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何かと不穏な時代に大先輩からの「おい、なんだい!」と、難題山積みの熱きメッセージ、まあSSERの社説のようなものです。

 

 

 

司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」がドラマ化されるというので、先月、松山へ行ったとき、秋山好古、真之兄弟、正岡子規などの足跡を見て回りました。最初のお目当ては坂本龍馬でしたが、巡っているうちに秋山兄弟や子規にかなりの興味を持ち、昨日(11月26日)は、東京で子規が最期を迎えた根岸の家や墓所を見に行きました。

最期を迎えるまでの2年間は、殆ど起き上がったり、寝返りを打つことも困難だったと、ボランティアのオジサンが説明してくれました。漱石などと一緒に時々、出かけたという団子屋は健在で、お茶と団子が2串で480円くらいでした。

名物は思いの外、高いのですが東京の下町は庶民的な価格で旨いものを食わせる店があります。子規が葬られているのは田端の大龍寺です。JRの田端駅から歩いて10分ほどの八幡坂にあります。立派なお寺で正岡家のお墓には、子規を真ん中に母親、献身的に子規を看病した妹さんの石碑が並んでいました。

子規には子供がいないため、養子を迎えていますが、お孫さんは東京でも松山でもなく「大阪の方にいるようです」と子規庵で聞きました。ひっそりと俳句好きが集まるような場所だったようですが「坂の上の雲」のドラマ化が決まると、次第に訪れる人が増えているようです。

「始まったら大変ですね。この狭い家じゃ、押すな押すなになりそうですね」

「米沢や上越も直江兼続の人気で、随分と人が多かったと聞きます。ここも込みますかね」

子規が好きだったヘチマも縁先に垂れ下がっています。毎年、種を蒔いて育てるのだそうです。俳句の好きな人が、子規庵へやって来て、一句吟して感慨にふけるような場所だったように思いますが、これからは急速に観光名所へと変わっていくのでしょう。

写真が何点かありましたが、秋山好古が平服姿で集まった人たちと撮った記念写真がありました。 「子規はこのときにはもう、外へ出られなくなっていたのです。2日後に横顔を撮り、記念写真にはめ込んであります」

右上によく見かける子規の横顔が、加えてありました。昔の卒業アルバムや修学旅行などには、欠席者のためにこういうはめ込みがあったのを記憶しています。

子規が晩年に使った机は、左手前に10aほどの切り込みがあります。カリエスで左膝が伸びなくなったので、座り机の左側を切り、立て膝で机に向かって書き物をしたのです。何だか壮絶な歌人の姿が見えてくるようです。

柿くえば鐘がなるなり法隆寺

この詩をなぜか団子を食いながら思いだしました。時には東京散歩もいいものです。

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