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2002年3月、僕はエジプトを出国し、海路でヨルダンに渡った・・・。

3月27日の夕刻、ルクソールの街を後にした僕は、紅海に沿って北上してシナイ半島を目指していた。バスは16時間かけてシナイ半島の一大リゾート地、シャルム・エル・シェイクを経由し、翌28日にダハブの街に到着。ここからはミニバスに乗り換え、ヌエバアを目指す。

ミニバスは、かなり急勾配の道を何度も登っては下った。道路の両端に迫る荒涼とした山々。細い赤茶けた谷間から、逆三角形の形をした海が顔を出す。ここはかなり急激な地形のようだ。高い山々が急角度で、海に向かって落ち込んでいるのだ。

ヌエバアで船に乗り換えると、対岸には荒涼としたサウジアラビアの大地が広がっていた。アカバ湾を隔てて、エジプトとサウジはこんなにも近いのか。僕は驚嘆するとともに、この海だったらモーゼは海を割って本当に渡れたのかも知れないな、と空想した・・・。

紅海クルーズはあっという間に終了。約1時間30分でヨルダンの港町、アカバに到着した。驚いたのは、船が港に停泊する寸前に、船の乗務員が乗客のパスポートを一斉に集め始めたことだ。いったい何をするつもりなのか。

にわかに見守っていると、重ねたパスポートに片っ端からスタンプを押していく。しかも早押しだ。これが入国審査だという。ヴィザも簡単に取得。セキュリティも何もあったものではない。税関もノーチェックだった。観光客としてこれほど楽なことはない。

港街は活気に溢れ、賑わっていた。通りを行きかう人々を観察すると、体格の良いエジプト人とは違い皆一様に小柄だ。同じアラブ系といってもやはり特徴が異なるのであろう。赤字に白い模様の入ったカフィーヤという布で頭部を被った人も目立つ。いわゆるベドウィンと呼ばれる人々だ。

ヨルダンに入国した目的は、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の舞台として一躍有名なったぺトラ遺跡を訪問するためである。映画では、キリストの聖杯が安置された神殿として登場する・・・。テンプル騎士団に守護された、あまりにも印象的な神殿だった。僕は船で一緒になった日本人旅行者とともにタクシーをシェアし、一路ぺトラの街、ワディ・ムーサへ向かった。

ぺトラ遺跡は、紀元前6世紀にナバタイ人によって造られた都市の遺跡である。ぺトラへの入り口は、大きな岩山の隙間を縫うように削られた隘路しかない。これが延々2キロにも及ぶ。それは天然の要崖であり、都市防衛機能として高い精度を誇っていたことが容易にわかる。

隘路の奥には、周囲を山々で囲まれた2キロ四方の空間が広がり、ナバタイ人はここに都市機能を置いていた。神殿へ向かう通路の岩壁には陶製の水道管が残っていることからも、その都市機能の高さを窺うことができる。

翌朝、僕はさっそくホテルからぺトラまで歩いた。遺跡までは、切り立った崖の間をかなり歩かねばならなかった。この通路は、映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』でも神殿に通ずる秘密の通路して幻想的に登場する。通路というよりトンネルに近い。見上げると、切り立った崖の両側が覆いかぶさるようにせめぎ合い、狭い空間からわずかに空が覗いていた。

薄暗い空間と静けさが緊張感を高めた。しばらして角を曲がると突然、目の前が開けた。巨大な岩の扉がわずかに開き、まぶしく光が差し込んでいた。そして、岩と岩の隙間から驚くべき人類の傑作が姿を覗かせた。それはまぶしく薔薇色に光っていた。まさしく光っていた・・・。

岩の回廊を完全に抜けると、薔薇色の神殿がその全貌を現した。エル・ハズネである。それはペトラの門であり、美しい神殿でもあった。神殿の柱や梁、屋根は岸壁に掘り込まれて造られていた。この岩山そのものがマーブル模様の入った薔薇色の岩であり、微妙な光の角度によって1日に50色もの薔薇色に変化すると言われている。

美しい・・・。美しすぎる・・・。

あまりの美しさに、僕は一瞬われを忘れた・・・。

続く・・・。


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