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2007年9月19日 行程9日目
イーニン - アルマティ 走行距離:460km 走行時間:16時間

いよいよ記念すべき!第一回目の国境越への日!!おじさんライダーは暗いうちから黙々と準備をしているわ。今まで中国のサポートカーに預けていた荷物とタイヤをそれぞれが持たなければならないのだそうね。バイクのリアキャリアに荷物とタイヤを縛り付けて・・・とにかく国境までの100kmを運ばなければならない。

その姿は、まさに正統な大陸横断ツーリング仕様。でも今回の旅の手法は違うの。短期間で、たとえばこのルートで仮に中国からパリに単独でバイクで行くとしたら、やはり60日とか、ビザ取得や国境を越える作業のために、けっこう気の遠くなる時間と日数が必要ね。さらに荷物満載では1日の走れる距離も全く違うしね。ランクルもプリウスも大荷物で、またまた車高がさがっちゃった。

午前9時前にイーニンのホテル「伊犁将軍双辰大酒店」を後にした。ずーと中国のホテルの読み方が解らないままだったなーと、イーニンのホテルは「イリショウグンダイハンテン」と勝手に呼んでいたけど、だぶん違うと思うし、まあ勉強不足でした。

午前11時前に国境近くの税関へ到着した。ここで何かするわけではなかったが、西安から国境を越えるために、なんと2日もまえから中国側のスタッフは税関に来ていて準備万端。それほど難しいのよね。聞くところによると「彼女のお父さんは税関の偉い人だ」「・・・」「さあー!行こう。国境を越えるゲートへ」と女性二人がやってきた。何がなんだかわからないけどゲートへ向かった。

ゲートの中へ・・・たくさんトラック、観光バス、ユンボなども順番を待っていた。この順番を待っているといつ国境を越えることになるのか・・・今日中には難しいんじゃないのいかしら。ここのゲートで中国スタッフとはお別れとなった。中国のスタッフに、ちゃんと感謝の気持ちを伝えることも出来ないまま、ズルズルとゲートの中へ。

そして1時間半が過ぎようとしたとき、本当の中国の出国ゲートらしきところへ移動!日陰がないから、お願いして日陰のあるところへ移動したものの・・・人がたくさんいて、盗難の危険性が・・・。しかし、おじさんライダーは涼しい建物の中へ入って、寝たり話たりのんびりしている。バイクにそのままグローブやヘルメットを置きっぱなしだ。もー無くなってもしらないよーとプンプン怒って・・・全員をバイクのところへ来てもらった。自分の持ち物は自分で守ってくださいよ。

中国側が2時間のお昼の休憩となって・・・「そうですかーやっぱり!!昼休みですかー」お昼休みになる前に中国を出たいと思って早くきたけど、しかたないですね。制服を着た人は1人もいないもの・・・手続は進まないよね。

このとき、横田さんと石原さんが買ってきてくれたおまんじゅうはとても美味しかったです。お昼のことはすっかり忘れていて、心遣いに感謝です。

中国のお昼休みを待っている間に、一人の日本人学生と話をすることができた。この国境だけ越えるバスで越えて、アルマティに向かってその後は・・・まあ今月中に日本には帰らないといけないので。とにかくこんなところにも日本人がいるんだと感心していた。まあ自分達もその中の一人なのにね。彼は無事に日本に帰っているかなー?。

やっと、車とバイクの検査となった。えーまだ!!だったんだ。まあ、とにかく時間がかかるのだ。日本を出る前も、国境に着く前にも約束していた。特に最近イライラの激しいだれかさんに。「国境でどんなに時間がかかってもイライラしない」と・・・。果たしてイライラせずに過ごせたかどうかは、ここでは割愛!!車とバイクの検査が終わって、次は人間の出国手続き・・・。最後まで私たちが無事に出国できるようにと一緒にいた通訳の馬さんとこの手続きのために西安から来た二人とお別れに・・・ありがとう!!素晴らしい旅ができました。

緩衝地帯を抜けて、次はカザフスタンへ入国手続きに。言葉は通じないものの、入国管理の人たちは親切だった。わけがわからないままだったが、入国できた。特にバイクはスンナリ!!入国、ランクルは一枚の紙を受け取り忘れて引き返すこともあったが、特に問題なく・・・全員、午後5時40分(現地時間 日本とは−3時間)カザフスタンへ、バンザイ!!カザフスタンへ来たよー。

さあーここからはJTB松山が懸命に手配したガイドとサポートカーが来ているはず。ガイドへ電話してみる。普通に日本語が通じた。ホットした。ガイドの名前はノルジャンさん、ドライバー、元警察OBのウラジムルさんとバイクが5台は楽々入るバンタイプのトラックのサポートカーが待っていた。荷物をトラックのバンに移して、アルマティを目指す。アルマティまで370km。

このアタリマエのようにガイドやクルマが来ているという贅沢を噛み締めなきゃ。だってホテルへの道も町を抜ける道も、食べるものも何にも迷わない!!ただひたすら走ることや自分の興味に没頭できるの。これは贅沢だよね。

カザフスタンに入って、いままでの中国とは違った景色にびっくりしていた。国境=クロスボーダーによって、こんなに違うものなのか。まるで別世界だ。

そろそろムッホとジャンガルも、着くころだろうと・・・早速!!連絡。あと国境まで150kmのところの町にいるという。聞きなれない町なので、ノルジャンに代わって道案内をお願いした。どうも様子がおかしい。なかなか電話を切らない。やっと電話が終わった。「間違えていますね。すごく遠いところにいます。どうしますか。」えー昨日のイヤな予感が的中!!よく確認してみると、別の中国とカザフスタンの国境に向かっているとのことだった。

状況を理解できた時点でジャンガルへ再び連絡した。超ーガックリした声で「すいません。勝手に思い込んでいました。ちゃんと送ってもらった資料には書いていました。ここからアルマティまで700kmあります。頑張って行きます。」明日のバルハシへ向かわすも遠い、この時間からアルマティまで行くといっても遠いし、この2日間寝ていないはず、悩んだ。しかし、早く決定しないと、こちらのツアー隊の出発も遅くなる・・・「アルマティで待っている。」と告げた。彼らなら必ず到着すると信じてね。

アルマティまでの370kmも厳しかった。道は悪く、暗闇を走るのは困難となった。疲れもあってたびたび休憩をした。何とかカザフスタンに入って8時間近くかかって現地時間の 午前0時をまわってホテルへ到着した。夕食はノルジャンに「何か買ってきてーー」と頼むと、とても美味しい野菜と肉のタップリ入ったクレープ?「ひょっとして、カザフの料理って、いけるかも。」中華料理に「もういいわ」な時に、この味が代わるのはいいわね。

ジャンガルから連絡がはいるだろうと座って待っていたが、いつの間にかベッドの誘惑に負けて、ベッドに電話を持ったまま寝ていた。ブルブルと電話がなったのは午前3時前「アルマティまであと15kmという看板でた。」「よくきたね。お疲れ様。ホテルのGPS座標は・・・だからね。待っているよ。」そして午前4時前にホテルに到着。明日は「午前7時30分に朝食、1時間後スタートだからね。遅れないように。」疲れているだろうに元気よく「了解!!」

ホント!!彼らとラリーをともに始めてもう10ウン年。21歳の若者だった2人も、今では良きお父さんに。ラリーの現場や厳しい環境の中で共に苦労してきた信頼関係はゆるぎないなあ、と思った。

明日はカザフスタン2日目、バルハシへ向かう。