「名古屋人の走りは荒い」そんな科白を初めて聞いたのはまだ大学生だった20年程前のことだったと思います。
全国、いや世界各地を走り回っている人々の多い中こんなことを書くのも恥ずかしくもありますが、今回は「名古屋走り」について。
それはまだ桜のつぼみもまだ固い頃、卒業を前に友人と二人、四国を目指し走り始めたものの、突然の豪雨にたまらず高速を降りたのは今思うと小牧ICだったような。愚図る2ストをなだめるように宿を探し走りつづけました。
大粒の雨にヘルメットの中はぐしゃぐしゃ。曇ってしょうがないシールド、水滴に滲むメガネ。暗くなった足もとに目印は前を走る車のテールランプのみ。もちろん今、目の前に突然穴ポコがあっても判りません。恐る恐る一定の距離を保ちながら走るはじめての名古屋市内の印象といえば「運転荒いかなぁ?」。
それ以来の名古屋。住んでみての印象は「荒い」というより「マイペース」。自分で走りたいように走っているように感じます。速い人はひたすら速く、ゆっくりの人はひたすらゆっくりと。走行車線でも追い越し車線でも関係なく、守るのは自分のペース。その基準は「安全」ではなく「自分」であるように思えます。よって時として交通の流れが非常に悪くなる。でもペースの違いにカリカリしてるのは私ぐらい?
ウィンカーを出さずに車線変更することも名古屋走りの特徴と言われますが、他の都市でも良く見かける、‐ハンドルに力を入れるのと同時に意思表示する人々‐の運転も充分危なく、本来の役目を果たしていない事では名古屋と同じですし。
オートバイで走っていると「轢き殺される」感覚は東京よりも多いかもしれません。ちゃっちゃと走れということでしょうか。街中ではあまりオートバイを見かけません。
一方、道はよく整備されとても走りやすく好印象。幅も広く車線も多い。しかし残念ながら都市部で気持ちよく走る事は中々出来ません。とにかく信号につかまるのです。次の信号も次の信号もその次の信号も満面の笑みで私を迎えてくれます。全ての信号が自己紹介してくれているような気さえしてきます。色々とペースは変えてみるものの、毎回グリッドに並ぶのは同じ面子(車)。カクシテだんだんと渋滞が出来てゆく。ストレスはたまるばかり。
速度抑制の為だとは思いますがここまでしなければいけない名古屋の人たちの本当の走りとはいったい???まだ見ぬその姿を見たいような見たくないような・・・。
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