夜明け前にあちこちでテントのファスナーを上げる音がする。朝が早いのはおじさんたち。外気温は2度、寒さでよく眠れなかったのかもしれない?だれもが早くから動き始めた。夜が明ける。東の空が赤く染まりはじめる、カメラを持って東に向かう。日が昇り始めるや、凍りつきそうだった空気が緩む。少しずつ暖かくなるのだ。午前8時スタートした。
ビバークから30分、深い砂を走る。たいへんだ。そして鉄鉱石の採掘場が現れ、人の気配。トラックも動いている。人のいるところにひとまずは脱出できたのだわ。新疆の案内人は道を尋ねている。サポートカーの1台がパンクして未到着。修理に1時間近く要した。
再び走り始めるが、やはり砂の深いところが出てきては転倒者続出。転倒すると中国のサポートスタッフがさっと車を止めて、駆け寄る。ほんとうにありがたい。あの重いバイクを、砂の深いところでは1人では起こせないし、転倒を繰り返しているため体力も消耗している。どうか今日はけが人がでませんようにと願うばかり。
斎藤さんが激しく転倒してスクリーンを大破させてしまった。この後のことを考えると、スクリーンがないのは問題だなーと心配している。とにかくスクリーンの破片は拾っておいた。翌日、スクリーン大手術となったときに役にたちました。よかったです。まあ、あの転倒でスクリーンを大破させただけでよく済んだものだと、治武カメラマンが驚いていた。彼は撮影兼スペアライダーとして参加していた。これから発表される写真のほとんどは、彼の手によるもの。
苦闘を繰り返して5時間。ようやく午後1時過ぎトルファン向けの舗装路にでた。ところがその舗装路も工事中で、かなり悪質なダートと舗装路の繰り返しとなった。すると山口さんがマシントラブルを訴える。全車ストップ。山口さんはエンジンが急に止まると訴えていた。山田がメインキー下の配線が断線しているのを見つける。電気博士高橋さんがササッと断線した線をつなぎ直して、問題なし。またまた、高橋さんに助けてもらった。
そして順調に舗装路を走っていると、突然通行止めのチェーン!!「なによーー!!えーどうなるのー。この舗装路の横にあるダートを行くのー。ああ、今日もトルファンにつかないよー。」ポジティブな私もさすがに暗ーくなっていました。
今日は何とかウルムチに到着していないと、2日後の19日に中国を出ないといけないのである。すでに北京から出発しているチームACPさんや山田達は、ビザの日数に余裕がない。もちろんほかのみんなも残された時間は少ない。日本人は現在15日間以内の観光目的であればビザはいらない。私たちは中国に来るのに各国のビザを取得する時間がなかった。でも中国がノービザでよかったからこの企画は成立したのね。15日を越えるならビザを新規に取得しなければならない。さらに問題はロシアだ。提出してある旅行計画書どおり旅行をしなければ、大変なことになっちゃう。(もちろんのんびり一人旅なら問題ないことなのだが・・・)
「ちょっと待ってて」ウイグル人の見張り番には、新疆のガイドのウイグル人。ウイグル語で交渉したら「知らなかったことにしてくれな」とOK!!工事の終わったばかりで未開通の舗装路を行ける!!通行可能になった。午後4時にトルファンが近づく。村はイスラムだ。アフリカみたいとパリダカ経験者たちははしゃぐの。風景はこれぞシルクロードね。ポプラ並木、埃っぽいなかを行きかう人々は異郷のひとたち。トルファンなんて名前もなんてシルクロードなのだろう。
道端のレストラン。モロッコのようなリビアのような。でもメニューは「手打ちうどん」なんと美味しいこと。外のテラスで食べようとしたら「だめだ。保健所がうるさいから」と、松山みたいなことを言うのね。外の席では山盛りのスイカに葡萄。私はハミウリが大好きになった。
トルファンからは火焔山を右手に高速道路を快走。途中で大量の風車が現れる。誰もが数えたのだが「200までは数えた」とか「300どころじゃなかった」と。そして午後9時ウルムチに到着。お疲れ様でした。
さーっとシャワーを浴びて、新疆のガイドが無理して予約した日本食レストランへ。「なーんだ、オレは地元の料理が良かったな」と強がりをいっている人も、サッポロビールに冷奴でご機嫌になっていました。
明日はイーニン!国境の町です。いよいよ明後日はカザフスタンへ
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