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「サイゴンの英雄」

「Huong Lai(フーンライ)」というヴェトナム家庭料理のレストランが、ホーチミン市にある。ホーチミン市はかつてはサイゴン市と呼ばれており、地元の人々はいまだに自分たちの街をサイゴンと呼ぶ。

このサイゴンに、白井尋という男がいる。大学時代の親友である。旅仲間であり、盟友でもある。僕がバックパッカーになるきっかけを作ったのも彼である。大学卒業後、一般企業に勤めていたが、一、二年後に彼は生活の拠点を海外に移した。

その渡航先がヴェトナムだったのである。当時のヴェトナムは、現在のような経済的な発展を遂げる黎明期であり、混沌の中にも国が急激に成長する前夜のワクワクするような空気感と躍動感があった。

彼がヴェトナムを選んだ理由も、その活気を肌で感じたいというのが一番だった。ヴェトナムに何のつてもなかった彼は、まず語学学校に通い言葉を覚えるところから始めた。そして日本にヴェトナム雑貨や衣類を輸出する仕事からはじめ、やがてサイゴンに小さな雑貨店を持った。

雑貨店を経営する傍ら、彼はサイゴンの孤児院でボランティアをするようにもなる。この経験が、のちのち彼の人生に大きく影響してくることになる。雑貨店はやがて、衣類と靴を専門的に扱うブティックへと成長した。名前はTeuTeu。蝶々という意味だそうだ。

折りしも日本でヴェトナム・ブームが巻き起こった時節である。民族衣装のアオザイだけでなく、エスニックかつ現代的なデザインのカットソーなどをオーダーメイドで短時間で作成する手法が観光客に受け、TeuTeuは繁盛した。

そしてヴェトナムが経済成長するとともに、尋もさらに新しい分野に挑戦した。それがレストラン、「Huong Lai(フーンライ)」である。このフーンライが特別なのは、従業員がすべて孤児院出身者で構成されていることである。

ヴェトナムでは孤児院出身者がIDを持つことが難しいらしく、能力があっても力を発揮できない孤児がたくさんいる。尋は、彼らをレストランで育てて社会に送り出したり、学費を貯めさせて大学に行かせたりしているのである。

彼がユニークなのは、能力的に優秀な子で、内心「この子がいたら楽だろうな」と思っても、条件的に比較的恵まれている子は採用しないことだ。その理由は、”フーンライじゃなくても充分採用されるから”らしい。

つまり問題は多くても、フーンライをどうしても必要としている孤児のみを採用しているのである。ビジネスを展開しながら、社会貢献も同時に成立させているのである。ヴェトナムではそれまで誰もやったことのない、ビジネス・モデルを成功させているのである。

彼の元から多くの孤児達が立派な社会人として旅立っている・・・。

レストランを訪れた各国のお金持ちから彼の能力を見込んで融資の話が出たり、「大きな仕事をまかせるのでやってみないか?」とか誘われるそうだが、大抵お断りしてるそうだ。

「もったいなくないか?」
と訊ねると、彼の答えはいたってシンプルだった。

「だってビジネスしようと思ってないから(笑)。たぶん、そういう話に乗ればお金は儲かるだろうけど、楽しくなくなるから・・・」

彼は、自分に合っていない仕事や生き方にそぐわない方法を直感的に感じ取る力があり、そして誘惑に負けない信念を持っていると僕は感じた。

そういう生き方を貫いているからこそ、運命のリズムに同調してチャンスやヒントがどんどん向こうからやって来るのだろうと思う。彼は洋服屋をやろうとか、レストランをやろうと強く熱望したことはないそうだ。それは様々な出遭いや偶然が重なって、自然と条件が整って実現したのだそうだ。

彼のシンプルで、自然のリズムに合わせた生き方に僕はとても影響を受けたし、今も彼をリスペクトしている。


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