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何かと不穏な時代に大先輩からの「おい、なんだい!」と、難題山積みの熱きメッセージ、まあSSERの社説のようなものです。
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2009/09/01 (火曜日)

民主党が政権を取って、高速道路の無料化が話題になっています。マスコミ報道を見ていると、世界の趨勢は「高速道路無料」のように受け取れますが逆です。ヨーロッパでは無料の高速道路の方が有料よりずっと少数派で、通行料金も上がる傾向にあります。

ずっと昔、日本に高速道路が作られ始めた頃、建設費用が回収できた段階で順次無料化する、といっていましたが、果てしもなく作り続ける道路建設の財源や不採算道路の維持管理などの名目で、いつしか高速道路の有料は定着してしまっていました。無料化しても維持管理は必要ですから、その財源をどうする、の論議があります。同時に高速道路の建設費などのツケも貯まっていて、どう操作しても借金の穴埋めは税金ですから、手放しで喜ぶわけにも行きません。

民主党のお手並み拝見というところでしょう。子供手当、弱者救済なども話題になっていますが、言わせてもらえば今の親は、子供のいる家庭に、政府が支援するのは当たり前、というような考えが見えます。子供手当をもらったら、塾に行かせる、お稽古ごとをやらせる、などはまだいい方で親の口座に振り込まれたら、それがどう使われようと黙認するほかないのです。与野党幹部も一流会社の幹部も、労働貴族も手当の支給を受けることになりますが、こういう人にとって月に2万、3万が口座に入ったところで「冥界からの寄付金」が数千万円もある人にとって、何の関係もないでしょう。

まだはっきりはしていませんが、最低年金のような制度を設け、年金積み立てをしていない人でも「困っていれば保障する」ような話しも出てきています。これじゃ、そうでなくても年金に加入せず「いずれは生活保護をもらう」などという怠け者がはびこるばかりです。真面目に働き年金を積み立てている人が馬鹿を見ます。

国民をキチンと生活させるのは政府・政治の責任ですが、何でも可愛そうだと同情論ばかりがはびこると、日本人の勤勉さは失われてしまいます。毎月のように連休があり、土日休日が役所や恵まれた会社では当たり前になっていますが、教職員や役人が楽をするばかりで、土曜が休みの分だけ、多くの親は塾へ子供を追いやることになります。ゆとり生活だ、ゆとり教育だ、などと大馬鹿の文部官僚や日教組がわめき立て、そのツケは結果として親たちにのしかかってきているわけです。

その点で、官僚政治は許さない、とする民主党のお題目は歓迎ですが、幹部の中には日の丸・君が代大反対。教職員も労働者だと日本の教育現場を荒廃させた“筋金入りの日教組代表”の顔も見えます。

そもそも国旗に敬意を表さないような国があるでしょうか。大昔の日本軍が日の丸を掲げたからといって、国旗そのものを否定する必然性はありません。オリンピックや高校野球で日の丸が掲揚されるのを、その人たちは否定していません。左翼マスコミも同様です。国歌にしてもフランス国歌を翻訳してみてくださいよ。

「殺せ」「殲滅せよ」などという言葉もあるのです。ミッテラン左翼政府だって国歌を否定はしませんでした。一部の左翼新聞社、馬鹿記者とつるんで「日の丸校長」などと田舎の小中学校・校長をつるし上げ、君が代を歌わない“闘志”を讃えた人物が、民主党の中枢にいるのは心配です。

民主党は自民党から分かれた人たちや、昨今の政治に危機感を抱いた若手が中心になっています。そういう人に今の政治を変えて欲しいのです。寄せ集めであることは否定できませんが、連立を組むことになる少数党の中には、朝鮮労働党の言うことは全て正しい、と言って憚らなかった土井たか子さんを信奉する党首もいます。

拉致問題など「朝鮮労働党が言うのだからなかった」というグループなのです。さすがに今は「拉致などなかった」とは言いませんが、土井さんの発言を取り消してはいません。本気で解決に取り組むとは思えないのです。

誰が指揮を執っても、万民が満足することはないでしょうが、バラ色の支援金・補助金、目先の高速道路無料化などが、今後どういう経緯をたどるのか…。ジジは既に幾らも税金を払わなくなり、もう少しすると税金も払わず「保護される」側に回るかも知れません。手厚い介護・お年寄り支援はありがたく受けましょう。
 しかし、心のどこかで、過保護に甘える国民は結局、堕落し、国を滅ぼし、自立する気概を失い、どこかの国に飲み込まれてしまうのではないかと、ちょっとだけ危惧しています。国民が気概を失わない政治を鳩山さん、岡田さん、好きじゃないけど小沢さん、一度大失敗をしたけど、前原さんたちにお願いしたいところです。 

No:028

 
2009/08/28 (金曜日)

 

 

選挙です。野党優勢と伝えられていますが、果たしてどんな結果になるでしょうか。今度の選挙でマニフェストとか言う公約に、盛りだくさんの支援・補助金などを「勝った暁には支給する」などとブチ挙げられています。本当に大丈夫でしょうか。いささか心配になります。

子供1人あたり月に2万4000円もの育児手当を出す話もあります。それはそれで魅力的でしょうが、年間約30万円です。3人も子供がいれば結構な“収入”ということになります。仮にその補助金が子供のためにキチンと使われるのならそれなりの効果はあるでしょうが、最近は信用できない大人が増えて、子供手当を着服してしまうのではないかと心配です。

ジジが知っている人の中には、生活保護をもらっている人がいます。何故かクルマ、それもジジよりもずっといい車に乗り、パチンコ屋へ行きます。田舎に住んでいるので「クルマは必需品」ということで、クルマの所有は許されているのですが、パチンコ屋へ毎日のように出かける資金は、ガソリン代は、」いったいどこから出てくるのか、常々気になっています。

子供に対する手当にしても、親に渡してしまったら、それっきりです。親全員を信用しないのではありませんが、少子化をいいことにバラマキをしていたのでは、若い親にも子供にも、頑張って生きる根性など生まれようもありません。

“根性”などというのは古い人間でしょうが、頑張る気持ちと言い換えても構いません。確たる信念を持たない政治家たちが、その場限りの人気取りで、手っ取り早く耳に心地良い言葉を連発します。高速道路をただにしても、そのツケは国民の税金に回ってきますが、大きな財源となる消費税は当分、上げないといいます。

この記事が掲載される頃には、もう与野党逆転が実現しているかも知れません。どちらが勝とうが国債を乱発し、何とか公約を守ったポーズをとることは止めて欲しいのです。さらに、支援、補助、救済の連発で、真面目に働く人が馬鹿を見て、年金も保険も払わず、いい加減に生きてきた人が「可愛そう」の一言で、頑張って生きてきた人より楽に生きられていいのでしょうか。

過保護の安売りは、勤勉な日本人の働く意欲を失わせるでしょう。真面目に働いてきた人より、だらけた生き方を続けてきた年金生活者の方が“豊か”だったり、子供手当を自分の遊興費に当てても、文句の言いようもないような制度を作るのは、亡国への政治だと思います。どの党が主導権を握っても構いませんが、自分の国を自分で守れないようでは困ります。怠け者が、一生懸命働いてきた人より、のんびり、脳天気に生きられるのが、本当に日本の将来にいいのかどうかも、気になるところです。

No:027

2009/08/20 (木曜日)

ラリー・モンゴリアを主催者のヘリで追いかけ、楽しい思いをしたことは前のコラムで書きました。その後も撮ってきた写真を整理したり、モンゴルやコロンビアからの参加者に、写真を送ったりしているうち、しばしご無沙汰だった砂漠の旅の感触が蘇ってきました。

そこでジジが勝手に作っているホームページ「じじ、ばば・ネット」に暫く前までまで連載していた「Pari〜Dakar、サハラ砂漠に夢を追って―」という連載を復活させることにしました。スポンサーも依頼主も無し。それこそジジ・ババが自前で作っているホームページですから編集は自由、気ままです。

一旦お蔵に入れたものを引っ張り出して読んでみると、パリダカの断面を切り取ったお話にはなっています。なんせ書き飛ばしですから、推敲を重ねて丁寧に書き上げた書籍の文章には及びもつきませんが、ジジがサハラで直接、聞いたり見たり、後に本人と話したものなので、嘘はありません。

ひとつひとつのシーンや、その場の様子、アラブ、黒人たちの表情、夜は白目と歯ばかりが白く目立つ彼らの顔も脳裏に浮かんで来るのです。モンゴルに出かけた人や、冒険的な旅好きなら、こういう残像にどこか共感するものがあると思います。

今度のラリー・モンゴリアは成績や技術などに囚われることなく、全体をボンヤリと見続けてきました。初めてのモンゴルだし、以前旅した内モンゴルやカザフスタン、トルクメニスタンなどとも、ちょっと異なった印象でした。

やはりなにか連載でもしようと考え、ラリーの日々に出会ったことなどを「草原と砂漠を駆ける」の第2部で始めています。クロスカントリー・ラリーには複雑な要素が絡みます。地元の人との触れあいはそのうちでも大きな比重を占めます。

草原の遊牧民にバイクが急速に普及し始めていることも予想外のことでした。彼らは3人乗りでも、でこぼこの草原を走ります。バイクはロード仕様のポンコツですが、上手に使っています。馬に乗っていれば穴に落ちてひっくり返ることもないでしょうが、同じライディングでも、バイクの方がずっと先進的だと思っているのかも知れません。そのうち怪我をする人も増えるでしょう。その時になって「馬の方が遊牧には合っていた」などと思い当たるかも知れませんが、手遅れでしょう。草原には馬が似合います。

世界的な経済不況でモンゴルへの投資も足踏みをしていると聞きました。今年に入ってウランバートルに建設中のビル工事が、途中でストップしているところも沢山、見かけました。日本へ帰ってきたら、選挙・選挙です。選挙公約はバラマキの応酬で、いったい財源はどこから持ってくるのか、経済に疎いジジですら心配です。

アメリカの金儲けに長けたグループが、不良債権を世界のファンドに潜り込ませ、日本の銀行も証券の取り扱いが出来るようになったので「銀行は嘘をつかない」という、日本人だけに通用する信用を背景に、小金持ちから金を集め、ドル、ユーロ、オーストラリア・ドル、ニュージーランド・ドルなどを買った人が、気づいてみれば、いつの間にか10%も20%も目減りしている惨状です。

アメリカが仕掛けた不況を日本政府の責任のようにマスコミも野党も言います。与党までが経済立て直しの政策に邁進している、などと言い、いつの間にか日本の不況は日本が悪いような印象になってしまいました。そして選挙の争点は日本の将来ではなく、目先の利益優先です。

古証文のようなパリダカの出来事を読み返しながら、モンゴルでの日々や様々な光景を思い返し、ガラにもなくモンゴルの歴史やマルコポーロなどを読み始めています。手遅れですが…。

No:026

2009/08/18 (火曜日)

ラリー・モンゴリアはとても楽しいものでした。楽しいといっても、怒ったり笑ったりのいろいろです。これまでにもう40年間にもなりますか…。いろいろなラリーを見てきて、ラリー・モンゴリアの“異端ぶり”がいいですね。

死ぬかと思った人が、なに、嵐の中の燃料切れで死にそうな、か細い声を出していたり、朝まで行方不明だった人は、遊牧民の親切にどっぷり浸かり、ゲルの中で寝ていたり、これはもう終わってみれば笑いです。

しかし、モンゴルの荒野や砂漠、山岳地帯で連絡が取れなくなったり、動けない人がいたら、その時点では笑いでは済みません。山田徹・競技委員長や本部の黒川吉美さん、三好久美子さんたちは、毎晩余り寝ていなかったようです。CPに貼り付けられたり、翌日のポイントに深夜移動したり、救助に向かうスタッフはもっと大変だったでしょう。

カミオンバレーを運転したかつての“ライトニング健次郎”、パリダカ初の優勝者、篠恁嚴沽Yさんも大奮闘でした。速く走るのが使命だった男が、人を抜き去ってはいけないのです。SSERのスタッフの対応はパリダカを仕切るASOの“遊び人”に比べようもない働きです。今の時代、こんなに確実に本部の指示に従って動く民間組織があるのでしょうか。魂消ました。

初心者にはちょっと厳しく、ベテランは怠けなければキチンと走破できるコースが設定されていました。ループSSが2カ所あったのは、出かける前に「のんびりしすぎるようだな」と思ったのですが、そんなことはありませんでした。

日本人スタッフがキリキリと働くので、モンゴル人スタッフも素晴らしい動きをしていました。小松保さん、ムッホ、それに篠恁嚴沽Yさんたちが、3台ともスタックしてしまった嵐の夜は、最大のピンチだと思いました。その時、菅原義正さんが「もし必要なら、私の競技車を羽村と杉浦に運転させて、危ない競技者の所へ行かせますよ」と山田さんに言いました。それを決行しなくて良かったのは幸いでした。

ラリーは皆で作り上げていくものです。ビギナーも参加できる国際的なクロカンは多くはありません。ワークスの世界に一線を画してのイベントなのです。菅原義正・尾上茂両ベテランがジムニーでの“弥次喜多的な競い合い”は知る人ぞ知るで笑えました。

そうかと思うと、日本では名を知られた元ラリーストがアドバイズ・改造した車は悲惨でした。いろいろと聞いているうちに、元ラリーストたちの“いい加減さ”に腹が立ちました。言いなりに改造を任せ、大金を払った参加者は、甘いといえばその通りですが、いかにも権威者のように振る舞う元ラリーストを信頼しての結果です。

こういうインチキ・ラリーストが偉そうに闊歩する限り、国内ラリーなど衰退の一途でしょう。彼らは本当にモータースポーツを盛んにする努力をしているのでしょうか。その場限りの“工賃・部品代ピンハネ”ではないかと考えてしまうほどです。

 インチキ改造された車は無事に完走?しました。主催者は洒落た賞を与えました。

「ランタン・ルージュ」。

 赤いランタンをケツ灯して…。♪赤いランプの終列車…、というわけです。

いろいろありました。ヘリでぬくぬくと移動し、言いたい放題ですからジジは少し太りました。ということは、悪たれをついたにしては、怒り心頭ではなく、とても楽しい旅だったことになります。

初日に大飯を食い、カミオンバレーで出発地点まで行くときに突き上げられ、下痢っ腹になりましたが、その後は順調でした。健次郎さんや山田さんとお互いに笑うほど食い、楽しく帰国したというわけです。なんだか参戦したくなりましたが、そりゃ無理か…。

No:025

2009/07/24 (金曜日)

「エコという名のまやかしもの」

エコという言葉がマスコミに登場するようになって久しい。自動車から箸まで何でもエコの言葉がつきまとうのにはいささか食傷気味だ。スーパーへ出かけるにもレジ袋をぶら下げて帰るのではなくマイバッグがお勧めとなっているし、ホテルの朝食ではエコ箸として合成樹脂の製品が使われていたりする。

覚えている人も多いと思うが、間伐材を使って作られていた割り箸が、木材の使い捨て、と言うキャンペーンの矢面に立たされ、割り箸を使うのは「良くない」「資源の無駄遣い」の印象を広めた。あげくは間伐をしても採算が取れず、業者の多くも割り箸作りを止めてしまった。穴埋めは中国からの輸入。そして今は間伐材を見直そう、森を育てようと、一昔前に散々悪者にした割り箸としての利用を奨励する有様。それでもまだ「割り箸は資源の無駄遣い」の考えは根強い。

スーパーのレジ袋でも首をかしげる。いろいろな品物がトレーに入れられ、頑丈に包装されている。大勢の人が物色するスーパーでは、衛生上キチンと包装することは必要なのだろうが、エコの大キャンペーンをやりながら、目に余る過剰包装には知らん顔だ。一つのトレーでレジ袋何枚分かに相当する包装は、誰もいけないといわない。レジ袋を無くそうのキャンペーンが、どうして過剰包装の自粛と連動しないのか不思議だ。

なんだか偽善がまかり通っているようだ。本質を忘れ、形や表面化した物ばかりを気にする傾向があると思う。エコカーも怪しい一つだ。だいたい、1人か2人しか乗らない乗用車は軽か1.5リットルほどの排気量で十分だ。それを中・大型車のハイブリッドが“エコカー”とされ、エコポイントなどがもらえる。明らかに燃費は軽・小型車より悪いのに…。大型車に乗るのは勝手だが、相対的に燃費の悪い車をエコカーなどというのは明らかに間違っている。

高速道路・一律1000円も変な話だ。高速道路の料金そのものが建設当初の“公約”と大きくずれ、いつまでたっても高いままなのは酷い話だが、エコ・キャンペーンと見比べると、どうなっているのか分かりにくい。経済効果はあるかも知れないが、不必要な走行は猛烈な燃料浪費にはならないのか?

資源の節約が大目的なら、輸入に頼るガソリンの浪費こそ抑えるべきなのだ。いちいち世の中の矛盾に目くじらを立てていたのでは、話にならないが、矛盾する事実を知ったうえで惚けているのか、覆い隠してか、エコと言う言葉が流行のようになって独り歩きする。

電気自動車も良いだろうが、充電する電気そのものはどうなのか。火力発電の元は輸入に頼る石炭。この「できるだけ新聞」を読むと、日本は世界最大の石炭輸入国だ。原子力発電に反対する人が輸入に頼る火力発電による電力供給には関心を示さない。不思議な話だ。

何でもエコの言葉が付けば、良いこと、良いもの、のように考える前に、なぜエコなのかを考えることも時には必要だろう。エコという名の、まやかしものが、身の回りに蔓延し始めているように思う。

写真は究極のエコ

一枚目:アルジェリア・タマンラセット東方、イリジイへの道
二枚目:ナイジェリアの家族

No:025

 
2009/07/14 (火曜日)

「姑息な“大物”には辟易です。」

銀行員と言えば一昔前には堅物で信用できる人というのが常識だった。それがこのところがたがたと崩れ、日本を代表する銀行の信託部門幹部が、個人情報を業者に売り渡したり、年寄りの貯金をだまし取ったりの事件が連続している。

銀行員の不正は昔からあったのかもしれないが、遭い金は酷すぎる。つい数年前まで銀行の幹部だった人物と、最近親しくなって、銀行員の不始末は、どうしたものかと尋ねて見たら答えは簡単だった。

「今の銀行は殆どが窓口業務をパートに任せ、業務内容が分かるのは、どこの支店でも数人だけですよ。銀行は手数料で稼いでいるだけで、昔のような企業の育成や頑張る人を助けようなんてことは全くありませんよ。私がやっていたんで、まず間違いはありません」と妙な保証までした。

酔っぱらい運転の撲滅に血道を上げているはずの警官が、酔っぱらい運転で何人も逮捕されている。1人の処刑が今にまで残る話となっている江戸時代の長閑さは、想像もできない。箱根の関所は厳しさが伝えられているが、関所破りなどで処刑された人は、10人にみたないとも聞いている。

今は親殺し、子殺しを始め、鬱憤晴らしの殺人なども当たり前になってしまい、いったい日本はどうなるのだろうと、脳天気なジジですら気になる。もっとも、政治の混乱は目を覆うばかりで、まともに日本の政治を語ることそのものが、馬鹿馬鹿しくなってしまう。イタリアのサミットへ出かけた麻生総理の「最大の目的は、バチカンで法王に謁見することだった」などとマスコミに書かれるようでは、どうにも救いがない。

いったい麻生さんは何をしに先進国サミットへ出かけたのだろうか。1人白い背広でニタニタし続けていたが、誰も相手にしていないことは、向かって左端でゆがんだ笑みを絶やさない努力をしているだけの様子で十分に分かった。

都議選で民主党が大勝するのは“そのまんま東”が、そのまんま増長し、師匠でもあるビートたけし、に「世の中そんなに甘くはないよ」とたしなめられるほど、自民党の古狸、選対委員長も焼きが回っていると言うことだろう。

コメディアンでも、大金持ちの御曹司でも、総理・総裁を目指して頑張るのはいっこうにかまわないけれど、宮崎県知事になり、マスコミにおだてられると、今度は日本国の首相になる条件で国会議員へ立候補する、などというのはあまりにも馬鹿げている。

人望、実績、行動力、国際感覚、そして何よりも世の中の常識というものを心得ず“そのまんま”首相にでもなろうという馬鹿さ加減や、そんな人物を立候補させようと口説きに行った自民党の古賀さんあたりの行動も、都議選で自民党は終わったな−、の印象を与えたのかも知れない。

民主党の鳩山代表にしても、政治資金の不明朗さは抜きがたいものだ。説明すれば法律違反も許されるなら、酔っぱらい運転も、無免許運転も「事情を説明すればそれでよし」にはならないのだろうか。

姑息にも5万円以下に小分けすれば記名しなくてもいい、抜け穴を潜り、何千万円もの金が拠出されている。それは「自分の金だ」などというのは、細かく追求すれば、税法にも違反しているかも知れない。小金も持っていない人にとっては、鳩山党首の「遊び金」の豊富さに驚き、この人のいう貧しい人、老後、福祉などという言葉が、いかに“嘘の固まり”なのかを連想してしまうのだ。

政治が乱れると、世の中ろくなことはない。神道・仏教国家、日本の麻生首相が、カトリック教徒だったのは、うかつにも知らなかったが、これじゃ麻生さん、もっともっと早くやめるべきだし、天皇制国家の首相には始めからそぐわなかったのですよ。信教の自由は保障されていますが、なんだか馬鹿馬鹿しい気がします。これじゃ世の中、乱れます。ローマ法王に会って、帰国したらそそくさと解散日程を決めたことも、大笑いです。日本の国などより、麻生さんは自分の信仰を大切にしたのかも知れません。鳩山さんの姑息さと同じですね。

写真

一枚目:箱根関所跡(小田原側)
二枚目:面影を残す旧街道(小田原側)

No:024

2009/07/10 (金曜日)

「海賊船に転落する?」

情けないと言うのか、馬鹿馬鹿しいと言うべきか、フィリピン・マニラ沖でフィリピン沿岸警備隊を日本の海上保安庁の合同訓練中に、フィリピン隊員2人が9日、足を骨折する事故があったと報道されていた。何でもヘリコプターから船上へ降りる訓練中に、ロープの長さが足りず、甲板へ落ちたのだという。海賊対策の訓練中だったそうだ。なんだか間抜けな話とは思えませんか?

訓練で事故があるのは好ましいことではないが、足の骨折くらいで良かった。もし、本当に海賊船に乗り移ろうとしているときだったら、何のことはない、海賊船に転落し、人質になるだけの話だろう。ロープが甲板まで届いているのかいないのかは、岩登りを少しした人ならすぐ分かるはずだ。懸垂下降などでロープが下まで届いていなければ、宙づりになるか落ちるだけ。消防隊員でも常識になっているはずだ。

何を惚けたことを−、と思うのだが、間違いはどこにでもある。ヘリがホバーリングしてロープを垂らすのが、如何に難しい技術なのかも再認識できる事故でもある。しかし、ロープが甲板まで届いているかどうかは、甲板にいる隊員が十分に分かるはずだし、軽率のそしりは免れないだろう。テレビにも様子が映されていたので、甲板上には何人もの人がいたはずだ。

大変な仕事とは思うが、素人の岩登り好きでも分かりそうな、初歩的なミスをするようでは、海賊に笑われ、馬鹿にされかねまい。間違いは人につきものだが、わかりきった間違いには呆れるしかない。どうしてこんなことが起こるのか、フィリピン人隊員が怠けているとも思えないが…。

No:023

2009/06/30 (火曜日)

「6月30日 田母神発言の影に怯える」

「言論の自由」という言葉はどういう時に使うのだろうか。普段、少数派の意見を大切にするよう訴えているグループも、自分たちの意見に反する「より少数派」の発言を封じてしまうようなケースがある。広島原爆忌の8月6日、前・航空幕僚長の田母神俊雄さんが広島市内で講演する予定だったが、秋葉忠利・広島市長は日程変更するよう田母神さんと講演会の主催者にファックスを送ったという。

講演のテーマは「ヒロシマの平和を疑う」と題するもので、主催は日本会議広島となっている。どんな内容の講演会になるのか明らかにはされていないが、広島市は「広島での8月6日の意味は、表現の自由と同様に重要なもの。被爆者の心情に配慮して欲しい」としている。

もとより原爆は最悪の兵器だし、多くの犠牲者が出たことを忘れるものではないが、日本の近隣諸国、ロシア、中国、インド、パキスタンが既に原爆を持ち、北朝鮮が作ろうとしている。そういう日本を取り巻く環境の中で「田母神さんが日本の核武装を肯定する発言をしている」という理由で、講演日程の変更を要請するのは、どうも感心しない。

日本はアメリカの“核の傘の下”にいることは事実で、日本が持つ、持たないという前に、日本周辺には核兵器がゴロゴロ存在している。イランも核開発の可能性が指摘されているし、イスラエルの核保有も半ば公然としている。そうした現実の中で「核を保有しない」とする被爆国・被爆地の考えは分かるけれど、講演の日程変更を要請するのには納得がいかない。

これまで田母神さんの発言の中に「核兵器の行使」を容認する発言はない。核に触れる部分では「自衛力」の範囲を超えてはいないと思う。核兵器の恐ろしさと、それを無くそうということには賛成だが、核の脅し、軍事力増強で脅しをかけてくる国が、現実に日本のすぐ側に存在することも忘れてはなるまい。

アメリカが落とした原爆の悲惨さを訴えながら、アメリカの核・軍事力で守られている日本の現状をどう受け止めるかも、考える必要がある。以前、新潟だったと思うが、曾野綾子さんの講演予定の会場を使わせなかった事件を記憶している。自分たちが気に入らない意見を持つ人を、排除していくやり方はとても危険な気がする。実際田母神さんが広島で、どんな講演をするのかは分かっていないのだ。世の中には色々な意見がある。

第二次大戦でイギリスはアメリカに対し「日本で細菌兵器を試してみるよう進言していた」とする事実も明らかになっている。世界の国々が何を考えているのか、表面的には同調しながら、腹の底で何を狙っているのか分からないことを歴史は教えている。田母神さんの発言を聞く前から封じ込めようとするようでは、本当の平和を追求することにはなるまい。60余年に渡って原爆の悲惨さを訴え続けても、核兵器保有国は増えるばかり。その中で日本がどう生きていくのか。「田母神発言の影に怯える」ようでは、広島の平和運動も心許ない。

写真

一枚目:ヒロシマの原爆ドーム
二枚目:原爆ドームと修学旅行
三枚目:平和記念公園

No:022


2009/06/26 (木曜日)

篠塚建次郎がラリーの最後尾を走る。それもリタイヤは絶対に出来ない環境で−。かつて日本のラリー・エース、若い頃はライトニング建次郎のニックネームで日本国内ラリーを“総なめ”。パリダカに出場するようになって日本人初優勝。その“シノケン”がラリー・モンゴリアでカミオンバレーを運転することになった。

カミオンバレーとはご存じのように、落伍者を収容しながら一番後を走る。このトラックがいるので、コース付近で動けなくなった参加者にはとても心強い。シノケンさんもパリダカで引っ繰り返ったり、トラブルを起こしてリタイヤすることはあっても、カミオンバレーに乗ってビバーク地へご帰還のシーンは見たことがない。

最も速い車に乗り、優勝戦線を駆けて来た人がカミオンバレーを運転する切っ掛けは、S S E R の山田徹さんと日野のトラックでお馴染みの菅原義正さんの“悪だくみ”からだった。

「篠塚さんがカミオンバレーを運転すれば面白いと思う。いつも先頭ばかり走らないで、そろそろ後ろを走る悲哀を味わうのはどんなものだろう」

「篠塚さんの颯爽とした走りでラリーを始めた人は多いし、ファンも沢山いる。同時に篠塚さんも多くのファンに支えられてきたところもある」

そんなことで菅原さんが口説き、山田さんが会って口説き落としたようだ。私も80年代後半からパリダカをカバーし続けてきたし、砂漠でのテスト走行やモロッコ、チュニジア、ケニアのラリーなど、シノケンさんの行くところへは何度も同行している。

「散々、ラリーを楽しんできたんだから、今度は勝ち負けではなく、ファンに別の意味で楽しんだり、お返ししたらどう…」などと、余計なお世話だが篠塚さんに電話した。

「運転する車はなに?トラック?カミオンバレーなの」と最初は驚いたような返答だった。

他のラリーから出場要請が来ているとも言っていたが「シノケンさんには広大な大地が似合う。湿地帯をのたうつ建次郎を見たい人は少ないんじゃない?」などとも話したことを覚えている。

ある意味で役者が揃った。ワークスで優勝を競ったシノケンさん。日野レンジャーを駆って日本人トラック・ドライバーを代表する菅原義正さん。ジムニーでプライベート参戦を続けた尾上茂さん。パリダカ、パリ・モスクワ・北京などへの出場後にラリー・モンゴリアを精力的に主催している山田徹さん。皆昔馴染みで個性的な人たちだ。

キャンプで集まれる日があれば、参加者は立場の違いで同じパリダカでも、篠塚、菅原、尾上さんたち、それぞれが全く違った印象を持っていることが分かると思う。昔、シノケンさんがテネレ砂漠でリタイヤ。プレスカーに便乗して2日掛かりでアガデスに到着したことがあった。その時いった言葉が今でも印象に残る。

「普通の参加者はあんな苦労して走ってるんだ…。ワークスカーが4,5時間で着く距離を、12時間以上もかけて走って来るんだよな」

「そう。ワークスドライバーは半日仕事。プライベートは夜なべ仕事になる」

凄く性能のいいプレスカーに乗ったときには、プライベートカーや菅原さんのトラックを追い抜き、待っていて写真を撮ったこともある。ワークスが参戦を諦めた車を借りたので、改めて当時のプロトタイプ車の凄さを感じた。

昔語りも楽しみだし、尾上さんがジムニーで走り続けているのも面白い。車から見る風景、バイクから見る大地の広がり、トラックからの視点はまた異なるだろうと思う。参加者たちがその日体験したことを、その日のうちに砂漠のベテランたちと話せる機会のあるラリー・モンゴリアは、ダカール・ラリーなどとはまた違った良さがあるはずだ。

車やバイクの送り出しも終わり、参加者たちは7月下旬には日本を発つ。近づくにつれて、これまでのラリーとは異なる興味が湧き久々にときめきを感じることになった。

写真
一枚目:98年ベルサイユ、スタート前
二枚目:ちょっと寝るわ(ニジェールで、98年)
三枚目:ダカール海岸を走る篠塚車(2000年)
四枚目:ダカールでくつろぐ(2000年)

No:021

 
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