第1回「SSERのコト、エンデューロのコト、少しマジィで話してみませんか」その2
私は、昔からドーシテ「四国スーパーエンデューロラリー」なんだろうと思っていた。
四国はよくわかる。スーパー,エンデューロ,ラリーこの3つの言葉がどうしていっしょになってるのか本当に疑問だった。この際勇気を出して聞いてみた。でてきた答えは…「かつてのイメージではエンデューロとはクローズド、特にMXコースのようなところをグルグルと周回する、しかも何周も何時間も、まあ耐久MXのことをエンデューロと言っとったわけ。で、厳密にゆーと、MXでもモトクロスカントリーだったんじゃないだろうか?(クロスカントリー、この言葉がこんなトコに居ましたね)つまりね、モータースポーツの原点は、A地点からB地点まで、いかに早く行けるか?だったわけで、それを蛇腹を縮めるようにサーキットだったり、MXコースだったりしたわけ。
例えば市場調査をやって100万人のサンプルを1000人分とって1000倍して答えを出すような(まあそんなもんです)ところがPARIS-DAKARくらいになると、いややっぱり決着は100万人のサンプルを取ろう的にMXコースを10,000Kmまで引っ張り伸ばしたんだね。そうすると今まで見えなかったものが見えてくる。あんた速いけど長続きしないじゃん!的なコトね。ちょっと話しがそれた。で、その当時は特に耐久MXをエンデューロと呼ぶようでは本場のリライアビリティシステムのエンデューロをその名のまま持ち込んでエンデューロと呼べば混乱する。ということでおケツにラリーをつけて『再び出会う』というラリーの語源を引用して本当はモト・クロスカントリーにしたかったんだけどエンデューロ+ラリーにしたわけ。でも、そうすると耐久(いわゆる長距離感)がナイということでエンデューロやラリーを包含しつつ、それを超える存在=カテゴリーとしてスーパーエンデューロラリーとしたわけね。
で、ここらはもっと議論しないかんけど、外来語に対するイメージの弱い日本人には少し難しいんよ。ミシンなんて語源はマシン(machine)だし、まあ間違ったまま言い続けたら、それがスタンダードになるってことですよ。」《山田》というコトで何回聞いても聞く度に言ってるコトがチョットずつ違ってるようで、よくワカラナイ...。特にヒドイのそのタトエバナシが。
それでは、いよいよ記念すべき第1回のハジマリ、ハジマリ!!
それは1985年9月22日.23日秋晴れの久万町でのコトデシタトサ。
東京からトシ・ニシヤマ氏や、当時のアチェルビスのインポーター浅賀
明氏も応援に駆けつけてくれた。全国から多勢のエントラントを迎え、久万町はお祭りと化したのである。22日の夕方から第1ステージ(昔は1stが夜だったのね!?)がスタートし1周150Kmを超える林道のコースに全エントラントが飛び出して行ったんだそーな。その台数196台。しかし、無線を通じて大会本部に入ってくる情報は転落、正面衝突、ガス欠で立往生の車両続出という内容ばかり。大会本部をカラッポにして全スタッフが深夜の山間部へレスキュー活動に向ったのだった。深夜のふるさと村は無事第1ステージをゴールした少しの選手にフルバンドのジャズオーケストラ、その他ブルーグラスバンドなどのナイスな音がムナしくひびいたそーな。中間CPの獅子越山荘はCPを閉鎖出来ないまま飲まず食わずの徹夜、そして未明からの雨。それでも2日目のステージは実施したようだ。午前4時スタート。なんとハード。これじゃ大変ダ。エントラントもオフィシャルも。またまた、第2ステージも事故のニュース続出。実行委員会は頭を抱え込んだようだね。しかし2日目のステージがゴールする頃にはふるさと村の大会会場に虹が出て秋の陽差しが戻ってきたという。問題点が沢山出てしまったけれど、全員の心に妙な満足感が込み上げてきたし、新しいモータースポーツの予感が心地よかったとのことです。で、なぜ事故が多かったかっていうと、そのリライアビリティランにあったんだそうです。早く行ってCP前でタイムコントロールが出来るというんで先へ先へみんな急いだ、というコト。2年目は大巾にレギュレーション改正で臨んだんだって。
KUROKAWA |