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「ペトラとデ・ニーロ-2」

2002年3月、僕は巨大な岩窟都市、ペトラ遺跡にいた・・・。

ここの岩は、何種類ものピンクで彩られたマーブル模様であり、光の当たる角度によって繊細に配色パターンを変える。一時として、同じ配色はないといわれている。そのあまりの美しさに、僕は放心していた・・・。その美しさは、僕の網膜ではなく魂に強烈に焼き付いたのである。

エル・ハズネは、ファラオの宝物殿とも呼ばれている。神殿の上部に王冠の頭頂部のような球が造形されているが、かつてはこの中にファラオの秘宝が隠されていると言われていたからである。

エル・ハズネの円柱をくぐると、神殿の内部に入ることができる。映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』では、この奥に3つのブービー・トラップがあり、その試練をくぐり抜けるとキリストの聖杯が安置された空間へ通じるのであるが・・・。僕の期待はあっさり裏切られた(笑)。

内部には、素っ気ない空間があるだけだった。装飾も何もない。奥行きも5m程度しかない・・・。使用用途も不明である。実はこの空間の壁に見えない秘密のゲートがあり、そこから神殿の奥の間に通じているのではないか?だったら面白いのであるが・・・。そんなことはあろうはずもない・・・。

ぺトラ遺跡のスケールは大きい。岩山に囲まれた周囲2kmの空間には、列柱の並ぶ大通りから大劇場まである。スパイス交易で栄えたかつての賑わいが容易に想像できた。一番奥には、エド・ディルと呼ばれる岩窟修道院がある。ここに行くためには、切り立った岩山4~50分登る必要がある。

山頂からは西方にイスラエルの地を望むことができた・・・。駆け足で訪問したペトラ遺跡だったが、充分に堪能できた。

ヨルダンからの帰路、船の中でパレスチナ人のおじさんが僕にしゃべりかけてきた。ロバート・デ・ニーロによく似ている。このおじさんは、観光客を見つけては議論を吹っかけている様子だった。僕にしゃべりかける前にも、ベルギー人と激しく口論していた。

僕はある程度の距離を保ちながら、彼の一方的な話を聞いていた。パレスチナが複雑な国際情勢の影響下にあり、目を覆いたくなるような悲惨な状況に置かれているのは知っている。彼の話はさらに熱を帯びてくる。まなざしも真剣である。僕は姿勢を正した。

それは彼の強い態度の奥に深い悲哀だけでなく、何としてでもこの悲劇的な状況を解決したいという心の絶叫を感じたからである。僕は、パレスチナ問題に関する僕なりの考えを伝えた。彼は納得はしなかったが、強く反論することはなく時々考え込んだ。

また、デニーロは宗教的な質問もしてきた。
「おまえはブッディストか?」
「そうだ・・・」
と僕は答えた。厳密な意味で仏教徒とはいえないが、そうでないともいえない。

 「じゃあ、お前は神を信じないのか」と彼は返した。

確かに仏教の説話には、“神”という概念が登場しない。デニーロはアメリカの大学を出ており、インテリだけあって仏教の基本概念をよく知っていた。しかし、仏教を唯物論的に解釈すること自体が間違っている。

僕らは仏教の教えを理論ではなく、感覚として捉えることができるが、欧米の教育を受けた彼はそれを論理で理解しようとしたのだろう。仏教と共産主義を結びつける輩もいるが、大間違いだと僕は思う。

それに、ブッダが神について語らなかったことだけを取り上げて、仏教には神がいないとするのは早計である。ブッダは、“ただ神について語らなかっただけ”なのかも知れないからである。なので僕はこう答えた。

「いや、神は信じてるよ」
「それは仏教の教えに矛盾するんじゃないのか?」
「いや、矛盾しない。そもそも僕は仏教徒である前に、神道も信じている。あんたから見ると無節操に思えるかも知れないが、そもそも仏教は宗教じゃない。それは“Way of Life”なんだよ。仏教の教えは、いかに生きて、いかに死ぬか、それを説いてるんだ」

僕自身、仏教をしっかり勉強した訳ではない。浅学で偉そうなことを言えた口ではないが、彼らのような論理教育を受けている人間には、間違っていても自分の主張をガツンとぶつける必要がある。でないと相手は僕を見下すどころか、人間として未成熟だと捉えられてしまう。

僕の主張に、彼は何か得るものがあったようだ。しきりに頷きながら、「Way of Lifeか。なるほど。俺はいいことを聞いたぞ。お前は面白い奴だ」と言って白い歯を見せ破顔した。

おかげで、僕はエジプトまでの帰路、まったく退屈することがなかった・・・。


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