午前5時30分モーニングコール。「起きなきゃ。」でも、すんごく眠い。それでも頑張って、朝食を済ませスタート準備を始める。おじさんライダー達には、さすがに今日は念入りの注意事項が説明される。「おーお」いつもになく緊張な面持ちだこと。そんなこんなで午前7時スタート予定が1時間遅れの午前8時のスタートとなった。サポート隊も緊張の一日のスタート!!だって今日目指すのはロプノール。
左手に大きなデューンの連なりを見ながら、100kmばかり走ったところで今日の初めの目的地である玉門関(ギョクモンカン)に到着。午前9時30分、ここまでなら日本人の観光客の姿も見られる。玉門関は敦煌からタクラマカンを抜けカシュガルへ向かう「西域南道」への関所なのですね。シルクロードの中央の道でしょう。今ではこのルートを行く旅人はいません。
その遺跡は、それは一辺が25m高さが10mほどの真四角な造りで、西側と北側に入り口があり土を突き固めて作られた、まあ巨大なレンガです。ここは嘉峪関と同じく、西域からの侵略を防ぐ重要な防御線でもあり最盛期には2万人の兵が駐留していたのだそうで、この暑い砂漠の中でさぞや大変だったんではないかと思ったり。敦煌まで100km、この補給線がまた生命線で、涼州詩に詠まれる様に西域の防御隊は大変なことだったのだろうと「古来征戦幾人か還らん」もうなずけるような砂漠の中でした。ガイド曰く「玉門関」の名前は、新疆ウイグル自治区のホータンで産出された「玉石」がここを通って中国に入ってきたことに由来しているのです。「うーん玉石混交」の玉石ね。
ここからは少し頼りなくはなったけど、まだ舗装路が続くの。玉門関(から60kmほど走ると、保護区になる。「中国地質ナントカカントカ保護区」ヤルダン地形というのが現れる。かつて広大なロプノールの干上がった、テーブル状の地形!!でもここはまだロプノールの湖底ではないんだね。でもそれはとても奇妙な形をした岩や小山が次々と現れる。そんな奇景な風景に感激していると、ルートはいきなり砂漠の中へ突入した。砂はふかふかで轍もなくなった。さあて、これからが想像も絶するおじさんライダー達の戦いのはじまり、はじまり。
誰かが「地獄の始まりだ。」と叫んでいる。この深い砂は何km続くのと新疆ウイグルの案内人に聞くと、「あと350km!」という返事が返ってきた。それは無理だよ。おじさんライダーは50代後半の人ばかり、ましてダートを走ったことない人2人・・・。
バイクはバタバタと何度も何度も転倒、齋藤さんのバイクはエンジンストップを繰り返す。このままでロプノールに到着するのは完全に無理だ。口に出さないが皆思っていたに違いない。
砂の地形が読めない。堅いと思っていてもふかふかで、走れたものではない。前走車の轍を外して走るとクレパスやブッシュがあり、RRMのコースよりも厳しいかも?なんて考えていた。
カオルさん曰く「50歳になってバイクの上達は見込めん。バイクを運ぶ手配を考えとかんといかんでー」私もそのことは解っていた、昨日の時点で中国人スタッフに伝えたが、大丈夫という返事・・・何に対して大丈夫なのか。何度も聞くが走れる、トラックを用意できる、というのである。
しかし、見渡す限りトラックを探すことも、人や動物さえいないではないか。ヒヤヒヤドキドキしているうちに、なんとー!!午後6時ロプノールを望める高台に到着した。思いがけず早く着いたので、びっくりしたおじさんライダーたちは、バチバチとカメラをだして撮影をはじめた。
カオルさんが「誉めてあげてくださいよ。みんな上手くなったよ。この歳でこんなにバイクが上手く乗れるようになるんじゃね」と。「途中はどうなるんじゃと思っていたし、自分が転倒しないようにすることで一杯一杯だった」と。
ゆっくりと時間が流れていっていたが、何となくいやな感じの風が吹き始めた。この風は砂嵐になる風だ。どこまでおじさんたちをいじめるのか、もういいじゃない、充分だよ、と心で叫んでいた。
しばらく走ると太陽も見えないくらいの風が吹き始める。時間が経つについて風は強くなる一方だ。また転倒が続く、砂嵐の中、先も轍も見えない。これまでに経験したことのない砂嵐は、前を行くバイクの姿さえ消し去ってしまった。干上がってしまったロプノールの湖底。
このあたりは人を寄せ付けないほどの危険な風が吹くから、このルートはあきらめなさい。と再三言われたらしい。それでも冒険心に溢れる彼らは、というかルートを決めたのは一人だけど、なんとしてもロプノールに行きたい!と譲らなかったそう。しかもスペシャルで目ん玉の飛び出るくらいの入境料を「ポン!?」と払ってきたもの。間際になって軍の参謀本部から西域南路への横断路の通行を止められ、急遽ロプノールからトルフアンへ向かうルートに変更を余儀なくされたの。そこに待ち受ける更なる難関があろうなんて、何とかロプノールの湖底にある採塩場にたどり着いたおじさんたちは知る由もなかったのでありました。
午後8時45分、西域なのだからでしょう、まだ残照の残る時間。ロプノールの湖底のほぼ中心、西に少しいけば楼蘭、北に進めばハミ、そんな地理上にもとんでもない場所に到達。塩を採る人やそれを運ぶトラックの運転手らが、命からがらかろうじて訪れる土の家のような招待所にバイクを止めた。
ロプノールの塩をおじさんたちはポケットに忍ばせては、この日以降の熱中症対策にしたこと・・・知ってた?
中国人スタッフもよほど感激したのか、夕食後にはカオルさんが「北国の春」を歌えば中国人スタッフたちも歌いだした。
この日はキャンプの予定だったのだが、雨の降らない(はずの)ロプノールで雨が降りそうなので、そのバラックの宿に寝ることに・・・雨漏りがすごくて大変だったのですが、なんか楽しい一夜ではありました。
さて翌朝起きて、目の前は泥の海!というお話は次回ね。
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