「ランタンルージュ」
語源は昔、貨物列車の最後尾に付けた赤ランプの事らしいのですが今では最終バスの方向幕が赤くなるのも、この事からきているのですね。
1987年の第9回 PARIS ALGER DAKAR はスタートが1月1日で22日にダカールに着いており、全出場車両は539台で14,000kmで行われ、今より1週間も多かったんですね。
当時のレギュレーションはトップから遅れる事、70時間を過ぎると自動的にリタイア扱いになっておりました。
ダカールに着き、表彰式に出たら、最後に「スガワラ」と呼ばれ、何の事か分からずに壇上に上がったら「ランタンルージュ賞」を渡されました。
どうも、最後のダカールの海岸である「ビクトリーラン〔タイムも計測されてます〕」で私の後ろの人がリタイヤして、私の車がビリになったようです。
この時の4輪の出場台数は154台で私が87位でした。完走率は56%ですね。
この時頂いたカップが汚れていたので、日本のカップ屋さんにお願いして新品同様にしてもらい、帰ってきました。
菅原 義正
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