好評連載
|
SSERのコト、エンデューロのコト、少しマジィで話してみませんか 第5回
(2000/3/29) |
「日本がひとつになった」瀬戸大橋が開通した記念の年である1988年277名というエントラントを迎えての第4回大会の開催となった。エントラントの人数を耳にした時はビックリ仰天、山田が「昨年より100名も増えたヨ」と言いながら笑みを浮かべていたのが印象的だったな。本当に喜んだよ。
さあ、イヨイヨ私にとって初めてのSSERが始まった。8月19日8時から受付開始された。
この年のコースレイアウトは、前半と後半の2セクションに分れていた。前半94.18Km、後半90.34Km。SSは下りが中心、どのSSもすべて違った表情をみせた。SS最長22.70Km(今ではこんなに長いSSは無くなってしまったなぁ)平均すると1本あたり10Kmくらいだ。
そして、毎年賑やかな前夜祭。この年はシンセサイザーをバックにスライドエキジビション赤松章氏の10e PARIS-DAKAR RALLY の映像をたっぷりと楽しんだ。何だか夢とロマンに溢れた前夜祭だったな。
8月20日5時からライダースミーティング、そして6時STAGE1スタート。18時STAGE2スタートと競技の方はタンタンと消化していった。少しのトラブルは当たり前で、あっという間に対処していてこの素早さに驚いたものである。
サテサテ集計である。前の年のこともありコンピューターに頼らないで人間コンピューターいや人間電卓でがんばることとなった。これが予想以上の大変さだった。チエックポイントにいっている女性は全員本部に帰ってきて食事を済ませてさあ計算、やはり疲れているため次から次へとバタバタと倒れていく。総勢20名ぐらいでしていたものの最後は2名、夜が明けてから何時間もたって集計が出た。恐る恐る山田にリストを見せた。1位はゼッケン89番 高知の篠藤洋紀さん、2位和歌山の木戸康晴さん、3位は神戸の魚川稔晃さんだった。う〜んう〜んばかりで何も言わない。やっぱり違うのか今からやり直しは時間的に無理と心臓がバクバクしていた。そして山田が一言「やっぱりそーか篠藤弟か、よし表彰式だ準備して」その言葉で力尽きた私はこの後のことは覚えていないのだ。でもちゃんと表彰式は晴天の中行われた。
SSERの第4回大会は、私にたくさんの衝撃を与えてくれた。そして、ほんの少し人生観をかえたかもしれない大会だった。こんなにたくさんのバイク乗りを見るのも初めてだ。ちょっと話し掛けられても恐かった当時の高知県ライダー達。何語を話しているのか、怒っているのか、質問しているのか、うー!わからなかったなぁあの頃はね。今は大丈夫ですよ。ナニシチュウガヤキィなんて話せるもの。えっちょっと違う?
まあ!この後どっぷりとSSERに漬かることになるとは思ってもみなかった。
第4回SSER大会のSSER PRESSにて6日間で2000Km四国を走り尽くすビックプロジェクトブルーアイランド2000の開催を発表した。
写真1枚目
第4回大会の名物となった美川スキー場に設けられたSSは2本。1本はダウンヒルに大きな穴があって次々と前方宙返り、バトル中のトップ3台が同時に宙返り!!なんて面白い(ゴメンナサイ)シーンもあったそうよ。
写真2枚目
この年、総合優勝の篠藤洋紀選手。XRを駆って4st勢の初優勝じゃなかったなか?!
写真3枚目
短パン姿で元気な山田とオフィシャルの皆さんです。この当時オフィシャルは100名近くいたのですよ。今はSSERでは70名程度ですね。
|