モンゴル試走-北4-久万高原ヒルクライムレース(拡大開催が予定されています。)-モンゴル本番-SSER3DAYS-タクラマカン-九4-PRESENTATION2012・・・これでボク、忙しくないわけはないでしょ。。。でも最近は少しずつ、早寝早起きの健全な生活でギリギリの体力を維持しています。

でも来年の12月までの計画を練れば練るほどにニヤニヤしてて、きっと「鬼が笑ってる」ことでしょうね。まだ終わってない九州の来年のことを考えるのも変だけど・・・

ところで2009年のチョモランマに行ったときに、西チベットのとある5300mの峠でのこと。広い尾根がずっと天空に向かって伸びていて、石原さんと

「この尾根をジムニーやトライアルバイクで登れば世界記録が作れるんじゃない?」
「やろーよ、やろーよ」
となったわけですが、あのあとのボクタチの高山病ぶりが、もうひとつ拍車をかけないままになってしまってる。

でもボクは
「もう高いところへはいかん!」
と発表してしまってるし。

きょうの一枚

2009年まではトァレグ(写真)が世界最高点到達記録だったんですが、2009年にスズキサムライが軽々と更新。ああ、もう7000mまで行かなきゃ記録更新は・・・うう頭痛い。




2011/09/26 (月曜日)

「タクラマカンのことを報告するのを忘れていました。」

本年計画していたレイド・トレック・タクラマカン2011は、諸般の事情で2012年に1年の延期をしました。ごめんなさい。中国スタッフも来日して、しっかり打ち合わせはしたのですが・・・ボクのスケジュールが(って、お前の都合か!?)どーしても合わないのです。。。必死の調整をしたのですが・・・。

来年はこの行程でもう一度、許可関係を再スタートさせます。せっかく余裕がもう一年出来たことで、もっと面白く出来ないかと考えることにします。ぜひ来年は、みなさんで走りに行きましょうね。コンテナ1本に収まる数量が参加可能台数ということですからね。

さあ、九州4デイズの準備が佳境!!宿泊は全て屋内?温泉つき?!コンパニオンつきというのは多分。。。来週は試走に行ってくることにします。

きょうの一枚

以前も掲載したタクラマカン横断の沙漠公路、、800km。。。男の子ならマイバイクで。。尾上さんはウラルでスタンバイなんだけど。。

2011/09/22 (木曜日)

「九州のこと。」

松山の小学生は別府に修学旅行に行く。中学生になると日程も伸びて雲仙や島原まで足を伸ばした。つまり九州への旅がボクの旅の始まりだったかもしれない。

小学校の修学旅行で乗った関西汽船の「るり丸」という船。たぶん6年生のときだったから1968年くらいかな。実はそのあとその船はアルジェリアに売り払われて、船名を確かティパサといいパリ・ダカールでアルジェに向かった時に乗った。修学旅行から20年の歳月が過ぎていた。2等船室の木製の2段ベッドにボクの小学校の仲間たちのいたずらの彫刻文字があるのを見て驚いた。

ティパサはアルジェリアの都市の名前だし、古代ローマ遺跡のある世界遺産の町の名前だということは以前にも書いた。つまりあのときの少年の旅に始まりは、このような邂逅すら演出していたんだ。

九州へは、そのあとも良く通った。

最近ではもちろん昨年の九州4デイズツーリングに、コマ地図を書きに一度、本番に一度。その前にはモンゴルで負傷した西村さんたちと、お見舞いツーリングで阿蘇山に向かった。

もちろんツールドニッポンの3年間も、それまでの青春時代もまあ九州だった。ひとりでバイクで旅をしたことも何度かあったし、オンオフを問わずとにかく良く走った。

雪の高速をランタンフェスティバルを見に行ったのも、ツールドニッポンの準備だったかもしれない。そしていよいよ今年11月、九州4デイズが開催される。変化に富んで美しい九州の山々。深い神話や伝説に彩られた道筋はまた愉しさも格別だ。そして九州の友人たちの愉快さもそれを際立たせる。

西郷隆盛の話や、神話の話をしていれば日本人について考えなくても、自然に日本人のアイデンティティを感じさせてくれ、つまり覚醒させてくれるのが九州という土地なのだ。

さあ、九州へ行こう。


2011/09/20 (火曜日)

「SSER3DAYS、記憶に残る素晴らしい大会になりました。」

台風15号が南の海上にいるだけで、四国は大会日程前から大雨となりました。

特に久万高原町一帯は早くから降り始めからの雨量が250mmを超え、国道33号線は通行止めとなり、少し遅いタイミングで会場に向かう参加者や競技役員は、相当の大回りを強いられることになってしまいました。

それにしても通行止めは国道だけ、というのもなにか「???」な感じがします。もっと険しい山間の隘路を抜けて、役員も会場入りルートもそのような道路を使用します。

しかし我々は全役員で今大会の開催、そのものの検討にはいりました。開催に伴うリスクをどのように見積もるか。安全確保は可能なのか、、、そういう議論です。そして一部をキャンセルするものの全体を予定通り開催するという結論に達しました。

雨はわれわれの自主規制の基準の250mmを超えましたが、それぞれのSSの予定される林道などは、相当にしっかりしていて崩落などの兆候などもなく、路面状況も極めて良好であるという報告。標高1000m以下のそれぞれは比較的雨量も少なく沢の水量も落ち着いている様子という報告です。

それでも初日ステージ1はルートの一部を大幅に短縮して予定の7SSのうち4SSのみでスタートしました。スタート会場の美川スキー場は大雨なのですが、ルート上は概ね小雨でむしるコンディションは上々。標高1000m以下のエリアのみで実施しました。

ところで、今回の見どころはこの何年も向かうところ敵無し!の愛媛のチームトップガン、森田昌和、山下真嗣、森田智文の1-2-3フィニッシュの予感は・・・森田昌和にいたっては優勝回数もわからないほどです。

そしてかつて常勝を欲しい侭にしていた高知の池田秀仁が久しぶりに帰ってきました。モンゴルの日本人ライダーの最高位、モンゴルから帰ったばかりです。

はたまたJECから池田智泰の・・・しかしこれは参加マシンがTENEREと聞いて・・・それでも過去最少の参加人数ながら見どころも、走り応えも充分な大会となりました。

まず今大会の特徴は、初の4ステージ構成。2泊を要する3デイズの開催という点です。そして悪天候のためいくつかのSSがキャンセルとなったものの総合優勝タイムが3時間にも達するタフでハードな内容となった点です。

1ステでは池田秀仁は痛恨のガス欠、SS-4の途中で立ち尽くしていました。また3ステではハブベアリングのトラブルでリタイアを喫し、完走の望みも絶たれてしまいました。

死角の無いチームトップガン、ステージ1を終わるや完全な1-2-3体制を確立。しかしあろうことかステージ2で山下はエンジントラブルでリタイア。この一角を崩して誰が表彰台に近づくのかと興味は津々です。

こうして終わってみれば表彰台の一角、総合3位には福岡の岡本薫、、、かつてTBIで選ばれて近森さんとともにオーストラリアサファリに招待された選手。17年ぶりの競技復活とか・・・。

あまりにも愉しくハードで、しかも波乱に富んだ今大会。

SSERは少なくとも30回大会・・・つまり2014年までは続けると誓っています。


2011/09/14 (水曜日)

「3Days、いよいよです。で後期日程についてなど。」

七沢温泉の闘いからとんぼ返りで、SSER3DAYSの準備に多忙な事務所に帰ってきました。

ちょっと参加台数の少ない3DAYSになりましたが、やはり2DAYSのフォーマットじゃないと休めないよぉ!というご意見・コンプレをたくさん頂きました。

でも九州4DAYSの参加は多そうなので
一概には言えないのかも・・・

と、勝手に思ってしまっています。

このあとは、その九州4デイズに向けて・・・
そして12月初旬の予定のSSER PRESANTATION 2012
恵比寿の「7 Seven」&「チョモランマ酒場」の予定ですのでよろしく。

ツールドニッポンクロスカントリーシリーズ(ナガッ)の表彰式もこちらの会場で同時開催で行う予定です。

さらにFUTURE7、8号、モンゴルの写真集

SEOUL、BEIJINGでも発表会をしようかと・・・SEOULはことしの韓国チームからのリクエストが。

こうして慌しかった2011も後半戦に。早いものです、全く。

きょうの一枚

「森田昌和」

もう何回連続で勝ってるかわからないほどの、常勝チャンピオン森田さん。過去には池田秀仁さんと、僅差を争う行き詰る戦いを展開していたのも懐かしいのですが、池田さんはここのところモンゴルの長距離にフィールドをシフトしました!!が、今年はやってきます。かつてのような闘いになることを期待してます!


2011/09/12 (月曜日)

「ちょいと、七沢温泉の闘いへ、行ってきます。」

SSER3DAYSカウントダウン中ではありますが、この夏の決着!のために七沢温泉まで行ってきます。

いまさら書くまでもありませんが、これはモンゴルの「オヤジ対決」のお約束。この場に及んでも、たぶん「あーだった。こーだった」「それは違う!」といったなにか、余韻のようなものがまだまだ燻っているはずで、それはそれで面白いのであります。

七沢温泉とは丹沢の神奈川県側、厚木市にある静かな温泉です。われわれの宴会の舞台となるのは?福元荘。その福元荘こそは日本のプロレタリアート文学の旗手、小林多喜二が隠れていたところなのです。小林多喜二の「蟹工船」などは再び近年読まれるようになったり映画化されたりしたそうですが・・・その後の日本はというと???

小林は東北の生まれですが4歳のときに北海道の小樽に引き取られます。小樽高校や現在の小樽商業大学を出て北海道拓殖銀行に入行。同じ小樽出身の菅原さんは、この福元荘での宴会に深い感銘を受けているようです。

そもそもあの時代は、まさに右往左往していたのです。右によるか左によるか・・・で日本は右に向いてしまいました。ボクはどちらも否定したくはないのですが、相容れない思想を受け入れてはじめて均衡の取れた時代になるのではないかと思うことしきりです。

反するものは排除するものではなく、お互いが理論であれ実践であれ切磋琢磨して人々に信を問えばよいことではありませんか。マスコミがそれに関わってはならないし、真実だけを伝えればよいのに必ずいずこかに加担してしまうのは彼らの立場には許され無いはずです。

こんな稀有なことを考えながら、ボクはラリーの前後を通じていかに公正であるかを感じながら二人のオヤジ対決から学んでいたものでした。

きょうの一枚

レゴラリータ。その響きを聞いて「・・・」と思うあなたはおそらく48歳以上か。椎名先生は、そのレゴラリータ、ドカティ125でSSER3DAYSのヒストリックエンデューロを走る。

2011/09/07 (水曜日)

「リビアの思い出」

パリダカで何度か地中海をリビアに渡った。

1988年頃までの10年間は定番のアルジェリアの首都アルジェに向かった。フェリーはティパサという名前の関西汽船の払い下げ船だった。

ティパサとはご存知の通りアルジェリアになる古代ローマ帝国の都市遺跡。

アルジェリアのイスラム原理主義運動が盛んになる頃には、アフリカステージの玄関口はリビアに移った。

「ええっ、リビア?」

ビザを取るためにはパスポートをアラビア語に法定翻訳をしたり、エイズ検査の国際証明書の提出が求められた。
トリポリだったりシルテだったりの港に上陸した。
ビバークはローマ帝国の遺跡の中だったり、なかなかこの国のポテンシャルは・・・。そして砂漠地帯の素晴らしいこと。アルジェリアには行きたいけどリビアの砂漠もかなり良いねえ。

そして巨大な砂の阿蘇山みたいのがあったり、なかなか素晴らしいじゃないか。ニジェールへのアクセスももちろん良い。

さてこれは今日のニュース

『米国務省のヌーランド報道官は6日、リビア南隣のニジェールに車列で到着したカダフィ政権軍幹部らについて、身柄を拘束するようニジェール政府に要請したことを明らかにした。

報道官は、ニジェール政府からカダフィ氏が車列の中にいないと報告を受けたことを明らかにし、「ニジェールにいるという証拠はない」と述べた。カダフィ氏の親族については、車列に含まれるかどうかは不明とした。

一方、米政府がカダフィ政権軍幹部らの拘束、武器や所持金の押収を要請したところ、ニジェール政府は「適切な手段を講じる」と回答。反カダフィ派の中核組織、国民評議会に協力する考えを示したという。』

ニジェール側がどのように言うのかは知らないが、ウランのたくさん採れるニジェールにアメリカが侵攻したりはしないだろうか心配。

あの時代にパリダカという巨大なエネルギーがこの砂漠の国々を駆け抜けたなんて、いま思っても不思議な御伽噺のような話しだ。でも、なんとかアルジェリアやリビア、ニジェール、ああ欲を言えばマリあたりが平和で落ち着いて、時々ラリーなどがお邪魔するなど出来るような国になって欲しい。

あのひりつくような渇きにも似た、テネレへの思いはボクらSSERの原風景にある。そしてSSERが27年もの歳月を刻んだのは、実はその思いがあったればこそなのだ。

皆さんは、どのような渇望にも似た思いを、いまだ灯し続けていますか。

きょうの一枚

スタートのカウントダウンは緊張の極み。これが良いんですね。今回は全てのSSのスタートでちゃんとします。って、いままでもしてたけどね。2枚目はとあるルート上のトレールに差し込む光。
Photo A,Akamatsu

3DAYSのサイトはこちら

2011/09/05 (月曜日)

「秋は、夕暮れ」

みなさん「ボクは冬が好きだ」とか
「私は夏が好きだ」とかよく言うのではありますが、日本人の心情にはやはり「秋」なのではありますまいか。
「ボクは秋が好き」
って、なかなか言いませんね。
日本人もデジタル化して、曖昧なもの微妙なニュアンスが分からなくなったのかもですね。

いやでも秋です、ボクは。
フランス人もそう。
秋の日のヴィオロンのため息の身にしみてひたぶるにうらがなし・・・なんてのは寂しさに宿を立ちいで ながむれば いずくも同じ秋の夕暮れ。

とほぼ同じように読めますし、その寂寥感は実に魅力的なのです。

林道を抜けて秋の西日を受けながら家路を急ぐときの、あの気分。山の家々からは煙が立ち上り、ふと懐かしくおいしそうな匂いだったり風呂を沸かすかまどの匂いだったり。

すべてはこの寂寥感が家の温かさ、人の大切さを思い起こさせます。初期のSSERは夕暮れから日没後の林道を抜け、煙立つ大会本部のゴールへ駆け込むという心の動きがテーマだったかもしれません。

台風一過の今日の松山っていうか田舎にあるわが事務所は、秋空が広がり黄金色の稲原には赤とんぼが群れ飛び、まことに「ここに居る喜びに心が満たされます。」特にこの数日の台風の空は、怪しく不穏な雲を西日が照らすさまなどは神々しくもありまた禍々しくも見えて楽しめたものでした。

SSERをはじめて27年。その多くは9月に開催されていました。むろん8月開催もありはしましたが、9月です。黄金色の田に真っ赤な彼岸花がボクのSSERの原風景です。その準備をはじめるころは、まだ田植え前くらい。毎日毎日バイクで走りに行く頃は、山の棚田に若い稲が爽やかな風になびいているころ。

ほぼルートも決まりかけた頃は林道で一服してると、近くの農作業のおばさんが取れたてのトマトを「食べなさい」と持ってきてくれたので8月だったのでしょうか。数日の山の生活から久しぶりに降りようとした時に立ち寄ったお店のテレビで見た「日航機墜落」のニュース。あれから何年、って言われるたびにSSERの開催年数と重なることに愕然と。

だから
「日航機墜落っていつだった?」
という話になると間に髪をいれず
「1985年8月12日だよ。」
とボクは言えるのです。

歳月はひたすら過ぎていきます。秋はまるでその象徴のように、訪れては過ぎ行く時をひたすらに感じさせてくれるということでしょうか。

きょうの一枚

ボクが落書きのように書いたSSER3DAYSのルートプラン。
スキー場がフィーチャーされていますが、とにかく快適な林道の宝庫のこのエリア。工夫を凝らしてルートを構成中!!オタノシミニ。

3DAYSのサイトはこちら


2011/09/02 (金曜日)

「ラリーモンゴリア2012へ向けて。」

美しいモンゴルの大地で繰り広げられるラリーモンゴリア。いまこの夏の熱戦の模様がFUTUREに編集中。一方大量の写真もほぼ整理がついて・・・ブログ参照・・・こうして振り返るほどに素晴らしい大会だったという思いが募ります。3つのデューンは、ルートの中央付近にある日、ルートの最初にある日、ルートの最後つまりビバークの直前にある日、という設定を施しました。もちろんそれぞれ表情の違うデューンです。深く入り込めば脱出困難なもの。かつては道だったものに砂が堆積して一般のクルマの通行ができなくなったようなもの。キャメルグラスが多くて遠めにはデューンかな?と思うようなもの。

こうしてみるとまだまだたくさんの未知の道?やエリアがあることがわかります。そりゃそうだよね国土は日本の4倍強。狭い日本だって言っても知らないところや、まだまだ行ってみたい所はたくさんあるわけだし・・・。

さて2012年。ここから悩み始めるのが愉しい日々なのです。でも大まかなコンセプトはこの2ヶ月くらいで構築しなければなりません。

2011年の日本は、未曾有の大惨事を経験しました。もちろん多くはいまも継続し、まさに日本人に大きな転換点を示唆しているように思います。

蛮勇のごときでしたがSSERも行動を起こし被災地にカミオンを出して支援活動に乗り出しました。途中で「今年のモンゴルの開催は難しいかもしれない。」と覚悟する時もありましたが、いまはその報告書に着手するほどにあの時からSSERの考えからも大きく変わったことが伺えます。

ちょっとタイトルから話はそれましたが、震災の現場に立ってボクタチラリー仲間はもっと迅速な行動ができなかったのだろうか?もっと支援すべき方向もあったのではないか・・・そんなふうな思いにとらわれたものです。ですからこれからこうした支援のあり方をたゆまず考え検討をしていくことにします

そして2012年のラリーモンゴリア、世界に向けて日本とラリーモンゴリアの存在を大いにアピールして参りたいと思っております。中国へのアプローチももう数年係で、まもなく成果が出ようとしています。

あとは参加者の通関のスムースさや、いかにコストダウンして参加や運営が出来ないかという、そういう仕事に取り掛かりたいものです。

きょうの一枚

ボディも足回りもしっかりした完成度のBajaマシン。今回ののモンゴル勢はアメリカからBajaマシンの大量買付け?勝負も人もマシンもあらゆる性能が総合的に求められるようになってきています。塙選手といえども、ちょっと油断をすれば彼らに先行を許してしまいます。ステージによってはAUTO部門が上位を独占することも。

2011/09/01 (木曜日)

「七沢温泉の闘い、後編」

さてETAP2が終わったところまで書きました。
ここまで2日間約1000km(リエゾン225kmふくむ)菅原Vs尾上の闘いはいかに。

ETAP2終了時点で菅原/若林組は12時間59分26秒。総合17位AUTO部門8位。前を行く日本人は塙郁夫選手と池田秀仁(BMW)の2台!なんという快進撃ぶり!?

一方尾上/石原組は14時間21分58秒の総合26位、時間差こそ1時間20分ばかりですが、なかなかのポジションです。

そしてETAP3は今大会の中ではもっとも短いもの。当初の発表より少々SSが伸びたものの280kmのハイスピードで暑い戦い。一部にはナビに苦しむかと思われるところも。尾上/石原組はここで少しでも肉薄しておきたいところ。しかしここでも菅原/若林組に先行を許してしまいます。

菅原/若林組この日3時間52分43秒 70km/hオーバーのアベレージはマシンの性能を考えるとかなりなもの。ちなみにこの日トップタイムは塙/エンフトル組の2時間40分52秒。アベは120km/h!?そして尾上/石原組は4時間02分55秒。10分の遅れです。

菅原/若林組は総合でも16位へひとつアップ。ムフフな感じです。尾上/石原組はというと前日の26位から23位へ軽くジャンプアップ。勢いがつきます。

勝負は山場のETAP-4.距離は短いもののリエゾンでデューンありSSは後半にゴビの最深部恐竜の谷を越える暑くハードなもの。ナビミスは大きなタイムロスの原因となる難しい1日。

ここで菅原/若林組も遅れました。27位でゴール。タイムは8時間19分13秒。尾上さん逆転の千載一遇のチャンスのはずでしたが・・・実は尾上/石原組は痛恨のマシントラブル。RCPがこの南ゴビ唯一の町ゴルバンテスだったことに救われなんとか戦線復帰。RCPの1時間のレストタイムもフルに使ったもののこの日は12時間34分も費やしてしまい、総合でも29位と大きく後退。時間差はツイニ4時間12分も開けられてしまった。

翌日はゾーモットの休息日。
「しゃない、七沢温泉予約しとくよ。」
と発言内容は弱音なのですが、まだまだ闘志溢れる尾上さん。
なんだか休息日以降に波乱の予感。

そうなんです。休息日開けのETAP-6、547kmの長丁場。尾上/石原組、乾坤一擲の走りで20位でフィニッシュ。タイムは8時間59分28秒、・・それにしても8耐を毎日走る感じすかね。菅原/若林組9時間24分15秒。なんと25分も挽回しました。あと2日。チャンスはまだまだとマシンの整備に精を出すふたり。

さらにETAP-7も尾上/石原組に軍配が上がります。430kmも走ったところにあるデューンのなかで2台のマシンは出会います。デューンを知り尽くした菅原。経験ならことちらも負けない尾上のナビ石原。

スタートは7分後の尾上/石原組。勝負はこのデューンをいかに抜けるかというところ。しかし2台がここで出くわしてしまったのも勝負のあやかもしれません。互いにデューンを超え、わずかに5分ほど上回ったタイムで尾上/石原組がゴールします。砂丘の中で2台並んで降る姿には、真剣勝負の火花が見えて取れました。きっとその写真は、雑誌や写真集の表紙を飾ろうかというくらいのもの・・・赤松カメラマンが出し惜しみをしていなければですが・・・

こうして最終日を迎えるわけですが、最終日の時間差はスタートタイム差8分。そして終わってみれば菅原/若林組は総合16位という驚きのリザルト。並み居るKTMらを蹴散らして、です。タイムは45時間12分42秒。尾上/石原組は困難なトラブルを無事にリカバリーして総合22位50時間35分44秒。

まさに舌戦いや熱戦でした。粘戦だったかもしれません。
この模様はFUTURE Vol.7にて掲載予定です。