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「ピラミッド、その圧倒的存在-2」

ピラミッドは、まずその大きさに驚愕させられる。その巨大さはもちろん知っていたが、知っていることと実際に見ることは別のもである。そして、あまりにも急な傾斜角にも驚かされた。もっと緩やかな傾斜だと思っていた。これは実物を見て初めて気がついたことである。

「いったいこれは何だ。誰が何のために造ったんだ!?」

議論し尽くされ、語り尽くされたこのテーマが、強烈に脳髄を駆け巡る。きっと僕だけではない。ここに来た誰もが、このような疑問を抱かざるを得ないであろう。ピラミッドの本当の凄さはここにあると思う。

それは、遺跡にまったく興味のない人をも沈黙させ仰け反らせ、“これはいったい何だ”と思わせるような圧倒的な存在感を、時空を超えて放っていることである。世代を超えて人々の想像力を常に刺激し、議論を引き起こさせるトリガーのようなものである。この絶対存在は、興味のあるなしに関わらず、見た者の思考回路や思考様式に何らかの変容を生じさせる。

これがピラミッドの本当の存在理由なのではないか。僕はそう強く感じた。

かつてピラミッドは王墓であるという説が支配的であったが、現在ではあまり支持されていない。吉村作治先生ですら王墓説を否定している。ではいったい何の目的で建造されたのだろうか。僕がクフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッドと呼ばず、第1、第2ピラミッドと意図的に呼ぶのもここに理由がある。

建造年代も定説では4500年前とされているが、ここにも様々な疑問が提示されている。有名な論争は、アメリカのエジプト研究家アンソニー・ウェストやボストン大学教授のロバート・ショック、そしてグラハム・ハンコックらが巻き起こした、“紀元1万500年説”である。

アンソニー・ウェストは、スフィンクスや河岸神殿に残る雨による磨耗を綿密に調査した。その結果、その侵食痕は氷河期末期の降雨期によってできたことを突き止めた。ロバート・ショックも地質学者の視点から、スフィンクスの侵食痕が石灰岩が数千年に渡って雨にさらされた場合に形成される“教科書的事例”であるとアメリカ先端科学協会で発表している。グラハム・ハンコックもこのような事例を採り上げ、学際的な観点からもスフィンクスの建造年代は、エジプトの大地に豊富な降水量が存在した1万500年前であることを主張したのである。

それに対して権威あるエジプト学者は、猛反発した。そしてほぼ感情論に近い非難の罵声が浴びせかけられたのである。今では非常に有名になった3大ピラミッドと天空のオリオン座の三ツ星、アルタニク、アルニラム、ミンタカとの位置的相関関係についても、これはエジプト学者の発見ではない。ロバート・ボーヴァルというベルギーの建築技師で素人ピラミッド研究家の発見なのである。

ここにも学者からの批判が相次いだが、それは客観的な批判というよりも、多分に“縄張り意識”が過剰反応したようにも感じられる。むしろこうした斬新な発想は、既存の概念で雁字搦めにされたスペシャリストからは生まれにくいのではないだろうか。別分野からの学際的な研究や素人研究家は、このようなパラダイムに囚われないからこそ、新しい発見が可能になるのだとも考えられる。

いずれにしてもピラミッドやスフィンクスは、今後も人々の論争の的になることは間違いないであろう。それほど強烈な魅力が内包されているということである。


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