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「インド、奇跡と混沌の国(2)」

インドの魅力のもう一つの側面は、”奇跡”である。

1996年3月、僕はインドの首都デリーを観光した後、砂漠の城塞都市ジャイプール、白亜の霊廟タージ・マハルを有するアグラ、のどかで牧歌的なカジュラホを巡り、人がごった返す夜行列車3等車両に揺られて、ガンジス川に面するインド最大の聖地バラナシに辿り着いた。

それは夜明け前だった。車両の中は窮屈で、夜の寒さと長時間の行程に身体は疲れきっていた。しかしバラナシに到着するやいなや、僕は朝日を目指してガンジス河に直行した・・・。薄暗く狭い路地を潜り抜けて、僕はガンジス河を目指した。

やがてガートと呼ばれる階段状の堤防にたどり着いた。聖なる河、ガンジス・・・。ガートに腰を降ろすと、雄大なガンジス河の奥に広がる地平線から、周囲の空気を振動させてでっかい太陽がゆっくりと顔を出した。それは僕の心を強く打った。

それは、この世とあの世の境界にある聖なる河を紅く染め、長旅で疲れきっていた僕の心を洗った。ここは、ヒンドゥー教徒がカルマを洗い落とすために沐浴し、死期の迫った人々はここで焼かれてガンジス河に遺灰を流してもらうためにやってくる聖地である。

この河は、旅人を哲学者に変える・・・。

僕はこのインド旅行で、インドの大地に現存する数々の奇跡の末端に触れることができたような気がしていた。実際に見たわけではないのだが、雰囲気としてそれを感じることができた。

インドは、精神的文化においてはむしろ先進国なのかもしれない。あの国に残る、偉大な文明の系譜。それは医学、音楽、建築に留まらず宗教においても、常識を超えた何かが伝統として確実に息づいていた。

日本にはインドを途上国として見る傾向が強いが、それは単なる”パトロナイズ(上から下を見おろすこと)”に過ぎない。僕らが想像だにしないポテンシャルがこの国にはあると、僕は強く感じていた。

マントラによる祈りと共に朝が始まり、日常生活のあらゆるところに偏在する神々と共に一日を過ごすインドの人々にとって、スピリチュアリティとはあたりまえの要素なのであろう。

バラナシの屋台で食事をしていると、僕の周りで子供達がはしゃぎ廻り、牛や豚、鶏や猿までが近くに寄ってきて思い思いに戯れ、羽を伸ばしていた・・・。

 「まるで楽園だなあ…」

しかし、そんな楽園にはカースト制という身分制度が、21世紀の現在も確実に存在している。そういう矛盾を平然と抱えているのも、この国の不思議さである。

確かにこの灼熱の大地で生きていくことは過酷なのだが、それを遥かに超越した豊かな精神文化の存在を僕は確信していた。インドの有名なヨガ行者、パラマハンサ・ヨガナンダ氏は、著書『あるヨギの自叙伝』の中で、次のようなエピソードを語っている。

それはヨガナンダ氏が出遭ったある聖者の話である。ある日警官が、その聖者を泥棒と勘違いし刀で片腕を切り落としてしまった。翌日、それが誤認だとわかり落ち込んでいたところその聖者が現れ、腕は元通りに戻ったからもう気にしないようにと言ったという。

切り落とされた腕が元通りに戻るのである。常識では考えらない話だ。しかしヨガナンダほどの著名な聖者が嘘を語るとも思えない。過激な話だが僕は、これは本当の話だと思っている。そういう奇跡が起こる雰囲気が、確かにインドにはあるからだ。

そもそも常識とは何だろう。それは単なるパラダイムに過ぎない。その時代の支配的なものの見方や考え方のことである。したがって、パラダイムは流動的である。天動説を唱えれば現在では嘲笑の的になるが、地動説を唱えれば中世では火あぶりにされた。太陽系の惑星が9つだというのもパラダイムに過ぎない。

常識とはあくまで指針であって、真実ではない。それを絶対的な概念として捉えてしまうと、大きな落とし穴にはまることになる。ヨガナンダ氏の記述も、まさに常識の外側に存在する。人々は、そういうパラダイムを覆すような現象を指して“奇跡”と呼ぶのであろう。

のちに僕はこのインドの地で、実際に”奇跡”を体験することになる・・・。


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