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何かと不穏な時代に大先輩からの「おい、なんだい!」と、難題山積みの熱きメッセージ、まあSSERの社説のようなものです。

暮れから正月が明けても、政治と金の疑惑が渦巻き、どうにもやりきれない世の中だ。野党時代に切っ先鋭く「秘書の不始末は政治家の責任」と追求した人が、与党になるとガラリ豹変。検察が悪いなどと言い出す。これじゃ国民は、日本の治安や犯罪の取締りにも不信感を抱くではないか。法治国家なのだから、検察の横暴を言うなら、キチンと分かりやすく経緯や金の出所を説明し一件落着してから論議すればいい。

こういう話は気が滅入るし、主義主張の異なる人もいるので、このくらいにして、D a k a r 2010の話にしよう。

ご存じの通り21回連続完走記録の更新を狙っていた我らの菅原義正さんは、残念ながら失格した。さすがと思ったのは、メカトラブルで砂丘越えが出来なくなっても、ビバーク地までたどり着き、翌日のスタートに並んだことだ。

そこでオフィシャルは「失格」を伝え、タイムカードを手渡さなかった。以前ならGPSポイントやCPの不通過はペナルティーで済んでいたが、規則が変わり失格になってしまったのだ。まだチリを移動中の菅原さんから電話が入り、ことの次第の詳細は分かったが、淡々としていたのにはむしろ感動した。
21回連続完走は大記録だ。20回完走はギネスにも掲載されている。偉大な記録をもう一つ更新すると思っていたのに、失格とは…。

「幾つかのポイントは通ったんですが、砂丘の中の最も大切なポイントを迂回したようなのです。規則がこのところコロコロ変わり、朝になって突然の失格です。抗議をする時間もありませんでした」
泣き言や愚痴の続くのが不通だが、菅原さんはこういった。

「学校に再入学しても、とても単位が取りきれません。残念ですが…」

26年間も出場し、20回を完走した奮戦努力はあっさりと断ち切られた。断ち切る方は事務的だろうが、切られる方はたまらない。大きなペナルティーを食っても戦列を走れた以前の規則の方が余程参加者の励みになろう。

Dakarラリーを学校に例え笑い声が衛星電話の向こうから聞こえてきて、かえって菅原さんの無念さを感じた。

夢と冒険への憧れは、今の50代以上、ことに菅原さんや私たちの年代には強烈なものがあった。日本は右肩上がりで勢いがついていたし、それがまた若者の夢や希望を鼓舞した。70年代の半ば過ぎにパリダカが始まり、それまで東アフリカのラリー取材やアフリカ諸国をドライブして回っていた私にとって、サハラのラリーはまたとないターゲットになった。全盛期には日本から30チーム前後が参戦し、それぞれが、自分自身のパリダカを満喫していたように思う。

振り返ると夢のような時代は過ぎ、Dakar2010に参戦した日本人ドライバーは4人に過ぎない。同時に運転免許証を取得しない若者が増えているという。車を走らせ、知らない場所を走る楽しさを彼らは感じないのだろうか。

菅原さんの失格を知ったSSERの山田徹・御大からは怒りと無念さのメールが来たが、規則に従う潔さを慰めにするしかない。主催者が急に規則を変えたからと、文句を言うのは筋違いだ。規則を守るのは参加者の義務なのだ。

政治家もまた自分に不都合だと批判、自己弁護、恫喝などの手段に出る前に、自らがやって来たことを振り返り、キチンと説明する潔さを持って欲しい。特に右肩“下がり”の今、政治のトップが金銭疑惑まみれでは若者が夢を持てる環境作りなど遠い話だ。

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