「木が一本、家が一軒」
木が一本、家が一軒−。かつてイランのルート砂漠を走ったときを思い出すと、そんな印象がある。砂利と砂、そして乾ききった岩山の砂漠を水冷エンジンになったばかりのカローラで旅したのだから、もう40年ほど昔のことになる。
そんな旅を想いだしたのは、沢山ある古い写真を「さてどうしたものか」と思いながらアトランダムに拾い出していたら、イランのルート砂漠が出て来たからだ。S S E R はタクラマカン砂漠やエベレスト山麓などの旅を企画しているので、冒険的な旅には慣れている人も多いのだが、一般的には砂漠そのものがどういうところなのか、分かってはいないような気がする。
カローラは1000ccだった。それまでのカローラは空冷の800ccだったように思う。自分で買って乗りながら、データをすっかり忘れているのは、車は乗るもの、と決めつけて、特にどういう車がいいなどと、まずは考えない暮らしを続けてきたからだろう。
車の仕事をしながら、車そのものはろくに知らない。妙に自己流に知るより、自動車メーカーのエンジニアに尋ねれば、それこそ何でも分かるのだから、言い訳めくがマニアではないので知ったかぶりは必要ないのだった。
それにしてもよく走った。6、7月だったので路面の熱が凄い。タイヤはブロックがめくれ上がって惨憺たるありさまだった。オイルパンのパッキンも駄目になり、オイルを買い込んでおき、減ったと思う頃に、ビニールの袋にオイルを入れ、オイルの給油口に丸めた先端を押し込んでから、オイルを絞り出して補給した。テヘランで牛の皮を切り、パッキン代わりにしたことも覚えている。
木が一本、家が一軒、といえば、サハラ砂漠の中でも最も凄い砂砂漠はテネレ砂漠だが、その北を通るルートに「テネレの井戸」というのがある。そこは木が一本、家が一軒だったようだが、木の方はこんな話がある。
…昔、フランス人がテネレの井戸へやって来た。車を走らせて来たのだが、緑の木をみて嬉しさのあまり直進。木にぶつかり倒してしまった。そこで跡から来た旅人達は、木がない寂しさをユーモア混じりに紛らわすために、テネレの木、を作った。それは鉄のポールと壊れたヘッドライトのオブジェだった…。
テネレの井戸は訪れたときまだ水が汲めた。らくだに惹かせて深い井戸の中から水を汲み出す袋を引き出していた。その後どうなったかはパリ〜ダカールのコースも変わったので分からない。
一枚の写真から色々なことを思い出す。また写真を引っ張り出す機会があったら、それにまつわる想い出があると思う。色あせたテネレの木、の写真は大好きな1枚でもある。
写真
一枚目:テネレの木。かつて一本の木がこのオアシスにあった。
二枚目:パリダカ最盛期の80年代末。砂漠のダート飛行場に支援機がずっり
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