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何かと不穏な時代に大先輩からの「おい、なんだい!」と、難題山積みの熱きメッセージ、まあSSERの社説のようなものです。
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2009/04/24 (金曜日)

「旅をしています。」

三重・奈良両県を旅しています。これまで何度も来たことのある場所も、改めて旅してみると、見落としというのか、突っ走って締まったのか、真新しい遺跡や社寺が出現します。専門家にとっては当たり前の社寺でも、ガイドブックや地元の案内を見ながらうろついてみると、とても新鮮です。

しかし、市販されているガイドブックのいい加減さには驚きます。ホテルのツインルームは「一部屋の料金です」とわざわざ書きながら、ホテルへ行って聞いてみると1人料金だったりします。もっと酷いのは広告を出さない、掲載料を出さない店は、掲載しないと言う儲け主義です。

雑誌の経営事情は分かりますが、掲載料を払う店ばかり出して、どうするつもりなのでしょう。吉野の山の小さな店で話をしていたら、こんな嘆きが出てきました。

「何度かその雑誌に出たのよ。その時はお金をくれとは言わなかった。この前、そこの雑誌の人が来て「何十万円か出せば掲載する、と言ったんです。うちはそんなお金はないし、そんなことをすれば、値上げしてお客さんからもらうほかないでしょう。だから載せなくて良いです、と言いました。そしたら載りませんでしたね」

こういう商売は観光客を誤らせます。テレビで食べ物の番組に出演したタレントが、こんなことを言いました。

「あんな美味しくないものは、あまり食べたことがないのよ。でも番組に出ているでしょ。不味いのに“美味しい”と言わないといけないのよ」

もういい加減に、P R の部分とまともに作っている番組やページを、一般の人に分かりやすくする時でしょう。過大標示、誤解を招く記述などと、製造会社のことはいかにも悪者のように報道するのですが、記事広告と称するお金をもらって、実は誤解させて読ませる広告だったり、もっともらしい番組を観ていると、結局は宣伝だったりの事例があまりにもはびこりすぎているのが、経験者はよく分かります。

マスコミは堕落しています。窮すれば貧す。貧すれば鈍す−。どっちにも当てはまるのが今のマスコミです。もっとも観光地の関係者もどうかしています。吉野の山は桜が終わった今も、殆ど全部の駐車場が1500円です。30分でも、1日でも同じです。桜を観ながらゆっくりするのなら、1500円の駐車料も分かりますが、10分でも20分でも1500円です。ちょっと写真を撮ろうとか、寺にお参りしようという人にはとんでもない値段です。東京都心よりも馬鹿高なのです。

ものには相場というものがあります。地元の小さな店の人は言いました。

「前は1000円だったのです。山の管理協力費を500円取っていたのですが、払わない人が多いんです。だから観光協会は1500円にして、500円を協力費として納めるようにしたんです。でも1500円取って、500円を納めない人は多いんです」

そういえば、群馬県の草津温泉でも入湯税150円を各旅館は1人あたりきっちりと徴収していますが「かなりの旅館やホテルは街に払っていない」と言う人は多いのです。本当でしょうか?本当なら詐欺です。横領です。町当局もそれを厳しく徴収していないとも聞きました。

役人と業者のなれ合いは、客を騙して入湯税や清掃協力費を業者が猫ばばすることを、暗黙の了解として締まっているのかも知れません。こういうところをマスコミは突きません。マスコミは相手を責める(攻める)ことは知っていますが、自分が責められることに恐怖感を持っているのでしょう。そこで業者や地元行政との呉越同舟の“悪”がはびこるのです。

きれい事を言う前に、観光客からいかにも大義名分状態の名目で金を徴収し、それを懐に入れる業者をキチンと“詐欺罪”“横領罪”で告発すべきです。暴利を貪る観光業者をキチンと取り締まることもせず、入湯税や清掃協力費などを盗み取らせている自治体は許せません。マスコミもこういうことになると全く勇気も正義感もないのが今の日本の実情です。旅はこんな世の中のお粗末も教えてくれます。

写真
一枚目:吉野の大蔵寺。
二枚目:軒を連ねる門前町
(写真は直接、記事とは関係ありません)

No:010

2009/04/21 (火曜日)

「鍵屋の辻、で思いました」

伊賀上野で「鍵屋の辻」へ行ってみました。剣豪・荒木又衛門が数馬の仇討ちの助っ人となり、講談で人気だった「又衛門・36人斬り」の話になります。実際は2人を斬殺しただけですが、話は大きく、面白くなります。

寛永11年11月のことです。渡辺数馬が河合又五郎が江戸は逃亡しようというのを又衛門ら4人で「鍵屋の辻」で待ち伏せし、討ち取ったのです。又五郎らは11人だったということです。

待ち伏せしていたのは茶屋「萬屋」です。明治までは営業していたようですが、今の「数馬茶屋」を経営するお婆さんは「無人休憩場になっていたので、昭和50年に始めたんですが荒れてたんです。ここの柱などは、怖い人が来て削っていくんです。今はそういう人は殆ど来ませんが、仇討ちにあやかろうと言うことでしょう?」と言います。

そういえば群馬・伊勢崎近くにある国定忠治の墓石周囲には、鉄索が巡らせてあります。博打打ちの親分にあやかろうと、博徒が墓石を欠いて持ち帰るというのです。人は似たようなことを考えるものです。

話しているうちにもっともな言葉も出てきました。

「この前ね、パンチパーマと茶髪の夫婦が子供を連れて来たの。子供が敷居の上で跳ねていたのよ。そうしたらパンチパーマの父親が子供に往復ビンタよ。“お祖父さんの頭の上に乗るな”といいました。私はホッとしましたよ。この人パンチパーマだけど、生き方はきちんと教わってるなって、思ったんです」

若い男女が来て、女の子が股を開いて靴を脱ぎ、上がりでたばこを吸うのを見ると「出ていってちょうだい、といいたくなる」そうです。これには納得です。

「テレビの芸能人は何よ。食べ方も知らないで、何でもアマーイ、オイシーでしょ。味なんか分からないのよ」

人は見かけによりません。バスに乗り合わせた茶髪の男女が、すぐ後の席で自分の仕事を一生懸命していることを話していました。そうかと思うと、だらしなく仕事をえり好みする“元・派遣”に無闇と同情するマスコミもあります。

働くところはあります。仕事はいろいろあります。J R 西日本で運転手再教育に、草むしりをさせた、と大騒ぎしたし、それがいけないことのように主張する勢力やマスコミがあります。

しかし、電車は線路をきちんと維持すること、草を生やすような保線作業はいけないことなどを運転手は知るべきなのです。車やバイクを運転する人は、自分の責任できちんと走りますが、道路に大穴が開いていたらたまりません。

No:009

 
2009/04/17 (金曜日)

「タイタニック」

英国の豪華客船、タイタニック号がアメリカへの初航海で英国のサザンプトンを出港したのは1912年の4月10日だった。乗客・乗員2223人、全長882フィート(約265m)、4万6328t。当時最先端の技術を注ぎ込んだ豪華客船は出港したその夜、15日午前2時20分に氷山に激突して沈没した。

1517人が死亡、706人が救助されたが、そのうちただ一人、生存しているミルビナ・デーンさん(97)が、4月18日に「最後の遺品」をオークションにかける。サザンプトンの老人ホームの部屋代が支払えなくなり、やむなくの売却だ。

その中には彼女が大切に保持してきたメールボックスもある。助かった母親と2歳年上の兄、彼女の最後の想い出の品だ。だれかが生後9週間の彼女のために、ミルクを入れてくれた瓶、救命ボートへ降り、デッキへ上った父親のすがったロープなどもある。

「私には私の信念がある。やろうと思えば出来る。後ろを振り向いても傷つくだけ」

米沢藩主、上杉鷹山の「成せばなる 成さねばならぬなにごとも ならぬは人の心なりけり」の名言にも似ている。

日本で老人介護は「介護ビジネス」が大儲けする事態だ。可愛そう、のオンパレードで金がなく、家族に見放されさえすれば「国が助けるのが当然」の論調が蔓延している。大赤字の国家財政でも、何でも可愛そう、のマスコミ論調を否定すれば、非難の渦に巻き込まれる。どこに予算があるのかは関係なく、政治家は実態はともかく情け深い人、いい人でありたいのだと思う。

健康保険料も介護保険料も、年金さえ払わなくても、よれよれになれば「国が救うのが当然」が今の日本ではまかり通っている。これで良いのだろうか…。職業を選り好みし、給料、雇用期間にだだをこね、遊びたいときにはサッサと仕事を辞めてしまう多くの臨時雇用者に、どこまで同情すべきなのだろうか。

莫大な赤字国債を発行しながら、発展途上国への援助など、助けてくれよ、と言いたい。アフリカを荒廃させたのは欧米列強で、日本は何の関係もない。植民地として役立たなくなると、引き揚げて終わり。問題が起こり、飢餓や戦いで荒廃した後に支援を日本に要請する無責任さも考えるときだろう。

日本は世界でもっとも無防備な国だし、相手の言うことを信用する馬鹿さ加減も外務省の役人を含め、世界でもっとも騙しやすい人々と言うことが出来る。ソマリアの海賊は困りものだが、イタリアがキチンと処理せずに植民地を放棄したことも遠因になっていると思う。

タイタニック号から生還した人々の中で、ただ一人の存命者が、遺品をオークションにかけないと部屋を追い出されるイギリスの現状をマスコミは伝えようともしない。英国の冷たい介護の実態を日本の甘えに甘える人々に伝えても、これまた意味のないことなのだろう。

No:008

 
2009/04/14 (火曜日)

「不法入国・滞在者への同情などまっぴらです。」

不法入国、不法滞在のフィリピン人夫婦が強制退去となり、マニラへと送られました。当たり前のことです。不法滞在中に子供が生まれ、中学2年になり「日本語しか話せない」などの理由で、居座りを続けましたが、日本での報道は同情一辺倒です。法務省東京入国管理局の決定も、日本語しか話せないと言う女の子の滞在を認めましたが、甘いもいいところです。

世界のどこに不法入国、不法滞在を「認めろ」などという国がありますか!日本語しか話せないのは、親がいい加減だからです。居座れば大丈夫の判断でしょう。アジアの国々を見ても、シンガポールなどは働きに来ても、1週間ほどで仕事が見つからないと帰国させます。アラビア半島の国々も、不況になると労働者をサッサと帰国させます。

今のマスコミ報道を読んでいると、居座って子供を産み、自国語を教えなければ、可愛そうだから在留を認めろ、と言う論調です。どこまでお人好しでしょう。個々のケースで見れば、同情する点もあるかも知れませんが、それでは不法入国者、不法滞在者に対してあまりにも差別がありすぎです。では、みな認めれば中国、韓国、フィリピンなどから洪水のように人がやってくるでしょう。

小学校、中学校は義務教育ですが、不法滞在者の子供をなぜ、日本の国費で教育しなければならないのかも疑問です。その段階で不法滞在は分かるはずです。役所の横のつながりがないので、こういうお粗末が起こるし、世界の厳しい歴史、現実を知らないマスコミの「お涙頂戴記者」がフェミニストぶって、同情論を書きまくるのです。

もういい加減にしたらどうですか?キチンと手続きを踏み、入国し、滞在許可のある人は当然のことに権利もあります。不法入国・不法滞在ですよ。気に入った国、好きな国だから「3人一緒にいたい」などいちいち認めるのが法治国家でしょうか。不法を合法にしようという同情論などもうまっぴらです。

本当の国際親善を望むなら、相手国の法律を守るのが当然です。過保護国家、平和ボケ国家日本を象徴する事例です。

写真はナミビア・砂漠地帯の人々です。

No:007


2009/04/13 (月曜日)

 

「リンゴやミカンの傷物を捨てるな」

♪赤いリンゴに唇寄せて…。年寄りにはお馴染みリンゴの唄です。そのリンゴが青森で大量に廃棄処分されています。雹や霜で被害を受けた“傷物”を加工用に回そうとしても買い手がなく、春になって腐敗が始まり、泣く泣く廃棄場へと運ばれていきます。

「もったいない」という言葉はもう死語になり掛かっています。使い捨てが当たり前のような世の中ですから「傷ついたリンゴなんか」と言うことになるのでしょう。雹や霜の被害は昨年に限ったことではないし、台風などでも大被害が報じられます。そのたびに騒いでいてもいい方策は生まれません。

スーパーなどに行ってみると、果汁10%などというジュースまがいの製品が沢山並んでいます。地元農協などでリンゴやミカンの果汁100%ものを出しているのを見かけますが、飲むととてもおいしいのです。しかし、スーパーによっては売ってないところが多く、国産農業のピンチを叫ぶ割には、輸入物などが幅を利かせているのです。

こういう矛盾を何とか出来ないものでしょうか。ミカン、リンゴなどは素晴らしい栄養、ビタミンなどをたっぷり含んだ果実です。傷付いたと言っても中身には何の損傷もないのです。そんな目で商品を見ていると、キュウリは真っ直ぐだし、トマトも独特の香りや酸味を含んだものが姿を消し、味覚音痴のタレントの登場するテレビ番組の影響を受けたのでしょうか「アマーイ」が褒め言葉になってしまいました。甘ければいいのか!

安売り衣料品メーカーが、この不況時に最高の黒字を記録しましたが、これなどは使い捨て文化の象徴でしょう。1シーズンでよれよれになるようなものが、長い目で見て本当に安いのでしょうか。

ものを大事にしないことに慣れきってしまった多くの日本人は、バイクや車のクラッシック・マニアほどにならなくても、いいものを大切に使っていくことをもう一度、考え直した方がいいように思うのです。廃棄するにはあまりにも「もったいない」リンゴやミカンの“傷物”を上手に利用するよう、政府も政治家も考えて欲しいものです。不況脱却は赤字国債発行額に比べると、あまりにも小さいのでしょうが、そういうことからしっかりと足元を固めていくことが、日本を活性化する原点のように思います。

No:006


2009/04/10 (金曜日)

「野蒜とモンゴルの草原」

昨日、遅い花見に長野・上田城へ出かけました。ついでと言っては悪いのですが上田から西・松本方面へ走ると青木村へ入ります。この村にひっそりと国宝の寺があります。

なかでも大法寺三重塔は「見返りの塔」とも言われ美しい曲線を持った屋根を見上げると、何とも言えない感慨を受けます。1333年には建設されていたと言うので、もう700年も前のことです。寺社というと京都、奈良が有名ですし、確かに素晴らしい寺や神社が沢山ありますが、近くを見直せば改めて気付くことも多いのです。

大法寺の石段の下に、お爺さんがいました。小さい車に箱を載せ、土手に新聞紙を広げて野菜などを売っているのです。

「これ、旨いよ。天ぷらにすると最高だ。硬いと思ったら水に30分くらい浸すか、酒をかけてから揚げるといい」

「干し柿の天ぷら?食べたことないな」

「ワシだって食える。350円だ」

袋に10個以上入っています。自分で作ったそうです。

「これもいいよ。100円だ」と示したのはノビル(野蒜)でした。畑の土手でお爺さんが採ってきたものです。

「歳は幾つなの。とても元気そうだけど」

「91だ。毎日、この坂を上がってここで売っているからな」

日焼けした顔は、ツヤツヤしています。とても91歳には見えません。写真を撮らせてもらったら、ニコニコと右手でVサインを作りました。

三重塔も良かったけれど、お爺さんとの出会いも楽しいものでした。高齢化時代を迎え、お年寄りの介護・福祉が叫ばれています。介護保険が出来てから、無闇と介護ビジネスが生まれ、豊かな老人からは豪勢な施設で入居金、毎月の料金をふんだくり、あげくは倒産。たちが悪いのは生活保護者を狙ったもので「生活保護ビジネス」などという不埒な言葉まで生まれてきました。

老人はもっとしっかりしないといけません。昭和40年代からの高度経済成長で、家族が1つの部屋でくつろいだり、炬燵に入って話しをするような伝統的な日本の生活は崩壊しました。小さい頃から個室で生活するようになりましたが、年寄りや親と一緒の時間は、核家族化が進み、減る一方です。何気なく教えられていた「いいこと・悪いこと」や「社会で協調したり、我慢する」躾けなども疎かになったのです。

老人の知恵、お婆さんの手料理なども、殆どの家庭では、遠い昔語りになってしまったのです。91歳のお爺さんから買った野蒜は早速、球根の部分は味噌をつけて囓り、茎の部分は酢味噌和えにして酒のつまみです。今日は干し柿の天ぷらを作ってみます。

昔、中央アジアを旅したとき、馬乳酒と共に野蒜と同じようなものを食べた記憶があります。その時も「ネギを食べると風邪を引かない。病気にもならない」と勧められました。野蒜は中央アジア、中国、東南アジアにも広く分布していると聞きます。遥か日本人のルーツを思わせる野草です。なんだか場違いですが、野蒜をつまみながら壮大な遥かモンゴルの草原や、日本の家族制度がしっかりとしていた時代を想ったのです。

写真
一枚目:野蒜の球根(手前)と酢味噌(右)
二枚目:大法寺の三重塔
三枚目:上田城の桜

No:005

 
2009/04/08 (水曜日)

「養護学校は駄目なのか」

出生時の脳性麻痺の少女が奈良県の町立中学校への入学を断られたことで「両親は8日の入学式までに入学が認められなかったら訴訟も検討する」と言っているそうです。生まれたときから下半身と右手が不自由で、町の教育委員会は急斜面に建つ4階建ての校舎をバリアフリー化するには財政的に厳しく、養護学校への入学を勧めていました。

なぜ、両親はここまで突っ張るのでしょう。記者会見までして「小学校の友達と一緒に入学させてやりたい。普通学級の方が子供のリハビリにもいい」と言っていますが、小学校では介助員2人が付き添い、特別担任の元で学校生活を送ったというのだから驚きます。

脳性麻痺で下半身不随、右手が利かないのは誠に気の毒ですが、そういう子供のために養護学校はあるのです。介助員2人、特別担任がついて6年間を過ごさせるのは、地元自治体にとっては大変な負担です。今度は中学校を大改造しろ、と言うわけでしょうか。それとも、介助員2人を付き添わせ、学校の階段を上り下りさせようというのでしょうか。

父親は地方公務員だといいますから、地方財政がどうなっているのかは理解できるはずです。子供が脳性麻痺で下半身、右手が不自由だから何でもありは疑問です。

「親の言うとおりにしなければ裁判にする」というのでは、北朝鮮の思考と同じでしょう。もっといけないのは、養護施設がきちんとあるのです。そういう子供を教育するために養護学校があるのです。養護学校はそんなに駄目なのですか?そこへ行っている子供はどうなるんです?

どうしても普通の中学校へ入れたいのなら、まず親が自分で子供を背負い、階段を上下する“根性”があるかどうかです。介助者代わりを親がつとめられるかどうかです。父親が地方公務員ですから、母親は働かなくても食えるはずです。障害を持った子供への手当もあります。何で障害を持った子供を無闇と過保護にするのでしょうか。

親はいつまでも子供の面倒を見たり、裁判を起こしたりは出来ません。子供を自立させたいのなら、養護施設で自立する道を学ぶ方が余程いいのではないでしょうか。勉強をしたければそこで出来るはずです。子供が「なぜ行けないの」と聞くといいますが、幼稚過ぎませんか?その時にはキチンと脳性麻痺のことを話し、強く生きるよう教えるのが親の勤めです。

「障害者の学ぶ権利」などを持ち出す人もいますが、養護学校でキチンと学べるでしょう。学ぶ権利など侵害されてはいません。ホテルに年に1度客があるかないかの障害者用の部屋を用意させたり、車椅子マークを無闇と発行し、五体満足の若者が車椅子マークのスペースへ駐車しているのも見かけます。

障害者に親切な気持ちを持つことは大切ですが、最近の日本は障害者の親に考え違いがあるようにも思います。五体満足で食うや食わずで頑張っている人がいかに多いことか。その人たちだって税金を払っています。学校の大改造や介助員2人、特別教員までつけるのには莫大な金が要ります。明らかに行きすぎです。

それをいかにもお涙頂戴の記事に仕立てるマスコミはどうなっているのでしょう。まともな神経とは思えません。言論の自由とは言いながら、日本にはタブーが多すぎませんか。臭いものに蓋。君子危うきに近寄らず。

無謀な要求をしても、誰も何も言わない。そして白い目ばかりが、あなた方を遠くから見つめることになりかねません。

写真はラクダの番をするニジェールの少年

No:004

2009/04/06 (月曜日)

「本物のタフガイは減るばかりだ」

もうそろそろ残雪と言ってもいい頃ですが、草津白根の頂上付近は、真冬並みのコンディションでスキーが出来ました。ウチのババが顔を見て改めて大笑いしました。

「当分の間、東京へは一緒に戻って欲しくないわ」

「何で?」

「たまには鏡を見たらどうなの。まるで黒いお面を被っているようで、笑われるばかりよ」

オフロード・バイクに凝って、8台も買い込み、それを積んで遠征するために、ピックアップも持っていました。2年前に1200CCのB M W を盗まれ、好きだったバイクツーリングも止めたので、この数年は冬になるとスキー、夏はイワナ釣りに夢中です。

シーズン券を購入し、毎日のように滑っているので、陽に焼けるのは当然でしょう。草津の友人が草津の“基地”へ遊びに来て言いました。

「そんなに陽に焼けると皮膚ガンになるかも知れないぞ」

そんははずはないので言い返しました。

「だったら何十年も漁師をやっている人はどうなんだ。首の皺まで陽に焼けているぞ」

陽の光に弱いのは北欧系の人々です。白い肌、青い目は冬が長く、陽差しの弱い地域に順応した人々です。アフリカやアラブの強い太陽や砂漠の照り返しを受ける人々は、日焼けを避ける工夫もしますが、生まれながらの皮膚の色が身を守ります。

最も自然条件の変化に適合しているのは、我らモンゴロイドと言うことです。細い目、黄褐色の肌、体型も生きる力の強さを助けているようです。スキーでも海でも過剰な日焼け防止など、日本人には不要だと思うのですが、今や男の子でも日焼け止めクリームを塗っているそうです。急激な日焼けは火ぶくれなどの障害を生みますが、過敏症の人たちを除けば、そう問題はないようです。

今の日本はあらゆるものに過敏過ぎるようです。北朝鮮のミサイルに対して過敏になるのは当然ですが、前回にも書いたニオイばかりではなく、除菌も似たようなものです。赤ん坊のおしめまで、除菌だとか尿を吸収するなどと言い、様々なばい菌に抵抗力をつけることの妨げになっています。赤ん坊やヨチヨチ歩きの段階で“不快さ”を感じないので、おしめ離れが3歳、4歳にまでずれ込んでくる子も多いそうです。

日焼けに関しても、夏が近づくとU V 加工だ、特殊繊維だ、塗り薬だと、人々に不必要なまでの不安を与えているのです。そんなものがなくても、日本人は丈夫に生きてきました。いつの間にか弱い人間を作り上げる商売がはびこり、それが当たり前になってしまいました。

スキーやバイクを楽しむ人も減りつつあるようです。タフな若者を育て上げるのはどうしたらいいのでしょうか。夏になると急に、日焼けサロンで無理に色をつけた若者が急増します。お洒落、金集め、他人頼りは得意でも、本物のタフネスが減っているのは寂しい限りです。

No:003

2009/04/01 (水曜日)

「臭いと旅の想い出」

日本人の五感、さらには第6感は今後どうなっていくのでしょうか。J R 東日本の首都圏駅で4月1日から全面禁煙になりました。都心から約50km圏内の226駅が対象です。東京駅など4駅にある密閉型の喫煙室は残されますが、喫煙コーナーは消え去りました。ジジもタバコ吸いですが、喫煙コーナーやスペースから、もうもうと上がる煙には閉口します。

灰皿に火の点いたまま入れるので、中で“延焼”します。新橋駅前広場の蒸気機関車近くの喫煙スペースには、ペットボトルに水が入れられていて、気付いた人が消せるようになっています。どこでもこうした配慮や吸う人のマナーがキチンとしていれば、J R の対応も違ったものになったかも知れません。タバコ吸いの自業自得でもあります。

海外への旅することが半ば仕事でもあった昔を振り返ってみると、飛行機が離陸して少しすると禁煙のサインが消えて、あちこちから紫煙が上がりました。一安心したのでしょう。紫煙とともにホッとした雰囲気もありました。いつの間にかアメリカ発のヒステリックな禁煙運動が起こり、自国の飛行機だけならともかく、他国の国際線も禁煙にするよう、アメリカ政府が圧力をかけました。最後まで抵抗したのはロシアです。

「国際線の航空機はその国の国内法が適用される」と、アエロフロートは喫煙席を設けていましたが、今はなくなりました。ヨーロッパまで飛ぶと12時間ほどは掛かります。吸えないなら吸えないで、問題はありません。タバコを吸うというのは、本人の癖みたいなものだし、リラックスのひとつの要素でもあります。

チャーチルの葉巻やジョン・ウェインのタバコを吸うシーンは、なかなか味がありました。「今日も元気だタバコがうまい」「タバコは動くアクセサリー」などというコマーシャルも記憶しています。

だからといって、無闇にタバコを吸っていいという世の中ではなくなりました。それはそれで、悪いとは思えませんが、ニオイいに関する精神的アレルギーは、タバコとは別に人の感覚を失わせるのではないかと気になります。

国際空港は国によって独特のニオイいがあります。「アラブへ来たなー」「ここは東南アジアだな」など、鼻腔からの空気で旅を感じます。人種によっても臭いは異なります。違和感を持つ人種もいますが、しばらく滞在すると全く気にならなくなります。

ニオイいはまた危険を感知する人類のD N A に組み込まれた生き残る知恵でもあるように思っています。

「これは違うぞ」と警戒し、難を逃れることもあるでしょう。ニオイで危険な動物や毒素を素早く感知する能力もあるのです。今の日本でテレビを観ていると「消臭」「除菌」などが大々的に宣伝されています。

「クサイ」と他人を虐める人は、自分の臭さを知らないだけです。薬による無臭がいずれ蔓延するでしょう。そうなったら人としての感覚の幾つかは死にます。

喫煙コーナー廃止はいいでしょうが、ニオイいや味は、外敵や毒物から身を守り人が生きていくための大切な防御手段でもあると思います。「無臭」流行で、結局はどういうものが「いい香り」も分からなくなってきているようです。いい香り、いいニオイも民族、種族、部族、食事…、様々な条件で変わります。

旅をしてその国々、地方が持つ独特のニオイ(香り)は決して悪い物ではありません。後に懐かしさとなってニオイの印象と合体して風景や情況が蘇ってきます。無臭がいいという宣伝に踊らされ、ニオイをシャットアウトする人は、ニオイの印象とともに記憶される、素晴らしい宝を失うのです。

写真はコンゴ北東部のジャングルでであったピグミーの男です。

No:002

2009/03/30 (月曜日)

 

個人情報と競技成績の怪

群馬県の草津国際スキー場で先日、モーグルの大会がありました。公式大会というより、好きな人が申し込んで腕を競う類で、私の個人ネットにでも掲載してあげようかと思い世話役とおぼしき人に話しかけました。

「成績は出るんですか」

「出ますが掲示するだけです」

「プリントは出ないんだ」

「個人情報の問題があるので、プリントはしません」

ン?個人情報…。

「個人情報ですか…。それでプリントは出ないのですね」

「メールアドレスを教えてくれれば、成績は送ります」

「プリントがすぐ出れば間違わないで済むんですが…」

「個人情報ですから…」

なんだコリャ!

掲示をしたり、メールで送るのに、なぜ個人情報だから、プリントは出来ないという理屈になるのか、これは難題です。

やはり草津で小学生のスキー大会がありました。写真を撮っていた地元紙の記者が咎められました。理由は個人情報です。大会役員にどうして写真を撮ってはいけないのか聞いてみたら「個人情報で親がうるさいんです。無断で写真を撮られると後で困ります」と言う答えでした。

スポーツは観客がいてこそ盛り上がります。スキーにしろバイクにしろ、観客がいないのでは競技者も張り合いがありません。だいいち、スキー場で競技をやっているのに、個人情報を云々するのなら、出なければいいのです。見ていた人が写真を撮ってはいけないのなら、黒い幕でピステを隠し、誰も見えないようにすればいいし、成績の発表など一切せず、ゼッケンも名前もなしでやるしかないのです。

スポーツに順位は付きものです。運動会の徒競走で順位をつけない馬鹿なことが当たり前になり、それを当然と思う教師や親が多数を占めるのかどうか知りませんが、皆平等などの美名でまかり通っています。だから実社会に出ても、自分の意見を持たないか、発表も出来ず、自分に都合の悪いことが起こると、学校、会社、社会、果ては親のせいにして殺したりするのです。平等教育は世間知らずばかりを育てるのです。

今回は勝てなかったが次には勝つ。あいつには負けたくない−。そんな思いがあってこそ競技会は楽しいのです。駆けっこでも車やバイクの競技でも同じことです。スキー大会に出ていながら、個人情報で写真は駄目、記録は掲示だけというのは間抜けでしょう。

おそらく怠けているのです。プリントして配布するのが面倒なのです。小学生のスキー大会にしても、写真に撮られるのが嫌なら出なければいいのです。おそらく競技役員や教師の過剰反応でしょう。S S E R の主催する大会に、こんな個人情報が持ち出される心配はありませんが、怠けを個人情報にすり替える役人崩れのずる賢さには魂消ました。

No:001

 
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