「SSERのコト、エンデューロのコト、少しマジィで話してみませんか」その3
ジャーン!第2回大会のお話のハジマリ、ハジマリ。
第2回大会の人気は、かわいらしいイラストのカラーポスター。アチェルビスもバックアップについてアチェルビス風のポスター、ゼッケンをACERBIS。何となくこのおかげで随分リラックス気分でナンとなくヨーロピアンだね。しかも問題のレギュレーションの改定にも充分な検討をくり返し自信を持って臨んだ。競技の内容は第1回大会と大きく変わり、リエゾン(移動区間)とSS(スペシャルステージ)が交互にやって来るようになり、SSの最短時間者が減点0となり、遅れ1秒に付き1点の減点が課せられるというもの。(そしてリエゾンはノーカウントに(つまりフリー走行)で交通法規尊守を唄った。)その第2回大会は1986年9月13.14.15日。第1回大会とほぼ同数の194台のエントラント、走行距離300Km、前回同様フラットな林道が中心となった。第2・第3SS(スペシャルステージ)にけもの道が登場してきた。ハイライトともいえる中間CP(チェックポイント)は造成中の久万スキーランド。大勢のギャラリーもこのスキーランドには詰め掛けた。美しいカクラルライトに浮かび上がったゲレンデのヒルクライムにそして下りはクランクケースまで埋まろうかという泥との格闘。照明に浮かび上がるマディなゲレンデは、なにかこう戦場のよう。
当時パリダカ男の中村 洋氏もハスクバーナ400で走っていた。山村
雅康氏もKTMで参加。それぞれ走るより飲むほうに全勢力がつぎこまれていて、まあ酔拳のようなライディング。2年目のレギュレーション改正が今のSSERの基礎であり、システムを作ったと言ってもいい。また、それがひとつのスタンダードを作る。そんなクリエイティヴな気の溢れた大会だったんだね。
この年、神戸からサイトーレーシングが大量エントリー。上位陣に大きく食い込んで来る。斎藤
茂憲氏は元トライアルA級、メンバーはIBのライダーが目白押し。これから数年間、サイトーレーシング時代が続く?のであった。とにかくSSERはニューレギュレーションで新しいシステムが見つかった。但し、集計システムに問題が垣間見えるのだった。集計システムは次のおハナシだっ!!
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