=スパ太郎が走った、チベット!=
チベットへ、バイク・ツーリングに行ったコトがあります。1999年のコト。HondaのFTR230が発売される直前で、FTR230のキャンペーンを兼ね、FTRで、標高5200メートルのチョモランマ・ベースキャンプを目指す…という、アドベンチャー・ツーリングでした。(SL230も一緒に走りましたが…)
日本からのメンバーには、FTRやSLを開発した研究所の人達もいました。中国のメンバーは、チベットでの登山やスポーツ関係の窓口でもある、中国政府の、中国・チベット体育運動局の人達や公安(中国警察)の幹部の方達も…。ビックリした事に、中国の入国審査では、一行の代表が紙面を見せてのスルー。ナント、ボク達の個々のパスポートには、中国への入国スタンプが押されていなかったんですよね。どんな扱いだったのかは未だに不明ですが、入国スタンプが無い以上「万一はぐれてしまった場合は、不法入国の疑いを掛けられ、俺たちでも捜しようがない…」と、同行の公安の方からも忠告を受けていました。……なんて国だよ。 んなの有りか!?
チベットは元々、国として存在していたのです。今回の“チベットのデモ”の発端となったラサ市には、チベット繁栄の象徴でもあり、世界遺産のポタラ宮があったり、チベット仏教の最大の聖地、ジョカン(大昭寺)もあります。
1949年、そのチベットに中国共産党軍が侵攻し占領。チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世(後の1989年にノーベル平和賞・受賞)を国外に追い出し、チベット中国の自治区として、中国の1部にしてしまったのだそうです。チベット族からすれば、漢族(中国)が攻め込んで来て、自分達の国を乗っ取った…という感情が根底にあるんですよね。
ボクの周りにはね、長年チベットの写真を撮り続けている写真家の友人や、チベットなど僻地モノのを得意とした、番組制作会社の友人などがいたりして、事前に「チベットでは政治問題や、宗教問題はとっても複雑だから、口にしない方が良いよ!」と、忠告を受けていました。
で、ツーリングスケジュールを見せると、その反応は皆同じ。「チベットをなめてんじゃないの!?」「死ぬよ!」「チベットを分かっていない!」なんて猛攻撃。(いや、ボクが考えたスケジュールじゃ無いのに…) 高度順化に必要な日程が足りなさすぎ…との指摘を受けました。高山病は頭痛や動悸、吐き気、など様々な症状が出るのですが、酷くなると、脳水腫、肺水腫などになり、死に至るコトもあるそうです。。。。 実際に、ボクら達のチベット入りの少し前、日本の大学登山部の学生が、チベットでは標高の一番低いラサで容態が急変し、亡くなった…という事例もあるそうです。何度もチベットに行っている友人達でさえ、ラサで数日間高度順化を行い、少しずつ、高度を上げていくのだそうです。カラダが危機を感じて起こる高山病なだけに、頭痛薬や痛み止めを飲んで高度を上げた場合、“自殺行為”との忠告も受けました。
ちなみに、チベットのような空気が薄く、標高の高い場所で出血した場合、血が止らなくなってしまい、死に至るコトもあるそうです。SSERの車検チェック顔負けの、プロテクターの重装備体制で、チベットツーリングに望んだボクでした。
沢山の事前忠告を受けながら乗り込んだ、チベット・ツーリングは、友人達の指摘通り、ラサ郊外の飛行場に降り立った2~3時間後、早々に、全員が高山病に襲われました…。 頭痛、動悸、吐き気、食欲不振。こんなんでバイクに乗れるのか!?と思いつつも、チベットの空の青さに感動! 紺碧色というか、今までに見た事の無い青い空に白い雲。
チベットの玄関口、ラサ市は、標高は3650メートル。富士山で言うと、8合目9合目の間の標高でしょうか? チベットで一番低い場所が、ココ、ラサですからね。高度順化もままならず、キツキツのスケジュールをこなす為に、ラサを出発する前日の夜、ボクは益々高山病の症状が酷くなり(ボクの場合は、孫悟空のように締め付けられるような頭痛と動悸の症状)、人民病院に担ぎ込まれました。心電図検査の後は、ナゼか、指の先に針を刺して採血する、メチャクチャ痛い血液検査。指先はトゲが刺さっただけでも痛いのに、針ですよ! 更にシャンプーの試供品のような空き小袋(ホントにLUXと書かれてました)と爪楊枝を渡され、通訳に聞くと「検便」とのコトでビックリ! 「コレでどうやって採取するんだ???」女性の通訳も困った様子でした。。。
その後検査結果が出るまで、散々待たされた挙句、ドクターの見解は「この症状は、高山病ですね!」。『だから来てるんですよ!』と、思わず日本語で突っ込みを入れてしまいました! そして処方されたのが、頭痛薬。通訳曰く「この頭痛薬はとても強いので、明日にはケロッと治りますよ!」だって。ソレは自殺行為じゃないの???
翌日、無理矢理なスケジュールで、ツーリングを強行。高度を上げた先のホテルは、おそらく“体育運動局”の人達が、ホテルにプレッシャーを掛けてたんでしょうね。超一流扱いを受けるのですが、最上階なんですヨ。高山病なんだから、1階で良いのに……。
とうとうボクは、ベースキャンプにたどり着く手前で、ドクターストップになり、ラサへ返されてしまったのです。
ラサへ返されてから、本隊が戻るまでの数日間は、殆どホテルに缶詰状態。だって「公安の人達だって捜せない…」っていうくらいですから。と言っても、毎日毎日暇ですからね。チベット仏教の聖地、ジョカン(大昭寺)に行ったり、市内を散策したり、買い物をしたり。でも、店のオーナーは、みんな中国系の漢族の人達でした。
ホテルのスタッフ達とも仲良くなりました。ちょっとシャイなのが、チベット人。日本人に顔立ちが似ていて、親しみを感じます。ホテルのオーナーや支配人は漢族の人。チベット人が雇われている…という感じでした。特に親しくなったレストランスタッフ達(約25人)はみんな10代~20代前半の娘達。普段仲良く見える彼女達なのですが、仕事を指示しているのは、やっぱり漢族の娘達でした。こんな若い娘達の間にも、民族間の差があるコトを感じました。
ボクの持っている、チベットのガイドブックに、ダライ・ラマ14世の写真を見つけると、みんな集まってきて、拝みだしたりしてね。チベットの人が、ダライ・ラマの写真を所持しているだけで、逮捕されてしまうそうです。
「ダライ・ラマ14世の写真を切り取って、私に下さい!」とがまれ、ホント困りました。
ボ合、高山病のお陰で、チベット事情を肌で感じるコトが出来ました。ボクにとっては、チョモランマ・リベンジの掛かっている、チベッ早く情勢が安定するコトを願うばかりです。
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