「日本の“無・知識人”の横行」
最近、医療・福祉問題が盛んに語られている。新インフルエンザに関連して「病院が足りない」「日本の防疫体勢は危ない」などに始まり、福祉切り捨て論や医療費の自己負担分の増額はけしからん、なども騒がれている。 しかし、サロン代わりに朝から病院へ行き、歳をとれば少しは、痛い・かゆい・不具合は出るのが普通なのに、老人の知り合い同士が元気よく話をしている待合室風景は珍しくない。しかも、老人の多くは幾つもの科で受診する。勢い時間が掛かり、働き盛りの人が具合が悪いからと、病院へ行くと半日、1日がかりになってしまい、仕事にも差し支えるとこぼしているのも待合室で聞いている。
「最近の若い者は…」と言うのは、遙か昔から老人の決まり文句だが、今や老人にも若い者に負けず、いや、それ以上に、他人を思いやる心を失っている人が増えているように思う。
それに輪をかけるのが、マスコミに登場する評論家とか、知識人という人種。多くはすぐに欧米の例を持ち出し、日本と比較していかにも日本が悪いように語るが、この人たちはいったい外国で何を見てきているのだろうか。
昨日もテレビを観ていたら、イギリスでは医療が無料だし、スウェーデンの老人福祉は日本の比ではない−、などと得意げに“いいとこ取り”論を展開する“モノ知らず”がいた。どうしてイギリスの医療制度が日本より優れているといえるのだろうか。
もう少し調べればすぐ分かるのだが、無料というのは形ばかりで、実際に健康保険が使える病院は減る一方。結果として健康保険の使えない病院や医院へ行くことになる。金がないひとは受診を諦めざるを得ない。
アメリカも同様で、盲腸の手術で250万円も請求されたり、心臓手術になると億の単位になることもあり、大きな病気をするとそれまでの生活を維持することなど不可能になる、とアメリカに住む友人は強調していた。
カナダにいる知人は、親知らずが痛んだので歯科医へ行ったら「全身麻酔をする」と言われ、治療代も莫大。仰天して止め、休暇を取って日本の歯科医で抜歯してもらっている。
ジジ自身、ギリシャの海で怪我をし、足が腫れ上がったことがある。病院へ行ったら無料だったが消毒薬、乾燥薬を吹き付けるだけ。腫れが引くどころか、悪くなる一方でもう1ヵ所、こちらは個人医院へ出向いたが、やはりシップをしてくれただけだった。
帰国後、病院の外科へ行ったら「中に小さい石が入っています。このまま長期間放置しておくと、最悪は足の切断です」と言われた。麻酔もせずに腫れ上がった脚から石を穿り出してくれたが、2日もするとケロリと治った。保険なので3割負担だった。
誤診も時に大々的に報じられるが、何百億もの細胞で構成される人体の病気を全て間違いなく判断するのは不可能だ。日本の医療技術は平均的には、世界に突出して優れていると思っている。
老人福祉に関しても、スウェーデンの老人だけの街は素晴らしい−、などとほざく知識人と称する無知識人がいた。その背後に消費税をおしなべて25%も取っている現実がある。日本の5倍だ。これには触れない。
それに視察したのはモデルとなる街だろう。何十年も前に作られた“老人村”がゴーストタウン化し、何とも空しい情況にあることも、しっかりと見て欲しかった。
どうして日本の知識人と称する人たちは、余所の国を表面的に見て、形式だけの良さを挙げ、日本をこき下ろすのだろうか。アメリカの医療が発達しているといっても、超・高給取りか、資産家でなければそういう医療は受けられないことは、オバマ大統領が「早急に医療保険制度改革に取り組む」という姿勢からも明白だ。「できっこない」と冷ややかな声もあるが…。
何でも日本を悪く言えば、インテリだとか知識人だとか「思ってくれる」考え方はいい加減に捨てて欲しい。格差も論議されるが、日本ほど格差の少ない国も珍しい。マスコミでモノを言う人々の中に、あまりにも日本をこき下ろす“無・知識人”が多すぎる。
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一枚目:ギリシャ・ペロポネソス半島トロ海岸 二枚目:ギリシャ・エギナ島
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